ジョーカーのレビュー・感想・評価
全399件中、121~140件目を表示
時計の時刻はレトリックなのか?
これは監督が描きたかったもう一人のジョーカーである。
そして、誰にでも潜む心の闇を昇華させたとき。小躍りし悲劇から喜劇を愉しむ瞬間を表現した秀作。
世界中の貧困層が観たら非常事態宣言にもなりかねないメッセージ性がある。
アメリカでは暴動に発展してしまいかねないから警官もでてきて上映禁止地域もある。中国全域で上映禁止なのも想像を超えた現象を危惧しているからだ。
レトリックで気になった点は、やはりラストシーンで全てが妄想オチとなっているのか?どうなのか監督のコメントをぜひ聞きたい。
序盤の11時11分が2回、クビになったときのタイムレコーダーで3回目。
しかし、マレーの番組出演のときは時計は確か。10時40分位を指していたのた。しっかり写していたから意図があるとしか思えない。
ご存知の方、ご教示願います。
悲しい定めの現実的社会映画
物凄く共感する映画。格差社会の中で貧困と差別にもがき苦しむアーサー。普通を装って生きなければ、社会から外れる…。満足な職にもつけない世の中は荒んでいて、人権の尊重もない。政治家や富裕層は口だけで世論を味方につけようとしたり正論のような言葉でねじ伏せたりするけど、庶民の気持ちなんて本当は何も理解してない。それがメディアに晒されたジョーカーを通して庶民をバカにしてると核心に触れ苛立ちに火をつけ世の中のピエロたちが街に溢れかえり暴動となる。日本にも当てはまる事多数…。心無い人の言葉や態度がアーサーの精神を追い込んでいく様がリアルに描かれていたと思う。我慢しても笑いが止まらなくなる病気になってしまったこと。病気は先天的なものじゃなく実は自分は養子で幼い頃母親がネグレクトをしていたことを知ったアーサーが、落胆しつつもどこか自分を責め続けていた心が解放されたように思えた場面があった。他に信じられるものや無くすものがなく、唯一肉親だと信じてきた母親が幼い頃に自分をここま追い込んだ原因でありながら知らずに介護してきた現実にタカが外れ憎悪するかもしれない。人の自制心には限界があると思う。アーサーにも当初は自制心があったはずだけど、人からバカにされ冷たくされ貶められていくうち、その自制心が底をついて人格が壊れていく葛藤…。子供の頃から人を笑顔でハッピーにしたい…そう思って生きてきた純粋な心は、人から愛されず罵られ、存在すらも認められず生きてきた事で、何度ももがき苦しみいつしか病んでいき、やりどころのない痛みが決壊したように溢れ壊れていく。アーサーは世の中の代表のような存在で、誰にでも起こり得ることだと思う。危機感はあったのに援助も受けられなくなりどうしようもなくなった。もう自ら止められない。したことは非道でもそれはもはや心の損傷。ピエロは同じ境遇の庶民の心の叫びに共鳴した。アーサーの我慢しても出てしまう笑いは脳が損傷する程我慢し病んだ行き場のない悲しい心の叫びと悲鳴。かすかに残る心の葛藤がピエロで作り込んだ深い悲しみの笑顔と重なるところが見事な見所だった。
自分の身近な人にも病んでしまった人はいるし現実にギリギリで精神を保ってる人や予備軍、罹患者はたくさんいると思う。余裕のない世の中は荒んでいくだろうし、それがラストの富裕層殺害に繋がった負の連鎖だと思う。
ジョーカーの最後のセリフ「ちょっとねジョークを思いついて。君には理解できないさ」の言葉の意味は様々取れるが、心はあくまで純粋に、まともに生きてきた人間には分からない自分に起こった悲劇を喜劇と表現し、自分はコメディアンでいたいんだという葛藤の中の精神を最後まで崩さなかった唯一の証だとも思え、バカバカしい世の中を揶揄した発言とも取れる。
笑いにはいつも涙が滲み、アーサーの心からの笑顔はこの現実には無く、いつも妄想の中だけにあった。
