魂のゆくえのレビュー・感想・評価
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信仰心と環境破壊
キリスト教や己の信仰など重苦しく小難しそうな環境汚染による社会問題を背景にしながら、物語の核となるのはポール・シュレイダーが再度描いたような「タクシードライバー」のトラヴィス・ビックルが頭に浮かぶ、地味に狂気性が帯び始め自滅の道に突き進む牧師である主人公。
教会に対する不信感が芽生える出来事から、そうさせるタイミングはどこだったのか、自爆テロ寸前からキリストの鞭打ちのような有刺鉄線グルグル巻きが自傷行為とマゾスティックな一面にも、最後は愛し合いながら唐突に終わる。
エドワード・バンカー原作の「ドッグ・イート・ドッグ」を監督したポール・シュレイダーに落胆しながらも、脚本家としての「タクシードライバー」と「最後の誘惑」や三島由紀夫を描いた「Mishima: A Life In Four Chapters」が思い起こされる意欲作として素晴らしい。
テーマが面白いけれど…
環境破壊と宗教というのが私には新鮮で、ストーリーの展開もおもしろく、トラーの渋い表情にも魅せられる。
でも、終盤に近づくにつれ、トラーの顔はじっくり映しだされなくなるし、日記は途中からどうかなっちゃうし、ということで、彼の心理が今ひとつわかりにくかった。
メアリーでストップがかけられてよかったとは思う。それは人間らしい側面とも言えて、悪くない落ちだと思う。
メアリーとは魂がつながっているというような特別な関係で、彼女への愛情が理詰めで出した計画の価値を凌駕した、というようなことだろうか。
私にはいまいちそのあたりがわかりにくくて、繊細で悩める牧師さんが、途中からプッツンして頭どうかなっちゃった男に豹変した、という少し残念なお話に見えがちだった。
経験不足ルーキーみたいなキャラを演ずる事の多いイーサンホーク。今作...
経験不足ルーキーみたいなキャラを演ずる事の多いイーサンホーク。今作もそんな感じのキャラクターで、若きトラー牧師を好演。
信者がボロクソ言ってきてムカつくんスよ、みたいな愚痴言うとこ面白い。聖職者だというのに。牧師といえど人間だが、あえてそういう面ばかりみせているのか。ずっと聖職者らしからぬ行動選択をしている。
自分に有刺鉄線巻きつけるのとかダヴィンチ・コード以来久しぶりに見た。思い切って自爆するか、とか、未亡人と愛のランデブーとか、異様に濃い内容だった。
宗教、環境、愛、やっぱり愛だろ、愛。
原題のFirst Reformedは教会の名前なんだけど、劇場公開されていた頃にGoogle翻訳したら、魂のゆくえと日本語変換されていた、今はそう訳されない。
信仰があるから、答えを求めているが、自分で取り組まない老人。
まずもって、宗教色の強い映画だから、キリスト教や教会について積層した考えが無いと、ほぼ何も分からないのは仕方がない。それで多くの人が半目で2時間をただ無駄に過ごしたとしても、そもそも客として想定していないので、字幕のない外国語映画をただ見てみたというに過ぎなくなるという意味では雰囲気ものでもある。
しかし構想50年というだけあって、古くかつ未熟なアメリカンキリスト教のオンパレード。
これで現代キリスト教を問う!というなら、半周遅れで、親権力だろうが、反権力だろうが、福音派だろうが、社会派だろうが、聖書を唯一の規範としながら、劇中でも一つも取り組みもしないキリスト教は、「自由」の前に大きく後退しているのだ。
宗教改革チックなものをトラー(トーラー;律法?)から表しても、その矛盾と限界に対する提示が問い止まり。
天使とマリアを通して、救いの道が示される、というのも、分かりやすいがやはり足りない。私たちの罪をキリストは愛によって道を開く的なもう賞味期限切れの陳腐さ。それがアメリカンキリスト教では現代でもまだまだ鮮度の高い刺身なんだから、ちょっと贅沢なファッションといった所。
ラストが長めのブラックだったので、キス=聖域の最中に、意図的でなく、爆発しちゃっての死かなともよぎったけれど、監督言行等見るに、そこまでの深遠さはなさそう。意図的な死も偶然的なものも全ては神の下にある、というより、やはりメアリーが来たのは神のみ心とフツーの感じが否めない。
牧師からして全く未熟で、伝統的に従軍牧師やって、息子が死んでも被害者の顔。自殺を止められなかったというこれ以上ない自身の無効性にキリスト教で向き合えないアメリカン。しかし、これでも現代のアメリカでは十分に現実に迫った問題作になり得るのかな。環境にしろ、宗教にしろ、老人がただ託すだけの遺言映画という感じ。
キリスト教に詳しくないと難解?
渾身のむっつりスケベ映画。
その先は誰も知らない
謎
!?
