アスのレビュー・感想・評価
全260件中、41~60件目を表示
こわかったけどなんか惜しい
序盤に怖さのピークがきて、その後はずっと戦闘で、ホラーというよりアクションシーン多めな感じ。
影の説明もしっくりこないけど深くは考えない方がよさそう。
不幸な人たちは自分だったかもしれないし、立場は簡単に入れ替わってしまうことに、幸せに暮らしている人たちは気づいていないことが恐怖なのだという映画だった。
良かったところ
・影の家族が家に侵入してくるところが最高に怖くて良かった。そこがピークだったかも。
・影の動きが気持ち悪くて怖くて良かった。
・アクションシーンも楽しかった。
・主人公が実は地下出身で入れ替わっていたオチにも驚いたし、息子たちから見れば母親はあの人なので、バッドエンドなのかハッピーエンドなのかよくわからない感じが良かった。
・極限状態でも誰が運転するかとか些細なことで言い争いが始まるのが家族っぽくてあるあると思った。
悪かったところ
・全体的に編集がどうなの?って思ってしまう。
見せる順番とか変えたらもっとわかりやすくなる気がするけどどうなんだろう。最初の子供時代のとことか、現在にすすんだ時にさっきのは母親か娘か?ってなったし。普通に家族で引っ越ししてきたシーンから始めた方がよかったんじゃないだろうか。
・実は一番ワクワクしたのが影が出てきたときで、こういう場合、だいたいその正体は、幽霊、宇宙人、妖怪、精神病の幻覚あたりがありがちだけど、そのどれでもない影という新しい存在が発明されたんだ!と思ったのだが、ラストに実は地下世界のクローン実験の生き残りという、わかりにくく微妙な全然納得できない設定であることが判明し、とてもがっかりした。
・友達の家族が殺されるところ、ふざけすぎだろあれ
ドッペンゲルガーの告白
飛び抜けてアデレードに強い殺意を持つレッド。
あえて手錠をかけさせたのは何故か、
レッドの正体が明かされた時に分かる。
地下に押し込められた魂のないクローンたち。
その中で唯一、魂をもつオリジナルであるレッド。
彼女の絶望や苦悩を、久しく喋らなかった喉をつかい、絞りだすように一言一言吐き出す。ルピタ・ニョンゴの鬼気迫る演技。
冒頭に出てくる手を繋ぎ抗議する人間たち、ドッペンゲルガーたちの荒唐無稽な地下社会。
映画だけでは読み取りがたい監督の思いは、アメリカの移民問題など、社会への風刺であると知り納得がいった。
ジョーダン・ピールはダメだ
「私たちはアメリカ人だ」という台詞、テザードたちの赤い服、共通するハサミという武器。何か意味ありげな描写は多いものの、ありげなだけ。
ジョーダン・ピールを「鬼才」とするコピーも見かけるけど、鬼才っていうのは狂ってるけど、その中に美学や芸術があるひとのこと。フォン・トリアーとか、園子温とか。ジョーダン・ピールの場合、ぶっ飛んでいるだけ。
「ゲット・アウト」のときもぶっ飛んでいるだけで、最後まで何も回収してくれなかった。
今回も、人間を複製して生まれたのがテザードたちなのはいいとして、複製していないはずの人間が勝手にうまれてくるのもよくわからないし、何より入れ替わったアデレードとレッドが、入れ替わったことをお互い忘れてるのも意味がわからない。
みんなで手をつないで、さぁ歌おう! ♪うぃあ~ざわぁ~
WOWOWの放送にて。
ホラーの新境地かな、という印象。
監督&脚本のジョーダン・ピールという人、コメディアンだということでコントの脚本・演出なんかでも才能発揮してたのだろう。
まず、何より発想が斬新。これは『ゲット・アウト』に引けを取らない。
自分達とよく似た家族に襲われるという、とてつもない恐怖…
ただ、襲われる描写は従来のスラッシャーと比べて新味を感じられないのが物足りない。
なんとか逃げ出した主人公一家が街で目にする光景、これがまた斬新だ。
