Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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希望と自信と勇気
あの日は、3月も半ばに差し掛かろうというのに凍てつくほどに寒かった。雲一つない晴天のせいか、冷え込みも一段と厳しかった記憶があります。
命を奪われた人とその家族の方々には、誠に不謹慎かもしれませんが、丁度9年前の今日・2011年3月11日午後2時46分、その瞬間から24時間に於いて、首都圏・東北地方に暮らす殆どの人に、各々個々に大小の劇的なドラマが生まれました。
その中に、日本の崩壊をギリギリで喰い止めるために身を挺して全力を尽くした、崇高なドラマがあったことを、この映画は想起させてくれました。
本作は、福島第一原子力発電所(通称:イチエフ)で、あの時起きたことのドキュメンタリー映画であり、人為的なスジはなく、事実に沿って刻一刻と事態が悪化していく中での、吉田所長以下所員たちの凄まじい命懸けの数日間の現場再現ドラマです。
短いカットで目まぐるしくシーンが展開し、落ち着いて話の進展を整理する間もないままに、次々と予期せぬ事故と人的確執が起きていきます。ただ映画は事実の輪郭をなぞっているに過ぎず、その時の現場は不安と苛立ちと戦慄に晒されながら、皆が一人一人神経を研ぎ澄まして1秒1秒、事態に臨んでいたのであり、その異常な緊迫感と焦燥感と恐怖感は、本作でも十二分に犇々と伝わってきます。事実の迫力は、どんな見事なスジをも凌駕します。
彼らの行動の淵源にあったのは、単なる使命感ではなかったはずで、それはマックス・ヴェーバーの説く職業倫理を遥かに超越した無上の人類愛と正義倫理であり、私は其処に、「仁」に則り、「信」に沿い、「忠」を尽くし、「礼」を守り、「義」に遵う、日本人の深層に揺蕩う美徳と行動規範の原点が凝縮されているように思えました。
劇中に自衛隊の辺見曹長がごく自然に発した「国を守るのが自分たちの使命です」は、その時にイチエフで従事し尽力した人々皆が無意識に共有していた固い信念だったと思います。
ベントに向かう決死隊を募る局面、中央制御室から撤退移動する際の居残り志願、余りにも淡々粛々と命をも投げ出す、沈着冷静にして豪胆で献身的な行い、その美しくも荘厳な言動には、人間として心から湧き上がる感動を抑えられず、不覚にも落涙してしまいました。
映画でも触れているように、原子炉の圧力が低下した真因は今もって不明です。よって彼ら所員の判断と行動が結果に結びついたとは必ずしも言えず、単なる偶然かもしれません。
ただ命を賭して原子炉爆発を回避するために、寝食を忘れて心身を捧げ尽して取り組み、人間の尊厳を守ってくれた人々が居たことを、私達は決して忘れてはいけません。
自然の猛威の前に、呆然と為す術なく、余りにも脆く弱い人間。無力感と虚脱感と絶望感の極限に陥っても、しかしそれでも災厄に立ち向かい克服のために全力を注ぐ人間。傲慢で浅薄で狡猾だけれど、その不屈の精神の気高さと尊さを、本作は滔々と讃えると共に、未来への希望と自信と勇気を示してくれたように感じます。
時間と金の無駄。
初めに言っておくが純粋に福島で起きた事、それについて知りたい人が見るものではないだろう。何故なら事実を歪曲して今の何処ぞの政治家さんに都合の良いように福島で起きた事実を描いているからだ。福島で起きた事を知りたいのであれば昔にやっていたNHKの原発のドキュメンタリーを見たほうがよっぽどマシであろう。
また、この映画にはプロパガンダの様なそんな感じがしてならない。自己犠牲を美徳とする様な。。それについては多くを語らずとも理解して頂けるであろう。何故わざわざ、福島の事をFukushimaと記すのか。日本人なら何を揶揄しているかお分かり頂けますよね。
多くの映画評論家から酷評を受けている意味が非常に良く理解できました。私はこれを見て気分が悪くなりました。TVで放送されても二度と見ることはないでしょう。
私は忘れない。あの日のこと。
映画「Fukushima50」を観てきました。
2011年3月11日。
東北で起こった悪夢のようなあの震災。
あれからもう9年。
京都という何の被害にあってもいない人間でも
東北のことを思うと胸が痛くなった。
そんなことを思い出しながら映画を観た。
あの頃の記憶がよみがえる。
そして福島の原発の現場では
命がけで大変だったということを知る。
あの頃のニュースでは福島の詳しい情報はわからなかった。
遠くから原発の映像を映してても
現場の細かい状況なんて
