帰ってきたムッソリーニ
劇場公開日 2019年9月20日
解説
映画化もされたドイツのベストセラー小説「帰ってきたヒトラー」をベースに、舞台をイタリアに置き換え、現代によみがえった独裁者ムッソリーニが巻き起こすドタバタを描いたブラックコメディ。現代のローマに突如よみがえったムッソリーニ。その姿を偶然にカメラに収めた売れない映像作家は、一発逆転をかけてムッソリーニのドキュメンタリー作品の制作を思い立ち、2人でイタリア全土の撮影旅行がスタートする。そっくりさんだと思った若者がスマホを向け、戸惑いながらも撮影に応じた写真がネットで拡散し、テレビ出演でのカリスマ的な演説が人々のハートをつかむなど、ムッソリーニの人気は絶大なものとなっていく。そしてムッソリーニはふたたび国を征服する野望を抱くが……。「イタリア映画祭2019」(2019年4月27日~5月4日=東京・有楽町朝日ホール/5月18~19日=大阪・ABCホール)上映作品。
2018年製作/96分/G/イタリア
原題:Sono tornato
配給:ファインフィルムズ
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2021年9月27日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
ー 御存じの通り、今作はドイツでベストセラーにもなり、それを映画化した「帰ってきたヒトラー」に、イタリアのヒットメイカーであるルカ・ミニエーロ監督が着想を得て、映画化したモノである。
だが、今作と「帰ってきたヒトラー」では、同じシニカルコメディ―ではあるが大きな違いがある。ー
◆感想
・私が劇場で「帰ってきたヒトラー」を鑑賞した際に強烈に覚えているのは、ヒトラーに全く似ていない俳優(今作の、ムッソリーニに扮した俳優も本人とは、全く似ていない。)が、ヒトラーの恰好をして街を歩いている風景を撮ったシーンでの、年配の方々の反応であった。
物凄い嫌悪感を表情に出した年配の人々の姿。(人によっては、モザイクが掛かっていた。映画に登場する事を拒否したのである。)
一方、若者が面白がって、ヒトラーの写真を撮る風景。
「帰ってきたヒトラー」は現在、ネオナチ勢力が蔓延りつつある、ドイツを象徴的に表した映画であった。
購入したパンフレットには、ヒトラーに扮した俳優の身の危険を守るためにスタッフが苦慮した事が記されている。
・では、今作はどうか。
作品構成は、空から降って来る冒頭シーンや、犬の射殺シーンなどオリジナルとほぼ同じだ。
だが、決定的に違うのは、ムッソリーニ処刑後70年の間に政権が63回も変わり、今やヨーロッパの中でも最貧国になってしまったイタリアの人々の蘇ったムッソリーニに対する態度及び、現在のイタリア政権に対するシニカルな意見である。
・愛犬を射殺されたユダヤ系の老婆は、最初ムッソリーニの過去の所業に対し、厳しい言葉を浴びせるが最後は”貴方を赦します・・”と言ってしまっている。
・若者だけではなく、多くの現在のイタリア情勢に不満を持っている人たちの、移民問題などに対する不寛容な意見。
それを、今作では深く突っ込まずに、コメディで通してしまっている。
<お国柄の違いと、ヒトラーの極悪非道振り(ついでに言えば、三国同盟を組んだ東條英機)との違いもあるのかもしれないが、只の中途半端なコメディ映画になってしまったかなあ、と思ってしまった作品である。
劇中、ムッソリーニが屡、口にするクラレッタは、彼の愛人であったが、政治的に関わった訳ではないのに、ムッソリーニと共に銃殺刑にされ、遺体が晒された女性である・・。>
毎度ながら韓国や中国との関係が悪くなっている。
それとは真逆に、個人的に、とりわけ韓国の映画を誉めることが多くなっている。
後ろ髪を引っ張られている感じがある。何となく。
そんなとき、ばくぜんと、言い訳を考える。
たとえ親が犯罪者だとしても、その息子や娘は、親の犯罪と何の関係もない。
だから普通に接したい。
その国のコンテンツも息子や娘のようなものだ。
だから政情がどれほど険悪でも、かれらの映画やドラマを、ごく普通に楽しんでもいいはず──と考えたりする。
そんなことを終始考えているわけではないが、なぜ敵対視されている国の映画を誉めているんだろうかと──われながら不思議に思うこともある。
そして日本映画をけなす。