スラッシャーは閉じた環境で事態が進む場合が多いが、街中がこんなことになっているのはゾンビ映画くらいだろう。
彼らが何なのか…
映画の冒頭で何千キロにも及ぶ知られざる地下道の存在が語られ、「ハンズ・アクロス・アメリカ」の活動を報じるテレビニュースが流される。
そして、ルピタ・ニョンゴのクローン(ドッペルゲンガー?)が語る、彼らが作られた存在でありながら葬られたのだという真相。
ここで残念ながら自分は興醒めしてしまった。
あまりにも無理がある。
彼らが自分たちの責任ではなく阻害された存在であることで、この映画に社会的なテーマを持たせたかったのだろう。
それは解るが、なんとも。
全ての人にクローンがいて、地下で同調した動きをしていたというのは、説得力がなさすぎる。
ホラーとしては、訳が分からない存在のままの方がよかったと思う。
「ハンズ・アクロス・アメリカ」に繋げたのは、あの活動を揶揄する意図があったのかもしれないが、単に不気味に見せる効果があった。
あの程度に少し風刺意図を感じるくらいに抑えておけば、純粋にコワ面白い映画として楽しめたと思う。
ルピタ・ニョンゴのどんでん返しの〝秘密〟も物語としては面白いのだが、あの説明があったがために逆に矛盾が浮き彫りになってしまった。
カメラワークと音楽がとても個性的
前作の「ゲットアウト」はサスペンスで今回はホラー。
最初から最後まで怖くてドキドキした。
しかし途中で少しコメディタッチが混ざり込む。
さすがジョーダンピール。
そして油断させた隙に、ドキッとさせる。
気持ちが壊れそうになった。
ジョーダンピールの作品はカメラワークと音楽がとても個性的で、次回作も楽しみ。
ホラーというより不気味系スリラー ※ネタバレは纏めて最下部
ジャケ写が完全にホラーですが、見てみると完全にスリラー。設定がちょいホラーかな…程度。
ただ、宗教(キリスト教)要素やアメリカの社会問題(格差社会・白人特権・ネイティブアメリカン迫害等)を多分に含んだ内容なので、それらに関心のない人はスリルを楽しむだけになってしまうかも。それだけでも充分楽しめますが、やはり知っていた方がのめり込めると思います。日本人には知識量の面でちと厳しい。
映画.comで評価見た時、何でこんなに低いんだ!?とガッカリしたんですが(現時点で☆3.3)、そのせいかな。同監督のデビュー作『ゲット・アウト』が良すぎたせいもある。
オカルトホラー要素はなく、どちらかというと中盤からはスプラッター。ちょっと激しめの流血あり。R-15なので、殺人シーンもグチャァ!ブショァ!みたいな、なかなかの音がします。苦手な方は要注意。『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』『キル・ビル』辺りを見られる人なら大丈夫。
ホラーによくある大量の虫や無意味なエロシーン、やたらと傷口の断面をアップで見せる、突然の爆音でビビらせる等の不快表現はなく、怖がらせ方はかなり正統派。ちゃんと演技とストーリーで怖がらせてくれるので、安心して家族やカップルで・音量は最初から最後まで大き目で・食事中でも観賞できます。虫は序盤で蜘蛛が1匹出てくるだけ。
「もう一人の自分」達が襲ってきてからの本筋はほぼ夜のシーンなので、洋画あるあるですが画面が暗くてちょっと見づらいです。白人監督の作品よりはマシだったような気もしますが…(白人が人種の中で一番光に対して目が敏感なため、白人は暗い方が見やすい)
黒人監督ならではの(ってのもおかしな話だが)、主人公アデレードのドレッドヘア。良いですね。個人的にまったく違和感なく、本人が望めばどの作品でも黒人はこの髪型の方が良いんではないかと思うくらいしっくりくるんですが(これも偏見か)、監督は特典映像で「主人公の女性が細いドレッドヘアにしている、これは映画史上とても重要なこと」と語っています。
