ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ジョーカーを名乗った空虚な男の妄想劇
どこまでが(劇中における)現実でどこまでが妄想なのか、と追求することはしない。作り手が解釈に委ねて明かす気はないと名言しているというだけでなく、それでは答え合わせに過ぎないから。ただ、はっきりと言えるのは、本作のジョーカーは「ジョーカーを名乗っている」というだけで、別にジョーカーではない、ということ。終盤の展開が本当なのか妄想なのかはともかく、ジョーカーを名乗った空虚な男に、大衆が自分たちの不満や怒りを託そうとする。その社会性がこの映画の肝であり、このひしゃげたご時世に爆発的に受け入れられた理由なんじゃなかろうか。
映画的には撮影、演技ともにみごとだが、気にかかるのはあからさまに『キング・オブ・コメディ』『タクシー・ドライバー』とハッキリ名指しできるスコセッシ映画をモチーフにしていること。アメコミ映画に新しいアングルからアプローチすることで、従来のジャンル映画の壁を破ろうという試みが、限りなく先達の作ったもの(スコセッシ映画)に近づいていく、といのはやはり懐古趣味ではないか。スコセッシ御大が今でも常に攻めているからこそ、目指す天井が見えてしまっている感じが気になった。
わかりやすい動機という落とし穴
ジョーカーという男はこんなにもわかりやすかったのか、と驚いた。バットマンシリーズはそれぞれ独立した世界なので、今回のジョーカーはこういう解釈なのだと言われてしまえばそれまでだが、本作はノーランの『ダークナイト』に近いリアル路線の世界観だったので、ノーラン版の印象をそのまま引きずって観ていたので驚いたのだ。
本作のジョーカーの世間を憎む動機はとてもわかりやすい。ノーラン版では、そのようなわかりやすい動機は示されなかった。ノーラン版は、なんというか、「混沌」そのものを愛してるような印象だった。口が裂けている理由がいつも違うのも、動機なんざどうでもいい、俺は混沌自体が好きなんだという風に見て取れた。その底知れなさに魅力だった。今回のジョーカーは、ある意味底が知れている。共感可能な理由も描かれる。実際共感を覚える人もたくさんいるようだ。
しかし、ちょっと待てと思う。その共感できるストーリーそのものが嘘かもしれない。本作が上手いのはここだ。映画全体を嘘かもしれないと提示することで、観客を混沌に落とし込む。この映画のそんな振る舞い方そのものがジョーカーっぽい。
絶望の果てにあるあっけらかんとした心の荒野
レトロな色調で映し出されるゴッサムシティの根底で生きる大道芸人、アーサーの、まるで人の不幸をまとめて請け負ったような日常に、まず惹きつけられる。誰しも、彼ほどではないにしろ、嫌なことが連続して起きることはあるし、そんな時、悲しむよりむしろ笑ってしまうことだってある。ついてない現実から逃避するため、愉快な妄想の中で思いっきり自分を解放してみたくもなる。トッド・フィリップス×ホアキン・フェニックスの「ジョーカー」は、観客の心の足を鷲掴みにして、物凄い力で地獄へと引き込もうとする。かつて、コミックス上のヴィランにこれほどシンパシーを感じたことがあっただろうか?そうして、これまで誰も描かなかった「なぜ」に踏み込んだ本作は、絶望の果てにある妙にあっけらかんとした心の荒野を大都会のど真ん中に設定して、人の世の悲喜劇を新たな形で提示する。今年一番の強烈な映画体験。そろそろ始まるアワードシーズンを間違いなく牽引する1作だ。
映画を見ながらこれほど身震いしたのは初めて
映画を見ながらこんなに身震いしたのは初めてだ。これはDCコミックの超有名ヴィランの誕生秘話の域を超えて、現代社会の喉元にナイフを食い込ませるかのような狂気と絶望に満ちた作品だ。ホアキン・フェニックスのあの肉体からしてどうだ。幾度も映し出される半裸の姿は、痩せているのになぜか肩のあたりが異様に隆起し、たったそれだけで彼の精神面での変動が透けて見えてくるかのよう。同じ半裸の男と拳銃の文脈でいうとスコセッシの「タクシードライバー」が脳裏に浮かぶが、もう一つ忘れてはいけないのがその対をなす「キング・オブ・コメディ」の存在だろう。ぶっ飛んだコメディを手がけてきたトッド・フィリップス監督がこれほどスコセッシとデ・ニーロを引き合いに「ジョーカー」を奏でるとは。やはり我々の暮らす今日の現代社会は混沌としたあの頃へ逆戻りしているのか。日常を侵食するこの感覚が僕らを狂わせる。誰しもの心の中にジョーカーはいる。
ジョーカーの喜劇的妄想が現実を侵食する恐怖と悲哀
「ハングオーバー」3部作のトッド・フィリップス、喜劇畑の職人監督という認識だったが、アメコミのヴィランを題材に、これほど深い人間洞察と確かな時代性とトリッキーな作劇を融合させた心理サスペンスを完成させるとは!