すると、たんなる映画ファンなのに、これはSNS界隈で売国奴と言われてしまう姿勢ではなかろうか──と気になる。
日本人であることを気に掛けつつ、韓国や中国のエンタメに接している──つもりではある。
誉めているのは映画であって、国のやり口を許しているわけじゃない、という気持ちはある。
なんの意味もないが。
かわいいとかっこいいで、全信頼を勝ち得ることができる年齢や人種には限界がある。
しかし優れた映画は、もっと広範囲に、好感と信頼をあつめられる。
おとなたちも韓国映画が好きだ。
いい映画は、庶民をなっとくさせることができる。
つまり、いい映画は国策になりえる外交力を持っている。
庶民の感情にかかわるなら、巡り巡って政治にも関わってくる。ふたつもばくだん落とされたのに、みんなアメリカが大好きだ。
映画は大衆のコントローラーだと思う。
パラサイトが世界にたいして、どれだけ韓国を親近たらしめたか、はかりしれない。
もし大多数の日本国民が、日本映画はつまんないから外国映画見ていればいいや──と思ってしまったら・・・自国日本も好きになれないんじゃないだろうか。
やはりいい映画をつくってもらわなければいけないと思う。
おそらくどうでもいいことじゃないと思う。
アジアは映画の中ですら鳳梧洞戦闘や軍艦島や金陵十三釵のように、少しも軟化していない。
職場の韓国人や中国人は普通の人たちだが、個人の気持ちはともかく、アジアでは国の方針と大義における国民感情は連動している。
親が犯罪者なら、子も犯罪者なのである。
ドイツ映画、帰ってきたヒットラーがヒットして、イタリアもまけじと帰ってきたムッソリーニをつくった。
二番煎じだし、低予算でさくっとつくっているが、あんがい楽しい。町並みがきれいで、ゲリラ撮影の臨場感もあった。しょうじきなところあまり似ていないが、特徴がスキンヘッドだけなので、軍服と軍帽といかつい顔さえあればだれだってベニートである。
笑いにできることはうらやましい。
ドイツにもイタリアにも、しがらみがない。
みんな笑っている。
過去のことだ。
ならば、あの時の首領をネタにしてみよう。
三国同盟にならってドイツ、イタリアときたら、次は日本の番だ。
となると日本は帰ってきた近衛文麿か、帰ってきた東條英機をつくることになる。
できるか。
できっこない。
そもそも独裁者ではなかった。近代日本で独裁を布いたひとはいない。
が、そんなものをつくったら、どうなるんだろう。
日本は、なお混み入った相対のなかにいる。
独立していないも同じかもしれない。
が、そんなばくぜんとした感慨とちがって、現実に主権を乗っ取られた香港の人々は、どれだけ恐ろしいことだろう。それを言いたかった。
戦時の軍人がよみがえって、それがコメディになる。
アジアにそんな未来があるんだろうか。
なんてがらにもないが。
2020年5月3日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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ヒトラーは素材になる事が多いけど、ムッソリーニはあまり出てこない気がする。イタリアの映画界ではそんなものもないのかな。ムッソリーニ、にてるのかな?
2020年3月30日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
帰ってきたヒトラーのムッソリーニ版。
ファシズムの先駆者だったはずだが、ヒトラーにお株を取られた印象。
映画の方も出演者のインパクトが弱め?
音楽はさすがイタリア!だったが。
演説やTVの演出はヒトラーのほうが、やはり様になっている。
何とも言えない高揚感があった・・・
ムッソリーニも演説は上手かったそうだが、ヒトラーより人間臭い感じ?
取材記者(映像作家)の女性関係へのムッソリーニのかかわり方(シラノ・ド・ベルジュラックよろしく、取材記者のスマホに愛の言葉を勝手に代筆)は、ヒトラーにはない個性と言え、結構笑えた。
ラストの持って行き方は、ヒトラー版のような入れ子構造はなく、リアリティがあるものだったが・・・
やや、おちゃらけ感が増しているようにも思え、「本当は怖い」感が少々薄い気もした。
フィアットのカングーもどきは、ヒトラー版のそれよりいい感じ。
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