…いや、良くね?別にドレッドでも。違和感ないよ。むしろ似合ってるよ。人の誇りにまでいちいちケチつける奴がいるらしいけど、気にせず今後のスタンダードにしてこうぜ。
主演のルピタ・ニョンゴはMCUの『ブラックパンサー』で主人公の婚約者役で出てたけど、全然存在感なくて記憶に残らなかったんですが(主人公に婚約者なんていたっけ?レベル)、本作では圧倒的。撮り方ももちろんあるんだろうけど、普段の愛嬌がある可愛い系の顔から何故ああなる???1人2役の演じ分けが凄すぎて、「コレ本当に同一人物?」と笑ってしまいました。
こういうの見てしまうと、MCU映画ってやっぱり雰囲気で乗り切ってるところも大きくて、俳優陣の実力を充分に引き出せてはいないのかなと思ってしまったり(※MCU大ファンの言い草)。
本作の監督ジョーダン・ピールは、前作『ゲット・アウト』でも思いましたが、特に有名俳優ばかり起用しているわけでもないのに違和感ない人選をしていて好感度高いです。見た目やキャリアより演技力にこだわり、「有名俳優を起用して、その名前を利用して宣伝して一定の視聴者数を稼いで…」というセコさを感じさせない、2作とも実力勝負の映画という感じがします。ルピタは賞獲ってますけども。
どうでもいいけど、本作の直前に『透明人間』も見たんですが、『透明人間』の主演エリザベス・モスが本作では主人公の友人役で出てて「アレーッ!?さっきの人!」と心の中で突っ込んでしまいました(ほんとにどうでもいい)。
意図せず数時間のうちにエリザベス・モスの演技力の高さを思い知ったのでした…
あらすじ:
主人公アデレードは幼少期に海辺の遊園地で迷子になり、ミラーハウスで自分と全く同じ姿の少女と出逢う。親元へ戻った時にはPTSDを発症し、失語症になっていた。大人になったアデレードは失語症も治り、結婚・出産を経て普通の生活を送っていたが、家族の要望で故郷サンタクルーズへ帰ることに。夫ゲイブがしつこく誘い、トラウマの原因になった海に行くことになるが、息子ジェイソンが誰にも言わずトイレに行ってしまい、行方不明になったと勘違いしたアデレードは激しく取り乱しジェイソンを叱責する。別荘に戻った後もアデレードの不安は刻一刻と増していき、遂には「もう帰りたい、見張られている気がする」と言い出す。最初は馬鹿にしていたゲイブだったが、アデレードの必死の形相に押され始め、そこに停電、見知らぬ不審な家族の不法侵入が重なり、ゲイブも徐々に事の深刻さを理解し始める。
あらすじ読んでわかる通り、ゲイブがちょいウザ系キャラ。つまんないジョークや変なタイミングで空気を和ませようとして頓珍漢なことを言う、ノリもちょいウザだし子供より子供っぽくて、一番お荷物というか、役に立ってはいるんですが役に立ってる感よりウザ感の方が強い。
作中では緩急の「緩」担当という感じで、ゲイブが出てくると良くも悪くも雰囲気がちょっと緩くなる。
監督は元々コメディアンだそうで、緊迫した雰囲気を壊さない程度にちょっとだけおもろい台詞を入れてくるのが上手いです。とはいえ爆笑とか、心が和む笑いとかではなく、鼻で笑う感じというか、「いや今そんな場合ちゃうやろ」と心の中で突っ込んでしまうような、一人だけ空気読めてないゲイブを「オイオイ、ええ加減にせえよ」と呆れ笑いというのかな。とにかく笑いは笑いなんだけど、明るい笑いじゃない。だからホラーの中に入れても違和感がないのかも。
アメリカのコメディ映画が馬鹿で下品な内容が多いせいかよく誤解されていますが、アメリカのコメディアンは基本的に、日本でいう「馬鹿やって笑わせる」芸人とは違います。
