パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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ぐいぐい引き込まれた!
ポンジュノ監督とソンガンホのタッグは間違いないと思いつつ、予想以上におもしろかった。2つの(3つの?)家族は一人一人魅力的なキャラで描かれていて、なんとゆうか、意地悪な人はいないんだけど、節々で貧富の差を突きつけられて、我に帰るような感覚を覚えた。半地下の住居、豪邸の地下、におい、大雨。印象的なシーンでした。
ついにここまで来たか…
日本での公開前から話題沸騰のポンジュノ最新作。
面白いのだろうとは思っていたがここまでとは・・・
年明け早々年間ベスト級の脅威的傑作をみてしまった。
本作の面白さは無数に切り口があると思うが、個人的に一番素晴らしいと思うのは、全体を通しての様々なジャンルをエンターテイメント的に横断しながらメッセージ性を強く見る側に投げかけてくる点。
冒頭から中盤までの展開は言ってみれば オーシャンズシリーズとでもいうようなジャンルで、富裕層の家庭に巧妙に侵食していく家族の様は凄腕知能犯達の華麗な犯行と言った味わいで見ていてとにかく爽快。編集のリズムが絶妙で特に 桃のモンタージュシーン(ツイッターで回って来た解説を見たからというのもあるが)の完成度が凄まじく 今俺は面白い映画を見ているぞー!という幸福感で満たされる。主な舞台となる家の構造をこの前半部分で印象的にきちんと切り取っていることも後々の展開を見据えて非常に良く効いていると思う。
この前半のトーンだけでひたすら爽快に駆け抜けても十分傑作だったと思うが本作がとてつもない領域に行くのは中盤元家政婦が雨の中訪ねてくるシーン以降。
ここから途端に映画のトーンがぐっと変わり、個人的には ホラー とも言っていい領域に突入して行く。
まず、解像度の荒いインターホンのカメラ越しに映る元家政婦の表情の切り取り方からしてすでに不気味。何かが起ころうとしているという気配を表情一発で見せ切ってしまうのが本当にすごい。
さらにこれ以降の一連の流れが終わるまでに間、地下に続く階段の撮り方が完全に 異世界への入り口 としか思えない撮り方で、暗闇の中へ続いて行く階段がただただ不気味。
母親が地下に行った元家政婦の様子を見に階段を降りて行くだけでとてつもない緊張感だった。
さらにはその地下に降りるとそこには・・・
というくだり!!
お前なんだその姿勢は!!
という点がおかしくもあるのだが、それと同時にやはり心底恐ろしい瞬間でもある。
個人的には今作のベストシーン。
この とてつもない姿勢になった人間 の姿を通して自体がとてつもない方向に向かっていることを示すというのは、個人的にはものすごく エクソシストっぽい!! と思う。
やはりこの段階でこの映画は完全にホラーなのだ。
そこから急激に この映画の正体 ともいうべき全体像が急速に浮かび始めるのだが、そのテーマを描き出す手法の一つ一つが全て途方もなくエンターテインメント!
何かテーマに触れるような描写は必ず映画のエンターテインメント性とセットになっており、
例えば元家政婦を蹴り飛ばすシーンは階段の下 つまり地下へと転がり落ちる貧困層という象徴的な構図を示すと同時にやはり完全無欠のアクションシーンとなっているし(布施の劇場が爆笑に包まれていた)、机の下への潜伏シーンは、潜伏しているが故に浮き彫りになる富裕層と貧困層の埋めがたい溝を描くとともに、脱出シークエンスのスリリングさにも直結している。
脱出以降、すべてのしわ寄せが流れ込むかのように雨が地下へ地下と流れ込んで行く様は非常に印象的。
彼らは一つも正しくないが、それでもこの世界に確実にある問題を明確に見る側に突きつけてくる。
しかも超エンターテインメントな手法で。
まさかオスカー作品賞まで取るとは思わなかったが、これ以上映画に何を望むことがあろうか。
文句なく超傑作
絶賛の中、“隠れイマイチ派”としての解釈
「前評判」というのも“良し悪し”ですよね。
「カンヌでパルムドール受賞!」ってことで観客動員が増えれば、それは良い影響でしょうけど、「韓国の格差社会を問うテーマ性」みたいな評を耳にすれば「なんか難しそうな話かな」と敬遠してしまう人もいるかもしれません。
で、その“良し悪し”で言うと、僕はこの『パラサイト 半地下の家族』の場合は、前評判の影響がけっこう悪い方に働いちゃってるなぁという印象がありました。
カンヌのパルムドールといえば、特に日本の映画ファンにはどうしたって『万引き家族』が記憶に新しいですよね。なのでこの『パラサイト』が「全員失業中の一家が金持ち家庭に、あの手この手で潜り込む話」っていうあらすじを聞けば、やっぱり「全員失業中の一家」っていう方、つまり貧困家庭の要素の方に意識が行ってしまう。
それに加えて町山智浩や宇多丸さんとかの評論家が、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』とかジョーダン・ピール監督の『アス』なんかと並べて、「やっぱり現実の、世界規模での格差問題が、同時多発的にこういう映画を生み出させている」みたいなタグをつけて絶賛する。
そうすると、なんとなく、「貧困層vs富裕層」の二項対立という図式で、ストーリーが語られる映画なんだろうなと、予想して観ちゃう。例えば貧乏人が金持ちをスカッとやっつけるような話なのか、または結局貧乏人が金持ちにしてやられる後味苦い系の話になるのか、とか。
