ひとよのレビュー・感想・評価
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喪失と再生の間にある葛藤と衝突
去年から年3本のハイペースで長編を作り続けている白石和彌監督。今作は舞台の戯曲が原作だが、タクシー会社という設定を活かした車での移動シークエンスを中心に、映画らしい空間の広がりとダイナミックな動きを感じさせるアレンジを加えた。 3人の子に暴力をふるうDV夫を、タクシー運転手の妻が営業車で轢き殺すという、極端な事件から始まる家族の物語。とはいえ、その後に起きる世間からのバッシングや、屈折した感情を抱えて大人になった3人の生き様は、私たちの日常と地続きの問題を抽出して煮詰めた印象だ。地方都市に漂う閉塞感は、白石監督の前作「凪待ち」にも連なる。 重苦しくやり切れない出来事が積み重なるが、くすっと笑わせる会話やエピソードが適宜ムードを軽くする。原作に負う部分もあるだろうが、演者らのアドリブもあったと聞く。 喪失と再生の間にある、葛藤と衝突の時間にこそ、前に進むための成長があるということか。
この映画のテーマはなんだろ。
普段はそんな事は考えもしないくせにこの映画では何を伝えたいんだろう?と考えてしまった。 家族愛?母親の殺人からの家族の苦悩?幸せ?不幸?色々な意味が交差されていたように感じた。 それにしても豪華キャストに、田中裕子の不幸感漂うは素晴らしい。
聖母は殺人者
2024年4月20日 映画 #ひとよ (2019年)鑑賞 暴力をふるう夫から3人の子供を守るため夫を殺した母が15年振りに突然帰ってくる 子供たちのその後の人生は、幸せではなく殺人者の子供という世間の目で厳しいものだった #鈴木亮平 #佐藤健 #松岡茉優 三兄弟の演技がよかったです
深みのあるタイトル通り、正解のないテーマ… それぞれが失ってしまっ...
深みのあるタイトル通り、正解のないテーマ… それぞれが失ってしまったもの、それに対しそれぞれがもがき、葛藤する。家族だからこそ余計にむずかしいのかもしれない。他の人とってはただの夜…
母親が殺人犯の子供たち
田中裕子扮するタクシー運転手の母親が子供たちに乱暴三昧の父親をひき殺したから自主すると言った。15年の刑期を終えて母親は帰って来た。佐藤健扮する次男のフリーライター稲村雄二も長男からの電話を受けて東京から帰って来た。 オールスターキャストなのに殺伐とした展開だね。母親が殺人犯の子供たち。15年の長きにわたり嫌な思いをしてきた事を記事にするのか。何とも荒んだ話だね。まあ問題作だとは思うけど、嫌な気持ちを引きずるね。熱演だったけど、タクシーで飲酒運転するなんて描写は許せないな。
せりふはいい
出演俳優がいいし、しょっぱなのシーンが劇的だったので、すごく期待したんだけど…。意味のない(というかわかりにくい)シーンがよくあって、設定も無理感がある。もともと舞台作品だったそうだが、映画にするなら、人間の内面をもっと掘り下げて欲しかった。なんか浅かったなー。 BSテレ東の放送を視聴。
長い長い、一夜
何て事だ…。完全にやられた! 5・6年に一度、あるかないかの号泣だった。しかも映画館で!涙で視界が滲んで、必死に声を殺しながら、すがりつくような思いで観続けた。 震えながら映画を観たのは初めてかもしれない。 あの雨の夜。母は父を轢き殺した。 兄妹にとっては青天の霹靂だっただろう。暴力の嵐に晒されながら、耐え忍ぶ日々に終わりを告げる母・こはるの声は静かで、咄嗟にどうしたら良いのか呑み込めなかっただろう。 地獄にもたらされたそれは、聖母の福音なのか?それとも喪失なのか? 何もかもが突然で無慈悲。残されたのは「自由に生きていける」というこはるの言葉だけ。 