どちらかというと噺家の類で、割と社会批判や、皆が当たり前と思っていることをあえて深堀りし、痛い所を突いたり風刺をしたりする人が多いんですが、そういう意味でコメディアンの監督がこういった作品を撮っているのは当然といえば当然の成り行きな気がしますし、それで更に美術的センスがあるならば、映画監督やるの自体が理にかなってるなと感じます。
↓↓↓
以下
ネタバレ
あり
↓↓↓
上にゲイブがあまり役立ってる感じがしないと書きましたが、これには訳がありまして。
アデレードや娘のゾーラ、ジェイソンも、自分の意思で人を殺すシーンがちゃんとあるのに、ゲイブだけは自分の分身アブラハムを殺したのは俺だ、と自己申告するのみ。ゲイブがアブラハムと闘い始めたところで場面転換してしまうため、死闘が映らないどころか、本当にとどめを刺せたのかどうかすらわからない。
2019年の映画とあって、女性主演の作品が圧倒的に少ないというのはアメリカで既に問題になっていたので、そういう意味でも女性主人公だからってヘナチョコにするのではなく(女性主人公だと何故かサポートの男性が見せ場を攫っていく映画は結構多い)、女性でも主人公最強設定でいくぞ!みたいなのもあるのかなーとかユルユル考えてたんですが、最後まで見ると多分違うんでしょうね。
衝撃の(そうでもないか?)ラストで、結局アデレードが「地下の住人」、異常者と思われていたレッドが本来のアデレードであり元々「地上の住人」だったことがわかります。地下の住人はまるで獣のようで、地上の人を殺すことに全く抵抗がありません。だから、アデレードは「強い」のではなく、殺すことに抵抗がない、だから強く見えるのかなと。
そして、アデレードだけならば「幼少期の地下で育った経験が猟奇的な側面を残した」と考えられなくもないのですが、子供達も結構マジになって殺してるんですよね。無論やらなきゃ自分の身が危ないし、相手が明らかに異常者だとわかった上で「もう殺すしかない」となるわけなんですが、それにしてもとどめの差し方がかなり激しい。子供だから容赦ないだけ…??
ジェイソンはそうでもないのですが、ゾーラは友人の分身をゴルフクラブで何度も殴打した後、クラブの柄で滅多刺しに。アデレードに至っては獣のような唸り声を上げながら分身を植木バサミで滅多刺し、火掻き棒で滅多刺し。その後すぐに普通の「子供を心配する母」に戻るのが逆に不気味。
恐らく視聴者に対し、「子供のために必死な母親」とギリギリ思わせられる線を狙ったかとは思うのですが、既に1回目の唸り声で「おっと、コイツは…」と割と勘付いてしまった人は多いと思います。
地下で育ったせいというより、テザードとしての「本性が出た」が正しいのでしょう。そして、その本性を見たジェイソンは怯えた顔で仮面を被る。
ゾーラとジェイソンは、いわば人間とテザードのハーフです。自分達もいつ母と同じように本性が出るかわかりませんし、沢山のテザード達の殺戮を見たジェイソンからすれば、母がいつまたその本性を現すかもわかりません。アホの父は多分今後も気付かないでしょう。
ラストの地下の住人が手を繋いでいる長さを見ても、この先生きていくのも一筋縄ではいかないことが想像できます。ただ、恐らくこの手を繋いでいる地下の住人(=テザード=「繋ぐ人々」の意)はアメリカ国内だけなんですよね。何故なら、冒頭で流れるCM、"Hands Across America"(アメリカの西海岸から東海岸までを人々が手を繋ぎ1本の線にして貧しい人間を支援してやろうという試み)を模しているから。
アデレードの言う通りメキシコまで逃げてしまえば安全…なんでしょう。きっと。
『アス』というタイトルは原題も"Us"で英語で「私達」という意味の単語ですが、同時にU.S.=United States=アメリカを表してもいるそうで、作中でも「お前ら一体何者なんだ?」と尋ねたゲイブにレッドが「私達はアメリカ人」と答えています。
