ジョーカーのレビュー・感想・評価
全1569件中、241~260件目を表示
彼の妄想?
ラスト、パトカーで護送される途中に暴徒化したピエロたちに救出され、彼が悪のヒーローに祭り上げられる。「ジョーカー」誕生の秘話である。そしてピエロの一人がウェイン夫婦を射殺し、息子のブルース・ウェイン(後にバットマンとなる)だけが生き残る。
ところがその後、突然に精神病棟に収監されたアーサーとカウンセラーのシーンとなる。今までの事は妄想だったということ?直前のシーンとこのシーンに至るまでの説明が全くないので、色々な解釈ができてしまう。
<私見:妄想説>
悪のヒーローに祭り上げられた後に、結局警察につかまって精神病棟に収監されたと考えることもできる。
ただ悪のヒーローに祭り上げられて、「ジョーカー」誕生と言うところで終わった方が、映画的には良いと思うので、わざわざ精神病棟の部分をラストに挿入する必然性はなかったはず。また、直前までは髪の毛が緑色だったのに、精神病棟のシーンでは急に黒に変わっていたのも不自然だ。なので、やはり妄想であるということだったと思う。
そう考えると、どこから妄想だったのか?どこからと言うよりも、部分的に妄想であったと言うことも考えられる。例えば同じアパートの黒人の女性と付き合っていたことが妄想だったことが一番わかりやすい。ただ、それ以外の部分についてはいまいちはっきりしない。
結局最初から妄想で、現実はラストの精神病棟だけだったのではないだろうか。そう考えると、カウンセラーを殺して精神病棟を逃げ出し、妄想の「アーサー」から現実のあのお馴染みの「ジョーカー」になっていったのであろう。
つまり「ジョーカー」の最初の殺人が、この黒人のカウンセラーになる。今までの殺人(妄想の中で)は、すべて彼が憎しみを持った相手であったのに対して、このカウンセラーは特に憎しみはなかったはずである。 それなのに、殺してしまったと言うところが「ジョーカー」らしくないか。また、このカウンセラーの殺人のみ、殺人シーンがないのである。この2点で、現実の殺人と妄想での殺人を線引きをしていたのではないか。
<タクシー・ドライバーへのオマージュ>
所々にタクシー・ドライバーへのオマージュを感じる。そもそも主人公のセリフ回しが、タクシー・ドライバーのトラヴィス(ロバート・デニーロ)に似ているし、ロバート・デニーロ自身も出演している。
同じアパートに住む黒人の女性が、ピストルに似せた指で頭を撃つ仕草をして、主人公も真似をするシーンがあるが、タクシー・ドライバーにも同様のシーンがあった。
<印象に残った曲:send in the clowns>
もちろん 「ホワイト・ルーム」やチャップリンの「スマイル」(モダン・タイムスで使われた曲)も良かったが、この曲が特に気にいっている。clownはピエロのことで、最初の3人組が殺される前に、3人組の1人がこの曲を歌いながらピエロのメーキャップのアーサーに暴行加えようとした。そしてこの曲はもう一度、エンドロールでシナトラが歌った曲が流れる。
<印象に残ったセリフ>
(アーサーのジョーク)
I just hope my death makes more sense(cents) than my life .
