イン・ザ・ハイツ : インタビュー
リン=マニュエル・ミランダ&ジョン・M・チュウが語り尽くす「イン・ザ・ハイツ」製作秘話
リン=マニュエル・ミランダにとって、「イン・ザ・ハイツ」はとてもパーソナルな作品だ。
ミランダの出身地で現在の居住地でもあるニューヨークのワシントン・ハイツを舞台にしたこのミュージカルが、オフブロードウェイを経てブロードウェイで初上演されたのは、2008年。その年のトニー賞ではミュージカル部門を含む4部門で受賞、グラミー賞でもミュージカルアルバム部門で受賞し、生みの親で、作詞作曲家、主演俳優でもあるミランダは、一気に時の人となった。(取材・文/猿渡由紀)
15年には「ハミルトン」で彼の知名度はまたもや大幅にアップすることになるのだが、その間もずっと「イン・ザ・ハイツ」の映画化の話も同時進行していた。しかし、企画は思いのほか難航。最初に手を挙げていたユニバーサルは撮影開始前に企画を手放し、次にザ・ワインスタイン・カンパニーに決まるが、17年秋、ハーベイ・ワインスタインの過去のセクハラやレイプが暴露され、会社は存続の危機に直面する。そんな中でこの作品の権利はワーナー・ブラザースが買い取り、19年6月、ようやく撮影開始となったのだ。
だが、ミランダは、これだけ時間が経ってしまったことを、悪いこととは受け止めていない。ドリーマー(オバマ政権下で始まり、トランプ政権下で危機にさらされ今も存続が危ぶまれている、子供の頃にアメリカに来た不法移民の若者に対する国外強制退去の延期措置)の要素を入れるなどアップデートもされているが、ストーリーそのものが、今、よりタイムリーに感じられるからである。
「僕がこのミュージカルを書いたのは、ラテンポップブームが起こっていた時。リッキー・マーティンがグラミーで歌い、エンリケ・イグレシアスに人気が出てきた頃だ。マーク・アンソニーも、僕らのコミュニティのヒーローだった。だが面白いことに、この作品は今のほうがより時代に合っていると感じられるんだよ。トランプ政権のもと、反移民の雰囲気が高まる中、僕らのコミュニティは前よりもっと敵視されるようになった。この映画には中南米の国旗がたくさん出てくるナンバーがあるが、それをやるのは08年よりも今のほうがずっと大胆。あのナンバーで人は誇らしげに国旗を振るけれども、その人たちもアメリカ人なんだよ。ほかのアメリカ人にまるで劣らずにね」(ミランダ)。
そもそもミランダがこのミュージカルを書いたのは、圧倒的に白人中心のエンタメ界で、ラティーノはほとんど存在感がなかったからだった。この5年、ハリウッドでは多様化が叫ばれ、その効果は少しずつ見え始めているが、それでもキャストのほぼ全員がラティーノという映画は、非常に珍しい。
「舞台で僕らのストーリーが語られるのを見たかったんだ。当時は『ウエスト・サイド物語』くらいしかなかった。たまにラティーノの俳優が出てきたと思ったら、役はいつもギャングメンバーだ。それで僕は自分で書こうと思ったのさ。舞台やスクリーンが描かない人生、無視している人々の話を。『イン・ザ・ハイツ』は、そんなところから生まれている」(ミランダ)。
意外にも、映画化に当たって監督に選ばれたのは、ラティーノではなくアジア系のジョン・M・チュウだった。チュウはワーナー・ブラザースで全アジア系キャストの「クレイジー・リッチ!」を大ヒットさせたばかり。また、「ステップ・アップ」シリーズでダンス映画、「ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー」で音楽映画の経験もある。
「舞台版の大ファンだったし、映画化されるのは知っていたけれども、自分にチャンスがもらえるとは思ってもみなかった。そうしたら、プロデューサーのマーラ・ジェイコブスとスコット・サンダースが『興味はある?』と声をかけてくれたんだよ。すると突然、これは絶対自分がやるべき作品だと強く感じたんだ。音楽映画、ダンス映画をやってきて、もっとパーソナルな映画を作りたいと思っていた僕にとって、これは理想的な作品だった。リンとのコラボレーションは、最高だったよ。彼は映画ファンだから、映画は舞台と違うと知っている。僕らは一緒に映画というフォーマットでのこの物語を探索した。彼がコミュニティの人とどう接するのか、彼のお父さんとどんなふうに接するのかを目の前で見られるのも、僕にとってすごく参考になったよ」(チュウ)。
実際に今作は、映画だからこそできることを思いきりやっている。ワシントン・ハイツでロケをし、街の雰囲気、エネルギーをたっぷりと映し出しているのは、そのひとつだ。「ワシントン・ハイツは、この映画のキャラクターのひとりというだけじゃない。主演俳優だよ」と、チュウは笑う。
「この映画をどう撮るのかを決める上で、ワシントン・ハイツは大きな影響を与えた。一度こうだと決めていたのに、ストリートに出てみて変えたということは何度もある。雨が降ったり、雷が鳴ったり、街で実際に起こっていることはたっぷり映画に取り込まれているよ。エキストラもご近所さんたちを使っているんだ。集まってきてくれたエキストラに、リンがご近所さんの一員として語りかけているのを見るのは感動だった」(チュウ)。
「エキストラに応募してくれた人たちに、僕は『撮影中、いろいろご不便をかけると思います。車を停めるのも大変になるかもしれません。でも僕らは、僕らの街を永遠に映画という形で保存しようとしているんです』と言ったよ。舞台はその夜見逃したらそれまで。でも、映画はずっと同じ形で残る。だから、絶対に良いものにしないといけない。自分もまだワシントン・ハイツに住んでいるんだし、この先ずっと『あの映画、がっかりだったよ』と言われて過ごすことにはなりたくないからね(笑)」(ミランダ)。
プールを舞台に、水着姿の大勢のキャストが歌とダンスを披露して見せるカラフルなシーンについても、ミランダは「シネマ的にスリルをたっぷり感じるシーン」と誇らしげに語る。
「あのシーンにはエキストラを600人くらい使っている。バーベキューもやっているし、プールに浮いているものもある。危険な要素がたくさんあるから、プロデューサーは不安がっていたよ。当日は雨が降ったりやんだりで、寒くなったりもした。でも、僕らが思い描いていたことはちゃんとやれたんだ」(チュウ)。
「あのシーンのために、僕らは幅広い年齢、いろいろな体型の人たちをオーディションしている。コレオグラフィーにもフリースタイルみたいなものが混じっているし、水着やタオルの色や柄もさまざまだ。コミュニティにいる違う人たちが集まってきたという感じにしたんだよ。それがこの物語の精神だからね」(ミランダ)。
インタビューをしていても、ミランダとチュウの息がぴったり合っていることは、明らかに感じられる。キャストもみんな家族のようになり、撮影が終わってしばらく経つ今も、1日に何回もテキストメッセージを送り合うような仲だそうだ。「もっと早く実現していたらジョンに監督してもらえることもなかったし、その意味でも今が正しかったんだ」というミランダは、この映画のすべてに満足している。
「『イン・ザ・ハイツ』は、一周してこの新しい最後の形になった。予告編が解禁された時の感動は、今も忘れない。僕らはみんな感動で涙を流したものだ。あの1日をもう一度生きられて、あの気持ちをもう一度感じられたらいいのにと、強く思うよ」(ミランダ)。
今ようやく、観客もその感動を分かち合える。