現実ももっと人を尊重する世の中になって欲しいと思う。でなければ現実にジョーカーは生まれては繰り返し、いつか自分に返ってくる負の連鎖になる事をもっと人は自覚すべきだと思う。悪はどこから生まれたのか…ジョーカー誕生に重ねた社会派映画だった。
敗者のカリスマ
バッドマンシリーズのジョーカーは、どこか人間離れした超人的なキャラクターでしたが、今作のアーサーは誰よりも感受性が強くて感性の塊みたいな人間だったので、意外と言えば意外でした。ただ、良く考えるとコメディアンという職業は、人よりも感受性が強くないとできないし、ジョーカーも感受性が強くないとあんな人間の闇を突く様な事を思いつくわけがないですよね。
アーサーが何故ジョーカーになったのかは、作品を鑑賞していれば自ずと理解ができると思います。アーサーは実際に殺されてはいませんが、実質は社会に殺されているのと同じです。
今年の夏に京都で無差別殺人がありましたが、日本に限らず世界中でも無差別殺人が沢山起こっています。アーサーも彼らもギリギリのところで自分を保っていたものが、何かのきっかけで爆発してしまった。それは、貧しさからの差別だったり、解雇されたり、馬鹿にされたり、そんな他人からしたら些細な事の積み重ねなのかもしれません。アーサーは特別に凶暴な人間ではなく、どこにでもいる資本主義に飲み込まれた敗者です。
資本主義のお祭騒ぎが終わり、気がつくと世の中はゴッサムシティじゃないか。私には、何の後ろ盾もないし、誰も助けてくれない。災害や不況で私達は簡単に貧困になる。人々は助け合うのではなく、自分より弱き人を押し除ける。アーサーは、ディストピア化した未来の私です。
興味深かったのが、アーサー自ら洗練されたジョーカーに変化していったのではなさそうだということです。周囲が、ジョーカーを奉りカリスマに作り上げていったのです。だって、自分達の代表が情けなくてダサい奴だと、自分も情けなくてダサい奴って事じゃないですか。
仮に観たものの全てがジョーカーのネタだったとしても、私達はこんなにアーサーに熱狂しています。アーサーに共鳴しています。私達は冷酷な強者を求めているのか?敗者のカリスマを求めているのか?
ジョーカーから離れられなくなる作品です。
感想書くだけでネタバレ?
オマージュが強すぎる痛々しいJOKER映画でした。
明らかに賞狙いの作品でしたね。タクシードライバー好きなんですね。それにしてもデ・ニーロも良く出ましたね。
別に化学に強くなくても、頭が切れなくても良いですがじゃあ何処がJOKERなんだ?と振り返っても答えのないモヤモヤっとした映画でした。
ゴッサムシティやアーカム(アサイラムとは言わない忖度)ステイツホスピタル!ウェイン夫妻と息子のブルース、クレジットでビックリまさかのアルフレッド!とか原作の設定を無理やり持って来るとバットマンと対決する頃にはもう初老のオッさんじゃん!別に今時だからギャングの下っ端じゃなくても良いけど…
そして妄想と現実、虐待故に障害を持ったのか?障害があった為に虐待されたのかも良く判らなくなって(どうでも良くなって)ホアキン版「ブラック スワン」というところですか
ダークナイトを見てもジャックニコルソンのバットマン観ても何の予習にもなりませんよ!DCコミックスはマーベル以上に訳がわからないんだから、ただワーナーが作っちゃダメな作品ですね。次回作(と言っていいのか?)「バードオブプレイ」で目の保養でもしたいです。
えっ駄作?
アメコミ系は好んで見るほどのファンというわけでもなく、友人に誘われて行きました。
所々、チャップリン感のあるお洒落な雰囲気があります。
ストーリーですが、これがジョーカーの生い立ちなの??“笑”っていう感じです。
(もちろんこの生い立ちが実話なのだとしたら、死ぬほど同情しますし、当たり前ですが見方は変わります。)
フィクションでありながら、深さのない、捻りのない設定にガックリきました。
そして途中から薄々気が付いてしまうような妄想落ちは最低でした...
