ジョーカーのレビュー・感想・評価
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最後に何故か清々しく
ジョーカーはバットマンの悪役という程度の情報で、評判の良い本作を鑑賞しました。
ホアキンフェニックスの演技にやられました。殺人は、悪い事なのに、感情移入しまくり、気付いたらアーサーを応援していました。地下鉄のヤッピー達がホント嫌味で、そんな奴ら撃っちゃえ!と←オイオイ。
アーサーが闇落ちするのは、哀しいはずなのに、最後には何故か凄いカタルシス。
観賞直後は良かった、んだが
そのあとに「パラサイト」や「屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ」等を見たら、めちゃくちゃ上品な作品に思えてしまった。
ジョーカーとして覚醒した後、世間は彼をヒーローかのように担ぎ上げて拍手喝采、だが
「パラサイト」「屋根裏の〜」はそれに比べてどうだ。
特に「屋根裏の〜」は事実に基いた話であり
こんなにも救いがないなんて。
現実はもっとつらい。
上記2作品に比べると、「ジョーカー」は前向きで希望の持てる作品にすら感じてくる。
単純にテンポが悪い
大体のシーンが無駄な尺が多く、30分ぐらい短くできると思われる。
始めの笑い病の所もなげぇなぁ。とその段階から見に来た事を後悔し始める
作中で全ての原因となった、会社の同僚が何故銃をあげたかと、銃を保育園?に持って行ったかが不明、会社の責任者も何故持っていったんだ?と聞いて、いえピエロとしての仕事道具と答えていたが、いらんでしょ、と責任者に言われクビになる。まったくその通りだと思った。
銃でむかつくやつを殺しまくる所は爽快、血で口紅するぐらいかなぁ、見所は。
全てのシーンが主人公の妄想の可能性があるが、どうなのかは明かされず、
脚本執筆時に意図していた“真実”をいずれ明かすという監督、いずれなので、いつかは不明、解釈は視聴者におまかせします。
うーん、倍速でレンタルで良いと思います。
謎がいっぱい。
バットマンの宿敵、ジョーカーの過去を描く。
なによりも驚きなのは、あの「ハングオーバー」のトッド・フィリップスが本作を手がけていることだ。そのことにずっと気をとられていた。
アーサー(ホアキン・フェニックス)がジョーカーになってしまう過程が緻密に描かれている。
コメディアンになりたかったアーサー。ピエロの扮装をしてサンドイッチマンの仕事をこなす。
カウンセリングを受けながら。
・・・・・
すべてがアーサーの妄想だとする説がある。
同じマンションの彼女の件りは妄想だとはっきり示されるが、ことによるとマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)もアーサーの創作かもしれない・・・。
ホアキン・フェニックスの怪演と謎が散りばめられている脚本で、リピーターが続出しそうな感じ。日本での大ヒットは必然か。
DCコミックスの映画化で、オスカー戦線に登場できるか、楽しみなところである。
思ったより全然良かった
あまり期待していなかったが、友人に誘われたので映画館で鑑賞。
観終わった後の満足感は十分あって、映画館向きの作品だった。
段々と一人の男が狂っていく様を描いているのだが、構成としてはそこまで複雑ではなく、しかし一つ一つのシーンで目が離せないような魅せ方があった。
カメラの構造的には寄りで背景がボケボケというようなショットが多く、通常であったら疲れてしまいそうなところだが、むしろ「最初から最後まで緊張感持って見ろよ!」っと挑発されているような気がして、世界にのめり込むことができた。
特に良かったと思うところは、狂った男「ジョーカー」の話ではあるのだが、もちろん最初は(ちょっと変わっているが)普通の男で、それがなぜ狂っていくかの過程が突飛なものではなかったというところ。