正直僕はそういう意識で観に行っちゃいましたし、その結果ですね、確かに面白かった。良い映画だったとも思ったんですが、一方、「え?これがカンヌのパルムドール??」っていう、違和感というか、不完全燃焼感みたいなものも、実は同時に感じてたりもしました。だからその後、ツイッターとか映画サイトで絶賛評を目にするたびにですね、
「あれっ!?自分の映画の観方って、何か間違ってるのかな?」
というような不安感すら、感じちゃったりもしたんですね。まぁ、映画の観方に合ってるも間違ってるもないんですが、それでもなんだかザワついちゃったということなんですね。
なのでこれから本作『パラサイト 半地下の家族』を観に行く人はですね、パルムドール受賞作品とか、韓国格差社会の現実とかっていう要素は、あえていったん意識の外に置いておいて、まずは1本の「なんか面白そうなコメディ」として楽しんでもらえるといいかなと、思います。
「全員失業中の一家が金持ち家庭に、あの手この手で潜り込む話」っていうあらすじの「あの手この手で潜り込む」の方の要素。それがうまく行くの?行かないの?っていう面白さを、ハラハラしたりヒヤヒヤしたり、ニヤニヤしたり、時にドン引きしたりして、楽しむのがいいんじゃないかなという作品です。
観られた方、いかがでしたでしょうか。絶賛派?隠れイマイチ派?いろいろでしょうけども。
僕はといえば鑑賞直後は、前述したような「期待したほどじゃなかった派」でしたが、その後に「この作品の別の捉え方」についてひとつ気がついたことがあったので、結果けっこう良かったなという印象になりました。
この作品ですね、ソン・ガンホ一家とパク社長一家の話、つまり「貧困層vs富裕層」の二項対立の話として観ると、やっぱりありきたりというか、「弱者がルサンチマンを爆発させて溜飲は下がるけど、相応の報いは受けなきゃいけない社会の厳しさ」みたいな既視感のある映画のように思えてしまいますね。
でも、この映画には“パラサイト”は2組出てきますよね。ソン・ガンホ一家の「半地下の家族」と、パク社長の家に前からいた「完全地下の家族」といいましょうか、その2組ですね。富裕層のパク社長一家を軸にして、「半地下の家族」と「完全地下の家族」を対比するっていう観方をすると、グッと味わいが深くなってくるような気がします。こういう対比の構図は、キアヌ・リーブス主演の『マトリックス』における、「目覚めてザイオンで戦う人々」と「眠ったままマトリックスの中に居続ける人々」の対比をイメージするとわかりやすいかもしれません。
「完全地下の家族」は、もう富裕層の飼い犬よりもさらに下の意識の低さというか、寄生させてもらってるパク社長を崇拝することでアイデンティティを維持してるわけですね。
これに対して「半地下の家族」は、チャンスやプライドを諦めきれていない。知恵や計画でパク社長一家を踏み台にして、上に行けるかもしれない代わりに、半地下の暮らしは大雨で水浸しの犠牲にされる層でもある。
ソン・ガンホ一家は半地下から始まって、上の暮らしに触れたり、完全地下に引きずり込まれたり、最後はまっとうに努力して上を夢見るけど、やっぱりまだ半地下にいたりしましたね。
強者が強者の立場にいるのはもう仕方がない。平等を求めようが不公平を指摘しようが、たまにルサンチマンを爆発させようが、もうここまで来た格差はひっくり返らない。
じゃあ、「弱者は弱者」が仕方ないにしても、それにどう折り合いをつけて、弱者の暮らしとしてどういう生き方を選択するか?そのへんのせめぎ合いの話として観ると、けっこう良かったのかなと、僕は思います。
とはいえそういう、格差社会問題に警鐘を鳴らすというメッセージではなくて、「貧乏一家が金持ち家庭にあの手この手で潜り込む」というオモシロ話をやりたくて本作を着想したっていう話を、ポン・ジュノ監督自身がアトロクのインタビューでも言ってましたけどね。じゃあやっぱりそういうコメディとして観たらどうかというと、人死が何人も出ちゃうのは、笑いきれなくなっちゃう重たさがどうしてもあるんですよね。何年か前の『レッド・ファミリー』という作品を思い出しました。
結局僕は“隠れイマイチ派”ということになりそうなんですが、この作品がカンヌでパルムドールを獲ったことについては何の疑問もないんです。ただ「カンヌのパルムドール作品なんだ」という前提で観たら違和感があったっていう話なんですけどね・・・。
疑問点がいくつか
家族は半地下で、父親は全地下で、地上は富裕層。
殺し合うのは地下の住人たちで、それが時折、地上にも波及する。
なるほど、パルムドールは
ケンローチ、是枝、ポン・ジュノを選ぶ流れにあるんだ、と納得しました。
でも、この映画を見終わってしばらくすると
いくつかの疑問も残っていることに気付きました。
なぜ、妹ギジョンだけを死なせたのか?
妹も生きたまま結末を迎える、という展開もありだと思うけど
ポン・ジュノ監督は、
どんな意味でこのストーリーを選択したのでしょうか。
なぜ、2度目の殴打が必要だったのか?
2度目には全く反応のないギウを見て
私は「1度目で死んだんだ」と直感してました。
だから、生きている展開にちょっと驚き。
生きていてもいいけど、2度目の殴打を描く必要はあったのか。
なぜ、ダヘは地下の倉庫部屋からギウを背負って逃げてきたのか?
高校生の女の子が
大学生の年齢の男を背負って階段を昇る選択には
ちょっと無理がある。
あの惨劇の中に、そうした2人を登場させる必要はどこにあったか。
なぜギウは、回復直後、ヘラヘラ笑っていたのか?