DVDが届いた時の率直な気持ちだ。
とりあえず見始めたが、初めはミュートになっているのかと思った。
延々と陰鬱な映像が続き、ストーリーも全く展開しない。
しばらく我慢したが、当然のごとく寝たzzz
起きて多少戻して観たが、結局何もなかった。
息子を戦争で亡くし、妻とも別れ、加えてがんになって、
さらには自分を頼ってきた男をも見殺しにしてしまった牧師が、
その男の妻に横恋慕して盲目的な環境保護運動に傾倒して破滅する話。
これで合ってるだろうか。
とにかくつまらなかった。
なぜレンタルしたのかを確認するため、改めて予告編を観たがやはり分からなかった。
アマンダもかつての煌きはどこへやら、役柄とはいえやつれが目立った。
私は救済されなかった
この現代における、正当な宗教改革を提言している。プロテスタント批判映画です。
ジョーカーよりも更にタクシードライバーっぽい・・・っていうか、この映画の方がよりリアルかもしれない。
めちゃくちゃ宗教映画っぽいけど、宗教映画みたいなチャチで分かり易い救いはありませんので、ご安心を笑。
まあしかし宗教的な論争を引き起こすことは必須。
なぜならこの映画は、ピューリタン革命時にカトリックを批判した時と全く同じ論理でプロテスタントを批判した映画だからである。
ピューリタン革命において、清教徒たちは、カトリック教会の「汚職」や「行きすぎたお布施集め」(要は、お金にがめつい教会)を批判した。
そして現在。
アメリカではプロテスタント教会が、かつてカトリック教会がしていたことと全く同じことをやってしまっている。
政治献金やら、巨大な企業の広告塔やら、メガチャーチ作ってウォールマートみたいなこと始めたり・・・かつてカトリック教会のように、すげーお金にがめつい組織になってしまったではないか!
この映画は、現代版の宗教改革だと言える!
皮肉なことに歴史は繰り返すのである。
元々、資本主義はキリスト教プロテスタントからはじまったと言われている。
資本主義は、人間に対して富と繁栄をもたらした。
しかし結局のところ、かつてあった「隣人愛」「神の国の実現」というプロテスタントの理念は忘れ去られ、資本主義登場以前の弱肉強食の世界に戻りつつある。
もはや資本主義なんていうものは存在しておらず、この世界は神の国を壊そうとしている弱肉強食の世界に成り下がってしまっているのではないか・・・。
次はどんな宗教改革がなされるのでしょうね。
信仰とは
かなり面白かった。さすがに渾身の一作。
トランプや大企業寄りの政治家は、石油関連の企業が規制を受けないように「地球温暖化なんてないんだ」と言い続ける。
そして、中絶、同性婚の違法化を望む福音派は自分たちが求めることを約束させるために、共和党を支持し、取り引きとして環境保護には目をつぶる。
政権参画なんていうエサに釣られて、地球環境の問題を取り引きに使ってる場合じゃねぇだろ!宗教は本来の目的に立ち戻れ!っていう強いメッセージを感じた。
末期症状のトラー(地球)が、メアリー(生きる喜び、無垢なる生命)と呼吸を合わせることで、二人はトランスする。そしてトラーは自らの信仰と矛盾と葛藤にケリを付ける。
ところが、当日メアリーが現れたことで自爆計画は断念。こうなれば有刺鉄線で自らの身体を傷つけ、パイプ洗浄剤をあおるしかない。聖なる願いを叶えるために。
だけど、衝撃のラスト。生きる喜び、無垢なる愛の前に誰も抗うことはできないのだ。
邦題はあまりよくないかも知れません。
神はそこにいたのか?
あのタクシードライバーの・・・
鬼気迫るイーサン・ホークが頭から離れない
社会で起きている問題について、教会が果たすべき役割とは何か
現状を何一つ変えられないどころか「悪」の一端を担っていると感じ、もがき苦しむ神父を描く
イーサン・ホーク演じるトラー牧師は、かつて、戦場に息子を送り出し、その結果、息子が戦死してしまったことを悔いながら生きていた
そしてさらに、信者のメアリー(アマンダ・セイフライド)から、環境問題活動家の夫について相談を受けていたにもかかわらず、彼を救えないという事件が起きる
そのことをきっかけに、環境問題について興味と関心を持つようになったトラー牧師は、自身の教会に問題点があることに気付く
それを知ったトラー牧師は、どう行動すべきなのかと、思い悩む
その昔、教会はもっと積極的に社会問題に関わっていた
この映画でも、奴隷制度から逃げ出す黒人たちを匿うために、秘密の地下室が作られていたエピソードが語られている
そのことは、その教会を受け継いだトラーにとって誇りであり、奴隷制度の悲惨さを子供たちに語る教材に使っていた
しかし、現在の教会はどうだろうか
化学汚染物質を垂れ流す企業から資金提供を受け、存続させている
それは、社会問題に関わるどころか「悪」の片棒を担いでいるのでは…と、トラーは自分を責めるようになる
そして、自身の身体を化学物質で汚染し、助けようと差し伸べる友の手を払い、キリストがそうであったように荊で自分に刑を与える
しかし、それは、既に、トラーだけの問題ではなく、地域社会の政治の問題であり、トラーが自身に罪を与えたところで、その町の環境汚染が止まるわけではない
現在、公開中の映画「たちあがる女」でも、加速する環境汚染について、一人の力では止めることができず、そんな世界で生きていく子供たちを憂う姿が描かれている
それならば、同じ会派の教会が集まって、社会に対して異を唱えればいいのだろうけど、系列の教会は運営費欲しさに企業に尻尾を振っていて、問題意識が低く、足並みが揃わない
そうなると、後は政治が温暖化を止めるべきなのだが、現大統領は温暖化そのものを否定している
私は、この映画の結末を見て、トラー本人は神に許されたのだと思った
しかし、ここでどんなに叫び声をあげても、残念ながら、大統領の耳には届かない
ということは、世界は破滅に向かおうとしているということなのか
そこから先は、観客一人、一人の良心に委ねられているのだ
鬼気迫るイーサン・ホークは、時折、目を背けたくなるほどの狂人ぶりだった
そんな彼の狂った姿は、狂った地球を表しているのかもしれない
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