ぼーっと見てたので「唐突に!?」と思ったのですが、地上に住む人=持つ者、地下に住む人=持たざる者と考えると納得。つまり、「私達は(お前らと同じ)アメリカ人(なのにお前らと違って人として扱われない)」と言いたいんですね。
地上に住み、当たり前のように自分の意思で貧しいながらも自分の好きなことをして生きる人間たちと、地下に住み、地上のオリジナルの操り人形として生きる以外の道を知らないクローンたち。
「私達はアメリカ人」、この一言がそのまま、「持つ者は持たざる者の気持ちも境遇も何一つ知らず、知ろうともせず、搾取していることにも気付かない」という痛烈な批判に繋がっています。
そして、操り人形として生きる地下の住人達の中でレッドが唯一「自分は特別だ」と気付きます。気付いたこと自体が特別ですし、彼女は地上のオリジナル(アデレード)に操られずに動くことができ、だからアデレードと成り代わることができた。むしろオリジナルを操ることすらできたのかも?
これが、社会が無視してきた底辺の人々が革命を起こすキッカケとなる。
そのほか、宗教的な話やネイティブアメリカンの伝説など、語り切れないし詳しくもないので割愛しますが、こうして書いてみると『ゲット・アウト』の時より盛り込み過ぎかなという印象はあります。個人的には社会的な意味など考えずに見ても充分楽しめましたが、アメリカ人には身につまされる話だったのでは。
日本人には、少し前に話題になった韓国の映画『パラサイト 半地下の家族』(こちらも2019年)の方が、貧困層との圧倒的格差をわかりやすく感じられると思います。
こちらは本作と違い、宗教だの特定の人種の歴史、伝説、その国の社会問題など、その国に住んでないとわからない問題ばかりをネタにするのでなく、恐らく最初から海外に向けて「韓国社会の今」を発信するつもりで作ったのかなと思います。
なので韓国国内の状況をよく知らなくても本作よりはわかりやすいですし、ただ格差社会の問題に触れたいだけなら『パラサイト』をお勧めします。
が、俳優の迫力、演出、テンポなど、全面的に本作の方が良かったと個人的には思うので、アメリカの社会問題などは抜きにしても、ぜひ一度見てみていただきたいです。
何故、どうして…
という理屈で見てても仕方ない。音楽、兎、影の動き、笑顔がとにかく不気味。分身から襲われる、あるいは殺す、また家族の分身を殺すってどんな気分だろう。子供たちも吹っ切れたように殺す。エリザベス・モスは怪演。親父の冗談が中々面白い。結局、今のルピタ・ニョンゴは影だったことがわかり、終わり。少し長く感じた。
怖さは途中まで
夜の遊園地から始まり、鏡の部屋、オープニングの捕らえられたウサギと音楽が不気味に感じてなかなかいい出だし。
ある夜,家の外に不審者が!同じ姿形の4人に襲われて何とか逃げる、、、ここまでは面白かった。
この後の展開が話が大きくなりすぎて逆に恐ろしさが半減してしまったように感じた。
ラストでのアデレードの真実で盛り返したかな😨
格差社会風刺ホラー
アメリカの陰謀論に地下は付き物。
宇宙人の秘密基地がある、ホワイトハウスにつながっている、金持ちたちが子供を拉致してペドファイルにいそしんでる、などなどの都市伝説には枚挙に暇がない。しかし、アメリカならなんでもありえそうだ…と思わせる、この廃棄された地下坑道に着目したのはなかなか説得力ありだと思う。
ハンズ・アクロス・アメリカという善意活動の下で、えげつない人体実験が行われていた。
「私たちはアメリカ人」と答えるアデレードの台詞には露骨とも言える格差社会への風刺が見て取れるけど、古典的SF「タイムマシン」の地上人エロイと地下人モーロックも想起させる。
テザードと呼ばれるクローンに魂をつなぐ技術はいったいどうやって行おうとしたのか?