終始それっぽく無難な感じで、狂気さが欠ける気がします。
ボンネットの上で立ち上がり、ヒーローとなった瞬間も、安っぽい気がして感情移入できませんでした。
ただ主演の演技はよかったです。笑いすぎなので、喉大丈夫かなって思ってました。
前評判と予告が良かっただけに期待しすぎていたようです。
深い映画だと思わず、アメコミを楽しもう!と言う感覚で見るのがいいかと。
友人が映画を見終えた感想は「泣ける。同情する。」と言うものだったので、人それぞれですね。
ジョーカー?
※まだこの映画を観てない人は読まないで下さい。
アメコミ特有の、作者によって設定が変わるってのを理解した上でも残念でした。
ショッカーの戦闘員の1人の誕生秘話
でもいい。
それくらい、どの悪役の過去の話って事にしても良いと思う。
ただ、ジョーカーでは無い。
掴み所の無い部分を病気という設定で逃げているように思えるし、優しい青年がジョーカーにというのを期待させといて、元々普通では無い。いわゆる悪行が、病気じゃなかったらよかったの?と思わせる始末。
そして最終的にジョーカーにならない。
最後にいるのは馬鹿な市民に担がれた、
ただのピエロマン。
踊らされるピエロ。
ジョーカーは自ら踊り、踊らせる。
しかしながら映像の美しさ、街並み、何より演者さんの力は物凄く、オシャレ感覚で観るには良い映画なのかもしれません。
個人的にはウェイン一家の事件の時に一瞬でもコウモリを絡ませていればこの作品の評価は変わったかも。
あれじゃバットマンは産まれない。
今作の後には、悪のピエロ軍団と、それに挑む1人の正義のピエロマンがいる世界が待っています。
ダークナイトと比べてしまう
あのジョーカーがどのように生まれたかの映画です
基本的にジョーカーのセリフはダークナイトの方が好きです
●良かった点
・作品の緊張感はダークナイトを見たときを思い出しました
・特に殺人のシーンの緊張感・盛り上がりは凄いです
・ブルースウェインとの初接触シーンはバットマンファンにはたまらなかったです
美術・演技は素晴らしく公開前からアカデミー候補は納得です
●イマイチ
・今回のジョーカーはあくまで序章で、ダークナイト程の狂った感じはなかったです
・普通の人がジョーカーになる過程が見たかったですが、今回のジョーカーは最初からある程度異常者な面がありました。なるべき人が一つのキッカケでなった感じです
・エンディングがよくわからない。ここは続編でキッチリ解決してほしいです。
●総括して、非常に良かったです。ぜひ続編で真のジョーカーになる姿が見たいです
ただの正直者の物語
見終わった直後に書いてます。
めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃしんどい映画でした。
吐き気を催して立っていられなくなり、街のベンチに座りながら書いてます。
アーサーは何をすれば幸せになれたのかが全く分かりません。
今の自分は収入が少なく、会社の存続も危うい状態で街を歩くきらびやかな装飾を持つ人達に嫉妬や一方的な憎悪を持つことがあります。
そういった人間ですので映画に描かれるアーサーと自分がダブってしまい、あまりの救いのなさに「自分もそうなってしまうのではないか」と考えてしまい、吐き気を催して、立っていられなくなっています。
アーサーは一体どのポイントで何を選択すれば幸せになれたのか全く分かりません。
看板を奪われた少年達を追いかけなければ。
同僚から銃を貰うことを拒否すれば。
地下鉄で怒りに任せて銃を撃たなければ。
母親の手紙を見なければ。
自分の父に会いに行くためにオペラ会場に乗り込まなければ。
色々な選択肢があったはずで、そこで別の行動を取れたかもしれないけれどアーサーは必ず社会に溶け込めず、夢も叶えれなくなった予感がします。
結局、アーサーは自分の人生や現状、全てに対して絶望の中で狂いジョーカーとして生まれ変わります。
他の人はそんな事は思わないでしょうが、無職になり、恋も幻想で、母を失い、友人も殺し、全てを失って赤いタキシードを来てピエロのメイクを施してテレビ局に向かう姿は「幸せ」そのものに見えました。
この世界の中で自分を受け入れてくれる場所はなく、真っ当な努力をして、夢を叶えることもできず「普通」になれないアーサーがイカれるのは至極当然のことで、全てを諦めることを受け入れた瞬間のジョーカーはとても幸せそうでした。
