蜜蜂と遠雷のレビュー・感想・評価
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語りすぎない邦画がやっと…
世界はね、いつだって音楽に溢れているんだよ
原作未読。それゆえの不明な描写はいくつもあった。そこは問わない。それよりも、三人の若き天才たち(つまり明石は彼らを引き立てるための駒なのだろうと思うが)の、天才振りを堪能することにおいては十分すぎるクオリティだ。これから先、ピアノ協奏曲に対する興味も増した。文字だけじゃ表現しきれないものは必ずある。だけど、文字だからこそ伝えられる機微も当然ある。映画鑑賞を機に小説の読者が増えれば、映画は成功なのだ。そう思ってクレジットを見たら、監督は「愚行録」の石川慶。なるほど、東欧に精通していることもあり、クラシックも範疇なのだろう。
台詞にもあるように、現実社会にはいろんな音が溢れている。それを音楽ととらえて自分の世界を広げられるのは才能だ。その才能を乗りこなせず足踏みするのは辛かろう。そんな亜夜は、本番前に関わらず、「私は・・、」と言葉を詰まらせて、自分の苦悩を処理しきれずに思い悩むのだ。彼女はその言葉のあとに、どんな言葉を飲み込んだのだろうか?
それでもピアノが好き、か。
やっぱり怖い、か。
たぶん、彼女の感情の中にはどっちの言葉もあったんじゃないだろうか。錯綜する思いの大きさに押しつぶされそうになっていた彼女は、それでも自分自身で乗り越えた。だから、最後のシーンが美しいのだ。彼女の笑顔がまぶしいのだ。彼女が欲していたのは結果じゃなくて、ピアノが好きだという感情だったのだろうから。
音楽は素晴らしかった!
二次元から三次元、そして四次元へ…
音楽と文学、共に造詣がおありの方なら
《音楽を文学で表現すること》また
《文学を音楽で表現すること》が
いかに大変か… お分かりのことでしょう。
文字も音も、それ単体であれば
平面的な【二次元】の存在でしかない。
だがひとたび羅列に置き連ねると途端に
立体的な【三次元】の輪郭を持ち始め
さらに、それらに意味合いや解釈を求めると
ついには空間や、時間をも
超越した【四次元】の世界が広がり
わたしたちの住む世界に寄り添い
そして溶け込む…
そんな音楽 ≒ 文学を映像化しようと言うのだから…
人間の、なんと表現力の豊かさよ…
人間の、なんと表現への貪欲さよ…
本作『蜜蜂と遠雷』で語られる
ピアノを媒介とした表現者たちの飽くなき挑戦。
コンテスタントたちの、その先の人生にも及ぶ
喜びと苦悩、栄光と挫折
それは、時に残酷なまでに儚い…
だから、尊く美しい…
わたしたちはいつも、心を強く惹きつけられる。
そんな人間たちの放つ一瞬の閃きに、輝きに…
どんな言葉を取り繕っても、言い表せない
音楽の真理を探し続ける、求道者たちの物語。
…と、ここまではわたしの原作に抱く感想を鑑みた
文学論、音楽論、芸術論、そして表現論。
「音楽を外へ連れ出す」
「永遠は一瞬、一瞬は永遠」
「わたしは音楽の神様に愛されているのだろうか」
転じて「あなたが世界を鳴らすのよ」
などの副題はあっても
本作の主題を言いあらわすならやはり、
“ カデンツァ ”〈自由に、宇宙を感じて。〉
の一言に尽きるだろう。
宇宙にも繋がる森羅万象のことわりを音楽で表現
さらに映像で魅せる、ないし鑑賞者の想像力に
働きかけることが出来れば
この作品は「勝ち」であろう!と、
その事に留意して本作を視聴しました。
マーくんは自身の理念に裏打ちし作り込んだカデンツァ
明石くんは宮沢賢治の世界観をより再現したカデンツァ
塵くんは強弱のイメージを譜面に記した即興カデンツァ
アーちゃんは白紙の譜面、そのとき感じたままの即興…
これぞ本当のカデンツァ!
…と、及第点は押さえてくれてあってひと安心!
今回のわたし的ベストシーンは
アーちゃんが一度は本選の舞台から
逃げようとしましたが、母との遠い日の約束を
思い出して舞台に戻ってきたときのあの表情!
音楽をする意味と、決意と覚悟が据わったあの表情!
「おかえり」と迎える塵くん!
このシーンで鳥肌と涙とで交互に襲われました!