オープニングから我々を強制的に稲村家に引きずり込むような、重厚さがある。 事件が起きてから15年後。 成長した長男・大樹は吃音が治らず内向的で妻と娘がいるものの別居中。 大樹を演じる鈴木亮平と言えば、豪放磊落な熱血漢のイメージ。なのに全然違和感がない。 大樹はとても世間体を気にしていて、多分「普通」の家庭の形を作れば「普通」の幸せが手に入れられる、そう信じているところがあると思う。 「普通」を壊したくなくて、自分の思いを上手く伝えられない不器用さが、いかにも「お兄ちゃん」で、とても切ない。 長女・園子は美容学校を中退しスナックで働いている。 松岡茉優演じる園子は、映画の中で一番感情表現がストレート。無邪気にも見える園子だが、その起伏は激しい。 松岡茉優が可愛さと危うさが同居する園子にピッタリで、本当に天才だと思う。園子がいてくれたことで、複雑な稲村家にスッと引き入れられた気がする。 そこへこはるは帰ってくる。 普通の家庭を夢見て上手くいかない大樹と、結局付き合った男に殴られる園子のもとへ。 もう一人の息子、次男の雄二は連絡を受けて実家に帰ってくる。 東京でフリーライターをしているが、自分の思うような文章は書けずに、雑誌の小さいコーナーを任されているだけだ。 こはるの言う「自由」とは、こんなものなのか? 確かにこはるは子ども達を解放したが、もう一方で子ども達に枷を嵌めたとも言える。 望まない将来から、圧倒的マイナスを背負った競争という名の「自由」へ。 その葛藤が、特殊な状況とはいえリアルで秀逸で、家族であるがゆえに避けられない「面倒臭さ」が画面から自分の胸へとダイレクトに伝わってくる。人のせいにしたい気持ちと、上手く出来ない自己嫌悪でヤケを起こしそうな感覚。 次男・雄二を演じた佐藤健の「汚れ」っぷりが素晴らしい。佐藤健史上最も体重を増やして臨んだそうだが、骨太で荒々しく、いつもとはまた違った魅力がある。 全編を通して私が主に園子の目線で観ていたせいか、とにかくこの雄二のことがムカつくし、イライラする(笑)。 本当になに考えてるか掴めなくて、ただ苛立ちだけは伝わってきて、それが大樹や園子を不安にさせる。このままではこはるだって傷つくかもしれない。 せっかくお母さん帰って来たのに、何してんだよふざけんなっ!ブチ切れる松岡茉優が最高だ。 今から思えば一番こはるに似ているのはこの雄二なのかもしれない。 こはるを演じた田中裕子の静かなのに決意を秘めた口調が、親の思いの「熱さ」の部分を体現しているかのようで素晴らしい。 こはる自身のあの夜につながる思いや、子どもを思う直接な言葉はない。でも田中裕子の目線や佇まいが身を捧げた母の思いを物語る。そして雄二の行動も、こはるの行動によく似ていると気づく。 こはるの思いを代弁する存在として、佐々木蔵之介演じる堂下がいる。堂下は父親だが、親目線の思いを伝えてくれる貴重な存在だ。そして死んだ父親の代わりに、積年の思いをぶつける相手でもある。 こはるを助けようと、必死でタクシーを駆る3人に15年前の3人が重なる。あの日、雨の中でどうしていいかわからないままに走らせた車。 15年前に始まった「一夜」と今の「一夜」が重なって、あの夜追いつけなかった母を追う。 何が変わるのかはわからないけど、大人になった今、追いつけなかった母に追いつくことで、あの日始まった特別な「一夜」を終わらせることが出来る。今の今まで溜め込んできた、思いの全てをぶちまけて、そうしてやっとこの夜は終わり、みんな朝陽を見ることが出来る。 ぶっちゃけた話、この辺りで泣きすぎて苦しかった。ハンカチ持っていって良かった。隣で旦那も多分泣いてたけど、君にハンカチを貸す余裕はなかった。ごめん。 帰りのエスカレーターでも泣き止めなくて、本当に思い出すと今でも泣けてくる。誰の事を思い出しても共感しすぎて苦しくて辛くて、愛しい。
