ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ある意味『ダークナイト』の時とは対照的なゴッサム市民
ソフィーとの愛も母との絆も全て幻想だったと知ってしまったアーサー。
もう何も失うものが無く、死すら恐くなくなった。そういう状況に陥った人間は、『どうせなら、自分にひどいことをしてきた奴らに報復してやろう』という思考に走ってしまう可能性がある。
アーサーは、
自らを虐待した母を殺し、
自身をハメて仕事を失わせた元ピエロ仲間を殺した。
最後に残るのはあと一人、テレビでアーサーを笑い者にしたマレー・フランクリンだ。
観客である我々には、アーサーと周囲の笑いのツボのズレを散々見せつけられてきた。
アーサー自身もそれを重々自覚している。
そこでアーサーは気づく。
『みんな僕を病気だっていう、けどこれが僕なんだ。僕の人生は悲劇だと思ってたけど、コメディだったんだ。もう自分を偽るのはやめだ。』
そう、これまでアーサーは病気で笑ってきたと思ってた。けど違った、あれはアーサーの主観的に、面白くてしょうがなかったから笑ってたんだとわかった。
『みんな善悪の基準を主観で決めるのと同じように何が面白いかの基準も主観で決めてる。同じことさ、僕だってそうする。』
そのセリフにも表れてるんじゃないか。
最後のシーン、マレーのショーで『僕が証券マン3人を殺した、奴らがクソだったから。』と暴露したのは
アーサーにとっては渾身のジョーク(殺人した、というのは前提の/これさえも妄想なのかもしれないが笑)だった。
だがマレーは言う、『笑えない、オチは?
お前は自分を憐れんで殺人を正当化しているだけだ。』とアーサーの主観的ジョークを真っ向から否定した挙句、アーサーをこれまで二度も笑いものにした。
なぜ自分の主観的ジョークだけが認められず笑いものにされなければならないのか、とアーサーは憤激し、マレーに引き金を引く。
この映画が犯罪を助長すると主張している人がいるが、その意見は少々的外れではないだろうか。もしこの映画を見て『僕(私)も犯罪をしよう』と思った人は映画と自分をもう一度見直すべきだ。この映画は、『誰だってジョーカーなってしまう可能性を持っている』、『ジョーカーが生まれてしまうとどうなるのか』、『またそんなジョーカーは一体何が作り出すのか』を私達に警告した映画である。『思いやりの欠如』が招き得る結末を私達に突きつけたのだ。決して『みんなジョーカーになれ!』とは言っていない。
マレーの言う『お前は自分を憐れんで殺人を正当化している』というのはド正論だ。社会の道徳的に見て、何も間違っていない。たとえどれだけクソ社会(弱者切り捨て・全体主義)やクソ人間(利益追求マシン化・言葉が形骸化/カウンセラーの女性の仕事からそれがよく伺える。彼女は思いやりの気持ちよりも、機械のように、アーサーにカウンセリングの名目で毎週同じ質問を繰り返す。)から酷い仕打ちを受けたとしても、皆我慢して"黙っていい子"にしてる。そうやってひっそりと死んでいく。そういう人生も当たり前になっている現代で、アーサーに共感した人が大勢いる。つまりアーサーと境遇を共にする人間が実際多く存在する。アーサーは思いやりに欠けた出来事を何度も経験し、何もかもうまくいかなかった結末として、ジョーカーという狂気の存在(死すら恐れないためどんな犯罪行為も犯しかねない)へと徐々に覚醒していったのだが、これは、そのアーサーと境遇を同じにする者達の誰にでも起こり得ることなんだ、と我々は気づかねばならない。この思いやりに欠けたクソ人間とクソ社会が姿を変えず存在し続ければ、ジョーカーのような存在が現実世界にも現れ得るのだと。