そうした障害が残ったのかと思い
『ジョーカー』のアーサーを思い浮かべたのですが
最後の最後にはヘラヘラもどこかへ行き・・・。
あのヘラヘラに、どんな意味があったのでしょうか。
なぜ、パク夫妻の夫婦の営みを詳細に描いたのか?
実は映画館で、前の席が親子づれでした。
ちょっとヒヤヒヤ。
「左回りにして」とかの台詞など、半端ないリアリティー。
濡れ場の名作だとひそかに感動はしたのですが。
この詳細な描写は、ポン・ジュノ監督の趣味なのでしょうか。
何か分かる方がお見えでしたら
教えを請いたい気分です。
どうあれ、良い映画だとは思うのですが。
期待しすぎたかも
裕福ではないけれど、映画を楽しめる身分なので、、、半地下の生活をしている人を想像したことはなかったし、臭い人は嫌いだし、パラサイトしなくても生活はできそうな人たちだよなーって思ってしまったり。
期待しすぎた気持ちが前半で覚めてしまって、後半部分盛り上がれなかったかな。
脚本の素晴らしさよ
カンヌで賞を取ったことくらいは知っているが、ストーリーなどの前情報無しに鑑賞した。もしもホラーだったらどうしようかとは思った。(終盤恐怖だったけども)
始めはユーモアがあり面白い話が続く。なので楽しい映画で良かったなぁとホッとしていると、中盤辺りで大逆転し終盤は狂気で恐怖を感じる。よくこんな脚本思い付いたなぁと感心した。余り血の流れる映画は好きではないことや、貧民の生活が余りにも酷く汚いから、星4にしておく。星4.8位かも。
<前半>
韓国経済は不調のようで、警備員1人募集という求人に500人の大卒が応募する程に就職氷河期。なので、キム家もその影響を受けているわけで、家賃の安い半地下の物件に住み、ピザ屋のピザの箱を作る内職をして生活している。
半地下というのは日本では珍しいと思うが、韓国ではそうではないのだろうか?
半分地下というのがミソで、この映画では更に下の階層の完全地下の住人(元家政婦の主人)が出てくる。一方、金持ちのパク家は高台に住んでいる。パク家の家は非常にゴージャスで、日本人が見ても羨むような家だ。
貧乏なキム家が内職でピザの箱を作成していると、街に消毒薬が撒かれる。キム家主人は窓を開けておけば部屋の中が消毒されてよいと家族に指示する。このシーンを見て、部屋の中に大量に積まれているピザの箱は衛生面でどうだろうと疑問に感じ、やっぱり韓国製品は買わないにしようと強く思った。
パク家はパク家の主人(社長)、妻、高校2年の娘、幼い息子の4人家族。キム家とは逆で富裕層。娘と息子に家庭教師を付けていたり、運転手と家政婦を雇っている。高台にある豪邸に住んでいるが、新築ではなく中古物件である。ここもポイントでこの家にはパク家の知らない部屋がある。また、家政婦は前の住人の時から家政婦をしている。つまり、この家にパク家よりも詳しく、地下室の存在を知っている。
ある時、パク家娘の家庭教師をしている大学生が、キム家息子に家庭教師の代打を申し出る。留学のためパク家から離れなければならないそうだ。この大学生からキム家息子は石(価値がありそうな石)を貰っていて、これが重要な役目を持っている。キム家息子がパク家で家庭教師をすることをきっかけに、キム家の家族はパク家に寄生していく。キム一家がパク家にパラサイトしていく様は非常にコミカルで面白い。
ここまでは本当に面白かった。完全なコメディー。
<中盤>
パク家不在時に元家政婦がやって来てから話が転換する。コメディーからサスペンスか。
パク家に地下室がありそこに元家政婦の主人が住んでいた。4年くらいだったかな。この展開は予想できず、地下室に何があるんだとドキドキした。脚本凄いと思わざるをえない。
この後、突然パク家が戻るという連絡が入り、その間に再び元家政婦とその主人を地下室に隠すのだが、この時元家政婦は階段を転がり落ちて死ぬ。
この辺りで、一度元家政婦側がキム家の秘密を知り優位に立つ場面があるが、その辺りは省けなかったのかなぁ。キム家が正座し腕を上げてるシーンとか。そのため評価を少し下げた。
パク家が戻ってきたが、パク家息子は部屋の外でテントを張って過ごす。そのため、パク家主人と妻は息子が見えるリビングで寝ることにする。このリビングの大きなテーブルの下でキム家の主人、息子、娘は息を潜め隠れている。
ここでちょっとエッチなシーンがある。裸にはならないんだけど、結構な画なので役者としては凄いなと思った。
その後パク家夫妻は寝てしまうので、キム家の主人、息子、娘はパク家に見つからないように、寝静まってからパク家を後にする。
足の裏の描写があり、汚い足をしている。裸足であることが、貧しさを表してるのかな。ポスターも裸足だし。
家に帰ると大雨により、キム家は水に浸かっていた。キム家周辺は排水が整備されていないようで道路は水浸し。上から下に水が流れてくる。キム家の半地下住宅のトイレの位置がなぜ高いところにあるのかは謎だった。
キム家は、避難所で一夜を過ごす。
<後半>
パク家でパーティーが開かれる。キム家も誘われる。
私自身、パーティーするような家庭に生まれてない。こういう家庭もあるんだよなぁと貧富の格差を感じずにはいられない。
楽しいパーティーの中で、キム家息子が地下室に入っていく。地下室にて元家政婦の主人に襲われ、石で頭を強打される。この主人は妻である元家政婦がキム家によって殺害されたため、キム家に殺意を抱いている。
元家政婦の主人はパーティー会場である庭に出ると、キム家娘の胸を包丁で刺す。娘はこれで死ぬ。次にキム家主人の妻と乱闘になるが、返り討ちにあい、元家政婦の主人は死ぬ。
この騒動の中、キム家主人はボーッとしている。パク家主人から車を出すように指示されるも、反応が悪い。キム家主人はパク家主人の胸を包丁で刺し殺害。キム家主人は逃走する。
なぜキム家主人はパク家主人を刺したのか?
