アースクエイクバード
劇場公開日:2019年11月8日
解説
「リリーのすべて」「トゥームレイダー ファースト・ミッション」のアリシア・ビカンダーが主演、1980年代の日本を舞台に描いたNetflixオリジナル映画。原作は、日本在住経験のあるイギリス人作家スザンナ・ジョーンズの同名小説。日本人の写真家と恋に落ちた外国人女性が、三角関係に悩まされ、行方不明の末に殺された友人の殺人容疑をかけられてしまう様子を描いたサスペンスミステリー。ある時、日本で暮らしていた外国人女性リリーが行方不明になり、やがて死体となって発見される。友人であるルーシーに容疑がかけられるが、2人の女性の間にはミステリアスな日本人カメラマン、禎司の存在があった。主人公ルーシー役をビカンダー、友人リリー役に「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」のライリー・キーオ、鍵を握る日本人カメラマンの禎司役に「EXILE」「三代目 J Soul Brothers」の小林直己。監督は「アリスのままで」のウォッシュ・ウエストモアランド、製作にリドリー・スコット。Netflixで2019年11月15日から配信。日本では配信に先立つ11月8日から、東京・アップリンク渋谷ほかにて劇場公開。
2019年製作/106分/R15+/アメリカ
原題:Earthquake Bird
配給:Netflix
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タイトルの「地震が起きた後にだけ鳴く鳥」という意味は分かったが、この映画と何の関係があった?
随所に日本の文化を映しているが、無作為に要素を散りばめる感じで物語の軸に溶け込んでおらず勿体ない感覚を覚える。日本が好きというより日本の材料をコピペしただけみたいな。
・主人公(女)は死に魅入られている
・彼氏も何かそれっぽい
で、お互いに惹かれ合う動機としては明瞭なのに、出会い頭にいきなり蕎麦を食べ始めて「惹かれている」と発言してもう置いていかれた。そこは運命の出会いで解決しちゃいけない部分。まさかそれも日本文化を踏襲したとか?
主人公が突然脱ぎ始めたと思いきや「そんなこと求めてない」とか言ったのに別日にしっかりエグザイルしてるし。とりあえずセックスで死をごまかしたいってとこだろうか。
・彼氏のコレクションを勝手に調べたら死にゆく人間が映っている写真を発見した
エグザイルするならここからだろう。
彼氏が死についてどう考えているのか、そして自分は、みたいな混乱の中で確実に惹かれていくはずなのに、映画にはそんな描写は一切無かった。
・女友達が彼氏と仲良くなり始めて主人公が嫉妬する
後半でほとんどの尺を奪っているが、果たして必要な要素だったのか。
なぜなら主人公がこの友達を殺したわけでもなく、彼氏が殺したもののなぜ殺したかの説明も無い。自分はこの物語のテーマが死だと思っていたので、この嫉妬云々が死と無関係なものに感じてしまった。
・山登り中に気分が悪くなった主人公をその場に寝かせたまま遊びに行く
これは無い。まともな人間はこんなことしない(まあ彼氏はまともではなかったが)。
主人公は怒りの全力坂で山を降りていって二人を見つけるも「悪かった」と言われて話が先に進む。
このあたりから何がどうなってるのか意味不明になってきた。それこそ「実は死んでほしいと思っていた」とか、何もかも主人公の妄想(実は彼氏も友達も存在しない)だったなら分かるがそうじゃないらしい。
描写が圧倒的に足りない。どうやらそうらしい、という感覚で勝手に結論付けられていく。
日本に関係しそうなことを切り取って並べただけのモノに成り下がっている。
2時間のサスペンスドラマならこれでいい、
ただ、アリシアヴィギャンデルと
ライリーキーオ出しといて
これはアカンと思う。
乱交するならする、しないならしない。
(最低な文章)
あの内容じゃあ
日本語がんばってるな、としか思えなかったですよ…
てかポスター初めて見たけど
めっちゃかっこいいな。
2020年8月23日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
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①この映画の中心となる事件は極端に言えば新聞の社会面に時々載る程度の話である。原作は、死に纏わり付かれている(と自分で思っている)ヒロインが日本で新たな死(殺人?)に巻き込まれることで起こるヒロインの心の揺れ(地震?)を一人称でサスペンスフルに描いたもの。登場人物も少ない。それで映画化は難しかろうと思っていた。映画はどうしても三人称的視点となってしまうから。主人公の内面を文章では直接書けるけれども、映画では外面からの描写で伝えなければならない。②演技の面では回りで起こることへのリアクションで表現しなてればならない。その点アリシア・ヴィキャンデルの演技は上手い。ヒロインはかなり独特の性格をしていて狭い範囲での人付き合いしかしない。他愛ない他人とのお喋りや遊びは時間の無駄としか思っていない。日本へ来たのも過去から逃れるためで母国に帰る気もない。③どうしてそんな風になったか原作では本人の独白で段々明らかになっていくのだが、本作でも多くを本人の口から語らせている。でもここは挿入される回想シーンで説明した方が良かったのではないか?兄を過失で死なせてしまったシーンも正視しづらいかもせれないが、やはりカメラに語らせた方が良かったと思う。その辺りがこの映画で不満な点である。④原作では犯人はほぼ間違いなく⚪⚪ではあるがはっきり書いてあるわけではない。まとわりつく死が二人を結びつけ、まだそれがヒロインにまとわりついている様な終わり方になっている。⑤しかし映画でははっきり犯人として出てくるし、その死に様を兄の死に様とダブらせている。それが更にヒロインの罪の意識を増幅させるのだが、原作とは違ってラストに意外なところからヒロインに救いがやってくる。そしてヒロインが自分にまとわりつく死の影から解放されるだろうことを暗示させて終わる。⑥ヒロインの心の闇が浄化され癒されていくのが日本であることは、日本人としては嬉しい。⑦佐久間良子が短い出番ながらヒロインの心に暗い影を落とす役柄で出演。久方ぶりの映画での再会です。
変わった話である。
日本は、外国人が描いたややズレ感のある日本だが、むしろ妙味だった。
禎司には往年の日活のような艶があり、ルーシーとリリーにはヨーロッパとアメリカのような対比があった。
どこへ落とそうとしたのか、よく解らなかったが、ふたりの女性はなんとなくマルホランドドライブを思わせた。粗い映画だが、化けたかもしれない気配値があった。
ルーシーの幼少期の述懐とラストの裁判官の告白を併せると、間接的にせよ人を殺してしまった人間の逡巡をテーマとし、そこへ日本のriddleを重ねている──と思われた。
ところで、映画中にも出てくるが、欧米人が麺を食べているのを見たことがある。
ぜったいにすすらない。熱いのに、箸で食べてるのに、すすらない。その「すすらない度」が絶対なので、すするのが、あっちでは禁忌だ──ということは、よく解る。それは、かれらと一緒にいるときは尊重したい。
二つで充分ですよ──デッカードもすすってはいなかった。が、ブラックレインでの高倉健は壮大なすすり音を発していた。
なにかのタイミングですすり音が話題になったことがある。どこかの俗物が、開闢以来すすり続けてきた日本人の麺の食べ方にケチをつけた。ばかばかしい話題だった。
佐久間良子が出ていてびっくりした。すぐに出番がなくなって二度びっくりした。