資本主義の負の側面を嫌という程見せつけられる。人と人・人と社会・社会と社会を繋ぐのは金(利益)だけではないはず。我々人間には"言葉"があり、そして感情表現の一つとして"笑う"ことができる。思いやりのこもった"生きた言葉"をかけ、"笑い合う"ことでも人と人は繋がりを持てるはずなのだ。
この映画は素晴らしかった。笑えるシーンなんてほとんどなく、ただただた目を見開き、苦しい現実に直面し続ける。目を背けたくもなったし逃げ出したくもなった。それゆえ序盤"酷い一日"を経験しトボトボ登った階段を、"自分らしいコメディ"としてここまでの悲劇全てを受け入れ覚醒したアーサーがthe hey songをバックに軽快なステップで駆け下りるシーンには思わず笑みを浮かべてしまったものだ。私的に、この映画は『ダークナイト (08)』を観て以来の衝撃だったかもしれない。『ダークナイト』において、ゴッサムを救ったのはバットマンではなく、他でもないゴッサム市民だった。彼らにはまだ良心が残されていたのだ。そして本作『JOKER』においてゴッサムを地獄に変えたのも、皮肉なことに、ジョーカー(アーサー)ではなく、"苦しみ"や"怒り"が長い年月をかけて蓄積されたゴッサム市民自身だった。この意味で『ダークナイト』と本作は対照的だったと感じている。
だが一つだけ違和感を感じたのは、アーサーがジョーカーとしてマレーのショーに出た後、発言が力強く、ある種説得力のあるものに変わった所だ。これが少し急すぎた気がした。もちろんジョーカーという人物は、賢く抜け目ない頭脳派のヴィランなので正解なのだが、ここまでのどこか頼りない冴えないアーサーを観ていたからか、微妙な違和感を覚えてしまった。だがこれも、自らの悲劇の人生を喜劇として受け入れることに成功した事で"病気の笑い"と"本物の笑い"が統一され、発作として苦しむことがなくなったことでアーサーは自らの意見を正確に伝えることが可能になった、ということなのかもしれない。
悲劇と喜劇
悲劇に満ちた映画だった。
そんな悲壮感が漂う作中で、ジョーカーが「人生は喜劇だ。」
というシーンがある。あれはまさに、物事を主観的に見るか、客観的に見るかで違うということ。それも、見る側が善人か悪人、正気か狂気かでも違う。そこがこの映画のテーマだと思う。最初に不良に襲われるシーン、電車の中で証券マンのシーンも立場・感性を変えて見ると悲劇でしかないが、不良側(狂気的な視点)で見た場合は喜劇でしかないということだであろう。
自身の悲劇に満ちた人生を、喜劇と言ってしまうほどに壊れていくホアキンのジョーカー。
ホアキンの演技力、画の見せ方、狂気に溢れる、或は溢れ始めていく細やかな演出全てがバットマンに繋がっていくのだと思うとグッとくるとこがありました。
あと、観ていて印象に残ったジョーカーのダンス。頭の中に初代、ジャックニコルソンがラストでヒロインと踊ってるシーンを思い出していました。何か繋がるところがあったような感じがしました。
憐れまれるジョーカーは必要か?やっと呑み込んだので追記
世の中平等とか綺麗事ばかり言ったって、そんなのは嘘ですよ。
世の中は等しく不平等ですよ。
そんな中でみんなもがいて生きているんですよ。
職場の背の小さい同僚さんは善良だったでしょ。
病んでる人がみんな犯罪おかすわけじゃないでしょ。
ジョーカーの境遇は不幸だけど、そういう境遇の人は他にもいるよ。
ジョーカーが堕ちていくのは、自分を憐れんでるからでしょ。
加えて自己顕示欲が強いから。
その自己愛が、狂気だよ。
もっと胸張って悪役になって~!