キム家主人のプライドが傷ついたためと思う。プライドというのは、もっとも根元的な人間としてのプライドである。
ストーリーの中でパク家息子が臭いをかぎ分けたり、パク家主人が臭いについて陰口を言ったり、パク家妻が車内でその臭いに気付くと窓を開けたり、など臭いに関する件が多い。この臭いは金持ちが嗅ぐことの無いであり、貧民の臭い。染み付いた臭いはなかなか消えない。臭いで人を区別できてしまうという厄介さ。この臭いが気になっていたキム家主人は人間としてのプライドが傷つき、対象にあるパク家主人を攻撃したのだと思う。パク家主人には恨みなどはなく。
一年が経つがキム家主人が見つからない。キム家息子は命は救われたが、精神病になっているようだ。目の前の人が本物かどうか信じられず、それが可笑しくて笑いが止まらない。例えば目の前の医者が本当は医者でないといった幻想を見ている。自分自身、大卒でないのに大卒と偽って家庭教師をしていたわけだから、それが重なって可笑しいのだろう。
キム家息子は、たまにパク家を眺めるため、山に登る。パク家のランプが光り、モールス信号を送っている。キム家主人はパク家の地下室にいたのだ。キム家息子は冒頭に貰った石を自然に返し、将来金持ちになってパク家を買おうと夢見て映画は終わる。
微妙・・・
んー、パルムドール取ったし、いい映画なのかもしれないし、好きな人は好きなのでしょうけど、どうも自分にはこういう韓国映画って合わないんだなぁっと思いました。ニュースとか見てて反日嫌韓にはもううんざりしているのですが、映画となるとやっぱり苦手です。
自分自身も大概貧民だけど、逆恨みってまた違う気がします。「恨」の文化は肌に合わないんだなぁって事を再確認しました。
これも一つのホームドラマね
tohoフリーパス使用
予告はシリアスな感じだったけど、本編の序盤は割とコミカルで、家族の会話に韓国っぽいノリ?雰囲気も出ててダレ場もなく楽しめました
主要登場人物も悪人はいなくて、パラサイトと言っても仕事はちゃんとして、特に相手を馬鹿にせずという点は従来のこの手の作品にはない静謐さを保っていて新鮮でした
まあ人員交代のアイデアは悪者の運びでしたし、とんとん拍子に計画が進展したのは御愛敬だし、元家政婦の旦那を地下に匿っていた、というどんでん返しに繋がる事案がなければ着地点が見えない話でもありました
この作品に社会風刺とかあるにせよ、それよりも家庭教師が代わって前の家庭教師との恋をなかったことにしてる娘とか、他人を兄さん姐さん妹と称する文化?とかは面白いし、最後の父親を迎えに行くオチは夢想で実現してないとことか上手くできてるなあと感心しましたね
元家政婦とのそもそもの駆け引きは旦那が借金取りに追われてる時点で勝てないだろというハテナはありましたけど
あと、お母さんホントに強い…
(*^ω^*)
格差社会映画の集大成!
各映画祭で作品賞を受賞しまくって、アメリカのアカデミー賞にもノミネートされるかも?っと話題になっている韓国映画をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞。
お客さんは、30代以上の夫婦・カップルが中心でしたが、中には20代前半のカップルがいたり、女性グループなどもいて、満員御礼。
この作品の知名度の高さ、期待度の高さが伺えました。
本作はカンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞したことで有名ですが、昨年の受賞作は日本映画の「万引き家族」。
「格差社会」というテーマが2年連続で受賞したこと、また、世界各国で同様のテーマが映画化されていることなど、
歪な資本主義経済に対しての、国を超えた憂いを感じます。
また、日本映画で昨年公開された「天気の子」も格差問題を扱った作品でしたが、
【半地下】【異常気象】など本作との接点が多く、偶然とは言え「今」を表現する手法の一致性に驚きました。
そんな中でも、本作はそれら「格差社会映画」を韓国流に表現した【最終形態】といってもいいのではないでしょうか。
本作の最大の魅力は、「貧富の格差」という社会派なテーマを痛烈に描きながらも、エンターテイメントとしてしっかり面白おかしく観せている点。
その手腕は「さすがポンジュノ監督!」といったところです。
まず、開始早々、屋敷に寄生するまでのテンポが素晴らしい。
無駄なシークエンスを入れずに、最小限のセリフとシーンで構成する手際の良さ。
その中にも、さまざまな伏線をちりばめ、全て回収していく構成力!
また、どんどん寄生が加速し、中盤以降の物語の根本が揺らぐ事柄が発覚してからの一寸先は読めない展開は、まさに最高の映画体験!!
