アス : 映画評論・批評
2019年8月20日更新
2019年9月6日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
シュールなのにリアル、斬新な二重性を打ち出したドッペルゲンガー映画の新機軸
監督デビュー作の「ゲット・アウト」で、恐怖映画としては異例のアカデミー賞主要4部門ノミネート(脚本賞を受賞)の快挙を成し遂げ、一躍時の人となったジョーダン・ピール。今回、彼が新たに挑んだ題目は、もうひとりの自分、すなわちドッペルゲンガーだ。ホラーにおいて極めて古典的なこのモチーフは、オカルトものからコメディまで多様なバリエーションの過去作品が存在するが、はたしてピールはいかなるオリジナルな快作に仕上げてみせたのか。
主人公は夫、2人の子供とともに夏のバカンスに繰り出した黒人女性アデレード。深夜、彼女らが滞在する西海岸のビーチハウスに奇怪な訪問者たちがやってくる。囚人服風の赤いジャンプスーツをまとったその4人組は、アデレードの一家に酷似した風貌の持ち主だった。そこからドッペルゲンガーとホーム・インベージョン(家宅侵入スリラー)の要素が合体した、悪夢のようにシュールな4対4の攻防が繰り広げられていく。
ここでのドッペルゲンガーは幽霊のようにおぼろげな存在ではなく、生々しい実体のある攻撃的なモンスターとして描かれている。US(私たち)とそっくりの怪物が襲ってくる不条理な状況そのものが恐ろしいわけだが、ピール監督は経済的に満たされたアデレード一家と底知れない怨念をみなぎらせた分身たちの対決劇に、貧富の格差が拡大し、社会が分断したUS(アメリカ)のダークな現実を投影している。ネタバレを避けるためこれ以上の詳細は伏せるが、奇想天外なアイデアで人種差別を扱った「ゲット・アウト」が実は知性に裏打ちされていたように、本作もまたリアルな視点を秘めた“社会派”ホラーなのである。
ピール監督は前作で証明したストーリーテラーとしての卓越した技量に加え、ビジュアルのセンスにもいっそう冴えを見せる。とりわけ少女時代のアデレードがミラーハウスで“もうひとりの私”を目撃する導入部のサスペンスや、街灯に照らされた4人の分身を不吉な“影”のように映像化したイメージが素晴らしい。さらに、白昼のビーチにも夜間シーンにも不穏な気配を忍ばせ、至るところに伏線、メタファー、オマージュをちりばめた映像世界は実に濃密だ。そして、オリジナルと分身の2役を演じ分けた主演女優のリアクションがいちいち怖い。ドッペルゲンガーものの究極のテーマ「“私”とは誰なのか?」を、ルピタ・ニョンゴが戦慄の演技で体現するシークエンスもこの映画のハイライトなのだ。
(高橋諭治)