銃を取得する所は日本では現実離れしているが、その他のジョーカーがジョーカーなりうる要因たちはどれも共感することが出来るようなもので、その一つ一つが私達の日常の中に潜んでいると思うと恐ろしくなった。いつ、なんの言葉が他者を傷つけるか分からない。しかしそれを防ぐことが出来るのも人との関わりで、寄り添い話を聞いてくれる人(味方)が周りにいることが大切だと思った。
映画として素晴らしい
映画として、演出、脚本、演技、ストーリー全てが素晴らしい出来でした。
個人的には賛否両論というより、映画としてのクオリティが高いから多くの人に見られていると思っています。
今回の場合、なんでもありのスーパーマンが世界を救う、現実では経験しづらい遠い夢物語よりも、ふとした瞬間に障害で「笑ってしまう」主人公が、なんとかできることをやってみたのに、全然うまく行かない。誰も救えないし、誰も嘲笑わせることもできない。そうしたストーリー設定がガッツリ、多くの人にぶっ刺さったのではないかと思います。もちろん、脚本、映画撮影手法、演技力もそれまでの王道映画よりもクオリティが高かったのは言うまでもありません。
普通になりたい、普通に生きていたい
そうした葛藤が描かれているところは共感を呼んだ部分でもあったのではないでしょうか。
彼が唯一殺さなかった「君だけが僕に優しかった」といっていた友人のように、多くの多様性に寛容であればジョーカーにならなかった「ストーリー」も存在したのかなど想像が膨らむ魅力的なシーンが沢山散りばめられていたように思います。
一方で、観覧者に危険な行動を扇動するようにも捉えられなくはない部分も存在するとは思います。しかし、よく考察を重ねると、全てがエンターテイメントとして出来が良いことにも気づくのではないでしょうか。
どちらかというと全国公開より一部のシアター向けのような印象もあり、そうした会場で見ていればさらに何か本当に味わうべきものがあったようにも感じました。
もしも自分が…
怖かった。ホラーとかそういう怖さではない。
誰にでも辛いこと苦しいことはある。些細なことなら乗り切れるが、ごく稀にそれが積み重なり嫌になることがある。だが、家族、恋人、あるいは友人が救ってくれる。
ただ彼は違う。友人に裏切られ、恋人に裏切られる(現実なのかはわからない)。そして最後には家族にも。
そんなこと耐えられるわけがない。
アーサーという優しい1人の人間が転落する物語のように見えるが、それは違う。
これはアーサーの成長と成功の物語だ。
「この人生以上に硬貨(高価)な死を」
この言葉の通りアーサーは高価な死を(生物としてではく人間として)手に入れることが出来たと、目的を達成できたと考える。
音楽も演技もとても惹き付けられた。
隣の女性は終盤顔を覆うことが多かったし途中で女子高生は退出していた。
適当な気持ちで見るとただ辛いだけで終わってしまうと思う。
世界のどこかでJOKERの種は芽生えようとしているかもしれない。そう思った。知らない誰かかも、日本人かも、友人かも、家族かも、私かも…。それが、怖い。
悪の天才ジョーカーの誕生譚
バットマンに登場するジョーカーは、アメコミ史上最も人気のあるヴィラン(悪役)といっても過言ではない。そんなジョーカーがいかにして生まれ、悪に染まっていったのか。それが描かれた映画になります。
コメディアンを夢見てピエロの扮装で人々を楽しませる仕事をしていた主人公アーサー。周りの人を笑顔にしたいという理想とは対照的に、彼の人生は暗かった。体の弱い老いた母親と二人暮らし。自身も精神的な障害で突然笑いが止まらなくなるという発作が起こるため市の運営する精神カウンセリングを受けていた。
心やさしい男であったはずのアーサーだが、紆余曲折あって三人の男を殺害してしまう。