終始胸の鼓動が冷めやまず、心拍数が加速していきます。
また、本作で特筆すべきは、観客に絶対に嗅がせることのできない「臭い」を、見事に表現した点です。
映画館で嗅げるはずのない「臭い」が、まさにその場で臭ってきます。
「うわあ、この臭いだよなあ!!」と、たとえ鼻をつまんでも視覚から入ってきます。
本作は日本版のタイトルも秀逸でした。
原題は「パラサイト」のみですが、邦題に「半地下の家族」という副題がついています。
これをつけたことによって、韓国映画のリテラシーが低い観客にとっても格段に見やすくなっているかと思います。
冒頭から現れる【半地下】。
主人公たちは、どんなにもがいても、どんなに境遇が変化しても、【半地下】に居ざるを得ない状況となってしまう、不憫さ。
決して【半地下】からは上がってこられない現実。
ファイナルカットは、それを色濃く示しています。
そういった意味で、今回の邦題は主題を比喩的に表現した素晴らしい邦題かと思います。
(日本版のポスターデザインは、酷いものですが。。。)
自分を含めハリウッド映画を中心に観ている方にとって、韓国映画は普段あまり見慣れないかと思いますが、
確実にぶったまげる映画ですので、ぜひ観て欲しい一作です。
テンポよい展開と分かりやすいストーリーで
あっという間の2時間ちょいでした。
貧困を臭いで表したところが私の中では一番印象的でした。
計画を立てないことが計画だと言い貧困から抜け出すことができなかった父親に対し、計画を立てることによって父親を救おうとする息子。
ぜひ成功させて、貧困から抜け出してほしい。
パラサイト・キム
韓国らしいノリでクスクスしてたら。ゲゲ、な展開に突入も、締めはやっぱり韓国らしかった。けど。
カンヌには、やっぱり騙されたw
クォリティ的には、普通の韓国映画やないでしょうか。特別な感じは余りしませんでした。少しだけ肩透かし感はあるけれど、面白い事は面白かったです。
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(1/14 追記)
降り続く雨は、坂を流れ落ち「半地下」の家を水没させて行きます。持てる者と持たざる者の対比は、強者と弱者の対比に非ず。その境遇を受け容れながら、己の不幸を嘆かず、他人のせいにもせず、恨まず、身を寄せ合って生活する一家。
社長一家に「寄生」し、小金が入る生活に転じても、特に贅沢をするでもなく、運転手の食堂に入り込んで食費を浮かせる吝嗇な生活習慣は変わらず。つまりは、一家の生活そのものが「寄生」。
物語は、「寄生する側」が「宿主」をぶっ殺しちゃう場面がクライマックス。生物は、用無しとなった宿主を放棄しますが、自活の道の無い寄生生物が宿主を殺すなんて、自らの手で、自らの生きる道を断つようなもんな訳で。
ギリギリの喫水線で保たれていたキム某の理性は、自らは気づかない「臭い」に対する蔑視を、瀕死の娘を両手に抱いた混乱の中で見逃す事ができずに決壊する。
最後。宿主を失った寄生者は、自立を夢見る様になる。
格差社会は、「寄生で生きている家族」を描くために必要な設定であって、テーマではありません。あくまでも「Parasite」と言う言葉から派生させた、コメディから始まるシュールで悲惨な現実を描いた映画、だと思う。いかにも、カンヌが好きそうじゃないですか。
現代日本での捉え方、違う事ないですか?
と、愚痴ったりするけど。やっぱり、最近の韓国映画としては、普通だと思いました。地下室の男がさ、何か。無理くり感あり過ぎて。あそこで萎えてしまいました。
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2/24追記
2/22のインタビュー記事を目にしました。主演のソン・ガンホの言葉が気になって。「寄生(パラサイト)ではなく共生を描いた映画」だと。
実は、この映画に今一つ入り込めなかった理由が「Parasite」と言うタイトルです。所謂「寄生」は、「共生」の形態の一つとして定義されています。「寄生」は「片方が利益だけを得、もう一方が不利益だけを被る」と言う「共生の形態」。で、映画を見ていて、ここがずっと引っ掛かっていました。キム一家とパク一家の関係は「寄生」ではなかったからです。キム一家は金銭的にパク家に依存し、パク一家は精神的にキム家に依存している。つまりは共依存。パラサイトやないやん、言葉の使い方が甘いやん、しかもタイトルやん。なんて考えると、「ツマラナイ」になる訳で。
「寄生では無く共生」の意図があったと言う事で、解釈を変えました。
「職を得られず"社会に寄生"しているかの様な生活をしていたキム一家は、裕福なパク家と言う共生相手を見つける。良好だった関係は、キム一家の身の程を超えた行為。パク家が隠し持っていた蔑視に対する怒りによって崩壊」
ここまでは良いとして。
後は、「酒盛り後のクササには気づかないパク一家」、「行き当たりばったりの設定にしか見えない地下住人」に対する説明、欲しい。後者はただの狂人って事でも良いけど。
いずれにしても、オスカーにはク エ ス チ オ ンだす。
悪気の無い格差の問題
表面的には、富裕層と貧困層のコントラスト映画で、前半は痛快なブラックコメディ路線で、物語は徐々に上手く行く「上り」で、クスクス楽しい展開だ。前半の主役は「奥様」だと思った。富裕層家族の秘密の事情を抱えてドタバタする美人妻が物語の牽引役だ。
しかし、富裕層家族がキャンプに出かけた夜、目的を達した貧乏家族の冗長な放談に、観客を飽きさせる。「さぁーて、どうする?」と思わせて、「落雷」を合図に、方向転換し、意外な展開を入れてくる。家族は物事が上手くいかない「下り坂」に入る。この方向性に好き嫌いが出ると思う。個人的には、「違う」と感じた。
サスペンス的で、乱暴な展開で、貧困層の哲学や人生に対する切ない思考、高台で日の当たる富裕層と深く低い汚水に溢れる貧困層の住む世界の違いを描いている。それを「臭い」を使って、近くに居る事を蔑視して来る。その臭いを気にする「主人の社長」が、呑気に「お楽しみ」の最中も、机の下に隠れながら耐え忍ぶ貧乏家族のシーンを入れながら、我慢ならない感を積み上げて行く。そして殺人劇が。
