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「権力は腐敗する」とはイギリスの歴史家ジョン・アクトンの言葉だ。彼の言葉通り権力が腐敗するのならばその権力を監視するはずのマスメディアも腐敗するのだろう。
マスコミはその報道により時には世論を誘導し国を動かすほどの力を持つことから司法、行政、立法に次ぐ第四の権力と言われる。
この権力が正しい方向に行使されれば世界を救うことにもつながるが、逆に行使されれば世界に悪影響を及ぼす。
本作では対照的な二人のジャーナリストが描かれる。一方は事実を真摯に伝えようとした主人公のガレス・ジョーンズ、もう一方はピューリッア賞を受賞しながらも権力に加担し事実を隠蔽しようとしたウォルター・デュランティである。この二人の構図は時代を超えた今でも普遍的な問題として位置づけられる。
事実を伝えようとするマスコミと権力側の有利に世論誘導するマスコミ、あるいはSNSの時代はさらにこの対立構造は複雑化している。個々の発信者により真実が伝えられたり、デマが流されたりといった具合に。
何が真実で何が虚偽の情報なのか、この無数に情報が飛び交う時代においては受け取る側にその判断能力が要求される。信頼できる情報発信者の存在は重要だが、受け取る側がその情報発信者を信頼し育成することも重要である。
日中戦争初期、戦争に反対する旨を表明していた朝日新聞は当時軍部を支持していた国民からの不買運動に会い、経営のためにその社論の転換を余儀なくされた。その後戦争賛美へとその論調を変え、他の新聞各社も国民を煽り立てて無謀な大戦へと突入していった。
この国民一体となって戦争へと向かわせた世論形成に新聞報道が貢献したのは疑いようがない。報道各社は戦後反省を強いられることとなる。
しかし、当時の反戦を訴えた朝日新聞を国民も信用し支持しなかったのであるから、これは情報発信者だけのせいとは言えないだろう。情報を受け取る側にも責任はあったということである。
本編冒頭、ナチスによる第二次大戦勃発の可能性を訴えるジョーンズの報告を政治家たちは誰一人相手にしない。そして彼がソ連ウクライナで目撃したホロドモールの報告についてもそれを否定するデュランティの発言のみを鵜吞みにして誰も信じようとはしなかった。
確かにナチスの件にしろウクライナの件にしろ、その情報の信用性を何を持って担保すべきかは難しい。ジョーンズの人柄というだけではなく、写真やその他の証拠資料からその信用性を積み上げていくしかないだろう。そうして信用できる情報ならばそれを尊重するべきである。
今の時代、マスコミは信用できない、ネットの中にこそ真実があるなどとよく言われるが、そんな単純なことではない。マスコミにもネットにも噓もあれば真実もある。肝心なのは内容の真実性をいかに担保するかだ。
ネットだから信用できるとしてネット上の陰謀論に翻弄される人々を見ていてよりそう考えさせられる。
本作でもジョーンズの詳細な報告よりもピューリッア賞を受賞したデュランティの言葉を無条件に信じてしまう人々が描かれていることから、これは現代でも十分通じる問題なのである。
情報の出どころだけでなくその情報の真実性をいかに見抜けるか、情報の受け手側は今の時代さらにその能力が要求されるのである。
権力に加担し腐敗してしまったデュランティに対してジョーンズはその命を失うまで事実を伝えることに生涯をささげた。
本作で描かれたウクライナ人たちへの虐殺ともいえるホロドモール。世界中でいまだに繰り広げられる虐殺、中国でのウイグル人の虐殺、ウクライナでのロシアによる無差別殺戮、イスラエルによるパレスチナ人の虐殺等々、これらの実態はジャーナリストたちが現地から報道することによってしか知るすべはない。これら発せられる情報を最大限生かすには我々情報を受け取る側が正しい情報を見極め、それら情報発信者を信用できる目を養う必要がある。
そしてその正しい情報から世論が形成され、虐殺の加害者に対して国際的非難を訴えていくことができるのである。
民主主義の母国といわれるイギリスでは元々このガレス・ジョーンズのように命を失うことも恐れず事実を伝えようとするジャーナリズム精神が強く、報道のための紛争地帯への渡航を国が禁じることはないのだという。日本なら政府が危険だと渡航を禁じた国に行こうものならたちまち批判されるため報道各社は所属する記者を送ることはできないのだという。だからフリーの記者を使うことが多いらしい。
以前、イスラム国に拉致されたフリーのジャーナリスト後藤健二氏に対して日本の政治家が自己責任という言葉を初めて使用したのがこの時である。
イギリスではジャーナリズム精神を尊重するため危険地帯に足を踏み入れて拉致されても非難するような世論は湧きあがらないそうだ。これも国民性の違いなのだろう。