放送するわけない。
映画を観ていて思った。
やっぱりこういう緊急事態が起こると、
現場と政府の温度差とか
すれ違いが必ず起こるなと。
現場で必死でやってる人の状況も考えず
国の上の人は勝手なことばかり指示する。
憤る現場。疲れ切っている
わかってもらえない歯がゆさ。
命がけで原発と闘っている人たちがいる。
そしてそれを国として
伝えないといけない状況がある。
そんな中本当の真実なんて知らされない。
こうして映画化されて
「こんなに大変だったんだ」と胸が熱くなる。
しかしこれは映画。
現実はもっともっと大変で悲惨だっただろう。
このような震災が起こった時に
恐ろしいことになるんだということだけは
知ることができる。
普段何もなければこの電気は原発によって
送られてきているということさえ
忘れているだろう。
何も考えず
ネットや携帯のある便利な世の中で
のほほんと暮らしている。
こういう震災が起こってはじめて知る
「原発の恐ろしさ」
便利さの裏にある深い闇。
こんなにひどい震災が起こらないと
知ることもないなんて
日本に住んでいながら恥ずかしいことだ。
そしてあの震災で津波が来て
めちゃくちゃになった原子炉を
命がけで守ってくれた人たちがいたことに
深く感謝します。
全員が逃げ出していたら
日本はこんなに復興できてなかったでしょう。
私は忘れない。あの日を。
改めて今日映画を観て思いました。
それから東北は見事に復興を遂げた。
まだまだ完全ではないのだろうけど。
日本人はすごい。
あれを乗り越えたんだから
コロナなんかに負けるはずがない!!
この映画に学ぶことは
「命がけでがんばってる人同士助け合う」
ということだった。
誰も文句なんて言ってない。
命をかけて「僕がやります!」
って手をあげていた人たちの強さと
プロとしての意識を尊敬します。
あの日を忘れないで
感謝して生きていきたいですね。
事実を脚色している。 政治的意図がある。
肩に力が入る
知らなくて、ごめんなさい。
大震災の時、翌日まで停電していて、東北の状況を全く知らなかった。
それより、自分達の事でいっぱいだった。
翌日のTVで知らされた東北の津波被害は恐怖を覚えたが、福島原発の事はよく理解できなくて、どこかの出来事という人事のようでした。だから、原発で働く人々に何が起きていたか、どんな問題があったのか、大変さは計り知れなく、考えもしなかった事でした。
映画を観て、まず思ったのは「知らなくてごめんなさい。」でした。
こんな状況だったなんて…
家族に連絡も取れず、食事も睡眠も取れず、最前線で死と隣り合わせになりながら、国民の為に尽くしてくれた現場の人々。死を覚悟していた人も多かったでしょう。
「生きて帰ろう」は胸が張り裂けそうな一言でした。
本社との対立、若手とベテランとの葛藤。何を決めるにも、苦渋の決断。その度に自然と涙がこぼれました。
富岡町に住んでいた友達から話は聞いていたが、それは住民の苦悩でした。
あのときの無知な自分、他人事のように思っていた自分が恥ずかしくなりました。
何も被害がなく生きていられる事に、感謝しないと。と思いました。
東京五輪は、復興五輪と言われているので、是非成功させたいと、強く思いました。コロナに負けるな‼️
あるべき作品だけど。 どうなんだろうか。
題名が「HUKUSHIMA50」とあるから外国にも発信しているんだろうし、題材自体が外国の注目を集める作品だと映画を観ながら思った。
でも、なにを見せたかったのか。原発の必要性か、携わる人の苦労か。事故の悲惨さか、事故の時の人々の対応か。事故後の復活か。
自分では「事故の時の人々の対応」を中心に、他の事も表したかったんだろうと思うし、この事故を映画にするなら「事故の時の人々の対応」だけだと観に来た人の期待には答えられないと思う。
時系列に流される事故に対する対応。でも原発の仕組みを知らない私にはその逼迫した状況がいまいち伝わらない。
後から見るとパンフに「知っておきたい言葉」が並べてあったけど。それで解消するのかなと思いました。
全部観終わって、「HUKUSHIMAは?」と言う気持ちが残りました。
外国の方、福島の人たちはこの映画を観てどう思うのかな。
文句みたいばかりですみません。
取り扱いにくい題材だったのは分かります。でも、作らなきゃならない作品だと思います。
後世に、こんな事故があったと言うことを映画としても残すべき題材だったと思います。
佐藤浩市、渡辺謙はじめ俳優陣もすばらしかったです。
当時、政府の要人から「吉田(本部長)がいてよかった。」という言葉が出たのを思い出しました。