後半はこの悪気のない「主人」が主役だろう。訳もわからず殺される。そして、落ち度のない娘も。果たして、狂気的殺人劇が、この映画に必要なのだろうか?という戸惑いを感じる。殺人の必然感が弱い。主人に対して理解した様な「奥様を愛しているんですね」と言う台詞が、何度か出る。主人も本音なのかわからない反応だが、だからと言って、展開には影響もなく、ふに落ちない。「娘の日記の盗み読み」もそうだ。家庭教師が騙した家族の娘と「結婚したい」なら、その展開もあるのに。もう意図的に強引にドタバタ殺人劇クライマックスとなる。小さなトラウマ息子がやはり居た幽霊と再会して白目を剥いて倒れるのはお見事だが、ここでその笑いを入れたいなら、この展開じゃない。モールス信号も、大した役割もない。全体的に映画の構造はしっかりしているのに、なんか勿体ない。
この家族の能力の高さ、その能力の発揮のさせ方に、プライドを持たせ、悲しい事も乗り越える、庶民の元気良さで、スカッとする読後感で見たかった感じがする。
もはや、庶民の力ではどうしようもない無邪気な悪意のない格差の存在、そこを描きたかったのなら、描けてます。
始まりは万引き家族的
高台に住む裕福で幸せな家族と低地の半地下の家に暮らす極貧の一家。場所的にも経済的にも対象的。貧しい一家が裕福な家庭を侵食する物語だけど、考えてみると現実性がない。人を雇う時は今はFBなどで検索するだろう。でも物語としては面白い。途中で裕福な家の主人が「臭い」に気づく。綺麗な服を着ても染み付いた臭い(恐らくカビ臭さと下水の臭い)は消せない、というのは切ない。後半トンデモ展開になるけど一番可哀そうなのは家政婦。
結局 半地下の暮らしから脱出してまともな家に住もうとしたソンガンホは最後 本当の地下で一生暮らすことになるという結末は自業自得とはいえ悲しい。
期待しすぎた
めちゃくちゃ評判がいいので、期待でパンパンの状態で見たらそこまでの盛り上がりがない。クライマックスは面白かったのだけど、もうちょっとドキドキハラハラしたい。ソン・ガンホが金持ちのお父さんを殺したのは、自分を押し殺しきれなくなったのかな。ずっと、「金持ちだけどいい人だ」と言っていたのは嘘じゃないだろうけど、確実に存在する劣等感を抑えられなくなったのだと思い、あの行動は腑に落ちる。
しかし、気になるのでもう一度見に行くかもしれない。
或る意味、「下級民の復讐」
脆く危うい人と人との関係、前半は、具に描かれず、後半の伏線として描かれている。
後半は、ポンジ・ジュノ監督の逃がせない物凄い雨音とバカデカイ音楽で始まる。彼のドラマには、夜に激しい雨や雷がなる場面がよく出現する。「ここからが、見せ場です!!」の合図であるかのように流れが急転する。観る私としても、ここからズルズルと作品に引きずり込まれていく。10年前の「母なる証明」もそうだった気がする。パンフレットを拝見し、多くの著名人の大賞賛の嵐はどうだろう。一番の肝は、いかに金持ち家族にうまく寄生する過程であるが、私としては、及第点とは言いづらい。
日本と韓国の違いはあるが、家庭教師や自家用車の運転者を雇うのに彼らの「履歴」など何にも考えず、雇い入れるところが、韓国の上級人民はそんなものか?と不思議に思えた。描きたいのは、貧しき下級民が、キム家がパク家の大豪邸に寄生する。この作品の見どころから、下級民が上級民の生活を徐々に食いつぶしていく過程が醍醐味ではあるが、IT企業のパク家の家族が馬鹿っぽく映って少しがっかりした。あまり知的に見えない旦那さん。
前半のパク家を手練手管騙す場面は、実に面白く描いてはいるが、先に「寄生」している夫婦がもう1組いたことに絶句させられた。
ポン・ジュノ監督の人を殺める場面は、いつも残虐性半端ない。最後のパーティーでの家政婦の旦那の殺し狂う場面は、目も当てられない。
ラストの主役が息子に宛てた(ボーイスカウトで学んだ)「モールス信号」の手紙やギテクの語る豪邸に入り込むための「計画性、無計画性」そしてキム家の「独特の雑巾のにおい」などなど、監督は意味あるものとして語られている所は同情せざる負えない。下級民が上級民に「寄生」せざる負えない現代の問題、監督自身がお得意のカメラワークで撮り終えたことは、世界の名だたる映画賞を十分獲得した納得のいく理由だと私自身は思う。
レンタル開始後でも問題なし
予告の時点から観たいと思っていた作品。
⚠️ざっくりあらすじ⚠️
半地下で暮らす貧困家族が、ある人物にそそのかされて嘘をついて富裕層の家で次々と働き始める。富裕層家族のいない台風の夜、地下室で隠れていた家族と出くわす。富裕層家族が帰ってきて大ピンチに陥るも、無事脱出。大雨の中半地下の家に帰るも水浸し。体育館に避難していると、富裕層家族からパーティの召集がかかる。
パーティの最中、地下室にいた男が乱入。どさくさのなか半地下の父親が富裕層父を刺殺。逃亡と見せかけて地下室に逃げ込む。息子が父親のメッセージに気づき、父を助ける計画を立てる。「金を稼いで家を買う」と。
⚠️個人的感想⚠️
格差社会をテーマに、そこに暮らす人々に寄り添うだけでなく、そこから抜け出す真っ当なヒントを投げかけている。
個人的には、惹きつけられるほどのインパクトも、記憶に留まるほどのインパクトも少なかったように感じる。
昨年観たジョーカーのなんとも言えないズシリと来るダークさが私を捉えて離さない。ジョーカーと比べてしまうからか、特に人物の作り込みに物足りなさを感じてしまうが、邦画にはないトリックで見応えはあった。
“○地下”の家族、人々
予告は見ずに評価が高いという記事を読んで観に行った。
ストーリーは、半地下住みの家族が身分を偽ってお金持ちの家に雇われる(侵入)。
侵入する前の生活で内職を雑にしていて、勤勉な家族ではないのかなと感じた。(安い給料だからかも?)