脚本が雑でぶれている。良い素材で、良い役者を集めたのに、もったいない。
何年の設定なのだろう。 今なら。東京なら。あれほどの怪我をしていれば、少なくとも学校は通報せざるをえない。そこからすぐに児相が動き、事実が認定されれば、子どもたちは保護される。野田のような、自分たちを守るために、公的機関がDV男に子どもを差し出してしまうケースもあるが、そういう行政が機能していない設定なのか? 当事者たちが分離を望めば、公的機関・DVセンターが動き、妻と子どもたちは新しい場所での生活が始まる。子どもだけが分離を望んだ場合は、児相が動き、しかるべき生活場所を提供してくれる。 当事者が分離を望まない場合は、保護されても家に帰されるケースもあり、同じことを繰り返す。小学校6年間に、8回保護され戻ってくるというのを繰り返した子どももいる。そういう設定なのか? とはいえ、児童虐待防止法やDV方が制定される前は、民事不介入。家族の中で起こることには公的機関は動けなった。その頃の話なのか。 そこからしてリアリティがない。だから、母の行いが響いてこないし、そのことにこだわる子どもたちの思いが響いてこない。 幾つかのレビューで、母の刑が重すぎるというものがある。 上記の対応策が取れるにもかかわらず、DV男から逃れる手段を取らずに、死に至らしめたというところで、情状酌量の余地なく、かえって罪が重くなったのか。虐待は、本人からのヘルプがなくとも、状況証拠だけで動けるが、DVは、対策がとれる”大人”として、本人からの訴えがなければ、”保護”という手段はとれない。家庭内で暴れていたひきこもり息子を、相談機関に行くとかの適性な手段を取らずに、殺した父には重い判決が実際に出ている。 子を守るためとはいえ、連れ添った夫。自ら刑を重くなるような証言をしたのか。 いつから暴力が始まったのだろうか。母が眺める幸せそうな家族写真に写る子どもたちは小学生以下ではない。何がきっかけで始まったのか。幼いころから暴力はあったものの、時には写真のような穏やかな時もあり、だんだんとエスカレートしていったのか。 そんな時の重み。それでもの母の行為。酔っぱらって歌う夫を見ていて、「止めなければ、また始まってしまう」と視野狭窄になり、気が付いたら車をバックさせてしまっていたのではないか。 殺人を子どもたちに告げるときの母。一見冷静に見えるが、異様にテンパっている。あの演説は後付けではないか。子どもたちの幸せ。それだけを願った、テンパった演説のように私には見えた。 そう、”度胸”なんかじゃない。恋愛の末結婚したのか、事情があってDV男と結婚したのかはわからない。それでも、写真のような穏やかな時を共に過ごし、3人の子をなした相手。その相手を殺す。それは、美談だとかなんだとかでくくられるものではない。 15年。出所してすぐに帰らなかったのはなぜか。『幸福の黄色いハンカチ』の島を思い出してしまう。面会にも来ない子どもたち。待っていてくれないかも。でも、約束した。それは守らねば、子どもたちのために。そうして帰ってきたのなら、厚顔無恥を装うしかない。 常に”正解”は解らねど、子どものために何がいいのかを考える母。タクシー無線のくだりは笑ってじわっときた。 ”立派”ではない証明に、そう来るか。 弟の万引きへの対処。犯罪を胡麻化すと再犯する可能性が高いが、ああいう風にされたら、二度とやる気は起きまい。尤も、母はそこまで計算していたわけではなく、必死だったに過ぎないのだろうが。 そんな母に振り回される兄弟。 兄弟あるあるの絡み。