劇場公開日 2019年12月13日

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「時はもう遅い」家族を想うとき 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0時はもう遅い

2020年1月28日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

 観ているのが辛くなる大変に苦しい映画である。主人公は教育程度は高くないが、真面目で勤勉な夫だ。独善的で愚かではあるが、家族の幸せを願っている。妻は良妻賢母だが子供たちはそこそこだ。よくある家族の一例である。ケン・ローチ監督らしく、主人公にも容赦がない。

 日本における偽装請負はキヤノンの事例が有名である。経団連会長の会社による違法行為として大きく報道されたが、オテアライが時の安倍晋三政権と仲よしだったおかげで何のペナルティも課せられなかった。2006年の話である。桜を見る会と同じ構図がずっと前から続いているということだ。
 同じようなことは世界中で起きていて、イギリスも例外ではない。権力は必ず腐敗する。長期政権になればなるほど腐敗の度合いは強くなる。安倍政権がいい例だ。官僚は政権が代わっても同じように仕事を続けるのが普通だが、政権に人事権を握られていては従うしかない。官僚も勤め人である。昇格降格昇給降給異動で脅されれば従うしかない。国民に奉仕する前に自分の生活が大事なのである。やむを得ない話だ。そんな官僚の弱みにつけこめば、政権はやりたい放題にできる。憲法を無視して戦争だってやろうとしているくらいだ。
 ケン・ローチ監督の前作「私はダニエル・ブレイク」では役人が自分の保身を第一に、税金が自分たちの金であるみたいな勘違いをしていることで、体を壊して失業したダニエル・ブレイクをとことん苦しめた。

 本作品は民間の話であるが、構造的にはあまり変わらない。金を持っている人間が弱者から労働力を搾取して太っていく。近江商人の三方良しではないが、客よし労働者よし会社よしみたいな企業は滅多にない。寧ろ逆の企業、つまりブラックな企業が多い。本作品に出てくる運送会社は典型的である。
 立場の弱い主人公は、偽装請負の契約を受けざるを得ず、その条件の中で懸命に頑張る。配達先の客の中には嫌な奴もいるが、そんなことは気にしていられない。なんとしても金を稼いで借金生活から脱出しなければならないのだ。しかし契約には落とし穴があって、様々な罰金制度が主人公をがんじがらめに縛り付ける。そして家族にはいろいろなことが起きるから、契約を履行できない場面もおとずれる。
 契約を完璧に履行して目論見通り稼ぐことができるのは、独身で超人的な体力の持ち主だけだ。それともうひとり、現場を取り仕切るボスである。会社が絶対に損しないように出来ているから、この男も損をしない。損をするのは常に労働者だけだ。被害者になっても尚、会社からたかられる。弱者にとって世の中は理不尽すぎる。
 あまりの不条理に耐えかねた主人公だが、どのような道があるのか。リアリズムの映画だからウルトラCはない。ダニエル・ブレイクは体を壊して職を失った貧しい老人として社会に抗議するささやかな行為を行なった。本作品の主人公リッキーはどうするのだろうか。

 令和の年号になって、岡林信康の「山谷ブルース」を知らない人も増えただろう。つまり知っている人がたくさん死んでいったということだ。その「山谷ブルース」の歌詞は次のようにはじまる。
 今日の仕事はつらかった
 あとは焼酎をあおるだけ
 どうせどうせ山谷のドヤずまい
 ほかにやる事ありゃしねえ
 仕事が終わって一杯飲んで、仕事のことや仲間のこと、その他よしなしごとをつらつらと意味もなく語り合う。酔ったら寝て明日はまた仕事だ。なんだかんだ、ここまで生きてきた。後悔はたくさんあるが言っても仕方がない。将来のことなどわかりもしないし考えたくもない。
 「山谷ブルース」が発表されたのが1968年。それから52年。ITが急速に進み、スマホも普及したが、労働者の環境は何か変わっただろうか。

 ケン・ローチが告発するのは政治家でも役人でも資本家でもない。時代というやつだ。世の中の理不尽を勝ち組、負け組という言葉で両断し、勝ち組に入ることを人生の目標とする世の中。取りも直さずそういう世の中を作ったのは、人々自身である。自分だけは勝ち組に入ると信じて疑わない人々、負け組に冷たい人々が自分たちに似た政治家に投票し、格差社会を作り上げてきた。いざ自分が負け組に入ったことを思い知らされたとき、すべての間違いに気が付くが、時はもう遅い。

耶馬英彦