精神障害を持つ無名コメディアンが、ゴッサム市を恐怖と混乱に陥れるジョーカーになるまでを描く。彼が憧れる喜劇人役にロバート・デ・ニーロ。監督は「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」の影響を公言しており、2作を鑑賞済みなら気づく点も多い。実在の連続殺人犯ジョン・ゲイシー(幼少から障害に苦しみ、成人後に道化師の装いで大勢を殺害)の影響も。
序盤でアーサーの妄想癖が提示される。最初は明示的だが、次第に妄想と現実が曖昧に。その過程はまるで彼の狂気が映画の現実(と観客)を侵食していくかのよう。終盤の暴動は格差社会で虐げられた人々の下剋上であり、トランプの時代に重なって映る。
怪演
ホアキンが怪演すぎてすごい。登場人物が少ないからわかりやすい。
とにかくジョーカーが可哀想。超大作という感じ。
ダークナイトなどの今までのジョーカーとは全然違う。
ドーランの下に涙の喜劇人
あのロバート・デニーロも出演しているこの映画は、『タクシードライバー』、『キング・オブ・コメディ』に影響を受けて製作されたらしい。
笑いに自分の居場所を見つけ出した主人公が、心ない人々から蔑まれ、罵られ、踏み付けられて、悪の権化ジョーカーに変貌していく。
後半のジョーカーに変貌してからの展開に驚愕した。ああそこまでしてしまうのか、ああそうなってしまうのかという疾風怒濤のストーリーに息を呑む。
主人公は「ドーランの下に涙の喜劇人」という言葉がよく似合う。
面白いストーリーなのに退屈な映画。
アメコミもジョーカーにも無知だが、映画「スーサイド・スクワッド」のジョーカーがスタイリッシュで魅力的で演じたジョーカー俳優のファンになったほどなので、俳優は別人だがジョーカー主役の本作観てみた。
ストーリーは凄く良いが映画の出来がイマイチ。耳障りな音楽がちらほらある。ジョーカーに変身するまでが長すぎる。でも変身するまでの物語自体は面白い、というギャップに苦しんだ。長さを感じさせるのは監督の技量不足だ。あと俳優に魅力感じないせいもある。
主演俳優ホアキン・フェニックスが不細工で、私は映画にはそれなりの美男美女を求めるタイプだから観てて辛い。リバー・フェニックスの兄にしてはリバーのような華も魅力も感じない。ただ味わい深さはあるから役によっては演技秀逸さも相まって彼の良さは出るだろう。しかしジョーカー役やるには魅力が全然足りてないこの俳優。過去のジョーカー役ジャック・ニコルソンやジャレッド・レトは華も魅力もあったのに。
それにこの俳優ホアキンは顔が深刻過ぎ。コメディアン目指してる役なのに全然そうは見えない。彼の顔から感じるのは悲劇のみだからダメ。いくら不幸な人物とはいえ多少なりともユーモラスな雰囲気醸すべき。ユーモラスだからこそ悲哀も増すのだ。ホアキンの顔はリアルでシリアス系に傾きすぎてるからジョーカーのようなアンリアルな役は似合わない。単なる底辺おじさんに見えちゃう。狂人っぽさはちゃんと出てたが。しかしホアキンは顔面から現実感出しすぎ。まぁ彼のせいじゃなく彼を選んだ監督のせい。レオナルド・ディカプリオの構想もあったようだがディカプリオならいい。ユーモラスも悲劇もアンリアルも狂人も十分いけそうな顔してる。たがジョーカーのメイクが似合わなそう。
ホアキンはジョーカーに変身してからは良くなった。ジョーカー姿がサマになってる。演技上手いからか階段上で踊る時の体の動きもいい。このあたりはさすがだと思うこの俳優。
この時(階段で踊る時)は音楽も凄い良くて場面に合ってた。だが音楽良かったのはこの時だけで、以降は再び耳障りな音楽に変わってしまう。それが残念。安易に不快な音楽使うべきじゃない。
ジョーカーに変身直後の階段上で踊る場面は、スローモーション、水たまりの水しぶき、煙草の煙、全て映像美を感じられるし良い音楽だしmusic videoとしてここだけ何度も観たい。やみつきになる。衣装のカラーもいい。しかし映像も音楽も、良かったのはここだけなのが残念。
主演のホアキンに不満ありつつも、変身後のジョーカー姿は良いし、司会者殺す直前の演技秀逸なのは満足。まあ変身するまでが、見ててとてつもなく退屈ではあるがこの人なせいで。せっかくジョーカーという魅力的なはずのキャラなのに・・