ゴッサムシティで貧富の差が拡大して貧困層が富裕層に敵対心を持っていたことや、殺害した男たちが一流証券会社に勤める上流階級の人間であったことなどが理由で、貧困層の人間の中でピエロ(アーサー)がカリスマ的人気を得るようになり……というのが本作の概要。
鑑賞前から「賛否両論ある作品」ということが言われていましたが、本当にその通り。これは観る人によっては殺人犯を肯定的に捉えているようにも見えるかもしれません。「ジョーカーを貧困や暴力に追い詰められて人を殺めてしまった男として描かれている」というレビューも実際見ました。
ただ、私にはそうは見えませんでした。ジョーカーは「元より犯罪者としての欲求と才能を持つ男」に描かれているように感じました。私から見たジョーカーは、「母親からの呪縛によりコメディアンを夢見る男の皮を被って生活していたが、母親を殺害することで呪縛から解き放たれた犯罪のカリスマ」です。ジョーカーの人格や才能はそもそも生まれつきだったように見えました。
また、単純な殺人犯ではなく、自分の犯罪にある種の美学のようなものを持っている描写もありました。元同僚の小人症の男を殺さずに逃がした場面が特にそうです。アーサーの台詞、「君は私の悪口を言わなかった(だから殺さない)」というのは「ジョーカーには殺す殺さないの基準が存在する」という意味で、つまりは「誰かれ構わず殺すわけではない」ということです。
日本でも過去に「津山事件」という大量殺人事件が起こりましたが、犯人の都井は全く同じ理由で村人を殺さずに逃がしたというエピソードがあります。
単なる「快楽殺人者」ではなく「犯罪のカリスマ」としてのジョーカーが丁寧に描かれており、個人的にもこの描写は高評価です。
この映画は観る人によって評価が大きく異なる映画です。大絶賛する人も多い一方で、酷評する人もかなりいらっしゃるように感じます。登場人物の心情が言葉ではなく演出で表現されるため、受け取り手によって感じるイメージが大きく異なります。自分はどう感じたのか、鑑賞した人たちが各々の意見を語り合うのが非常に楽しい作品です。多くの人に観てほしい、そんな素晴らしい作品でした。オススメです。
きのう新宿TOHOで観たけど、内気で孤独な精神疾患患者が空想するお...
きのう新宿TOHOで観たけど、内気で孤独な精神疾患患者が空想するお話し。
根暗な生徒って、自宅で学年1の人気者の空想でもしてんだろーなって感じ。
ラストの血の足跡は、暗に今後空想を実行しちゃうかもよ?って暗示なだけ。
テンポ遅くて、10分に1分のペースでウトウトしてたから何ともいえないけど。
この作品は映画向きじゃない。短編TVドラマ集の1話の15分で収まるレベル。
大きなスクリーンだと完全体のJOKERが普通のピエロって感じでダサかった笑
電車で3人に絡まれるシーン…殴られるまでが現実で、その後の反撃は空想。
JOKERに感情輸入というか…誰しも日常で『あるある!』ネタみたいなレベル。
上司に怒られてる最中に、同時に上司をギャフンと言わせる空想してる的な!
ジェスターと死神
持たざる者の怒り、隣人の無関心、社会の不寛容……。鬱屈とした現代社会を読み解く上で重要なヒントが描かれている映画だと感じた。
ジョーカーはニコルソン版のように殺人すらもジョークにしてしまう恐ろしさ、ヒース版のように出自や過去が明らかでない純粋な悪として描かれるキャラクターであり、本作はその誕生譚だという認識で鑑賞したのだが、良い意味でそのイメージは裏切られた。この作品で誕生した「ジョーカー」は、『バットマン』におけるキャラクターとしてのジョーカーではないと感じたからだ。
本作のアーサーが殺人を犯す動機は明確である。不当な暴力に対する過剰防衛、自分を陥れたものへの復讐が彼を殺人へと向かわせるものであり、自分を不当に扱わなかった同僚を見逃すなど、アーサーは自身の中でしっかりと線引きをしている。鑑賞直後は、このアーサーと今までのジョーカー像が結びつかず、ラストシーンに若干唐突さを感じてしまっていた。このレビューの中にも「バットマンのジョーカー」でこの作品を描く必要がないと指摘している方もいたが、私も同意見だった。アーサーの悪行を見ても、この後行うであろうジョーカーの悪行よりかは、ある意味理解出来てしまうのだ。