侵入する際やした後の計画はとても緻密で完璧なのだが、父親は徐々に感情を押さえきられなくなっていて見苦しかった。この時のお芝居が凄く上手だと思った。金持ちのほうの父親もこの異変に気づきつつある描写も良かった。
「なにか起きそうだな」「この家には秘密がありそうだな」という付箋を感じ取ってしまったのでどんでん返しのような衝撃は受けなかったけれど、“完地下”の住人のなんとも言えない不気味さと気持ち悪さの後味が残った。
訴えかけてくるものを途中までは邦画の万引き家族をイメージしながら観ていたけれど、終盤からサイコスリラーみが増してくるので2つのテイストを感じられて面白かった。
韓国社会の貧困層(半地下、半地下にさえ住むことの出来ない人々)と富裕層の対比で訴えかけてきたと思えばサイコスリラー的はらはらどきどきもある、この2つを1つの映画にしていて凄いなと思った。
結果的に予告見ないでよかったなと思った。
"上" "下"関係
貧困層と富裕層の「対比」の表現が何ヵ所にも散りばめられており、見事であった。
富裕層の家からひたすら階段を降りたところにある半地下に住む家族、雨とともにひたすら階段を降りる貧困層家族、ソファの上で寝る富裕層の夫妻とテーブルの下に潜む貧困層の家族、富裕層の家の中に貧困層が見つけた地下シェルターなど…
また、
岩の置物(富裕層の象徴として)がとりついて離れないという長男のセリフなど、
「比喩」表現も巧みであった。
少なくとも、ここ最近見たなかでは断トツに洗練された傑作であった。
善人達による狂気
本作を観賞してまずストーリー展開の見事さに舌を巻いた。物語は大きく二つに分かれており、一つは平民の主人公一家がいかに富豪の家庭に入り込んでいくのかをコミカル且つ、緻密に描いていく。もう一つは前家政婦夫妻の意外な登場により、物語は混沌とした世界へと突き進んでいく。
その展開が絶妙で、その間の登場人物の意識の推移を見事な演出技術と、俳優の演技力で丁寧に描いていく。心理描写は韓国映画が得意とする分野で、それが本作でも遺憾なく発揮されている。
本作を観て気が付くのは、登場人物に悪人が一人もいないことだ。平民で失業中の主人公一家は、生活の為に詐欺行為を行って職を手にする。それでも仕事には決して手を抜かず雇い主に献身的に尽くす。富豪一家も彼等を丁重に扱い、卑下するような態度は取らない。
普通の映画であれば富豪が貧民を馬鹿にして虐め、それに対して貧民が怒りを爆発させるような展開にするだろう。しかし本作はそうではない。登場人物は全員善人なのだ。
そのキャラクター設定が観客に意外さと、戸惑いを与える。従来のこの手の作品展開とまるで違うからだ。その部分こそ脚本と演出を担当したポン・ジュノが狙った部分なのだと思う。
その善人がふとした言動で相手を傷つけ、少しずつしかし確実に不満と怒りを蓄積させていく。例えば富豪の家に隠れることになった主人公に、彼が居るとは知らずに富豪が妻に体臭の話をする。その時でも富豪は彼の働き振りを誉めた後で、彼の体臭が気になると言う。
同じ夜、豪雨に襲われ山の手に住む富豪宅は、子供のキャンプゴッコに振り回される。しかし山の手から流れ落ちる豪雨は主人公の住む平民街に流れ込み、彼等の半地下の住居は完全に浸水してしまう。
富豪達はこの災害に何ら関与していないが、知らぬ間に主人公は怒りを溜め込んでいく。同じ四人家族で、互いが家族を大切にした生活をしているにも関わらず、その差は大きい。彼等の違いは一体何か? それは富の違いだけだ。状況が入れ替われば主人公も富豪のような生活が出来るかも知れない。
前家政婦が現れ、誰も知らない地下シェルターに夫を隠していることが分かった時もそうだ。彼女は投資に失敗して多額の負債を抱え、借金取りから逃げる為に夫を匿っている。
この三家庭に共通しているのは、喩え問題がある夫婦であっても相手を捨てることはしない。妻が家事下手でも、夫が失業しても、夫が借金を背負っても、夫婦で助け合いながら生きている。そしてその問題解決に、この三家庭が関わっている。それぞれの上下関係は富の差による。富豪が主人公の家族に自分の家庭の問題点を解決させ、借金を抱えた夫婦は主人公の家族に支配される。
この支配構造はまさに現在世界の縮図である。私達先進国に住む人間は、後進国の人々から知らぬ間に様々な物を取り上げている。そして彼等は私達が知らぬ間に怒りを溜め込んでいる。その怒りはテロ集団を生み出し、世界を混乱に陥れている。
先進国の人は援助をしていたはずなのに、テロを仕掛けられたと怒りを露わにする。しかしその援助は彼等が本当に求めた物なのか? 彼等の誇りを傷付けていないか?
