第三夫人と髪飾りのレビュー・感想・評価
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ベトナムの恥部と美をともに描く
これが長編デビュー作というアッシュ・メイフェア監督だが、素晴らしい才能の持ち主だ。19世紀の女性の苦難と男性の不自由さをともに描き、安易な男女対立として描かない。女性は男を産むことだけが価値とされ、男性には自由な恋愛は許されない。一方の不自由がもう一方の不自由を生み出し、不自由が循環していることが描かれている。
美術にトラン・アン・ユンが参加していることもあって、セットとロケーションが美しい。ベトナムの歴史の恥部を描くと同時にベトナムの美しさも同時に描いているのが印象的だ。14歳の第三夫人が主人公だが、第一夫人、第二夫人の苦労も描かれており、3人が協力しあって困難を乗り越えようとしているのも本作の特徴で、大奥のような愛憎劇ではない。それは監督の祖母から聞いた話を基にしているそうだが、監督の家族とベトナム文化への深い愛が感じられる素晴らしい作品だ。今後、アジアを代表する監督に成長してほしい。
ラストシーンの解釈について
第二夫人の娘が髪を切っていて、最後に一瞬だけ視線が誰かに向けられていて、ちょっと微笑んでいるようにも見える。多分、赤ちゃんと一緒にいるメイを見つけたのだろう。つまり、メイは赤ちゃんを黄色い花で毒殺していないということ。もし殺しているなら自分も死んで心中しているはず。彼女の性格から、子供だけ殺して、自分は生き延びるはずはない。したがって、メイと赤ちゃんは生きている・・・と解釈したい。
日本も大差はない
この映画は観てはいけない。
支配する者に支配される者。
男尊女卑に一夫多妻制度。
そこにある社会は支配する者が他人の生死さえ決めてしまう。
日本の家父長制を超煮詰めて映画にした様な作品なので、多妻以外は日本も大差はない。
生産性の無き者は生きる価値も資格もないのだから、死んでもいとわぬという価値観の最終型。
これがベトナムの実話というのだから…。
日本政治を動かす自民党の思想にとても近く、煮詰めると維新の会みたいな世界観が繰り広げられる…。
まさか日本とは違うとは決して言いきれない社会が官能と共に描かれている。
こういう世界観が日本に浸透していたという過去から、繰り返してはならないという反面教師的な作品であれば良いのだが…。
当たり前の様に受け入れる人間も一定数いるのも事実。なので、後者に続けと意気込む者達に観て欲しくはない。
美しい絵本のよう
監督の感性が滲み出たものなのだろう。映像も登場人物たちもひたすらに美しい。ただ、断片的なシーンの積み重ねで進んでいく物語は、映画としてはやや物足りない。映画のダイナミズムがなく、美しい絵本のようである。
女性たちは一見したところ仲睦まじく幸せを享受しているようである。むやみに蔑まれ貶められるような場面は少なく、取り乱し方も物静かで、罵り合うようなこともない。でも一様に眼が鋭い。多くを語らず、我慢も決意も胸に秘める強さを感じる。
監督にも登場人物にも、抑圧に対して批判的な主張は感じられない。ただ事実を記録に残したい、できれば美しく描かれたい、という気持ちを感じる。そしてその通りになっていると思う。
女性の宿命
14歳で嫁入り
昔だったら当たり前だったのかもしれない。でも今の時代生きている人は考えられないと思います。
一夫多妻の時代においては
男の権力が強くNOと言えない世界
女性は子孫を残すための物でしかない
これ等を全部受け入れていくには相当の覚悟が……女性には必要
三番目の婦人を中心に女性たちが美しく魅力的に描かれている。(13歳とは思えないほど落ち着いている)女の園みたいなところもあって女性側からで楽しめる。ほとんど男性の台詞はなかった様な気がする。息子は親同志で決めた結婚を強く背くことでその為に犠牲になる人もいる。娘も長い髪を自分で切り自ら生きていく覚悟をしているかの様な気がした
子供を授けた三番目の婦人は泣いている子供をどうしようとしていたのか最後、気になりました
絹を作るカイコの表現とか音楽とかも望郷的につくられて酔いしれる感じとゆったりとした自然の中で動物との暮らし日常の営みが綺麗に表現されていたと思います(闇の部分はありますがそれはどの時代においてもあるかと思います)