(自己肯定感満載の狂ったジョーカーが好き)
最後の群衆も、偶像としてのジョーカーを持て囃していただけで、真の理解者ではないことを、ジョーカーが理解していなさそうなところが本当に憐れだなぁと思いました。満たされるのは自己顕示欲だけ。孤独だ。
――――――――――――
追記
私は割りと素直にキャラクターを見る方だと思っていたし、涙腺も弱めなのに、どうしてジョーカーには反発心(反発力だと思う)を持ってしまうのか。
モヤモヤして、棘が刺さったままで、ふとしたときに思い返していた。
そして結局、これは同族嫌悪というか、嫉妬に近い感情なのかもしれないと思った。
それでたぶん、こうして他人から反発される人間性こそがジョーカーとしてある意味正しい形(まさに悪役)なのでは?とも思えるようになった。
私はジョーカーには悪の哲学や、強大なパワーや、他者を必要としない強靭な心を求めていた。
この映画のジョーカーはただの可哀想なおじさんで、理想と現実の違いに落胆した。
でもこの理想と現実のギャップという構造は、主人公がヒーローのときでも同じなのだ。
主人公がヒーローのときは、親近感が沸いて、親しみが持てて好印象だった。
ジョーカーは親近感が沸いて、同時に嫌悪感を持った。
親近感が沸いた可哀想なおじさんは、この映画で苦しみから解放されて自由を手にした。
ジョーカーは血と暴力でラインを越えたけど、ラインを越えられない人間にとっては(だって犯罪)、絶対使えない技を使って抜け駆けされたみたいで嫉妬する話しだった。
でもたぶんジョーカーなら、どうして絶対使えないと決めつけるのか?と私の固定観念を嘲笑いそうだ。
そう、この話しは不思議な誘惑を感じさせる。でも私は、ラインを越えたジョーカーが決して幸せそうではないことを知っているし、私の固定観念上、ジョーカーにはNOと言わざるを得ない。
だからこの映画は、私のちょっとの正義感と、醜い嫉妬を呼び起こした、すごい映画っぽい。好きじゃないけど。
続編あるかな!???(11/3)
必要な社会風刺
決してこの人だけがJOKERになったわけではない。
共通意識が薄れ、共有意識が増えた昨今、共有されないものは淘汰されてしまう現代のLocal Societyが生み出した産物と言わざるを得ないJOKER。
彼も愛情があり、決してなりたくてなったわけではない。
病気のことをわかっていたのだから。
しかし、結果としてアーサーをJOKERに成り上がらせたのは他でもない幸せに暮らせていると思っている人類だ。ホモ・サピエンスという概念を自分の辞書から消し去ったかのように、また彼は不幸だったのだ、というかのように積み重なる負のスパイラル。
結果としてJOKERになった。だが、どうだろう。
彼を賞賛し、仲間意識をあげるものが続々と出てくるではないだろうか。
そんな世の中、JOKERもバットマンも紙一重だと、そう感じた作品である。
見て後悔した。
とても楽しみにしてました。
始まるまでは…全然感情移入できない。
高評価な理由がわからない。
なんだこれは。
精神的におかしなやつの話を延々とされるのはツライ。しかも、無理矢理なご都合主義でたまたま銃を貰って、たまたま駅のホームに人がいなくて、たまたま殺人が貧困層に英雄行為と称えられて、たまたまそのタイミングで市の予算が削減されて、たまたま披露した芸がテレビに取り上げられて、たまたまそれでテレビ出演を依頼されて、たまたまその時に母親が倒れて、たまたま逮捕後に救出されて。
前評判なんてクソだと思った。
この男があのjoker?彼女すら架空だし、架空の妄想がやばすぎて犯行計画立てられないだろ。
高評価の方本当にそう思ってますか?