しかし、この映画はやはりジョーカーの誕生譚であると思い直すようになった。作中の「善悪は主観である」というアーサーの言葉がジョーカーのキャラクターとしての本質を鋭く指摘した表現である。ジョーカーはこの世の「悪」を象徴した存在であり、彼は「悪」を行うことで、我々の「善」を揺さぶる存在なのだ。本作で善を語る者=マレーの偽善をアーサーは指摘する。マレーを射殺したのは自信を嘲笑されたことへの復讐かもしれないが、それはあくまでも、自分の周りを圧倒的に支配する、「善人」によって構成された社会への明確なアンチテーゼである。ジョーカーの悪行はあくまでも手段でしかない。ジョーカーは「善」「倫理」「人間性」という、不確かだが多くの人々が信じているものを否定しているのだ。「お前が『善』と思っているものは、『真の善』ではなく、ただの『主観の善(偽善)』ではないのか?お前は『善人』なのか?ただの『偽善者』じゃないのか?」本作のアーサー=ジョーカーはこう私に投げかけてくるように感じた。
トランプのジョーカーに描かれているのは宮廷道化師、ジェスターと呼ばれる人物だ。ジェスターは王、為政者を批判するために王宮に召抱えられたものである。王とは自身の人生を歩むことのできる者であり、封建制度が崩壊した現在を生きる我々は自由に自己を表現できる「王」である。現代社会には、傍若無人な「暴君」が多く存在するように感じる。そんな中で、我々はは「名君」として、他者と寄り添い、より良い社会を作りたいと願ってやまない。そんな我々に「善とはなにか?」「人とは何か?」と、ジョーカーは常に問いかけている。
うーん、
主演の方の演技は素晴らしいけどストーリー的には微妙かな
過去のジョーカー作品を知ってるからなんとなく話合わせる事出来るけどバットマンシリーズを観てない方々からすればただの不運で上手くいかないおっさんが犯罪に走るだけの感じだし最後は妄想オチみたいな感じだし
ダークナイト観た人とかも微妙なのは分かる気します。
あのおっさんが後にバットマンと戦う姿なんて想像も出来ません
なんか題材がジョーカーだから注目されてファンも高評価にしてる様に感じます。
ジョーカーじゃなかったらこんなに高評価もなかったのでは
すべては夢?
冒頭、アーサーが痛め付けられるシーンから作品に引き込まれ、アーサーがいかにしてジョーカーになるかと考えながら観ることになる。行政の福祉サービス、職場、恋人、母といった、アーサーと社会を繋ぐものがすべて消え去った時、アーサーはジョーカーとして覚醒する、というあらすじなのかと思わされる。しかし、恋人の家に乗り込むシーンで、今までの描写はアーサーの想像かもしれないことが示唆され、ラストシーンに繋がる。どこまでがジョーカーの想いなのか、どこまでが事実か疑問を抱かせながらエンドロールは終了する。
これから何度観ても、ジョーカーに振り回されるに違いない映画。
彼は何処から来たのか 彼は何者か 彼は何処へ行くのか
ヒーロー? ダークヒーロー? アンチヒーロー?
ビジランテ? 革命家? 先導者、 または煽動者?
神か悪魔か? 堕ちた天使か?
やっぱり、…ヴィランなのか?
あなたはジョーカーを何者だと位置付けて
今回、本作をご覧になられましたか?
感情移入 してしまうほど悲哀に満ちた、悲劇の主人公?
感情移入を許さないほど非道に嘲ける、喜劇の主人公?
また、シリーズ過去作と比較したり
皆さんがすでに抱いている“ジョーカー像”と重ねてみて
「こんなのジョーカーじゃない!」
「ダークナイト最高!ヒース・レジャーこそ至高!」
と思ってしまいましたか?