3者、どこかギクシャク。芝居がギクシャクしているのではない。ギクシャクしている様子を演技で表現している。なんてすごい役者さんたちなんだ。インタビューを読むと、鈴木氏と佐藤氏は”受け”の芝居をしたとか。大ちゃんの反応が、0コンマ1くらい遅れるのが絶妙。雄二の反応が、一瞬スルーして突き放している様も絶妙。そうすると、園子がブチ切れる。もしくはつなぎとめようと必死になる。慣れあっているようでの不協和音が奏でられる。 そういうギクシャクした兄弟だが、共有できる経験があった。だから、解りあえないようでいて、根っこは同じ。これが『サンドラの小さな家』の幼い姉妹のように、姉と妹が経験したものが違っていたらどうなっていたのだろう。姉が妹が経験したことを知って共感するまで、すれ違いは続くのだろうな。 演じる松岡さんが特に出色。はすっぱな態度の中に、捨てられた子犬のような姿が見え隠れし、それでも、ソーシャルスキルが一番あるのは園子。 佐藤氏は、たんなるチンピラではなく、風俗関係の仕事に携わるふてぶてしさと、人生投げている感じ、いろいろなことに距離をとっている感じが良い。ただ、「何をしに帰ってきたんですか」と母に迫るシーンでは、田中さんの演技に対応できずに、スベッタなと思う。あと、乱闘シーンではアクション俳優としての日頃の鍛錬がかえって災い。「うん。ライダーキック!!」と思わずツッコミ。素人の跳び蹴りって、あんなにきれいに決まるもの?やさぐれ雄ちゃんにはなり切れていない。格好いい自分を出したくなっちゃったんだよね。 鈴木氏は、いわゆる”おにいちゃん”を体現。”おいしい”シーンは弟・妹に取られた損な役だが、それでも複雑な気持ちを抱えてはいるだろうが「お母さんはお母さんだから」と言い続ける気持ちは、このお兄ちゃんならと思わせるところがすごい。ただ、妻と別居するようになったきっかけの出来事が今一つ推論できるような演技ではなく、惜しい。自分の中に、DV父を見つける様子はあったが、演出が悪いのか、言葉で説明されてそうかと思う程度。中盤の妻と大ちゃんのすれ違いっぷり、かたくなな心のシーンは身につまされた。感情の動きが見えづらく、妻が離婚を考えていた、そういう表現なのだろうが、何回か見て、それに気が付くのって、損な役回り。 とはいえ、兄弟それぞれの父への思いは?繰り返すが、家族写真のような関係の時もあった。暴力を振るわれていても、いなくなってしまえば、楽しかった頃の思い出もあり、母のやったことを素直に受け入れられないのか。大ちゃんは、あえて母を正当化しようとするのか?う~ん、片落ち。 殺人犯の息子の苦しみとして『ある男』を見てしまった後では、余計に設定が甘く感じる。友達の一家を殺した父をもつ『ある男』のXと、自分たちに暴力をふるっていた父を殺した母を持つ子どもたちでは、心境も、置かれた環境もまったく違うが、単に、「嫌がらせされている」と薄っぺらい設定だけにしてしまっていて、兄弟たちの経験したものが見えてこない。 この家族を軸にして、三組の親子の話も挟まれる。 漁師になりたかったのに、父の後を継いだ甥っ子。いい味出している。 この兄弟が、あのような嫌がらせを受けても、この土地に住み続けられたバックボーンを示すとともに、どんな環境だって自分の好きなものになれるとは限らないということを示したかったのか。 認知症の母を抱えた娘とその孫。 軸になった家族のような特異な環境じゃなくたって、家族ならいろいろな気持ちを抱えることがあるんだということを示しているエピソードなのか? 家族の死を願ったことがあるとして、実現すればハッピーというものではない。 死んだ対象者に対する家族の思いを羅列した?いらない。 そして、堂下の父子。 このエピソードは正直不発。