バッドマンの敵役だからってフィルターかかってるでしょ。
評価2でも高過ぎると思うわ。
見て損した。いや、クソつまらないという話題を得られたからその分だけましかな。
アメリカではピエロは独特の市民権を得てるけど、日本ではただの仮装。
アーサーが思いついたジョーク
解釈は様々ですが、私は本作を以下の様に解釈しました。
─物語最後の精神病院でのシーン
アーサー「ジョークを思いついたよ」
医者「教えてちょうだい」
アーサー「あなたには理解できない」
ここでアーサーと医者との会話は終わり、ジョークの内容を知ることが出来ないまま物語は終わります。
しかしそのジョークの内容とは、物語冒頭から最後の精神病院のシーンに移り変わる直前までの全てなのではないでしょうか。
つまり、アーサーという精神を病んだ男が「自分がもしジョーカーだったら」というジョークを思いついた話、それが本作。
だから本作のジョーカーがこれまでのジョーカーと比較して、誕生の経緯も含めて違和感を抱かせる様な存在であったとしても、それは問題ないと考えました。
惹き込まれる正当化
凄いバランスで構築された世界観でした。
魅せられていくうちに、
主人公へ同情し復讐心が芽生えていく。
見終わってふと我に返ってから
危機感を覚えたほどでした笑
これは感化させられたらアウト。
自分で答えを探し、考える事の
大切さを思い出させてくれた
素晴らしい作品でした。
俳優を怪演させるジョーカーという怪物
底無しの孤独と貧困に打ちのめされた精神病者が、殺人によって自らのアイデンティティを見出す。ただ、彼の生の目的はあくまで自らの高貴な死であり、その昇華のために殺人を繰り返していく。
ホアキンフェニックスの怪演と音楽・光の演出がすごい。とにかくもう恐ろしく美しかった。
前述しましたが本当にジョーカーが精神病者だったのかは分からない、曖昧にしており、母親の妄想病も実は事実もあった、、?そのあたり錯乱させられ、世界観に引き込まれていったのが良かったです。
ダークナイト3部作を観てから臨み、その上でうーん?と、気になったのは2点。
1.ジョーカーの賢さ
ダークナイトのジョーカーはとにかく賢くてあらゆる手段を使ってもスルリと逃げ出していく。この部分どうやってあのジョーカーになったのだろう?ただ、ラストシーンも何気に逃げ出してるから罪を重ねる中で勝ち得たものなのかしら。
2.王としてのジョーカー
時代が異なるから辻褄は合うんですが、、民衆から崇められるジョーカーはダークナイトのジョーカーとどうしてもイメージが合わない。。
アーサーがジョーカーになったのは何故なのか。ストーリーはそこに尽きます。番組でジョーカーに想いを語らせるのもそこまで明確にしなくても良かったかなぁと思います。曖昧さが良いなと思っていた自分としては。。
最後に、題名にもしましたが、ジョーカーって本当にすごい存在ですね。その日の夜はなかなか眠れませんでした。またダークナイトも観ようかな。
最も素晴らしい悪役の条件とは、謎に包まれていることだ
hahaha!!という大声が聞こえて、この映画は始まった。
笑い声なのか、泣き声なのか、理解しようとすればするほど分からなくなる。
その声の主こそJOKERである。
彼のアップから視点が変わり、冷めた目で彼を見る女性が出てくる。
彼の感情が読めない。観客の視点は、カウンセラーの女性とリンクする。
映画の冒頭から彼は狂っていた。
だがしかし、その後の展開は不気味なほどに、起承転結が順序よく描かれている。
コメディアンを目指す男のどん底人生。
溜まっていく社会への恨み。
悪へ落ちる転機。
次々と人を殺し始め、ついに悪として覚醒する。
彼がダークヒーローであることを象徴するかのように、市民が彼を崇拝するクライマックスには圧倒される。
だが、何か間違っていないだろうか?
復讐のために次々と人を殺すことに納得してしまっていないだろうか。
ある男が社会で爪弾きにされ、虐げられ、惨めな思いをしている様をじっくりと観たからこそ、「この悪は生まれるべくして生まれたんだ」と感動してはいないだろうか。
「如何にしてJOKERという悪役が誕生したのか?」
そんなことをこの映画を見て、欠片でも理解した気でいないだろうか。
hahaha!!