クローンはどのタイミングで作ったのか?
産後すぐなら病院の産科と結託して作ったのか?という細かな突っ込みは控えたい。
結局、権力者は上の人間を操るつもりがテザードがオリジナルに操られてしまったが故に失敗したということなのだろう。
その誕生理由から上流社会のテザードはおらず、途中放棄のため全国民分のテザードはいないのだろうから、彼らが手をつなぎ蜂起したとはいえいずれ軍などに粛清されていくと思われる。
そこまで考えたとき、もしこれが何度でも権力に立ち向かえというメッセージまで含まれてると考えるとしたら、ちょっと監督は欲張りすぎだな。
入れ替わりが起きていたことで、テザードの中でアデレードだけがなぜ話すことができたのか、レッドがなぜ失踪後言葉を失っていたのか(言葉を学んでおらず話せなかったから)、息子ジェイソンはなぜプルートを操れることができたのか、などなどの伏線は回収される。
<オリジナル> →<テザード>
アデレード → レッド
ゲイブ → アブラハム
ゾーラ → アンブラ
ジェイソン → プルート
また、序盤から登場する謎の男が持っていた看板や、時計の表示「11:11」など度々現れるエレミヤ書第11節第1章。 これは聖書の引用で、 「それゆえ主はこう言われる、わたしは災を彼らの上にくだす。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない」という意味。まさにテザードたちがオリジナルに対して報復を行うことを示唆している。
父親ゲイブがどこかとぼけた味を醸し出していて、恐怖を和らげてくれた。アデレードもプルートも、隣人の双子も怖すぎますって。
昔狼に育てられた少女の実話があったが、人間を無教育に放置するとああも野蛮になってしまうのだろうか。
まさにテザードは教育を受けられない人たちの象徴でもあるのだろう。
一方通行のエスカレーターをアデレードが上がってきたのなら、テザードたちだっていつでも逃げていけたのに、それさえも思いつくことができなかった。それは貧乏人がいつまでも搾取され、日の当たる場所に出ていけない世の中を示しているようだ。
怖いのは怖いけど・・・
怖いのは怖いけど・・・不気味という意味での怖さ。
表情や動きがとても不気味。
それほどグロさはなく、衝撃シーンもほぼない。
心理面での怖さも・・・少し拍子抜け。
発想はいいと思うので、もう少し脚本がしっかりしていれば
「ゲットアウト」のようになっていたかも・・・少し残念ですね。
トラウマ級の怖さ
いつもなら酷評する内容のはず。それというのも、開始早々深い眠りに落ちてしまったから。不気味な導入部を期待しながら、「やつら」が襲ってきたころまでは覚えているものの、そこから先は闇。目覚めてみたらもう、不条理な戦いが始まった後だった。
それでも、この怖さはなんだ?
感じたことのない怖さ。いや不気味さというか、現実の中にはさまったわずかな違和感のような感覚。どうして彼らは直接的に攻撃してこないんだろう?どうしてハサミを持っているんだろう?
どうして?どうして?