どっちにしても、感情が動いた時点で
制作者側の“ジョーク”に付き合う羽目になって
鑑賞者側の感性やリアクションを問われる作品
なのだろうと、わたしはメタ的に解釈しました。
すべては【虚構上のジョークである】と…
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
給水塔に反射する夏の太陽
器用に生きる象徴としての 彼女の笑顔
汗ばんだ静動脈に巣食う 褐色の火薬じみた病理
僕が僕ではない感覚 もしくは錯覚
六十億の溜息に 巻き起こる黄砂
逃げ場なく 息も絶え絶えなムカデ
涙の濁流を這って 何処へ行こう
何処も駄目だ 居場所が無い
神様 僕は分かってしまった
空っぽの夜空が綺麗
あの黒い空白に埋もれてしまえたらって 願う
そうかもしかしたら僕は 死にたいのかな
愛は愛の振りして
全部飲み下せと刃物覗かせる
今日は今日の振りして
全部やり直しだと僕を脅かす
西日に染まる郊外の公団住宅
心臓を針でつつかれる様な感傷
及び 生きてる事に対しての罪悪感
付きまとう闇 立ちはだかる闇
赤面症の季節における リビドーの肥大
故の 現実からの逃避
妄想 妄想 妄想
遮断機に置き去りの自意識
真っ二つに割れる数秒前
赤が 光る 消える 光る 消える 光る 消える
消えろ 劣等 劣等 過去 過去 全部消えろ
神様 殺してやる
過去は過去の振りして
全部受け入れろと喉に絞めかかる
夜は夜の振りして
全部おまえのせいだとがなりたてる
空は空の振りして
全部知ってるぞって僕を見下す
人は人の振りして
全部吐き出せと僕を睨み付ける
僕は触れていたかった まだ繋がっていたいよ
ビルの屋上に立った 今更思い出すんだ
春の木漏れ日に泣いた 母の声が聞こえんだ
此処にいてもいいですか 生きていてもいいですか
amazarashi / ムカデ より一部抜粋
ヒトは誰でも日々、自分と戦っている。
他人より目立たないように。務めて普通であるように。
常にこころのアクセルとブレーキを調節して
社会に適応しているように振る舞わなければいけない…
そんな日々の暮らしのなかで、ほんの些細なきっかけで
感情に支配され、視野が狭くなり、
善し悪しの分別ができなくなるような
〈強迫観念〉に捕らわれてしまう可能性を、
誰しもこころに秘めている…
が、我々は理性を持って踏み留まる。
でも自己顕示欲が強い人種、
笑顔を届ける“コメディアン”という職種が
強迫観念に突き動かされて、笑えないジョークを
ブレーキも効かさず振り撒いたら、
それは狂気の沙汰ではないでしょう。
スクリーンに映し出されるそんな主人公を
目の当たりにした我々鑑賞者のなかには
救われた気持ちになるヒトも少なからず
いるのではないでしょうか?
なぜならば彼、ジョーカーが
作り物の〈フィクション〉または《虚構・妄想》という
オブラートに包んで意識・無意識に関わらず、
言葉にならない鬱屈した想いを、
我々に代わって雄弁に語り、
行動に現してくれたのだから…
…と思ってしまうわたしの“色相”は大丈夫だろうか?