映画ファン目線 ★★★★☆
クラシックファン目線 ★★★☆☆
原作ファン目線 ★★☆☆☆
原作とは切り離して、
あくまでもひとつの作品として考えるという
スタンスで映画を鑑賞するわたしなので
今回は星3つでご勘弁!
※備忘録:原作との改変部分
①人物の省略化
アーちゃんとマーくんのピアノの恩師を
アーちゃんのお母さんに変更
いち審査員だった三枝子(斉藤由貴さん)を
審査員長に変更
②第三次予選の廃止
原作では物語のピークとなる部分で
本選はいわば最後のご褒美程度の位置付け。
映画ではより分かりやすくするため
本選をピークに持ってきた意図は理解できる
③本選での演奏曲の変更
アーちゃんがプロコフィエフ協奏曲第二番→三番
マーくんがプロコフィエフ協奏曲第三番→二番
それぞれの楽曲を入れ替えて演奏
原作ファンは戸惑うぐらい重要な改変!
三番の方がドラマティックな曲調なので
最後に持ってきたのは演出的には正解
でも単にそれだけの理由だとしたら
わたしは石川監督を信頼できないかも…
④塵くん、明石くんの出演比率
明石くんは最初から最後までより多く出演
塵くんは最初の方の出番がない
個人 対 コンクール から
四人 対 音楽 の構図に置き換えた感じは好印象
塵くんをミステリアスな存在にしたかったのかな?
個人的には練習している彼をみたくなかったし
彼の“ギフト”たらしめる才能のすごさがちっとも
伝わってこなかったし…
奏ちゃんもでてこないし…
原作に思い入れが強すぎるのも考えものだなと思いました(笑)
悪くはない。が、原作のダイジェストのよう
ラスト圧巻!
芸術的な観点から見れば確かにいいが……
原作を読んで、今回の映画化を楽しみにしていた所謂原作ファンの感想です。
まず、原作との差異がほとんど見られなかった。登場人物は全員私が想像していた通りの人物像で、少しばかり安心していました。昨今の小説や漫画の実写化の風潮として、少し不安視している点があったために今作はその点、安心してみることができました。
内容としては原作を読んでいない初見で映画を見ている人にとってはよくわからない作品だったと感じました。本当は演奏中にその各々の心理や葛藤がまるで流れ込んでくるかのように見えるのですが、実写化に際して、監督は芸術的な美しさを追求したのでしょう、映像美だけをみるならばピカイチの作品だったと言えますが、物語としてみるならば……という感じです。
原作を見ている私からしても、今作はあまり感情移入がしにくいと言いますか、心理描写がないために全員が何を考えているのかがあまり理解できずにいたのを覚えています。
93歳の母が眠らずに観て満ち足りていた
音楽未経験者にはもの足りないかも。
疑問が多く残った
原作が好きで映画楽しみにしていたのですが、色々端折られすぎていて残念でした。
いくら栄伝亜夜(松岡茉優)を中心に置きたいとはいえ、風間塵にもう少しフォーカスを当てないと何のこっちゃ分からないのでは?
風間塵の天才っぷりを映像化するのはやはり難しかったのでしょうか。
明石(松坂桃李)もなんか取ってつけたみたいな感じになってる気がしました。。
ストーリーが原作と少し違うのは許容範囲なんですけど、やはり色々疑問点が出てきてしまい原作を先に読まない方がよかったのかな?と思ってしまいました😅
誰も寝てはならぬ
原作未読
小説は読んで面白かったものは映画化やドラマ化されてもなるべく観ない主義
がっかりしたくないからだ
心地よい音楽は眠気を誘うのかもしれない
眠らないように必死で起きてた
鹿賀丈史の声で脳がクリアになった
ありがとう劇団四季
のだめのようなコメディー要素は全くない
クラシックを聴くのは大好きだがピアニストの人間ドラマには興味がないようだ
youtubeで毎日近藤由貴のピアノ演奏を聴いているが彼女のプライベートは知りたいと思わない
だから自分のような人間にはこの作品は向いていない
斉藤由貴が英語喋っているのは新鮮
あとタバコも吸っているのも初めて見た
モルモン教徒はダメだと記憶しているが
妖艶な雰囲気を醸し出している
ピアニストたちの1人で新人の男の子の顔が可愛い
ゲイじゃないけど好きなタイプ
上田慎一郎の短編映画で冴えない映画監督を演じていた俳優さんがスタッフ役として出ていて嬉しかった
片桐はいりは少ししか出てないが確かな存在感(笑)