私が映画を見た感想を誰かに伝えるとしたら、ほとんどはお話の見事な構築ぶりと、何と言っても大画面から伝わる映像の迫力。お話はほとんど理解できないままだったのに、こんなに感情を揺さぶられた映画も珍しい。それどころか、もう一度コンディションを整えて、映画館に見に行きたいとすら思っているのだ。
『ゲット・アウト』の時に感じた、期待外れ感。不条理なおとぎ話に対する不満を、この映画では拡大してむしろ説明を省いたような印象を受ける。「見たまんま、感じて行ってよ。」とでも言いたい監督の言葉が聞こえてくるようだ。
そういう意味で、分からないなりの面白さが、この映画にはある。
2019.9.24
う~ん
テンポが悪く、途中で断念しそうになった。
最後まで見たけどつまんなかったなぁ。
ドッペルゲンガーたちが主人公家族を襲いにきたシーンが本来1番ハラハラするシーンだろうにそこが1番退屈だった。
あと、日本映画ばりに画面がずっと暗くて今どうなってんの?って思うことが多かった。
人権映画
この映画の題名「アス(us)」がアメリカ(us)とのダブルミーニングになっているのは今更言うまでもないと思う。
反逆する地下を住処とするクローンの黒人、物語上で地上の人間の死者のほとんどが白人であること、クローンが奪ったその立ち位置を本来の持ち主から脅かされるという展開。
これらの劇中での出来事を顧みれば、これはなるほど人権映画だと言える。
おそらく監督は、ホラーが持つ「日常への強行的な侵食」と、アメリカで起こっている「マイノリティの復権」に共通性を見いだしたのだろう。
確かにこのふたつの分野の共通性はを上手く使えばかなりの面白い作品ができたのかもしれない。
しかし、この映画においてその目論見は失敗してしまっていると言わざるを得ない。
その理由はこの映画においてマジョリティ、つまりクローンたちの反乱を先導したのが主人公のクローン、レッドであるからだと言える。
ラストシーン、レッドの正体がオリジナルのアデレードであり、地上でくらしていたアデレードこそが実はクローン出会ったということが判明する。
このシーンがこの映画の持つマイノリティの反抗という側面を台無しにしているのだ。
この映画においてクローン達はろくな教育を受けておらず言葉を理解することが出来ない。
かれらの地下での暮らしを見るに、自らの意思も希薄であることも伺える。
もし彼らの中の誰かが自我を持ち奮起することでクローンたちが反抗をするというのであればこの映画の大きな要素である「マイノリティの復権」も大きな意味を持ったはずだ。
しかし作中で彼らの先頭にたち率いていたのはレッドであるような演出がなされている。
これにより、彼らの反抗はレッドの私怨のとばっちりとなってしまった。
さらに言えば、「地上である程度の教育を受けた少女が地上の芸術(バレエ)によって選ばれしものとして崇められ、教育を受けていない無知なクローンたちを扇動する」という構図にも取れてしまう。
この映画の中で人権の要素を入れるのであれば、レッドが地上の人間を率いるような構図にしては行けなかったのだ。
ただ、少なくとも物語中の悪趣味な演出や、教育を受けることが出来なかったクローンたちの生理的に嫌悪感を産む動きはとても見応えがあった。
アレクサ(のようなもの)のくだりは「よくもやってくれたな!」とテンションが大上がりしたものだし、 ゾーラがクローンをゴルフクラブの柄の部分で刺し殺すシーンの音響は「どんな発想してやがる!」と驚愕もした。
そういった「悪趣味意地悪表現」を楽しむのであれば、見応えはある。
スケキヨな仮面と攻殻機動隊な音楽が良い。
ジョーダン・ピールの画と構成のキューブリック的な潔癖症気味几帳面さを買う。
それ故に全部説明し切る蛇足感が惜しい。
スクリームな滑稽さも加わって、尚もエレガントである不思議。
余程のハイセンスと見よう。
スケキヨな仮面と攻殻機動隊な音楽が嬉しい。
私的年テン上位。
わかりにくい内容だな
不明な点が多すぎる。
影達の目的とか地下施設とか全てが。影と本人の関係ってどうなってんだ?
影が本人を殺してなりかわるとかならまだいいんだけど、序盤のCMを模倣したパフォーマンスはなんなんだ?
ラストで過去に影と本人が入れかわってんのが判明するけどスゲー微妙。
元本人が地上に戻りたいのはわかるが、地上に出た影はそもそもなんで地上に出たん?記憶もなくすし、なんなんだ?
メッセージ性がなんやら言うけど全くわからん。
全260件中、41~60件目を表示