と、大きな笑い声がする。
精神病棟の真っ白な部屋の中、カウンセラーの女性を前にして、その男はこう言い放つ。
「一つジョークを思いついたんだ」
そう、これまで語られてきた全ての出来事は単なる彼の妄想話であったのだ。
これで、結局JOKERという男のことは謎のままである。
もし、ここまでの映画の展開が本当であると信じ、JOKERという男を理解した気でいるなら、最後のジョークの意味は彼の言葉の通り。
「あんたには、わからないさ」
なのである。
悪役はなぜ魅力的なのだろうか?
その答えの一つが、人の想像に及ばない存在であるから、ではないだろうか。
何をしでかすか分からない、だからこそ、その一挙手一投足に注目してしまうのだ。
映画として凄い。
現代の世界の貧富の差からくる
人間が生み出すものがすべて出てくる。
人種?差別
介護問題
銃
福祉
マスコミ
人生における幸せとか、悲しみとかなにか?
あるひとの悲劇は、別の人にとっては喜劇?
妄想と現実がごちゃ混ぜで、何が本当だったか
一度見ただけではわからないぐらい。
シリーズものと考えてどうかはわからないけど、
見るべき1本かと思う。
あらゆる悲しみがありそうだけと、
なかったものあったよ。
それは「天災」これは人間が生み出すものではないからか。
逆に考えると、天災以外は人が生み出したものだから、
解決できるはずだ。
日本では結構頑張って解決したように思うけど、
余談が過ぎたかな。
追記
2度目
妄想場面の切り替わりは、明確なサインは無かった。
最初のカウンセラーと、最後のカウンセラーは違う人だった。
場所も、事務所的なところと、病院内の白い壁。
トーマスウェインは、実の父親か?
30年以上前の家政婦の事を、執事が知っていて、
その息子か?と聞いてきた。
手紙何通も出してからか?
そうではなく、なんらかの事情がありそうな描写。
あと、映画館で直接に対面した時、
かなり強烈に殴られた。上流階級の人間が、
なんら関係ないとしたら、罪を問われそうな暴力
を簡単にはたらくとは、思えない。
逆に、なんらかの関係を疑わせる。
病院のカルテが、改ざんされた可能性の方が疑わせる。
最後の思いついたジョークは、両親の惨殺された
ブルースが、正義の味方バットマンとなり、
ゴッサムの悪と闘う
これからのバットマンシリーズという
壮大な物語のジョークを思い付いたという事。
長めのブルースと両親のシーンの挿入があったし、
ズームアウトしているので、時間の経過を表している。
jokerという、世襲の悪役の誕生か?
日本も、これからこうなる?
自分も、jokerになりうる?
自分は、今まで日本はかなり克服してきたと
いう感想が強い。これからそうならないように
願う。戦後世代の努力に感謝しかない。
敗戦のゴッサム以上の廃墟から、これだけの
発展したんだから!
この感想を書いてるレビューは、まだ読んだ事ないから、
誰かいないかな?友達になれそう。
世代により、感じ方が違うのか?
上か?
ホアキンさんの演技は素晴らしいけど、自分もこれはジョーカーじゃないと思う。ハーレィクイーンも、ジョーカーに恋してない設定みたいだし、やっぱ、バットマンが出てこないジョーカーはジョーカーじゃない。
ただ、カメラワーク、色使い、ロケーション、小道具、衣装などなど、どれも素晴らしいし、階段のシーンは映画史に残る名シーンだと思う。
REALISM?
困ったなあ...
間違いなく熱演です。
共感できるかというと微妙だけど
変なrealismは感じてしまった。
心を病んでいるというが、劇中の社会や他の登場人物の方が病んでいると思った。
確かに適応障害ではあるけど
自分を殺すか
他人を殺すかしかないのは...