とても美しい 絵画で綴った叙事詩のよう
とても美しかった
美しい絵画が音楽とともにすぎていて、女性の美しさも際立ち、静かに時が過ぎていく
第三夫人と周りのひとびとの様子も上手に描いている
主人公はほとんど話さない 目や表情でどんな感情をいだいているかを見せる
時には目をそむける嫉妬、独占欲、
第一夫人の流産の悲しみ。
要所要所で蚕が出てきて、時の流れを映し出す 水もまた同じく
生卵の初夜のシーンも美しく
女性を求めるシーンは意外だったけれど、それは彼女が初めて官能を覚えた相手だから執着したに違いない
そして子供の「私は男になる」は男の子のほうが優位でかわいがられている、女しか産んでいないと形見が狭い、そんな環境を家族の会話で見せている
脚本が素晴らしくうまい。
スパイク・リーの全面協力というのも分かる
最後、赤子を殺そうとするのは、男の子を産むべきで男の子が欲しいから
髪を切るシーンもそう 男の方が良いから
(本当は、男だけでは子供は産み育てられないのだけどね)
祭りのシーンも良かったな
本当に素晴らしい。素晴らしいとしか言いようが無い
ベトナム人女性監督アッシュ・メイフェアさんの次作にも期待する
本当に良いものを見させて頂きありがとう
※ベトナムでは上映が禁止されたというのはとても悲しい
素晴らしい作品はいかなる理由においてもボイコットされてはいけない
19世紀? あのね、他人事ではないよ
映像端麗。
【制作の背景】
19世紀の物語で、監督の曾祖母の実話から作られた作品なのだそうだ。
男社会に従属させられる女性の地位は、昨年(2019年)にこの映画が作られたこと、(作られなければならなかったこと)により、出来たばかりのこの映画をして「社会主義国ベトナムに於いてさえ、未だに『男尊女卑』が残っていること」を、ある意味我々に教えてくれる。
(⇒リンクはあげられないが「トーキョー女子映画部」ほか[アッシュ・メイフェア監督]検索で非常に興味深いインタビューが載っている)。
【登場人物】
嫁いできた第三夫人のメイは、3番目で“末っ子”タイプののんびり娘だ。ポーっとして自らの運命をゆっくりと思い巡らしながら戸惑っている。
第一夫人は苦労人の長女タイプ。
そして第二夫人は“間”にはさまれて自由を求めている。この二番目の夫人の、そのまた次女がとてもいい! 歯を食いしばって匙を拒み、飼育される自分に抗う。そして永年の女の運命に訣別する“ある行動”を最後に象徴的に見せてくれた。
【演出の妙】
流産のアザミ茶
安楽死の黄色い花
川辺で首をくくる白い帯
水辺の村で、美しい山河をバックに、心を殺して男のために耐えて生きるか、あるいは別の生き方がこの水の先にあるのか。
峡谷、小川、雨、いく筋もの涙と、破水。そして水たまりと台所の湯気と・・たくさんの水の流れが印象的に妻たちの人生に流れていた。
言葉少なながらも、実に美しくシリアスな意欲作だ。
カメラは研ぎ澄まされた高感度映像。
そして人物描写はあの「パパイヤの香り」、「ノルウェーの森」のトラン・アン・ユンの薫陶を受けているようだ。
で、反骨のアッシュ・メイフェア監督はもしかして第二子あるいは次女なのではないかと調べたが、それは判明しなかった。
・・・・・・・・・・・・
ベトナム本国では、13才の主演女優の床入りシーン等でネット上で騒動となり、上映4日で打ちきりになったそうだが、それは“児童福祉法”的な規制や世論によるものだろう。
しかし、
思うが どうだろうね、
ベトナムって遅れてる?
文化遅滞国?
でもね、この映画を観ることさえ能わない人たちが意外と私たちのすぐ近くに存在しているのではないかな?
思い当たりませんか?
・・もしもこの映画を日本の国で、あの千代田区の名家の方々が、この映画をご覧になったらば、何を思われるだろう。
「男系の、跡継ぎの男児を産むこと」― たったひとつ、この役割だけを今日に至るまで一千年にも亘って求められている女性たち。
「誰が産んだか」は一切どうでもよく、
「父親は誰か」=その事だけが求められる伝統。
それ故ついぞ明治の時代までは側室が供され、石女(うまずめ)は蔑まれ、自由恋愛は世を上げて叩かれ、口角を上げながら生き、口角を上げたまま死んでいかざるを得ない、現代の奇習に幽閉されている、あの女性たちは。
映像がとても美しい!