この物語は悲劇でもありますし喜劇でもあります。
僕らが生きているこの世界も真面目な人間ほど「狂う」ようになってます。
日本は日に日に生きにくくなっていき、仕事も収入も減るが税金だけが上がっていき、普通に生きることが出来なくなっています。
人生は学生生活からの椅子取りゲームで、その椅子取りゲームに早々に座れなくなった人間はどんなに努力しても夢を叶えることが出来ず、細々と不安の中暮らしています。
引きこもりやニートだけではなく、社会人の中にも普通になれず苦しんでいる人間がいます。
映画の中ではアーサーが特別に狂ったかと思う人もいるでしょうが、彼は誰よりも真面目で自分の夢に向かって生きようとした「普通の人間」です。
あなたの周りにも必ずジョーカーが居て、これから世界中でジョーカーが生まれてきてしまう。
皆イカれて笑い出すのではないか。
そんな予感がして吐き気が止まらなくなる最高の映画でした。
善き生き方を貫くには理由が必要
なぜ主人公のアーサーが"ジョーカー"になったのかをめちゃくちゃ強く伝えてくるストーリーでした。
自らの人生を善く生きる理由となっていた、
・コメディアンになる夢
・母親への愛情
・女性への恋心...etc
これらに裏切られたことで、言葉にできない苦痛を振り払うように全てを捨て去っていく様は本当に悲劇的であり、無理やりにでも人生を「喜劇」にしようとする様は、観ていて心が痛くなりました...
善く生きるには、「前向きな志」であったり「思いやり」を自分が持つだけでなく、他者からも感謝の気持ちをもらえるような環境が大切なんだなとつくづく感じる作品でしたね。
ただ、あまりに振り払い方が苛烈だったのでそこは共感できず、良い部分も十分あったものの観た後は悲しい気持ちが強く残ったため、☆3.5で...
自分は見た後に爽快感だったり温かい気持ちを持つ作品が好きだからやや低くしてますが、強いメッセージを感じる作品なのは確かです!じっくりと物思いにふけりながら楽しめる作品が好きならば、おすすめです!!!
そこを起源とするならただの差別助長
母子それぞれの妄想だった、と捉えてよいのだろう、だとするとジョーカー誕生は単なる「病」から真っ直ぐに生じる個人と社会の不幸の連鎖であり、同種の患者に対する単なる差別偏見映画ではなかろうか。人を殺すのも早すぎて、とても貧困などの境遇にそのルーツを求められず。恋愛やトーマスウェインの悪行くらい、現実にしとけば良かったのに。そして拳銃は実際にもらっている(多分)。そこをこそ、妄想にしとけよ。
母の不幸、ウェイン家への憎しみと憧れ、たまさか手に入れた(盗んだ)拳銃、度重なる差別と暴力、ほんの少しの反撃、愛する母、彼女との死別(できればウェイン家に起因)、そんなものが重なってのジョーカー誕生!なら、
構成は月並みかもしれないが、惹き込まれはしたと思う。
もっと哀しい物語かと思っていたら、同情、共感はほとんど生まれず、単なる不快な映画。
ただし、それが狙いとするならば、作りとしてはよくできているし、ジョーカーのヘンテコな走り方、看板盗まれ追っかける時に滑って転ぶアクション?、ジョーカー覚醒?後の階段ステップあたりはホアキン見事に怪演。映像も見事。
ただ、ストーリーそのものにはやはり、全く共感できない。
世界は彼に優しくない
彼に対して世界がもう少しでも優しければ、ジョーカーは生まれなかったんじゃないかなぁと思わせられる作品。
弦楽器の音楽が精神状態を現しているようで、落ち着いているときの低い幅のあるリズムから今にも切れそうな細い細いピアノ線の上を綱渡りしているような高く細い音にドキドキさせられました。
鬼気迫るジョーカーに圧倒される
バッドマンの登場キャラクターと知らず、単独の作品として鑑賞しました。いまいち画面が信用ならない(妄想要素が入ると信じられなくなる)ため混乱していますが、合わせて観ると解釈が変わるのかもしれませんね。
元からどこか危うそうなアーサーに、次から次に災難が降りかかり、ついには全てどうでもよくなって狂人ジョーカーになるまでの過程が非常にリアルでした。
中盤よりアーサーの生い立ちが徐々に明らかになります。彼の世界が崩壊するにつれ、観ているこちら側も画面が信じられなくなっていきます。どこからが妄想なのだろうか??