本作のクライマックスは、その怒りが爆発するシーンだ。地下室夫婦が主人公の息子に重傷を負わせ、娘を殺害する。主人公は富豪を殺害する。そして地下室へ隠れる。その父親の為に、一命を取り留めた息子は大金持ちになって富豪宅を購入し、父親を地下室から救出しようと決心する。何をするにも全ては金次第。本作は世界の歪みをこの三家庭を通して描くことで、身近な問題として観客に突き付けてくる。
20年ほど前、シュリという韓国映画が公開されて話題になった。シュリは朝鮮民族の抱える南北断絶の悲哀を中心にした緻密な物語と、ハリウッド映画並のスケール感で世界的にも高い評価を得た。その後も韓国映画界は非常にレベルの高い作品を発表し続けたが、何故か世界的な評価を得られることはなかった。何か意図的に排除されているような気がして釈然としないところもあった。しかしその偏屈した考えも、この作品の登場で改めざる得なくなったようだ。
本作はカンヌで最高位のパルムドールを受賞し、アカデミー賞の外国映画賞も確実視されている。見事な脚本と演出、演技、カメラワーク等、本作はまさに一級作品として、その世界的な評価も当然の傑作だと思う。
計画よりも無計画
富裕層と貧困層の格差を描いた秀作であることは間違いない。それは“臭い”であったり“雨”であったり、“地下”であったり、注意深く比較しないと気づかない細部にもこだわりがあったように思う。『スノーピアサー』なんてのも格差社会を描いていたけど、むしろ直喩に近かったかもしれないし、今作ではそれが両家族の中の愛や生命力によって芸術的にメッセージ性を高めていたと言えば褒めすぎか・・・
ストーリー展開はコメディ色も強いのに、笑っていいのか悪いのか。素直に笑えない人は格差社会に問題意識を持ち始めている人であり、そんな社会問題もすっ飛ばしてある意味達観した人には十分笑えるのだろう。まずはWi-Fiが無いと生きていけないキム一家の様子で笑い、貧乏な割には全員スマホを持っている韓国事情もわかり、動画を見てピザ店の箱組立作業をするつつましさにも納得する。
それだけなら大多数がキム一家に同情するのだろうけど、ギウが家庭教師採用の際にわざわざ大学入学証書を偽造したり、妹の名前や経歴詐称、父親を運転手にするため脱ぎ捨てた下着で現運転手を解雇させたり、挙句の果ては長年勤めていた家政婦ムングァンを結核だと貶める行為によって、キム一家のダークサイドを見せる。せめて家政婦くらいは残しておけば、一緒にめでたく就職ということで落ち着いたはずである。しかし、高級住宅で暮らしてみたいがためのやり過ぎ感によってセレブ家庭の好感度と均衡がとれるのだと感じました。
しかし、格差社会の描写は“臭い”に始まり、“雨”をどうとらえるかで重く訴えかけてくる。雨はダソンの誕生日キャンプが中止をもたらすが、彼はむしろ楽しんでいて庭にテントを張ったりもするし、リビングから見る雨の庭園は富の象徴とも言うべき美しさ。しかし、町では洪水をもたらし、キムの半地下住居はひとたまりもない。汚水、瓦礫、パニック、天災も貧困層だけを狙っているかの描写だった。避難所の様子も日本を襲った災害を思い出さずにはいられなくなってくる。
そして“地下”。貧困層の半地下もそうだったけど、驚愕の完地下生活をしている描写。それも元の住人が北の核を恐れて作ったシェルターの忘れ物だったのだ。雨は上から落ちてきて下へと溜まる。そして汚いものは全て洗い流して最下層へ・・・
幸せな家族という視点で観れば、最初に給料をもらって焼き肉を食べているキム一家の喜びの表情もこの上ないものでした。格差の間には見えざる一線があり、見えざるヒエラルキーが存在しているのですが、この幸せそうな家族が虐げられることもないし、嫉妬から雇用者を憎むこともない、何とかして共存しよう努力しているのも微笑ましい。だが、手段に無理があったため、やがて阿鼻叫喚の地獄絵図を産むことにもなった。
計画するより無計画のほうが幸せ・・・だったかのような言葉も頷けるものの、キム父を演ずるソン・ガンホが放った言葉「計画がある」が何だったのか。まさかパクさんを殺すというわけじゃないだろうし、ちょっと引っ掛かります。地下から現れた化け物の臭いによって鼻をつまむパク。「一線を越えた!」。これを見たキム父が娘を刺されたこともあって殺害に至ったのだろう。娘が刺されたシーンには涙が止まらなかった・・・
【追記】2月10日、オスカー作品賞獲得記念でリピート
「是枝監督とは親しいんだよ」というポン・ジュノ監督の言葉にハッとした。序盤に出てくる便所コオロギを見て、書くことを忘れていたのに気づきました。ポン・ジュノ監督も『海街diary』をも観ていると思うのですが、なぜか是枝作品にもカマドウマ(便所コオロギ)が出ていました。こんなところにも接点があったのですね!!!
雨の日に現れた元家政婦。殴られたような跡も残っていたのですが、夫にどうした?と訊かれ「後で説明する」と言ってたのに結局言わなかった。1回目は気にならなかったのになぜだか理由が知りたくなった・・・桃アレルギーが悪化したのかなぁ・・・
上記「計画がある」というのは結局「無計画でいること」でした。スッキリ。
テントの子供がモールス信号を解読したのに何も行動を起こさなかったのは、多分、幽霊だと思ったからなのでしょうね・・・それしか考えられません。
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