美しい映像と共に話も淡々と進んでいくので衝撃的!となることはないけれど胸にじんわりと来る。
夫人同士の多少の嫉妬心はあるもののドロドロなどではなく支え合っているところが興味深かった。
第一夫人の息子の元に嫁いできた少女、そうなってしまうだろうなと思ったけれど…あどけない少女なだけに余計に悲しくなった。
色彩、色香、男尊女卑。
淡い色彩、官能的な詩情、女三界に家無し、な現実。
幻想的で魅惑的で悲劇的で、よかった。
美しく描かれる地獄は、とても見応えがあった。
優しく美しく深い映画
映画を観て、そして他の方々のレビューを見て驚いた。個々人でこれほどまでに感じることが違うなんて。描写があまりに微細で曖昧で控えめだから、何を言いたいのかわかりにくかったのか。いや、そうではない。女性が歴史的に背負ってきた「抑圧」を少しでも感じたことのある人なら、多くを語らずともこの映画の主題に共感できるはず。
ベトナムは今や一夫多妻制ではないし、18歳以下の女性の結婚も法律で禁じられている。なのになぜたった4日で放映禁止に追い込まれたのか。長い時間、しきたりや風習として人々の価値観や意識の中に根付いてきたものを、法律だけで変えるのは難しい。ベトナムには、まだまだこの映画で描かれているような意識が根強く残っているのだろう。日本でさえ、全くないとは言えないのだから。女性の苦しみと目覚めを正面から描いたこの映画は、そういう人達にとって都合の悪いものなのではないか。
映像の美しさ!
風景がとても綺麗、特に水の映し方がとても綺麗。女性も豪華な衣装を着ているわけでも無いのにとても美しい。少女達もとても美しい。
19世紀のベトナム、日本でも江戸時代は側室がいたのだから、一夫多妻も特に珍しくもないのだろうけど、まだ14歳、少女。でもこの主人公メイは第一婦人にも第二次婦人にも可愛がられ、その子供達とも姉妹のように仲も良く、夫の愛情も得られ幸せだったんだろう。
対照的に描かれた第一婦人の息子に嫁いで来た少女は、触れてももらえず、実家の父には恥さらしと罵られ帰ることもできずにあの結末。なんて気の毒。
実際にメイ役の子は14歳位で、こんな役をやらせていいものか、と心配になった。しかし幼かった表情から、妊娠した後に第一婦人と夫が愛し合っているところを見てしまい少し嫉妬してしまう。少しずつ女の表情になっていく。大した演技力。将来どんな女優になるか楽しみ❣️
映像美と女性の哀しみ
ベトナムの雄大な自然が綺麗です。19世紀の裕福な家。調度品や女性の絹衣裳も素敵です。この映像美だけでも、観る価値があります。物語は、14才の少女が第三夫人として裕福な家に嫁ぎ、女児を難産の末産み、育てはじめるまでを、淡々と描いています。女性には人権がなく、男児を産まなければ奥様と認められない世界。長男に嫁入りしたが拒否され自死した少女が、浴びせられた唯一つの務めも果たせぬのか!!の言葉に、私も深く傷ついた。
重い映画です
凄く重厚感のある重い映画です。
監督は女性らしいが、そう言われてみればなんとなく河瀨直美監督の作風に似ているような気がします。セリフが少ないので神経を研ぎ澄まして観る必要がある。
エンターテイメント性はありません。
【一夫多妻制の中、”与えられた運命”の中で必死に”役割”をこなそうとする女性たちの姿を、美しき色彩の映像を背景に描き出す。、”女性は子供を産む道具じゃない!”と言う激しい怒りを秘めた作品でもある。】
■19世紀 ベトナムが舞台
僅か14歳のメイは富豪の”旦那様”のもとに第三夫人として嫁いでくる。
ー彼女が川船に乗っている時の、前を向きキリっとした顔つきが美しい。彼女の”決意”が表されている-
この映画で登場するのは、成人男性は、ほぼ”旦那様”と第一夫人の”甘やかされて育った息子ソン”のみ。
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第一夫人の”ハ”は優しくも威厳があり、富豪一家を支えている。(男子を産んだことも影響している事が、劇中描かれる。)