クライマックスでピアノを弾く松岡茉優の演技はダイナミックでカッコよかった
公の場で安藤サクラをライバル視しているだけあります
終わりよければ全て良し
天才が向こう側の人だとしても
原作未読。
真正面から骨太に物語を描ける、国内では希少な監督だと思います。役者陣の演技も素晴らしく、噛み応えのある作品。音楽そのものの描き方も、端折ることなく丁寧に感じました。
という良作だからこそ気になるのが、芸術における天才は、なぜ少し「幼く」「不思議」な存在として、乱暴に言えば「一部が欠けている」感じで描かれるのでしょうか。
恐らく時間の制約等もあるでしょうが、「ちょっと不思議な芸術的天才」のキャラクターにはめることで、キャラクター説明を省略できる、ということもあると思います。もしくは原作がそうなっている、事実芸術的天才はそういう人が多い、ということがあるかもしれません。
しかしその人物描写はどこか既視感があり、この監督だからこそ、皆がキャラクターに逃げることの多い芸術的天才という人物像を真正面から描いて欲しかった、という残念さもあります(この監督は「逃げた」のではないとは思いますが)。
高島が向こう側とこちら側に一線を引いた時、私は対象への理解を得難い観察者となってしまった、視線が一つ上がってしまったことが、少々哀しかった。もちろん「登場人物に共感できない!」「感情移入できない!」みたいな、クソみたいな意見を言うつもりはなく。
ただしそれでも十二分に良作。雰囲気だけではない、質実剛健で骨太な作品を今後も期待します。
俳優が世界を鳴らすのよ
要所要所で挟み込まれる黒い馬のイメージは幼い頃母を亡くした事とそんな時でも「天才少女」を要求する周囲への恐怖かな。
その恐怖から立ち直るために挑んだコンクールを通して、世界は蜜蜂の羽音から遠雷の轟音まで音に満ち溢れ、それを知ることで自分の音楽を取り戻していく話。
素直によいストーリーなんだけど、それ以上に俳優たちがとても良い。
他人と関わることに臆病になっている冒頭から演奏を通して悦びに溢れた笑顔まで振りはばの広い松岡茉優、やがて遠雷のように名前を響かせる事を感じさせる安定感のある森崎ウィン、そして蜜蜂のように軽やかな表情を見せる鈴鹿央士。
特に鈴鹿は「若いのに凄いな」と観ていたらエンドロールに「新人」とあって二度ビックリ。
いやー、惜しい
少し音楽関係のことがわかるので、楽屋の様子や本番前の緊張感などコンクールの様子が、作り物ぽくて、感情移入できませんでした。
風間塵が、天才というのが、ちょっと感じられず、不思議ちゃんぽく思えてしまったので、盛り上がれなかった。
オーケストラのシーンも、拍手も不自然な感じです。
はい、拍手してくださいみたいに思えてしまった。
でも、全体としては、行って良かったと思える映画でした。
音楽と原作を愚弄する最低のクズ映画
あちら側の世界
音楽に限らず、古くから続く技術の世界には、それぞれ道を極めた人たちの、あちらの世界がある。凡庸な自分にはよくわからないが、こうした映画やドキュメンタリーで見るごとに、あちら側の世界を垣間見ることができる。
本作、若い天才たちと、それと競いながら見つめる少し年上の高島明石(松坂桃李)の構図があり、その点で本作のポイントと感じた。明石がつぶやく「天才たちの世界はわからない」とか、「あなた達天才を見てると、自分も音楽をやっていていいんだと思える」といったセリフが、単なる天才同士の極限の交流ではなく、あちら側の世界を日常に紐付けてくれた。ま、そういう明石も相応の天才なのだろうけど。
松坂桃李も、若手イケメン俳優から、こうした脇で物語を締める良い役者になって来まさしたね。主演の松岡茉優は、亡き母の関わる音楽へのトラウマを抱えた復活をかける天才役、森崎ウィンが、悩める野心家の若き天才を、新人の鈴木央士が天性の才能を持つ少年を演じ、それぞれ独特の役をとても自然に見せていた。特に、周囲の天才に影響を与える風間塵役の鈴木央士は、本当に楽しそうにしていて、見ていてホッとする。
本作のキラーワード「世界が鳴っている」について、多分彼ら天才とは感じ方は違うものの、だれでも共感できる経験はあると思う。そうした普遍性と、天才たちの世界をミックスさせた良作だと思います。
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