ジョーカーが、テレビショーに出演。カーテン開けて舞台に出る場面をテレビ画面通した映像にしてるのが不満。登場の瞬間はリアル映像で映したほうが感動すると思うけど。ジョーカーに対する司会者マレーのツッコミがどれも秀逸。ジョーカーの「この社会だってそうだ。善悪を主観で決めてる」という台詞が好き。マレーをいきなり銃で撃ち殺すところ最高で、その直前から不穏な音楽で盛り上げるのも良いし、その時のジョーカー役ホアキンの演技も秀逸で完璧。
信望者が救急車でパトカーに突っ込みジョーカー助けるところ凄く良い。終盤の荒れたゴッサムシティ大好きだ。ジョーカーは市民のカリスマとなるが、ホアキンはカリスマというより熱狂的な信望者を演じるほうが似合う。
主人公のホアキン自体に魅力感じないのが残念だし、それをくつがえすような作品自体の魅力も出来の良さも感じないから更に残念。映像、音楽、雰囲気のどれか1つでも突出したものが欲しかった。変身後に階段で踊るシーンは凄く良かったが、そこだけ良くても意味ない。というかあのシーンは監督凄く力入れたんだろう。ならば他ももっと頑張って欲しかったが。本作はストーリー頼みのよくある単なる普通の映画という感じ。
別監督か別俳優でこの映画を観たい。ストーリーめちゃくちゃ好きだから。
①映画の出来の良さ、②映画の魅力(映像や音楽等)、③主演俳優の魅力、この3つのうちせめてどれか1つで良いからあれば私的に特別な映画になった気がする。それくらい物語も世界観も大好きだ。本当に残念。ぜひ有能監督にリメイクして欲しい。
2023/01 VOD
ハーレイクイン
を見て気になって観たが…
最初だからなのか今一迫力にかけ、とてもハーレイクインが惚れる程の大悪党に思えなかった。
バットマンを観なければ駄目なのか?
病んだ時代を映す、心優しき《悪のカリスマ》
アメリカン・コミック映画の常識を覆す映画でした。
ホアキン・フェニックスの演じるアーサーは社会の片隅でひっそりと
老いた母親を介護しながら暮らす50男です。
超能力どころか、
金なし、
地位なし、
チカラなし
精神を病んで抗うつ剤を多量に飲み、カウンセリングを
受ける男。
仕事はピエロの扮装をした大道芸人で、笑わせる仕事なのに、
“ワーハハハハ“
“ワーハハハハ“と、
笑いだすと止まらない持病を患っている。
深夜の電車で笑いが止まらないアーサーを足蹴りにして
張り倒した証券マン3人を、銃で撃ち殺してしまう。
そうしてアーサーは悪の道に嵌って行くのです。
DCコミック映画で史上初のヴェネチア国際映画祭・金獅子賞と、
アカデミー賞主演男優賞をW受賞。
世界的に人々の共感と支持を集めたのは、自分たちの中に、
ホアキンのジョーカーが棲んでいるからだと思います。
急勾配の階段をピエロの姿で軽々とステップを踏みながら
踊るように下りる。
懐かしい80年代のBGMが鳴り、美しくも哀しい物語に
感動が湧きあがる。
この映画ではバットマンのブルース・ウェインは7歳の子供で、
アーサーの母親ペニーはブルースの父親のトーマス・ウェインの家政婦だった。
だから、ジャック・ニコルソンジョーカーとも、ヒース・レジャーのジョーカーとも
生い立ちが違う。
ゴッサム・シティを狂乱と混乱のるつぼに陥れるカリスマ・ジョーカー。
凶暴の嵐にゴッサム・シティは燃えあがる!!!
この映画は、
アーサーがジョーカーとして誕生するまでの全くのオリジナル・ストーリー。
脚本の素晴らしさとホアキン・フェニックスの繊細で大胆で独創的な怪演に
心底震えた。
本当に圧倒的で衝撃的な映画だった。
差別や貧困による格差社会の、差別された人々に捧げられたと
感じました。
映画館で3回視聴
3回も見に行ったのはこの映画が初めて。
私はこの映画を見ると元気になる。
自分の社会的弱者である側面がジョーカーを英雄にした。
英雄が悪を撃ち抜く瞬間は本当にたまらない。
バットマンより強烈
バットマンシリーズを一通り観てから辿り着いたが、
よりダークでより強烈でした。毎回ジョーカーを演じる役者は個性豊かですが、今回はより丁寧に描かれている分、狂気さがさらに伝わってくる一方、人としての悲しさもあり、なんとも切ない話でした。
感完
バットマンシリーズは未読です。
久しぶりに映画でここまでくらいました。
映像、構成、伏線張ってからの回収までの速さ、演者の力どれに置いても完璧だと感じました。
全てが美しく、全てが喜劇まさにJOKERの名にふさわしい映画でなかったでしょうか??