観終わったあと余韻を引きずり過ぎたらどうしよう
生活が手に付かなくなったらどうしよう…と
過度に心配して鑑賞にのぞみましたが
「ものすごいものをみた!」という実感のほうが上回り
割りと大丈夫でした(笑)
わたしにとってそんな、色相チェック映画でしたね。
わたしはまだ、
わたしであることを、
許されているみたいだ。
同情からのあっという間の狂気
バットマンの最強の悪役ジョーカーの誕生経緯を描く映画ということで、どんな恐ろしい過去があるのかと思いながら、前情報をあんまり入れずに鑑賞してきました。
3歳の息子とは見れないので、結婚記念日に奥さんと二人で鑑賞。
ジョーカーはクレバーなイメージだったので、過去のジョーカー・アーサーにはその雰囲気は見られない。
ただ、ゴッサムシティの不条理やつらい過去による精神障害、差別的な周囲の目…そういった周辺環境の中で、精神崩壊→殺人という犯罪に手を染めてしまうアーサーに同情と狂気を感じた。もう少し周りにまともな人がいれば…と思わず感情移入してしまう。
後半の壊れた後のアーサーには最早狂気しかなく、あっという間にジョーカーに。ここから何度も犯罪を重ねることで、個人的にイメージしていたクレバーなジョーカーになったのかだろうと想像してしまう。
後のバットマン・ブルースとの因縁もこの作品で、対照的に描かれている。全て持ち合わせた裕福なブルースと何も持たない不幸なアーサー…。
この作品をきっかけにバットマンを見返そうと思いました。
世界は危うくて悲しくて、でも強くて美しい。
まずは、ホアキンフェニックスがかっこいい。ミーハーです。
暗くて汚い場所ばかりですが、役者さんたちのオーラがすごくて、美しくかっこよく見えちゃうので、ホラー嫌いな私でも最後まで見られました。衣装もみんな素敵。
何が善で、何が悪か。悲劇か喜劇か。結局全ては主観なんだなーとジョーカーの言った通り納得してしまいました。
時代の設定が数十年前なので、病院やテレビ局のセキュリティの薄さには目をつぶるとします。
ちっともファンタジーとは思えず、同じような世界は日本にもあると思います。
弱者は気付かれることも手を差し伸べられることもないのか。
でも結局人を救うのは人であるとも感じます。
小さな道化師仲間を殺さずにいてくれたことにアーサーが人間であるという証を感じました。衝動だけで動いているのではないんです。
でも実のお母さんを手にかける彼の気持ちは理解が難しかったです。
あんなに優しい彼が。心が壊れてしまったのでしょうか。
とにかく観客の私は悲しかったです。
アーサーは被害者でしかない。
優しい人は最後は報われて幸せに、なんて世界はないんですよね…。
不幸の押し売り
不幸でどんどん歪んでいくわけですが恋人も出来たり優しい人も数人ですがいるのにそこまでと思えました。
幸せやわかってくれる人が少しでもあるなら耐えたほうが人として後悔がないだろうああなってはいかんと(当たり前ですね笑)考えた映画です。
今はヒーロー系の映画を感情移入を狙ってシリアスな展開にしたがりますがシリアスにしすぎて外れた映画ですね
レンタルに並んでも善悪のつかない子供には見せない方がいいでしょう
どこからどこまで。。。
アーサーのジョークと現実が絶妙に交差しててどこからが現実でどこまでが妄想なのか分からなかった。それとも全てが思いついたというジョークなのか。。
私はバットマンがすきじゃない。あの混沌としたゴッサムシティもジョーカーもバットマンもなんだか気味悪くてなんでか好きになれない。
でも、このジョーカーは予告を見たときから絶対観たいと思ってた。実際、ちょっと思ってたのと違ったけど上手くは言えないけど色々芸が細かいなぁと思った。
いちばん気になったのは、冒頭でアーサーは何を憂いて涙を流したんだろうってシーン。
何回か観ないと分からないかもなぁ。。
コメディアンから殺人鬼への転職活動
※DCはデップーのみ、バットマンシリーズ初
ジョーカーはなんかやべえやつという認識で観賞
まずパッと見た時の感想として
ホアキンの肉体と踊りに釘付けだった。
やたら動きが最高でタバコ吸う姿がかっこよかった。
物語的には