死ぬかと思った
これ、内容ほとんど知らずに見たんですけど、
怖すぎて死ぬかと思いました。
深呼吸して、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせながらやっと最後まで見る事が出来ました。
福島第一原発の問題はいまだ解決してないとはいえ
いま私は何の問題もなく平和に(関東地方で)暮らしているという事実があって、
スクリーンの向こうの戦いがとりあえずは無事に終わる事が分かっていなければ
この映画を最後まで見る事は出来なかったと思います。
そのくらい怖かったです。
作られた映画でさえも放棄して逃げ出したくなるほどの、とんでもない、
緊急とか非常とか、そんなレベルの言葉では全然足りないくらい大変な事だったのだなと、恥ずかしながら初めて理解しました。
対岸よりずっと遠いところの火事くらいの感覚であの水素爆発とかのニュースを見ていたんだなと気づきましたし、なんとなくテレビで見ていたあの建物の中であんなにも極限に追い詰められている人たちが何人もいたなんて、知ろうともしなかった自分が情けない。
とにかく、これはあの震災をリアルタイムで見ていた日本人にとってはとんでもない映画です。よくこれを作ったなと、感心というか放心というか、私の少ない語彙力ではそれを表すことも難しいですが、見て良かったというのは間違いないです。
SNS等でなんとなくレビューのようなものを見かけた時に
「総理を無能に見せて、実名を出さない事で糾弾を逃れている」とか
「内閣を悪者に、現場の職員が立ち向かう分かりやすいヒーローもの」とか
「米国がいちいちうるさい」
そんな意見をよく見かけたのですが、実際はどれも違いました。
誰が悪で誰が善という構図ではありませんでした。
ただそこで起こっていたことを忠実に伝えているだけでした。
総理も東電本部も現場も、全員の必死が伝わってきました。
立場は違っても、やれることはとにかく何でもやろうという気持ちは同じだった。本気でそう思い実行していたという事が分かります。
日本だけで対応できるだろうかと米国が心配する気持ちも分かりました。
それほどの事態だったという事です。
最後に、
あの震災のトラウマのようなものをまだ持っていたり、
思い出すのが怖いという人にはあまりオススメ出来ないかもしれません。
(この原発事故に対して)対岸の火事程度の感覚で楽観的に当時見ていた私でも、この映画を見るのはまだ早かったかもしれないと思ったくらいなので、
恐怖心が残っている方が見たらもっとずっと怖くなってしまうと思うので
覚悟がある人だけ見た方がいいと思います。
9年も経って忘れていたあの時の恐怖を思い出しました。 門田さんの入...
心に響いた
事前資料見て、多数の証言に基づいて作られた作品と知り、これは観とかないとと。結果、心にズシリと来た。涙が溢れそうだった。コロナ騒ぎの今だから観る価値があった。
主演2人の名演技含め皆が熱い演技故に、その辺りはフィクション要素あるだろうが、基本的には詳細まで詰めたであろう事実を忠実に再現した記録映画的な作品ととりたい。被災者からのヒーロー視を苦言する気持ちも解らないでは無いが、決して彼らはヒーローには見えなかった。被災者と同様に彼らも被害者である事は間違いない。
この映画をカジュアルに観る事はしない方が良い。面白いかそうで無いかの測りにはかけられない。同監督作品『沈まぬ太陽』同様に、日本人としての魂にズシリと響く作品だった事は間違い無い。
「フクシマ50」の映画
的外れな批判は大間違い!これは、映画である。
実際の出来事を映画化する。
当然、映画なのだから、想像の部分は混在する。9・11の出来事の中で、映画化されたユナイテッド93便等は、交信記録や搭乗客の家族の証言を素に、機内の出来事は完全に想像で描かれている。
だから、この作品も、ストーリー構成や、観客に訴える、登場人物の心情など、想像が加えられても、何ら問題はない。
最近、政治利用されつつある、福島の事を、もう一度、突き付けた事には、意義を感じるし、映画としては、上手くまとめている印象だ。
それを、事実とは違うだの、まして東電を実名で出していないと怒っている、行き過ぎた反原発派や、民主党政権だったから被害が拡大した等と、根拠のない妄言を吐くネトウヨやエセ保守どもの主張など全く論外だ。
観た
2011年3月11日、いや原発は当時、横浜に住んでいた自分も、本気で実家のある静岡県、いや西日本まで? と避難しなきゃだめかなと、夜一睡もできずにTVを見ていたのを思い出します。12日の水蒸気爆発のインパクトはものすごく、TV映像を通してでも、恐怖を胸元に突きつけられる経験をした。