結局彼は最初から病院にいて、カウンセラーの目の前で妄想しているのか?そして血の足跡…(カウンセラーは無事なのでしょうか)。
ジョーカーの狂気に大衆が扇動されて暴動化するシーンも非常にリアルで考えさせられました。あのような行動は結局イライラをぶつけたいだけで状況の解決に繋がっているのか?甚だ疑問に思いました…文明が衰退した世界はああなのだろうか…
広げすぎました。とにかく完成度の高い秀逸な作品だと思いました(偉そうな言い方^^;ご容赦ください)
ジョーカー として振り切れてない、、
冒頭から可哀想な境遇のおじさんから、どんどんおかしくなって妄想に取り憑かれるんだけど(そもそも冒頭から妄想なのかもしれないが)進むにつれてジョーカー っぽさがなんとなく出てきて、最後のテレビショーでジョーカー らしさが爆発してはっちゃけるかと思いきや語りだして終わりだし、ジョーカー としての狂気というものが感じられなかった。本来ジョーカー のもつ魅力として、純粋に楽しみながら凶悪犯罪を起こす、自分の娯楽として犯罪を起こすのが愉快犯であるジョーカー ではないだろうか。ジョーカー になる過程は二の次でジョーカー の身なりになったらジョーカー らしさを存分に出してほしかった。
次回作ありきでこれを作って、次回作はジョーカー の本領発揮するんで掴みでこの作品!っていうならなっとくする。(次回作は考えてないらしいが)
誰の心にも彼がいる
ジョーカー・シリーズ第1作。
第79回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作。
IMAXで鑑賞(字幕)。
原作コミックは未読。
とてつもない痛み。迫り来る狂騒。…
「人生は喜劇だ!」とうそぶき、笑いの仮面を被った平凡な男は、狂気に満ちた悪のカリスマへと変貌を遂げていく。
ひとりの男が悪に堕ちる様をリアリティーたっぷりに描き、アメコミ映画の枠に留まらない圧巻の人間ドラマであった。
喉元にナイフを突きつけるかのように、現代社会の病巣を鋭く抉っている。今の時代は何かと窮屈で生き辛い。社会不安はそのまま人々の不安となって世情が乱れていく。
アーサー・フレックが直面する出来事は誰にでも降り掛かって来る可能性のあるものばかりではないかなと思った。
社会の暗黒面がこれでもかとアーサーを追い詰める。拠り所だった母親にも裏切られ、絶望した心に醸成される狂気。
やがて、常に口許に笑みを湛えた悪のピエロが誕生することに。階段を踊りながら降りるシーンがとても神々しかった。
彼を狂わせた不条理な社会は現実とも陸続きで、だからこそ身に摘まされたり、心を痛めたりすることが出来る。
ふとした瞬間、彼の痛みに共感してしまう。つまり私の中にもジョーカーの因子が潜んでいるのだとハッとさせられた。
ホアキン・フェニックスの渾身の演技に魅せられた。とにかく役づくりの徹底がすごい。あの痩せ具合と言ったらない。
絶望と狂気の淵に立ち、悪へ変貌していく男を文字通り鬼気迫る熱演で表現していて、終始鳥肌が立ちっぱなしだった。
ピエロのメイクに隠された闇は底無しで、彼をつくり上げた事柄の罪のなんと重いことか。それがひしひしと伝わる名演である。血を塗り広げて笑みをつくる場面がヤバい。
観る者に全てを委ね、「おいおい、マジか、まさかの…?」などんでん返しを彷彿とさせるラストシーンも秀逸だった。夢であれ現であれ、彼の狂気の舞踏は果てしなく続く。
[追記(2020/02/10)]
アカデミー賞主演男優賞受賞。おめでとうございます。
この受賞は言わずもがな。彼以外に誰が獲る!?(笑)。
※修正(2024/10/19)
窮鼠
えらい力のいれようだ。
これほどまでに妥協を許さない作品を観た事がない。ホアキンしかり、音楽しかり、編集、アングル…これほどまでにストイックに作品と向き合えるものなのだろうか?
