パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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アメリカンサスペンスホラー
考えてた挙げ句last あの殺人鬼を育てた地下室の後釜に座るとは 何とも狂った楽天家&図太さ 奇想天外なストーリーとはそこへ持って行きたかったのか。
何とも前のパニックルームのようなアメリカンサスペンスホーラ映画。
勝者も敗者であることを喝破した作品
半地下に住む貧乏で狡猾な家族が、どことなく心がバラバラな金持ち家族の中に侵入していくという結構などエンタメながらも、喧伝されている通り社会批判の姿勢も感じ取れる、濃ゆいガーエーでした。
個人的にエンタメ映画は好まないのですが、それでもかなり楽しめたので、世界中で評判になるのも宜なるかな、です。
印象に残ったのは、金持ち家族の上っ面感・虚無感です。幸せヅラしてますがその実はバラバラ。これが描かれていることが本作の大きな個性だと感じています。
美人セレブ妻は何をするにもビニール手袋をするという潔癖症で、子どもたちについている家庭教師の授業も同席しないと落ち着かないというコントロールに囚われた毒親です。何処かのシーンで「夫に八つ裂きにされる!」みたいに怯えるシーンもあり、夫に精神を支配されていることが伝わります。経済的に依存せざるを得ないから、不健全な関係性になるんでしょうね。
金持ち夫は温厚そうですが、どこか人を見下している雰囲気があります。妻を愛しているか、と問われたシーンで、答えるまですごい間が空きます。愛がないわけではないのでしょうが、微妙な関係性が浮かび上がります。
長女は弟と仲が悪く、居場所がなさそう。前の家庭教師にも、今回の家庭教師にも簡単に恋するので、超孤独なのでしょう。
小さい弟は多動でトラウマがあるとのことですが、彼のトラウマは家族関係でしょう。温もりのない家庭では、その病理が家族の中で一番弱い人に現れるといいいます。弟はまさに家族の犠牲者って印象を受けます。
そして、家族(夫婦)の価値観に通底しているのがドライな合理性。人と人とのつながりを軽視し、古くから勤める使用人も、疑惑が生まれたら話し合いもせずに解雇します。弟のバースデーキャンプに行き渋る長女に対して妻が「行かないと損するよ!」と叱る場面もあり、非常に気持ち悪く感じました。
この金持ち家族を見ていると、タルコフスキーの危惧が現実化していることが判ります。健全な物質人たちにより、世界が蹂躙されているのです。
現在の健全な物質人に通底している価値観は合理性であり、その背景には新自由主義があると思います。自由競争の結果、合理性を追求した強者だけが勝ち続け、敗者は復活できない。
本作の金持ち一家は現代資本主義の象徴なので、合理主義を内面化しているのだと思います。経済的な勝者は得たが、はたしてその生き方で幸福なのか?金持ち=幸福という方程式は当てはまらないようです。
一方で、半地下一家はみんな超ハイスペックなのに全員無職という憂き目にあってますから、一度階層が固定化すると抜け出せない。濁流に押し流されるのは常に経済的敗者です。貧困=不幸という方程式は当てはまってしまう不条理。
本作では、社会・経済的な勝者と敗者がくっきりと描かれており、中盤までは敗者側のイリーガルなアップセット物語が面白おかしく描かれます。しかし、後半から終盤にかけてより複雑で悲劇的な色が濃くなります。結局、この価値観がまかり通る以上、実は勝者も虚ろであり、上下を固定化する世界こそが俯瞰的な視点で見ると負け組なのではないか、と感じさせられました。
ケン・ローチやダルデンヌ兄弟は抑圧される敗者視点の作品を送り出してますし、話題となった『ジョーカー』も敗者視点でした。本作の優れたところは、勝者も敗者であるという視点が描かれており、それが本作をより魅力的な作品にしているように感じます。
パラサイト
人の心情が読みにくい作品だからこそ、議論を呼ぶ。
最初は娯楽要素が強めで、徐々に不穏な空気を漂わせるのが上手い。金持ち一家の馬鹿さ加減は娯楽性を強めるための演出?