それだけのインパクトある出来事、それも皆が、TV映像ではあってもほぼリアルタイムで見ていた出来事を、テーマにするのは、難しいだろうなあ、と思っていたが、結果は、やはり焦点の定まらない映画となった感が否めない。
実際にどんなことが行われていたのかを知りたいという興味はかなり満たされたし、その中で、どれだけの危険の中で彼らが行動していたのかもかなりわかった気がする。それはこの映画の価値かな。
それ以外にも、俳優達の演技はみな立派なものだし、家族愛的エピソードもあるし… なのだが、なんでもある、つまり焦点がない印象になってしまった感は強い。
9年目というこの時期にやるには、エンタメにはできないし、こういう網羅的な内容になるのはしょうがないだろうか。それにしても、なんだか、大変残念な感じ。
これなら、当時のNHKスペシャルで十分だったのかもしれない。
当時の首相の失策に近い行動を糾弾したい映画だったのだろうか。だとしたら、そこに興味の焦点がなかった自分が外れと感じるのは仕方がないか。民主党批判? しかし、現在の総理の行動も当時の総理と似ているのに。
自分にとって、ポイントの絞れない映画になってしまったため、米軍の行動と発言が、とってつけた内容に見えてしまって、その部分を見るのは正直辛かった。
震災の日を思い返して…
決死隊!
午前は風の電話で午後はFukushima50
2020年映画館鑑賞23作品目
原作未読
内陸で震災を経験したが原発のことは今もよく知らない
ドキュメンタリー映画でなくあくまでも事実を元にしたフィクション
多少美化しても商業映画だから良し
労働者がやるべきことをやったわけで彼らがヒーローだとは思わない
ドキュメンタリーだと思い込んで叩いている人は滑稽
外国の映画を持ち出して邦画を叩く人は論外
邦画大好きな僕からすればシンゴジラなみに役者陣が豪華な顔ぶれってだけでテンションが上がる
いつになく渡辺謙と佐藤浩市が熱い演技してる
総理大臣役の佐野史郎さんがいい味出している
緒形直人も吉岡秀隆もいい味出していた
怒られ役の皆川猿時も良い
斎藤工はおそらく飛び入り参加だろう
安田成美は特に気にならなかった
あれだけ人数がいたら1人くらい場違いな人がいるものだ
あと絵的に彼女のような存在は必要
CGのおかげで日本映画は面白くなった
CGがなかった昔の邦画はある意味酷かった
防護マスクのせいで一部の役者のセリフが聞き取り辛かったのは監督の大きなミス
この作品にかなり不満のある方は同じ題材でこれより面白いものを作ってください
批判だけなら馬鹿でもできる
映画ファンの願いです
政治について語ることは避けたい
典型的な日本大作映画の見本
https://twitter.com/midoriSW19/status/1235921648848642048
大の大人たちが喚き散らす日本大作映画の弱点を露呈している。確かに俳優たちの演技も良かったしあれだけ多数の登場人物を上手く演出していたと思う。しかし、いかんせん、なぜもっと冷静にドキュメンタリータッチで真の核心に迫る撮り方をできないものかと思う。特に管総理をデフォルメしすぎてあたかも東電の所長たちの邪魔をしたような描き方は非常に不可解。もっとも原作者が門田隆將というヴァイアスのかかった二流ジャーナリストであるから、福一の職員たちの英雄物語に矮小化されている。日本では管元総理に対する評価は自民党サイドのネガキャンでゆがめられて悪評に満ちている。
しかし、海外では管総理のとった行動は高く評価されている。福島に現地視察に行ったのも、経産省保安院の無能な情報収集力のため正確な情報が管元総理に報告されなかった。また東電本店からも極端な保身のためでたらめな情報を報告されたのだ。それで、現場の吉田所長にあって生の情報を得ようとしたからである。真の情報を獲得できなければ正しい対策をえられないのは明らかである。イギリスやドイツのジャーナリストはそのことを詳細に検証している。その結果、管総理の行動を高く評価している。真の犯罪的人間は原発村に巣くう御用学者とねじ曲がった行政を行った経産省保安院と保身の塊だった東電幹部たちである。そして、原発を推進した自民党である。
もし、あの時の首相が安部晋三だったら、国民の願いとは真逆の原発稼働を続けていただろう。
管総理が浜岡原発を止めたことが契機になって、未だ原発再稼働が事実上できなくなっている。原発など鼻っからいらない。
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