私の死が私の人生より意味のあることを望む。
(私の死が私の一生より稼げることを望む)
<その他>
ジョーカー役のホアキン・フェニックスは、あのリバー・フェニックスの弟だったということを最近知った。
悪役ジョーカーにあった背景とアメリカ世相
ウィリアム・フリードキン
「エクソシスト」の階段で踊る。地下鉄駅の階段で後ろから人を拳銃で撃つのは「フレンチ・コネクション」。地下鉄のドアが閉まる時に乗るか乗らないかもあった。ウィリアム・フリードキンへのリスペクトが見受けられた。内容、絵ともに素晴らしい映画。文句なく新時代の傑作。これを観て分からないとか言ってる人は、知能指数が低くて理解できないか。別の映画ダークナイトのジョーカーを期待した幼稚な人。
悲しい人間の話
巨人の肩に乗る
「巨人の肩に乗る」。この作品も当たり前ながら、多くの先人の作品の肩に乗っている。
「時計じかけのオレンジ」が大嫌いだ。アレで男性のピエロが苦手になった。欧米の人にもピエロがキライ、こわいという人が少なくないのだと知ったのは割と最近だが、自分だけじゃないんだとちょっとホッとした。
キューブリックは個人的にオーケーな作品とNGな作品があって、2001年やフルメタルジャケットはオーケー(好きなわけじゃない)、時計じかけはNG。シャイニングは見る気にならない。きっとNGだから。
でも、JOKERは大丈夫だった。問題ない。キューブリックの肩に乗ってないから。
作品が始まってすぐに感じた。この感じはラース・フォン・トリアーだ。「ヨーロッパ」にリズムが似ている。そして「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の追体験。あの時と違って泣きはしなかったけれど。
観たあとにTwitterで検索すると同じことを感じていた人が多かった。さらには「タクシードライバー」。
倫理あるいはポリティカルコレクトネスとマーケティングあるいはポピュリズム。作家がこれらをどうバランスをとるか。ハリウッドの優秀な映画人はここがうまい。PIXERしかり。MARVELしかり。スピルバーグ、ルーカスしかり。
#joker #jokermovie
この作品がヒットした背景が重要
言わずと知れたバットマンの悪役「ジョーカー」 。
このジョーカーの誕生譚。
監督はトッド・フィリップス、主演はホアキン・フェニックス。
以前、同じくジョーカーが主役の映画「ダークナイト」を観たことがあった。
作品公開後に夭折してしまったヒース・レジャー演じるジョーカーも素晴らしい演技だったけど、今回のホアキン・フェニックス演じるジョーカーは、それに負けず劣らず素晴らしい。
特に、あの笑い方はなかなかマネできない。
引き笑いのような声は、笑っているようにも泣いているようにも聞こえる。
まさに怪演。
この映画が評価高いのも納得である。
さて、ストーリーについてだが、話としては結構単純。
先天的に笑い病とも言える病気に悩まされる主人公のアーサー・フレック(ジョーカー)が、売れないコメディアンを続けながらも慎ましく生きていたところ、様々な不幸が重なり、闇に落ちていく。
この不幸がまた1つ1つ重い。
最初に不良に襲われるのも気の毒としか言えないし、電車内で銃を使って3人を射殺するのもある意味正当防衛とも言える。しかし、殺人を犯してから、徐々に不幸度が上がっていく。出生の秘密を知り、さらに恋人だと思ってた人との関係性が実は妄想だとわかり、さらに自分の舞台がTVで流れ晒しものになってしまう。
最初、アーサーは社会(法)の枠に何とか納まろうともがいていた。
しかし、一度殺人を犯してから、徐々に狂気が増していく。そして、最後は社会の外へ飛び出し、心が解放されてジョーカーとなる。ジョーカーとなった後に、階段で踊っている姿はまさに解き放たれた姿そのもの。
そして、ラストへつながる。
前作のダークナイトでも感じたが、バットマンシリーズの登場人物は、アベンジャーズのような特殊能力を持ったヒーローではない。バットマンも結構普通の人間だし、ジョーカーも今作品で最後に車の事故でかなりダメージ受けてた。
おそらく、この設定が良いのだろう。
空飛んだり、敵をなぎ倒すようなヒーローものだと、ここまで悪役に共感はできない。1人のちっぽけな人間が、普通の人が感じる苦悩を通じて悪に染まっていくからこそ、その悪の姿に共鳴する。
そして、舞台となるゴッサムシティは、現在の「格差問題」を象徴している。
アメリカはそれほど詳しくないが、舞台は1970年代のニューヨークのサウスブロンクスあたりがゴッサムシティのモデルではないだろうか?
当時は相当な貧困街で、犯罪も多発していた超危険地域だったらしい。
映画を観てる人は、裕福な人が没落して、悪という形にしろ貧しい人が台頭していく姿にカタルシスを覚える。現在のアメリカ・・いや、日本含めて全世界でヒットするわけだ。それくらい全世界で格差が広がっている。私も、最初はいたたまれなくて観てるの辛かったけど、途中からだんだんとジョーカーに同調するようになったもんな。。。
それに、ジョーカー=「悪」と簡単な図式に落とし込むのは正しくない。
私はバットマンシリーズはダークナイト以外は観ていないので、鑑賞中は全く気付かず映画観終わった後で知ったのだが、最後暴徒に殺されるトーマス・ウェインの息子であるブルース・ウェインが、後のバットマンらしい。
最後のシーンでこの息子がやけにクローズアップされてたので「何でだろ?」と思ってたけど、なるほど、そういう理由だったのか。
ただ、このブルース・ウェインは、明らかにバットマン=「善」という描き方をされていない。これは「ダークナイト」に繋がる伏線なのだろうか?