本当に殺人を犯す時は、あんなふうに突発的なのかも。
お父さんが殺人を犯す伏線もしっかり。
人が殺人を犯す時の心情、きっかけはどんなものなのか。
ゴキブリの描写が上手い。あの4人がゴキブリに。タイトルとの関わりも。
終わり方も叶うはずはないことを暗示していてオシャレな締め。
なんだこれ?(褒めてます)
格差の是正……?
無数に張り巡らされる演出、徹底した描写、コメディやスリルとしての面白さ。
とにかく完成度が凄まじい。
韓国に暮らす家族に焦点を当て、貧富の格差をテーマとしていたけど、これは韓国だけにとどまるものでは当然なかった。
どの国にも存在する格差社会を堂々と描いたポンジュノン監督。階段など徹底して高低差を際立たせたり、水の流れや雨、匂いなど格差を表すための演出が美しかった。今まで知らなかった自分が恥ずかしい。
個性の強い登場人物の中でも、地下に住んでいた男の存在感が際立っていた。
特に家主の帰りに電気を付け、また崇拝するシーンは狂気そのものだった。
でも、私たちの立場もソコだと知った途端、この作品を見るのが恐ろしくなった。
富めるものが富むことをよしとし、状況を改善することはなく、ただおこぼれに預かろうと、寄生する。
世界的に(もちろん日本にも)蔓延した格差社会における思考なのかもしれない。
近い時期で流行った「JOKER」も然り、格差を描くストーリーが人気を得ていた気がする。
動くにせよ動かないにせよ、あのような結果となった2つの作品を見ていた限り、社会に溜まった不満がどのように噴出されるのかがとても怖い。
主人公たちの能力の高さと、それでも仕事がない韓国社会の現実もまた、恐ろしいものだった。
激辛テイストにごまかされてる?
前半はコメディータッチなので、リアリティーに欠けるのも気にならず楽しく見ていられる。しかし、徐々にサスペンス調に変わり、ご都合主義が気になってくる。そして最後は、人の命を奪うにはあまりにも些細な理由によりバイオレンス映画と化す。
このギャップこそが、この映画の持ち味と言えばそれまでだが、なにか、相性の悪い食材を激辛にして、味をごまかした料理を食べさせられているような気分だった。
最終的に誰も幸せにならない。罪のない子供も犠牲になってしまうというオチがどうしても受け入れられない、嫌な後味の映画だと感じた。
この映画が、なぜ称賛され、アカデミー賞までも受賞したのかが全く理解できない。
世の中そんなに甘くない
パラサイトした家族が先行パラサイトだったという設定の方が
これがアカデミー作品賞
・カンヌパルムドール受賞作品か、
と複雑な思いだ。
前半のパラサイトの部分は非常に魅力的で、
後半への期待が大きく膨らんだ。
しかし、格差間衝突の後半部分になって
急にその魅力が萎んでしまった。
何かとデフォルメ過剰な表現が多く、
またリアリティ欠如の場面も多過ぎる。
大きなものとして、
雨の中やって来た元家政婦を
断ればいいだけなのに家に入れてしまう
という地下に潜んでいる夫を登場させるだけに
設けられたような御都合主義的展開。
現場検証で警察に重要箇所として
捜索されているはずなのに、
パラサイト家族の夫が殺害事件後に
地下にいても発見されないなんて
設定が無理繰り過ぎる。
パラサイト家族も、娘が殺害された中で
もはや地下室を秘密に出来ないだろうし、
警察もその存在が解明出来ないまま
なんてあり得ないだろう。
とにかく、何かとリアリティ欠如と
御都合主義的な描写が多く、
その度に映像世界への没入を拒否される。
前半はウィットの効いた見事なパラサイトを
見せられてワクワクだったのに、
後半は一転して暴力手段を見せられて
ガッカリ。こんな表現で
効果的な社会啓発になるだろうか。
むしろ格差間抗争を煽りはしないだろうか。
エンターテイメント的表現なのだろうが、
暴力シーンは決して心地良い訳も無く、
前半で見事なセンスで
世の中を上手く皮肉って見せたのに、
後半のアメリカ映画的なバイオレンス表現は
市場を意識し過ぎたのか残念至極だ。
最後までセンス良く
知恵での問題解消を見せて欲しかった。
私的には、パラサイトした家族が、
実は先行パラサイトの一家だった、
位の展開を期待したのだが。
ポン・ジュノ監督作品としては
「グエムル-漢江の怪物-」「母なる証明」
の方が、自然なストーリーと象徴性
が効いていて優れているように思う。
せっかく各場面で
“上る”と“下る”の要素を巧妙に散りばめる
素晴らしいテクニックを駆使して
格差社会を上手く描写しながらも、
一方で、過激過ぎる映像手法と
リアリティの欠如した
御都合主義的ストーリー展開では、
各映画祭での高評価にも関わらず、
この作品が映画史上の名作にはなり得ない、
と私は思うが、どうだろうか。
圧巻!