第二夫人の”スアン”は娘を3人持つが、古株の使用人ラオから”男の子を産んでいないから、奥様とは言えない・・”と陰で言われている。
そして、彼女は”ある秘密”を持っている・・。
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■印象的なシーン
1.冒頭、メイの初夜のシーン。
”旦那様”はメイの腹部に卵を乗せ、それを飲み込んだ後、行為に移る。
―少しだけ、”タンポポ”のワンシーンを思い出す。卵って、エロティック・・-
そして、翌朝、メイが純潔であった”印”を庭の柳の木に掛けてあるシーン。
2.”甘やかされて育った息子ソン”に若い夫人トゥエットが嫁いでくるが、ソンはある人が忘れられずに、”手を付けない・・”。
そして、トゥエットは慣習にはないが、実家に戻される事に。
親戚と思われる男から”家名に泥を塗りやがって‥”と叱責されるトゥエット。
(心中、それはおかしいだろう、と激しく突っ込むが・・・)
あの、哀しきシーンが遠いアングルで描かれる・・・。
3.メイの出産シーン
男の子を望んでいたが、必死の思いで産んだ子は女児。
河原で幼き女児の顔の上にメイは”黄色い花”を添える・・。ええっ。
<運命に翻弄される夫人達の姿を、美しきベトナムの自然の風景、富豪の家に灯るランタン、夫人達が纏うアオザイの色彩を背景に描き出した作品。
が、19世紀が舞台とはいえ、”女性は子供を産む道具じゃないぞ!”と今さらながらに思わされた作品。
アッシュ・メイファ監督(女性)の強烈な怒りを”穏やか”だが”とても残酷な”幾つかのシーンで描き出した作品でもある。>
<少しだけ、チャン・イーモウ監督の”紅夢”を思い出してしまった・・。>
全ては流れる川の中
撮影当時、メイ役のグエン・フォン・チャー・ミーは13歳。この少女が演じた官能的シーンが物議をかもし上映禁止の憂き目。忘れちゃいけません、ベトナムはマルクス・レーニン主義とホー・チ・ミン思想を基軸とするベトナム共産党による一党独裁体制の国。そりゃ、こりゃ、アカン。社会モラル上。
奇岩の美しい風景の中を進む船には14歳の花嫁が乗っています。これが始まりの画。
無邪気に「大きくなったら男になって、たくさん花嫁を貰う」と話していた少女が、無造作にハサミで長髪を切り落とし、川に流し、満足げにほほ笑む笑顔が最後の画。
男尊女卑の村社会の風習に生きる少女メイの描写で始まり、無邪気に否定するニャオの笑顔で終わると言う象徴性が判りやすくて好き。
女々しいクズ青年に婚姻を断られ、「唯一の努めを果たせないのか」と父親に罵られた少女は川で首をくくる。少女の黄泉への旅は、流れの緩やかな川を上る小船。そのシーンに被さる様にメイが登場します。
「男の子を授かりますように。この家で最後の男の子でありますように」と言う願いは届かず、女の子を授かったメイ。この家で何人目なのか。母乳を拒否し泣き止まない赤子を右手に抱き、メイは仔牛を安楽死させるのにも使った毒草を左手に持つ。
女の命の価値の軽さ。
断ち切った髪の毛が流れる川面。
そんなに軽い命ならば。
女である事など、こんな風に川に流してしまいたい。
そうできれば良いのに。
この家にやってきた婦人たちの喜びも悲しみも、全ては川の流れの中で。
全てはとどまる事を知らず流れ去り。
遠い過去から今へ続き、どこまで流れて行くのだろうか。
って言う映画。
不描写による余韻の多用が気になるっちゃなりますが、結構な残酷場面やエピソードが、淡々と起伏無く続いて行く演出は好きです。最後の数分間は、鈍器で後頭部を殴られるような感じ。いや、実際そんな経験は無いから、適当に言ってますけど。確実にハリセンではっ倒されるよりは、鈍く痛かった。ハリセンは経験有るんで、これは間違いないです。
ちょっとだけ良かった。
少し前のベトナムは
こんな感じでした、という映画。
平凡で保守的などちらかというとやや不快なシーンを見せられる作品です。
ベトナム史に興味のある方は観た方がいいですが、それ以外の方には全くお薦め出来ません。
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