軸になる家族の転機に関わるエピソードとしては面白いが、父子の顛末が回収できていない。堂下は自業自得だが、カズヤに救いはないのか? 父の元々の職業のせいで、抜き差しならない状況に追い込まれるカズヤ。「お金が欲しかったんだよ」とはいうが、目をつけられたのは、父の元々の行いのせい。それこそ本当に「お前のせい」だ。ああいう輩に一度目をつけられたら後は蟻地獄。というのは、最近検挙がつづいている”ルフィ”一味でも取りざたされている。こはるのことを褒めるなら、別の手段があるだろう、堂下!と一喝したくなる。ま、あんなことをするような奴だから、前職はあの仕事なのだろう。 と、一つの父子関係を描いているが、このエピソードは必要だったのか。元々の劇でもこのエピソードはあるのか。 いやがらせ。 正義面したうっぷん晴らし。 実際でも、犯罪者を出した事業所にも、正義面したいやがらせの電話が押し寄せる。その事業所と犯罪は関係ないのに。電話してくる人は関係者ではない。関係のない人が正義面してかけてくる。攻撃できる場所があればいいのだ。時間を持て余しているのだろうなと思う。 家族。 100人いれば、100通りの家族の思い、関係性がある。同じ家族の中の兄弟でも、経験によって変わってくる。 家族について考えてしまう。 ”人””家族””取り巻く社会”をじっくり見つめ直し、味わえる、濃厚な映画かと思った。そういうのを表現できる役者を集めているし。 兄弟や母、タクシー会社の社員との掛け合いは、さすがと唸るエピソードや台詞、シーンが散見。堪能。 だのに、人や家族、取り巻く社会の、内側にうごめく動きを追うことをさけ、介護や堂下のエピソードで水増ししてしまい、アクションに逃げてしまった。残念。 ≪2024.6.21訂正≫ 劇未鑑賞。
犯罪者の家族に再生はあるのか
わが子の自由を信じて母親は夫を殺害。 事件後の子供たちの辛苦はどれほどだったか。 母親が帰ってきたことで、少しずつ歯車がまわりはじめ。 佐藤健や鈴木亮平はいうまでもなく。 終始暗い展開の中にあって、田中裕子のぶっとんだキャラは清涼剤になるかも。 これからの再生を思わせてくれるラスト。 やはりこうでなければ。
親としての覚悟
正解なのか わたしは子供を救ったとは思わない。 母親が今の現状から抜け出したい一心で 後先考えずにした行動だと。 一生恨むだろうな。 あんな場面になったら 同じようにわたしも助けにいくのか? わからないなぁ。 "なにかあったらなんでも親のせい" わたしは親のせいにしたらいいとおもう。 自分の子供が親のせいにして それで気が済むなら、そうしたらいいとおもう。
犯罪者を出したことによる家庭の悲喜劇
内容はどうしようもないくらいひどい事件だが、暴力夫を妻が轢き殺すという、妻であり母であるこはるの正義感、自首という潔さ、しかしそれは独りよがりの面もあり、残された子たちの運命はねじれていく。その捻れた糸をほぐそうと15年立って母親が姿を現し、押さえていた感情が互いに鋭いナイフのように交差する。その緊迫感に、次は何が起こるのか、とハラハラさせられた映画でした。次なる被害者は出ず一応は丸く収まったところがちょっと拍子抜けというか現実的というか、、悲惨な中にも人間臭さへのいとおしさを感じる作品。
親の愛情は肯定されるものなのか、身勝手なものなのか。自由になるはず...
親の愛情は肯定されるものなのか、身勝手なものなのか。自由になるはずが、親の行動によって人生を狂わされた子供たち。 それでも親子なのかなと見てて思う。 佐々木蔵之介は必要だったかのかは謎ですが。 鈴木亮平の役の幅の広さに感心しました。
暴力夫を殺害し、服役していた母と15年ぶりに再会した兄妹。 子ども...