一切の無駄を感じない。
どんな大作であろうと、作品のどこかに監督や俳優のエゴやマスターベーションを嗅ぎ取ったりするわけなのだが、本作にはそれがない。少なくとも俺は感じなかった。
このスタッフとキャストは、一体何と戦ってきたのだろうか?
まるで、真剣の切っ先を喉元に突きつけられていて、その切っ先から目が離せないような…強制的に視線と集中力をもってかれる。
物語はジョーカーの成り立ちなわけなのだが、そこに至るまでのなんと分厚い設定なのか。
たかだかアメコミのキャラにここまでの背景が必要なのかと首を傾げる。
もう挙げるのも面倒なくらい大量のメッセージが投入されてて、それらが見事なまでに流れて繋がっていく。
この脚本家はホントに天才だと思う。
突如笑い出す病気って何?
アレは原作の設定?それとも本作のオリジナル?その病気がもたらす弊害と疎外感。
その特異な病は虐待されていた子供時代に受けた後遺症なのだとか。
その虐待の元凶となる母親の妄想癖。その妄想癖に毒されている自分。精神の破綻を告げる現実逃避の第一歩。
手に入れた愛情が、全て自分の妄想だと分かった時の表情…アレは人のものなのか?ミイラでももっと生気を感じるぞ?
貧しさと孤独と絶望と、それらの描写が漫画っていうカテゴリーから逸脱しまくってる!
超社会派な仕上がりなのだ。
それでいて、しっかりバットマンの枠組みに帰結させる展開などは鳥肌ものなのである。
ウェイン家がジョーカーを生み出し、そのジョーカーがバットマンを生み出す。
そんな複雑な因縁、漫画にいるか!?
拍手喝采、全身の毛が総毛立つわ!
アメリカで問題になるのは銃のくだりなのではないだろうか?
社会的弱者が、それでも正しく生きようと努力していた人間が、指先一本で狂気に染まる。
生放送の番組で、街角の街頭インタビューで、ジョーカーを模倣するものが現れる。
その引鉄が「銃」なのだ。
だが、そんな事を危惧せねばならない程に現代社会は病んでいるという事の裏返しではないのだろうか?
ジョーカー自体は扇動者ではない。
この社会に虐げられている者の1人だ。
自らを卑下して生きている人間の1人だ。
先導もしなければ提唱もしない。
担ぎ上げられた偶像なのである。
社会が生み出した狂気という立ち位置に、十分すぎる説得力があった。
今までのジョーカーは狂気の側面だけがピックアップされてたが、その本質に目を向けると、結局は自分の中にもある狂気に目を向ける事にもなる。道徳心や法という枷があるから実行はしないものの、一度スイッチが切り替わればやってしまうんじゃないだろうかと思う。
そんなあり得ないリアリティをこの作品は感じさせる。偏にホアキンの役作りの賜物であり、一切の無駄を感じない。
何一つ澱む事がない。
奇妙な走り方も作り上げ、ストイックに突き詰めたのでなかろうか?適当に踊っているようなダンスにも、何故か必然を感じる。
それはアングルにも思う事で、まるで映画の神様が撮らせてくれたのかと思うようなカットの目白押しなのである。
印象派の画家がカメラを回したのかと思う程、その切り取られた絵は絵画的であり、崇高で神聖なもののようにも見える。
アレを一発で据えたとしたなら、あのカメラマンは神か悪魔のどっちかだ。天才って言葉すら陳腐に感じる。
大作と言われる映画を数々観てはきたが、それらが遠い過去のようにも思う。
流れるDNAが違うというか…抜本的なものから変革された一編のように感じる。
アメコミのキャラなのだけど…彼を通して雄弁に語られるメッセージは辛辣であった。
これは人がもつ闇の話ではない。
むしろ、人は本質的に闇をかかえており、安易に産み出される感情の一例に過ぎないのだ。
環境や境遇、立場が変われば、その瞬間からカウントダウンされる時限爆弾のようなものだ。
それにつけても、本作のジョーカーは見事だった…大輪の華のようでもあるし、それが開花した時の儚さというか危うさというか…主演ホアキン・フェニックスはとてつもない偉業を成し遂げたと思える。
クランクアップした瞬間、彼は憑物が落ちたかのように放心したのではなかろうか?