こういう世界になりそうで怖いなあって思ったことと、
アーサーはずっとコメディアンになりたかったけど殺人鬼の方が天職でイキイキしはじめたから
人は突き抜けるとまじやべえな
転職に成功してるな
って感想でした。
その後
音楽も画面も物語ももっと調べたくなったので
パンフレットと解説も聞きました。
↓見て聞いたのち
最後のシーンの違和感が
あ、そういうことだったのかああ
と驚愕。
こんなのジョーカーじゃない!ってなってる人は
キャラクターでみてるのであって
この映画のジョーカーの見方は
ジョーカーという根本の混沌とした部分を
現代社会、監督とホアキンのジョーカー的部分のフィルターを通してできたものなんだなと
自分はそんな感じで着地しました。
何も知識入れずに見ていた時、このジョーカーのやってることに痛快してしまった自分の心にはジョーカーがいるんだなと…監督のあれにまんまとハメられた気持ちです。
これからダークナイト見ようと思いました。
あと、
2つほどキスシーンがでてきたけど
2つともいろんな意味でめっちゃよかった。
最初のはくそかっこよすぎだろとなり、
二つめはおばさん、やな奴に唇奪われて最悪だろうな
と。ちょっとした自分の中のベストシーン
抑圧からの解放
上映回によっては満席続きでようやく。
Jokerは、なるべくしてなったという感じでした。ありとあらゆる不幸を詰め込んだような境遇。もう笑うしかない、でも笑いたくて笑っている訳ではない。こんなに悲しく苦しい笑い声を普段耳にすることはありません。これだけ不遇の人生なら仕方ないのではないかと哀れむし、同情的な描き方にも取れます。ArthurからJokerへの変身は、不運の連続で八方塞がりとなった一個人に、持たざる者達の鬱憤の爆発という社会現象が究極の抜け道を与えたように思えました。
皮肉にも母親からHappyと呼ばれていたArthur。人を笑わせたいけど、笑われるのは許せないし、笑いのツボはかなり少数派。人を喜ばせたいというのは本心だったのでしょうが、それ以上に強いのは承認欲求でした。
Arthurの人格よりも驚いたのはGotham Cityの民度の低さです。Arthurの行く先々で起こる攻撃と拒絶と無視の繰り返し(確かに人相悪めですが)。もし福祉担当者1人だけでも彼に同情していたら。誰かが一言慰めていたら。誰かが自分の目先の利益より他人を案ずることができたなら。見ず知らずの人にほんの少し親切にすることは、労力の無駄でも何でもなく、誰かが明日への気力を保つきっかけになるかも知れないし、どこかの通り魔殺人を防ぐかも知れないのです。丁度八つ当たりや悪戯が巡り巡ってJokerを生んだように。過剰な自衛と無関心がGotham化を招くという危機感は現実の世界でも当てはまりそうです。
最後はBruceを襲った悲劇も描かれていて、JokerだけでなくBatmanも生まれた同じ市なのだと再認識できました。Bruceはヒーローになるよりも、巨万の富を分配して教育と医療・福祉、公共サービスを充実させた方が良くないか?とも思いましたが。
結局実親は分からず、特別な「ルーツ」の有無も不明のままですが、Jokerの犯罪者としての生い立ちと背景は、アメコミヴィランであることを忘れるくらい、非常に現実的かつ典型的でした。普段は社会生活を問題なく送りながら、家族に隠れてよそで殺人を繰り返しているような実在の殺人鬼達の方がよほど闇が深そうです。
Joaquin Phoenixを予告編で観た時は、Jokerを演じるために役者になったんじゃないかと思うほど強烈に似合っていて、キャスティングに感謝しました。随分痩せて臨まれましたね。険しい邪念を演じさせたらピカイチの眼光を持っています。
“The worst part of having a mental illness is people expect you to behave as if you don't.”
“I hope my death makes more cents than my life.”
これがジョーカーか。わたくし、アメコミも含めたマーベルやそっち方面...
