貞子 : 映画評論・批評
2019年5月21日更新
2019年5月24日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
貞子をバラエティ怨霊から、恐怖の対象へと引き戻す意欲作
「リング」(98)が公開されて、今年で21年が経つ。その間、ホラーキャラクター“貞子”は世界的な存在となり、さまざまな派生作が生まれた。Jホラーの象徴としてハリウッドでリメイクがなされ、また3D効果で飛び出したり「呪怨」シリーズの伽椰子&俊雄と変則マッチで格闘したり、はてはプロ野球の始球式に登板したりと、ときに手段を選ばぬ露出が災いし、今やバラエティ怨霊としてホラーを越境。なんともカオスな知名度を得ている。
今回の「貞子」は、そんな彼女を本来の立ち位置に戻そうとする意欲作だ。貞子は映像を介してランダムに人をとり殺す新型ウイルスのような存在でありながら、過去の怨恨に強く結びつけられた出自を持つ。本作ではそんな後者の性質を重点的に描くことで「呪いのビデオテープ」という旧設定からの脱却をはかりつつ、「貞子? 成人式に乱入するヤツだろ」みたいな認識が先行する世代に、彼女の恐ろしさの本質をしっかりと説いていく。
物語は貞子と呼ばれて母親から虐待を受けていた少女を、心理カウンセラーの茉優(池田エライザ)が担当患者として受け持ったことに端を発する。その少女との関わりはやがて彼女の周りに異常現象を誘発させ、少女の住んでいた公営団地に心霊動画を撮りに行った弟・和真(清水尋也)の行方不明へと発展していく。
映画はこの少女とかけがえのない弟を救うために、ヒロインが伊豆大島に由来する貞子伝説の深部へと迫っていく。その過程でDV、ネグレクト、いじめやストーカー、あるいはYouTuberや炎上動画といった当世的な要素が巧みに組み込まれ、2019年という時代に貞子の存在を適合させるための加工が活かされている。
なにより監督を「リング」そして「リング2」(99)の中田秀夫が担当するところ、映画は貞子を描く正統性をおのずと感じさせる。もちろん撮影所出身らしい堅実な職人ぶりで、監督はかつて自身が高橋洋とともに確立させたJホラー演出の極意にアクセスを試みているし、また貞子を目撃した生存者として、同2作に出ていた倉橋(佐藤仁美)を再登場させ、本作が「リング」「2」と同じ時間軸上にあると主張。それだけで枝葉のように存在する、他の貞子映画とは一線を画すものだと強いアピールを放つのだ。
本作を起点に、新たな貞子像を展開させていくプランもあるのか、今後へと含みを持たせた部分にもったい振りを覚えなくもない。だがやはり、恐怖のシンボルはそのイメージを維持してほしいのだ。始球式でバッターをきりきり舞いさせるのが、彼女の役割ではない。
(尾﨑一男)