幾日も幾晩もジョーカーの重圧に悩まされてたのではなかろうか?
解放されて、生きた心地を取り戻したのではなかろうか?
そんな妄想を抱く程、彼の演技は神懸かっていた。
映画の原点であり、現段階の最高到達点のようでもある作品だった。
すげえモノを観た。
くっら、まじくっら
それ以外感想無いくらい暗い。
暗すぎる。
え?こんなくらいはなし?
これ、監督病んでる?
おもいからの重い重い重い。
うあー、ほあきん。体型やばい。それも病んでる。
ホアキンが日本で、しられるようになったのって、サインだよね?
私からは、世界のイケメン永遠のイケメンリヴァーの弟が映画復帰、しかも意外と大作、な、の、に
ホアキン。イケメンからかけ離れ。失格。
と言う、印象しかない。でも、フェニックス家の子で美形じゃないって、きっと苦労したんだろうな。
イケメンじゃないから嫌いとか言ってごめんよほあきん。
でも、イケメンではないんだよね。
リヴァーの弟なのにどんまい。
でも、暗くて暗くて暗くてうわー。
ダークな演技上手いよね。
ジョーカー、精神的に疲れた。
興味持ったから、バットマン観よー!
苦痛の時間
人を不快にする笑いがあることを知る映画でした。
ホアキンの演技力は圧倒的で、突然笑いだす脳の病気とやらは、笑っているのにまるで楽しそうでなく、ピエロがそうであるように、泣いているのかと思わせる笑い方で、不気味さと怖さをよく表していた。
結局のところ彼の病気は、先天性のもの(母親からの遺伝)に加えて、子供の頃に受けた虐待による外傷も影響しているということなのだろうと個人的に解釈した。
現に虐待で脳に損傷を受ける子供は沢山いる。
ジョーカーらしいかどうかを評しているレビューがあったが、そんな主観に興味はない。
いつもどこででも、ジョーカー即ちモンスターは生まれるのだ。
持ち合わせたものに、環境や不運が重なり、それは変異する。
痛快劇でもあるのに不気味な作風のバットマンに繋がる、非常に良くできた作品だと思う。
しかし、観ている間中、とても苦痛だった。
悪意に満ちた救いのない地獄
ただみんなを喜ばせたい、笑顔にしたい。
そんな純粋でやさしい一人の男が、
馬鹿にされ、さらされ、笑われる。
子供も大人もみんなそろって、マジョリティだけが正しい、偉大だと思い、
マイノリティを迫害する。
暗く悲しい物語の中で、女手一人で育ててくれた母、
同じアパートに住む恋人のシングルマザーだけは
アーサーを愛してくれる存在かと思っていたのに、
実は母とは血縁関係になく、過去ひどい虐待を受けていた。
そして恋人は、アーサーの妄想に過ぎなかった。
すべてを失い孤独になったアーサーは、社会への復讐をする、
冷血で恐ろしいサイコパスになってしまう。
ひたすらにずっと暗いが、
物語構成、映像、演技、そして最後の階段でのダンスシーンは圧巻だった。
劇場で見てよかったが、しばらく重いものが心に残った。
ダークナイトシリーズは全てジョーカーのジョーク
知能障害、虐待により記憶障害と精神障害を抱え、妄想癖がある為記憶が常に曖昧である。
彼は精神病院に入院している。
(冒頭に病院にいた事は話してるが、一連の話からすると病院から出ているとも思えない。)
テレビが好きで、良くその真似事をする。
幼い頃受けた記憶が閉ざされているが、潜在的に母親を殺したいとずっと思っていた。
(母親の座る位置のソファに銃口を向け発砲している)
映画を見る上で、最低限それを頭においてみてないと、他のレビューの人のようにただのおっさんが闇堕ちしてあのダークナイトのジョーカーになったの?あれが悪のカリスマ?全然繋がらない!別人じゃない?とかいう感想になってしまうのだと思う。