これがジョーカーか。わたくし、アメコミも含めたマーベルやそっち方面には全く詳しくない。むしろバットマンだけはダークナイトがああでーこーでーと語れる程度で、他は多分ファンの方からすれば毛ほどしか知らないと思います。
そんな状態でこのジョーカーを観たのですが、もうそういう世界観の知識は全く必要無かった。むしろ、監督自身が独立した作品として観て欲しいと言っているのだから、それがラストのヒントにもなっているのでしょう(これは後述)。
さてさて、 まずは率直な感想からですが、暗い笑。とにかく暗い映画だった笑。陰々滅々。陰々滅々なんて打ち込んだのは多分初めてだよ。映画は終始暗く、でも、人によっては共感を抱くような部分をジョーカーから感じられたりして、ヤバいヤバい感化されちゃ駄目だ!なんて思いながら終盤は観ていた。ロバートデニーロには別にイラつきも何も感じなかったのに、ジョーカーが弾いた時には何故かスッキリしちゃったり。ジョーカーに飲まれてた・・のかな。
そもそも今作、全面的にはジョーカーが被害者である。不幸な家庭環境が原因で病気を患い、更にそれが原因で身を不幸にしていた中年男。
そしてもう一つ、一番大事なのがジョーカーは狂ってなどおらず全くもっての『常識人』なのだ。被害者であり常識人だからこそ、狂った世の中を直視出来てしまう。だからこそ、ジョーカーへの道が切り開かれていたのだ。
まだ信じられない方は思い出してほしい。ジョーカーが最初に妄想をするテレビ番組に出演するシーンで、母親に関する事を話す。そこで母と同居しているという件で観客から笑われるという場面がある。このシーン自体がジョーカーの妄想なので、つまりはこの歳で母親と二人きりの同居生活が世間一般の価値観からすると『恥ずかしい事』だという認識を持っている事が確認出来るのだ。
そしてこの作品の9割は、ホアキンさんの演技力で出来ていると言っても過言ではないだろう。ぶっちゃけ話の本筋とか現代社会を投影しているんだろうなあとかそんな事は忘れて、とにかくホアキン・フェニックスさんの狂気と悲しみを織り交ぜた演技に魅入っていた。大半の方もそれが本音ではないだろうか。少なくとも私はそうだった。途中からもう細かいあれが引き金でこれが伏線でとかは考えずに魅入ってしまっていた。これが『映画』。これぞ『作品』なんだなあ~と強く思わされた。細かく語るときりがないので、そろそろ本筋に入っていこうと思う。
まず、今作は3つの見方があるんだと思います。
一つ目が、バットマンファン生唾もののジョーカー誕生物語。
二つ目が、アーサーという人物を通して現代社会の問題を描いた切実なドラマ。
そして三つ目が、強大な叙述トリック物だったのでは?という疑念を抱いてから観る考察物。
ここでは三つ目に絞って語っていこうと思う。そう、今作はラストでとんでもないドンデン返しが有るのだ。それが、【全部ジョーカーの妄想だったのでは?】という示唆。これが今作を更に面白くしていて、ただの現代社会に訴えかけるお硬い映画の範疇を超えている要因でもある。
これについては私は肯定派だ。まず、根本的な事として、監督は今作をマーベル・ユニバースから切り離して欲しいと言っている。これはつまり、マーベル・ユニバースから独立した作品として見て欲しいという事だ。という事は、バッドマンビギンズには繋がらないという風にも取れる。
今作のラストではジョーカーが見ていない筈の光景を妄想するというシーンが有るが、これがまさにそれを示しているのではなかろうか。今作を観た人の大半はバッドマンビギンズに繋がる物語として、今作を観ていた筈だ。だからこそ、彼はジョーカーで間違いないと思っているし、ブルース・ウェインの登場でよりそれを実感した筈だ。
だが、それこそがトリックで、今作はジョーカーという男の別の世界線の物語なのだ。そしてそれと同時に、バットマン等というヒーローはこの世に存在しないという事を訴えかけている。バットマンという存在そのものを否定して有る種ファンに喧嘩を売るような形で、より切実に現代社会の闇を訴えかけているのだ。
それに気づいてしまった人はこの映画が更に恐ろしいものだと知り、観終わった後の感想が180度違った事だろう。最も表層的な部分ではジョーカー誕生物語。その次の層ではどこまでが妄想だったのかを探る考察物。そして最後には、全てが偽りでありジョーカーもバットマンも存在しないただの逝かれた男の妄想だったと、それに気づいてからより悲惨さが増す胸糞映画だったと知ることになる。
怖い映画。
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