何が一番狂ってるのかしら。
メインテーマは「暴動の正義」?
FAGAとAIに支配されたら、
理不尽に支配されたら、
暴動するしかないの??
今年みた印象に残っているアメリカ映画は
グリーンブックとワンサポンナタイムインハリウッド。
みんな60年代
今のアメリカは映画の舞台にならないのかなあ?
わけわかんないことばかり考えてしまった。 鬱
性格悪い人ばかり。 鬱
タランティーノの方が、楽しかった。
スカッとした自分にガッカリした
精神疾患、国からの援助断ち切り、同僚の謎の親切(銃)は、同業者を追いやるための罠。彼は笑ってしまう、それでも社会の中生きようとしてた。マイノリティ。
マイノリティを自然と受け入れない社会。根付いてる普通という当たり前。バカにされてもそれをマイノリティだからと我慢しなければならないのは何故か。
信じてた母親、父親だと思いたかった人、すべて嘘だった。可哀想だと思う私も彼には嫌われるのだろう。
我慢を辞めてからの展開にスカッとしてしまった。私はマイノリティ側だから、ジョーカーに感情移入してしまった。そんな自分にガッカリした。
これが全部妄想だったとしても、心の中で自由になれた彼は多分幸せなんだろう
アメコミのヴィラン映画としてはカタルシスが足りない
前評判が良かったのと、ノーランのバットマンやスーサイドスクワッド等も観に行っていたので試聴。
本作のジョーカーは、孤高の悪のカリスマのヴィランではなく、劣悪な社会環境・家庭環境により精神を病み殺人を犯してしまった哀れなおじさんだった。
勿論、ホアキンフェニックスの演技はよかったのだが、映画自体は終始暗く、ストレスはあってもカタルシスは感じられなかった。
ジョーカーというヴィランの悪性、魅力は、ほとんど感じられず、哀れなアーサー君が殺人者に身を落としていく過程が描かれていた作品。
狂気もあまり感じられない…というか、アーサーが置かれた状況で精神を病んでいれば、殺人者になってもまぁ是非もないよね!という感想。
同日に視聴した『宮本から君へ』の宮本の方が、余程狂気的で恐ろしかった。
魅力的なヴィランであるジョーカーを期待するなら、観ない方が良いだろう。
ジョーカーが誕生するに至った説得力のあるストーリーを(面白いかどうかに関わらず)観たい人なら、観に行ってもいいかもしれない。
喜劇
こんなにも悲しい笑いがあるんだと思った。
どんなに辛くても周りが悪くても自分が悪くなっちゃいけないんですね…
理不尽というか心が苦しくなりました。
なんでも見た目や偏見で判断しがちですが、それこそ精神疾患の方は目で見てはわからないしもっと理解されていくべきだと訴えているようにも感じました。
病気なのに頭のおかしい人と括られてしまい、良かれと思ってやっても構うなと言われたりとか
環境で1人でもジョーカーを救ってくれる優しい人がいてくれたら変われたかもしれないのになとか思います。
不気味なのにどこか綺麗で殺人のシーンはさすがにウッとはなりますが全体的に綺麗かと思いました。
殺人を犯した後のダンスやたくさんのテレビに殺人をした瞬間のジョーカーのシーンに合わない愉快な音楽とか
ジョーカーのいう喜劇という感じがしましたね
悲しい喜劇
賛否両論出るのがものすごくよくわかりました。
私は初めて見ましたがすごく入り込めましたし、切なくも悲しくも見えました。
それを喜劇で終わらせる後味の良さがものすごいです。胸が苦しくなりました、でも見てよかったと心から思えた。
犯罪を、悪を助長しているのではなく、社会のあり方に釘を刺しているのです。
私自身心を病んだ時期もあったので痛いほどに伝わりました。生きづらさ、拠り所のなさ、自分の居場所を作ることがどれほどに大変なことか。探り出すとキリのない深すぎる作品です。
リアルな暴力性と現代への風刺