繋がらないのもそのはず
闇堕ちしてあの、ダークナイトのジョーカーが生まれたわけじゃないから。
ジョーカーの映画はどこまでが現実か妄想かが分からない虚ろな世界観を描いているが、そもそも彼のいる世界が本物で、ダークナイトシリーズその物が彼が作った妄想の世界だから、ダークナイトのジョーカーは彼の頭の中にしかいない。
だからあの世界には
もちろんバットマンもいない。
善良な優しい金持ちもいない。
善良な市民もいない。
あのゴッサムシティもない。
ジョーカーなどという人間もいない。
アーサーのした殺人は母親としいて同僚だけかなとおもう。
(ピエロじゃない状態、銃以外で殺してるから。)
それ以外の一連の殺人は妄想や、別のピエロがやったものではないかな。
とにかく始終妄想が多いので、妄想かもと思って見てないと現実とか区別つかなくなる。
良く精神異常の犯罪者の人がいう現実かなんなのか分からなくなっていうその感覚が映画になってるみたいな気がする。
映画内に出てくる市長、拳銃で撃たれた金持ち親子が彼の妄想が生み出す後のバットマンで、あの街がゴッサムシティのモデルなんだなとおもうが、あれは彼が事故にあって横たわってる間の話なのでそのシーンはアーサーからは見えてないことなので、つまりそこすらも彼の全部妄想かあるいはテレビで見てそこからの妄想のなのかな?
最後に彼は精神病院でジョークを思いついたといって、それを言っても理解出来ないといっているが、あれはあのカウンセラーに言った言葉じゃなく、映画を見てる観客に言っているのだと感じた。
カウンセラーは結局自分事にならないと当事者の気持ちなんて分からない人、分かった気でいる人、傍観者の立ち位置として描かれてて、まさに映画をみに来た人にむけてあなたはこのジョーカーの映画を、ダークナイトシリーズを理解出来ない人だよと言ってるみたいな。
自分も含め、分かった気でいる、分かってない、分かろうともしない、っていうのがレビューを見てもわかる通りそれを物語ってるというか。
ダークナイトシリーズは人の裏が描かれてて、善良な市民すら簡単に悪になれるし、正義すらそれは可能だと皮肉ったとこがあるが、皮肉った映画らしいセリフだなと。
ジョークのオチは?ってセリフがあったが、あれもダークナイトシリーズ(バットマン)自体と、「ジョーカーのジョーク」ってのがそれかなぁ?
じゃないとホントにオチがつかないし。
今回のジョーカーに出てくるものはダークナイトででてくるし、この監督が作った他の作品の物が出てくるのがああ、妄想の元はこれかってなった。他にもあるのかもしれないけど
銀行強盗=アパートの女の人の仕事場
金(お金が無い)
ピエロの面を被った手下=暴動のピエロ達
爆破した病院=母親の精神病院
たった1人の善良な人(囚人)=小人症の彼
お金持ち
執事
理不尽な雇い主=悪のカリスマジョーカー
親が殺された子供=バットマン
地下鉄=モノレール
車=バットマンモービル
拳銃
タイムカード
ダークナイトのジョーカーのイカれてる部分や、辻褄が合わないのも、アーサーは知的障害があるから、高等な事は理解が出来ないことがジョーカーの中でえがかれていたが、妄想部分のダークナイトの矛盾はこの部分があるせいなんだ伏線?が回収された感じ。
ダークナイト冒頭で銀行を襲ったのはお金が欲しいからのはずなのに、マフィアの金を山積みにして燃やしたり。
手下をあんなふうに殺してたら、誰もついてこないのになぜか手下になるやつがいたり。
金持ちが貧しい人の為に利益や知名度を考えず善意だけで何かをする世界だったり
そんな矛盾点はこれを見ることでああ。なるほどとなんか納得した。
全399件中、121~140件目を表示