つまり、この「ジョーカー」は「ダークナイト」と一緒に観て完結する作品なのだろう。
いずれにせよ、久々に良いハリウッド映画を観た。
我々の社会を維持するためには、ジョーカーは「悪」である必要がある。
しかし、そんな「建前」が通用しないほど、世の中に不満が溜まってきている。
その1つの現象が、この映画「ジョーカー」のヒットに隠されている。
単純な「善悪」の話ではなく、不幸で狂気的な男の誕生秘話ってだけでもない。評価が高いのは、ホアキン・フェニックスの怪演だけが理由ではないはずだ。
その背景をしっかり読み解くべきだ。
一回見れば良いかなぁ
バットマン自体、実写映画は観たことが無く、昔のアニメで観た程度なので、ジョーカーがバットマンシリーズの悪役という事しか知らずの視聴。その方が先入観無くて良いかなと思ったけど、どうも後付け設定の様で。
ジョーカーは精神に障害。被害妄想と幻覚を繰り返す。生い立ち自体は可哀想ではあるんだけど、全然感情移入は出来ない。
世間的には評価は高いらしいけど・・・・。ジョーカーに拘らず、一人の名も無き異常者の物語として、作った方が良かったんじゃないかなぁ。
すさまじいな
ここ数年でいちばんグッときた
本当の〝ふつうのひと〟に気づかない世の中
このジョーカーは極めてふつうのひとの感覚を持ったジョーカーであると思う
もちろんサイコな要素はあるけれど、あくまで要素だ
表面は笑いながら、辛い現実に対して辛いとかつまらないとか理不尽だという気持ちをたくさん持っている
優しくしてくれる人も選ぶし、母には優しくという一般感覚もがんばっている
ただ、ふつうのひとを拾い上げない現実がトリガーになって突き抜けてしまうだけである
いつこんなダークヒーローがでてきてもおかしくない今の世の中であると思う
喜劇なんて主観
これがジョーカーなのだろうか?
「バットマン」を恥ずかしながら観ていないが、その分純粋に楽しめた。...
「バットマン」を恥ずかしながら観ていないが、その分純粋に楽しめた。
アーサーの動きも映像も秀逸で、ひきこまれた。
他の方のレビューを読んで、たしかにこれどこから妄想なんだろう、と…観終わってからもそれを考えてワクワクできています。
世間が知っているジョーカーの人となり(設定)を知らず、なんというか「出会ったら距離取るだろうなぁ、理解できないし、単純に怖い」と思った。気の毒ではあるんだけど…。
それにしてもホアキン・フェニックスすごい。
嫌いになれない悪役
「救い」とは何か
『バッドマン』に描かれる悪役「ジョーカー」がいかにして誕生したかを描く作品。
作品の性質上、ここからまたストーリーの始まりを想起させるようなエンディングになっているので、何でもハッピーエンドや言い切り系の作品がお好みの人にはオススメしない。
悪を生む社会の闇、
「絶望」がもたらす悲しい選択、
正直、映画の世界はどこまでも救いがないのだけれど、社会的弱者の代弁者たるジョーカーがむしろ民衆の「救い」となりヒーローとなっていく様を、決して正当化するわけではなく丁寧に描いたのではなかろうか。
階段で踊るシーンや血でグラスゴースマイルのメイクをするシーンなんかは神聖で、ジョーカーが崇高な存在に思えてくる瞬間だった。
現代よくあるSNSでの誹謗中傷が 直接きてるような印象でした。 心...
現代よくあるSNSでの誹謗中傷が
直接きてるような印象でした。
心ない人達がアーサーを殺し、
ジョーカーを生み出してしまった。
他人の素顔を知るのには時間がかかるし
私自身、不思議な行動してる方をみると
あれ?って思ってしまうけど
そのちょっとした気持ちが
既に差別なんだと思いました。
アーサーのまわりには少しの行動で
性格や人柄を決めつけて責める人が多くて
アーサーに心を寄り添える人、
アーサーが心から寄り添える人が
いなかったのが残念でした。
映画館では怖くて観れず
先にアカデミー賞のホアキンのスピーチを
見ていましたが改めて作品を観て
ホアキンの演技力表現力素晴らしさに
感動しました。
全1569件中、241~260件目を表示