『メディアはこの映画に失敗して欲しかった』
そう言う声が海外ではよく聞かれるほど、この映画はあまりにもリアルに私達の日常に潜む暴力と差別を色濃く映し出しています。
純粋なアクション映画としてみていると期待外れかもしれませんが、この映画の本質はそこには無いと思われます。
この映画の賛否でよく持ち出されるのが暴力性ですが、映画中に使われる暴力シーンといえば拳銃で撃ったり、殴られたり、とありきたりなものばかりです。
しかしそれらが暴力的と言われるのは、その暴力があまりにもリアルであり、かつ私達が日頃見て見ぬ振りをしてきた他者に対する肉体的・精神攻撃の類だからです。
映画館を出た後、鑑賞した人に対して『貴方は虐げられている人か?孤独な人か?それとも加害者なのか?』と言う議題を考えさせる映画と言えるでしょう。
この映画が暴力を助長するというのは誤った考え方であり、『世の中ですでに日頃起きてる事はこういう事なのだ』と社会風刺をしているのがジョーカーと言えるでしょう。
ホアキンさんの演技も素晴らしいもので、彼の変貌や感情の移り変わりに乗せて奏でられる重々しい音楽は見るものを魅了させます。
仕事では馬鹿にされ、病気持ちという事で迫害され、手を助けるべき社会保障も崩壊し、信じていた母親の言葉も偽りで、両親が誰かも分からず、同じ淡々とした日常の中のストレスをモノに当たり、妄想したりして発散する日々。
それに少しでも共感できれば、アーサーの苦悩に心を寄せることができるでしょう。
非常にゆっくりとしたペースで上記の転落していく人生が描かれますが、人の心の拠り所が一つ…二つ…と崩れていく姿を映し出すにはピッタリでしょう。
人の心は一つのことでは折れたりはしないけども、映画ではその連続によって崩れていく心優しいアーサーの闇を垣間見ることができます。
鬱る名作
レビューそんなに書かない+鑑賞後そのままの書いたものなので拙いのは悪しからず(すみません)
20191014
JOKER
バットマン、ダークナイトといえば
悪のカリスマ、JOKER
ただの人間が悪のカリスマに至るまでを描いた作品
僕の久しぶりの一人映画は劇場の一番後ろで始まった。
劇場側がR15指定にした今作品。
スカッとするところはあまりなく、
精神疾患を抱えながらも前向きに、ひたむきに生きようとしていたアーサー。
周りの無理解、理不尽な環境、等々
次第にアーサーはより一層病んでいく。
同僚から貰った銃で悪漢3人を殺したアーサー。
しかし現実はあまりに非常。
悪漢3人は世間的にはとても素晴らしい人とされるもので、ただ襲われて正当防衛みたいなものだったアーサーは政治的な問題だと勝手に取りざたされる。
狂ってるのは、世界か、己か
アーサー主体で描かれている作品で
終始どちらが現実で、妄想か分からず。
どちらも現実で、妄想でもあるのでは?
そう感じた
我々は登場人物の誰にでもなれる。
悪ガキ、同僚、悪漢
荒んだ世の中、
他人を蔑み笑うことで己を保ち、自分はマシだと
下のものを見下す。
自分にそれがないと言えるだろうか
誰しもJOKERとなれるし
誰しもJOKERを生み出す側の人となり得る
アーサーのような妄想は1度はしただろうし、
アーサーのようなヤツを蔑みもした
してない人はいないだろう。人間なのだから。
本気でしてないという人がいたとしたら、そいつは自分の行いを自覚してすらいない。
そう、まるで地下鉄にいた3人のように。看板を奪っていった悪ガキのように。ロバート・デ・ニーロ、市長のように。
何を得たのかとか見終わった現時点では
特に言うことは出来ないが
アメコミヒーローものではない。
これは現代に警鐘を鳴らすドキュメンタリー映画であった。
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