暴力夫を殺害し、服役していた母と15年ぶりに再会した兄妹。 子どもたちにとって、母親は必ずしも「悪」から守ってくれた聖母ではなく、母親のせいで肩身の狭い思いもしてきた。 3人兄妹の葛藤の描き方はよかった。 あと、鈴木亮平が何とも頼りない男を演じているのも斬新。 ただ、佐々木蔵之介は余計だったかもしれない。 元ヤクザで息子が麻薬の運び屋をやっていると知り、ヤケを起こして飲酒運転で海に飛び込んで自殺しようとするとか、めちゃくちゃな行動。 なんだこりゃという展開になってしまった。
50点
映画評価:50点 人殺しの家族としてもがきながら それぞれの生き方を模索していく話し。 役者陣の演技力と、 監督が作り出す演出、 いぶし銀で見応えあります。 人を殺す事が衝動だったとしても、 残された家族や、知り合い、友人は 人殺しの身内として嫌がらせを受ける。 例え、その人殺しが他人のために行った 正義の刃だったとしても変わらない。 その時の迷いや、衝動で 何十年、何世代と人殺しの家族と呼ばれる。 その苦しさと、憤りを伝えてきます。 誰かのためを思うなら、 犯罪以外の方法で。 当たり前な事だけど、 改めて考えるきっかけをくれる作品でした。 【2022.6.22観賞】
人と人が繋がりあって家族になる
親も子供も選べない。産まれてくる環境も。 でも自分が変わらないと何も変わらないよね。 誰かのせいにして生きてもしょうがないし、自分の人生は自分で変えるしかない。 かつて息子が万引きした時と同じように母親と歩いて、かつて母親を追いかけた時と同じように車で追いかける。 あの時と何が違うんだろう。 いつだって大きな問題が起きてからじゃないと本音を打ち明けられない。 不器用だからって、そんな方法でしか表現できない事は分かってるんだから思ってる事は言わないと伝わらない。 お互いうまく生きられないんけれど、ぶつかり合って少しずつ分かり合って前へ進んでいく。 みんなにとって何でもない夜が自分にとって特別な夜で、そんな夜を重ねながら生きていく。 それが、ひと よ。
家族とは何か 佐藤健×鈴木亮平はいつも兄弟役
家族の形は千差万別。 よそはよそ、うちはうち。 隣の芝は青く見える。 友達の家が羨ましくうつる。 金持ち家の良いところと悪いところ、 貧乏な家の良いところと悪いところ、 片親だったり、家庭内暴力があったり、学歴信仰やどこに就職したとか、ハイステイタス至上主義な家もある。 そんなことはよくある話。 そして、この映画では家族が元犯罪者で、実刑を終えて、帰ってくる。 小説や映画だからある話なのかもしれないが、 もしも、自分ならと置き換えて考えてみると、 実際は映画以上に苦痛だろう。 実際に加害者家族は犯罪の数だけ存在する。 加害者も罪の意識を背負って生きるが、加害者家族の人生もめちゃくちゃになる。 かつて、映画「手紙」を見たのを思い出した。 この映画も加害者家族をテーマにした映画だった。 やはり、加害者家族は就職、結婚にも苦労する。いわゆる「普通」の人生は簡単には歩めない。 こういった映画を見て、一人でも『犯罪は自分一人の問題ではなく、家族や周囲を巻き込むのだ』と悟る人が増えることを願うばかり。 映画は全体的に引き込まれる作品でした。 そして、 佐藤健×鈴木亮平はドラマ「天皇の料理番」でも兄弟だったよね^_^ そしてそして、 鈴木亮平の演技の幅よ! この映画鑑賞より3週間ぐらい前に 「弧狼の血 レベル2」観たのよ!(しかも同じく白石和彌監督!) 同じ監督、同じ役者でも作品が違えばこうも違いますか!!(当然よね笑) 弧狼の血の時の鈴木亮平は殺気、狂気に満ちてたけど、 今回のひとよでは、不器用ながらも家族思いな長男役。 まったく別人! これぞ、名俳優!! 良いもの見せてもらいました!^_^ 以上
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