一言「こりゃあ“ネタバレ厳禁“だったのも頷けるわ〜」
◎よかった点◎
・2時間強の尺の中に、これだけの話を盛り込んだ脚本(監督自身が手がけた)がすごい。
「韓国映画でしょ・・・」なんて軽く見たら、吹っ飛ぶこと間違いない。
なさそうで、もしかしたら。そう思わせるリアル感やその真逆の展開が、うまく合わさってる。
・話の中で「あ、これは後でこう来るかな」と置かれた伏線。
大半は見事外されて、後から「そっちに使うのか!」。
うまいなあ、その辺。
・最後の最後まで、流さない。しっかり詰め込まれている内容。
この結末は、もちろん予測できない。
というか、「この後どうなるの?」の連続でした。
△いまいちな点△
・PG12指定になっているので、一部「げ!」な箇所もある。
韓国映画らしいといえば、そうなんだけど。
「デート映画には向いてない」って感じ。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「計画を立てると必ず、人生は思い通りにいかない」
これがアカデミー賞!?
単純な対比で見せる今の韓国という国の、外に媚びた表現の単一性
アメリカのアカデミー賞で以前の外国語映画賞にあたる国際長編映画賞を受賞するのは予想したが、英語映画(主にアメリカ映画とイギリス映画)に限定する作品賞を受賞したのには、正直驚きを隠せなかった。その時点でアカデミー賞の審査基準が変わったことと、(映画に罪はないが)作品の出来以上の何かが作用したのではないかと思い至った。元来映画関係者で構成されるアカデミー会員制の人気投票に過ぎないアカデミー賞の権威の本質を、数十年前に理解した者にはどうでもいいのだが、映画芸術と映画産業の両面で影響力を未だに強固に維持していることは否定はしない。しかし、これからの映画の評価は、多様性が最優先になり権威主義は徐々に崩壊するであろう。日本アカデミー賞が、先陣を切って模範を見せてくれている。
作品の出来は悪くない。撮影はいい。但し、脚本と演出は意図をあからさまにした単一性に拘り、細かい辻褄合わせが疎かである。前半のコミカルなタッチから後半のスリラータッチの転換にある映画らしい醍醐味が唯一評価できる。
富める者と貧しき者を階段に象徴化した単純な対立。「ジョーカー」では、それを真逆に使い技巧の高さを見せたが、ここでは北朝鮮の脅威に備えた分断を象徴するかのようにどこまでも深い。駄目な点は、騙される者がお人好しなのは良いとして、簡単に騙されるところで、これは韓国人のある一面を馬鹿にしているように見える。騙す者も簡単に推移してしまい罪の意識が薄く、後半の自業自得に同情できない。どちらも無知な人間による喜劇なのではあるが、同時に社会に対するメッセージの匂いがして、人間を描く本質に到達していない。後半は、主人公がネイティブアメリカンの格好をするのが意図的過ぎて辟易する。アメリカナイズされた韓国文化の象徴にしても、今日の人権に対する過度な社会運動に迎合したもので、リベラルから称賛されるのを意図したように捉えるのは考え過ぎだろうか。
主人公の息子とのラストは、流石にしぶとさを印象付ける。韓国映画らしい結末であろう。単一的な象徴主義については、最近観た「ドッグマン」と同じ匂いがする。主人公の息子は、友人から家庭教師を頼まれた時の理由を知っていて、何故社長家族の長女と親密になったのか。知りたいところが沢山残るドラマであり、衝撃的なシーンの嫌悪感が後を引く。問題が映画の枠からはみ出した社会派ドラマの是非。
半地下であるということ
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