終盤の自血で笑顔の線を描くシーンあれこそこの映画の象徴でした。美しい
えらいもんを観てしまった
ホアキン・フェニックスの怪演に戦慄。
悲しみと苦しみを蒸留した結果、悪へと化学変化したかのような男の物語。あまりにも重苦しく痛々しいのでしばらく再見できないけれど、強烈すぎる爪痕を残す映画。
えらいもんを観てしまったとしか言いようがない。。。。
本当の悪は笑顔の中にある
名前の通りJOKER
全ては彼のジョークであり、監禁を逃れ最初の一歩を踏み出す
はたまたその後を描いたものなのか
妄想と現実がないまぜになる
走り書き
シナリオは大筋、アドリブを交えながらアーサーはジョーカーを演じたと考えると面白い
普通に考えるとどんでん返し?ジョーク落ち?
監禁されているジョーカー
カウンセリング、これは妄想?
監禁について言及しているが殺人が起きた現場に少なくとも居合わせたカウンセラーがいるのは不自然?
母との生活、自分の出自が分かっていく
前から知っていたことを脚色?→その後
妄想で作り出した?→ジョーク
暴動は広まり、アーサーはシンボルになる
その裏でウェインは殺され、息子が立ち尽くす
ジョーカーではなく扇動された暴徒が犯行を行う
これはジョーカーにとって喜劇でありジョークである
順当に考えれば暴動までの想像→脱出
深読みすれば脱出→暴動
そもそもアーサーがウェインの息子である云々も脚色?
見てみろよ、人間なんてこんなもんだぞ
湊かなえの「告白」の読後感に似た不快さが…
ホアキン・フェニックスの兄、
リバー・フェニックスの「旅立ちの時」を
直前に観た経緯がある中で、
ベネチア映画祭金獅子賞受賞や
キネマ旬報第1位の作品と言うこともあり
期待して観たが、何とも不快な印象だった。
出だしは、デフォルメの無いゴッサムシティ
が背景だったことに好感も覚え、
アーサーがどうジョーカーに変貌していくか
に期待を抱きつつ鑑賞し始めた。
ストーリー的には、
かつてのバットマンシリーズの前日譚
のような内容で、
バットマンの両親が射殺されるまでという
シリーズ冒頭につなげ、
なんとバットマンとジョーカーは母親違いの
兄弟かも、との興味深い展開を見せた。
しかし、アーサーがジョーカーになるまでの
人間性の変遷を描く視点は面白い着想では
あるが、そんな範疇を超えて、
犯罪の動機付けを与えるかのような
アーサーの変貌設定には嫌悪感を覚えた。
ジョーカーメイクで凶暴になる点は、
ドライバーがハンドルを握ることで
運転が荒くなることと似ていて、
この作品の製作陣が、
格差社会への啓発と共に
触れたい制作意図のひとつなのだろうが、
しかし、これらの点だけが大きなウエイトを
占めているとしたら
底浅いメッセージとしか感じ取れない。
何か、
湊かなえの「告白」の読後感に似た感覚で、
両者とも、ある意味、人間不信に陥っている
のではないかと勘ぐってしまった。
兄リバーは「旅立ちの時」で、我々に希望を
与えてくれる役柄に出会えたが、
弟ホアキンにとってのこの役柄は果たして。
タランティーノ、スコセッシ、
イーストウッド、ケン・ローチらの大御所の
作品が揃った選出年ではあるものの、
いずれも代表作とは言い難いレベルの作品
だったと感じている。
このことが左右したのか、
私にとっては映画鑑賞の際の
大切な指針としているキネマ旬報ベストテン
ではあるが、
結果的にベストワン作品には相応しくないと
感じる作品が選定された
数少ない年のひとつと思えた。
とても良かった
1番好きな映画の一つです。
バットマンの両親や、幼い頃の出来事を知っておくと感じるものが多くなると思います。
物凄い話題作だったけど…
見終わった感想として、それほど印象的でもなかったかな~。
ジョーカーの大ファンが見るとまた違うのかも。あとスーパーマンのストーリーを知らないといまいち、ジョーカーの悪役としての魅力がわからないというのもあるでしょうね。
閉塞感に包まれた男が、殺人をして、解放されていく話。
最後には、カリスマ性を身に付け、悪の帝王の誕生、みたいな流れでしょうか。
あまり印象に残らないのは、どんでん返しが特にないからですかね(笑)。
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