蜜蜂と遠雷のレビュー・感想・評価
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自信、迷い、解放感、楽しさ、発見。 無限に広がり続ける彼らの心情が...
自信、迷い、解放感、楽しさ、発見。
無限に広がり続ける彼らの心情が、手に取るようにわかるピアノの音に泣きっぱなしだった。
天才たちの演奏って設定だが、本当に手の届かない境地の音を聴かせてもらった気分になる。
ピアノ吹替のアーティスト達も雰囲気がそっくりで、さらに現実味が増す。
美しくて涙が出る、こういう感覚ってあるんだな。
凄く特別な物を見させてもらった気分。
玄人向け?
原作未読。
俳優陣の演技は良かったように思いますが、話に抑揚がなく、私自身が音楽にも造詣がないため眠くなってしまいました。音楽主体の映画です。ストーリーは二の次のような感じ。
主人公が挫折した理由自体も明かされず(母親が亡くなったから、というのだけが理由なのでしょうか…だったらなんでトラウマに…?)立ち直った動機も曖昧でよく分かりません。
駐車場の謎のピアノはどういうことなのか…?
全体的にセリフが少なく、雰囲気で感じろ、わからない奴は置いていく、みたいな感じでした。
玄人向け映画という感じなのでしょうかね。
最初と終わりに出てきた雨に打たれる馬のシーンの意味が未だによく分かりません。
原作未読の人、そして音楽の知識がない人にも、もう少し親切に作ってくれたらなぁと思いました。2時間なので難しいとは思いますが。
音楽系ならのだめの方が分かりやすくて好きかな。
ドラマですが笑
音楽コンクールも大変だね
音楽コンクールに挑戦する物語。現実的にありそうな話。原作は読んだことない。読んだことある人なら楽しめるかも。
本と違って、映画で心の機微や空気感を表現するのは難しいかも。
内容が登場人物4人に分散して平坦に感じてしまう。4人の物語。
映画としては、悪くもないが、すごくいいという感じでもないので星2.5。
ひとり2時間必要
春と修羅まではめちゃくちゃ退屈だった。説明的なセリフで導入って邦画にありがちだなとか、脇役のキャラ設定がステレオタイプだなとか、マサルと塵の絡みはないのにいきなり海に行くんだなとか、よけいなことばかり考えていた。
原作でも、「春と修羅のカデンツァ」は前半のかなり重要な部分だと思うので、一次予選を駆け抜けていきなりこれとかもったいない!と思う。このシーンに至るまでの様々な描写あっての、春と修羅なのに。
でも明石のカデンツァが音楽として聞けたのはすごく嬉しかった。同じ曲の即興でもあんなにバリエーションがあるとは。本場のクラシックの世界でもそうなんだろうか。明石は個人的に一番思い入れのあるキャラなので、菱沼賞をとり、「生活者の音楽」が認められるシーンは映像にしてほしかったな…と思う。
後半、亜夜に焦点が当たり始めてからは集中して観ることができた。演奏シーンは魅力的だし、たまにこぼれる素の笑顔は天才ぽかった。指揮者にちょっと癖があるので、それぞれの「思いを理解されないこと」と「自信を持ちきれないこと」を描くことができていて、中でもマサルには結構共感してしまった。
2時間の映画にしようと思ったら、すごくよくまとまったんだと思うしいいんだけど、原作を知っているとやっぱり物足りない。創作には、小説だからこその魅力と、映画だからできる魅力があるんだと思うけど、私はこの話は小説の方が好きだな。
4人にフォーカスとか無理があったんだな、ひとりにつき2時間の映画にする必要がある。もしこの監督がやってくれるならとても観たい。
最後、亜夜がコンチェルトをやりきって、晴れやかに世界の音を聞いているシーンで終わるのは、蛇足感がなくてよかった。
☆☆☆★★★(映画のラストで、役に憑依する女優松岡茉優の本領発揮に...
☆☆☆★★★(映画のラストで、役に憑依する女優松岡茉優の本領発揮に★1つ追加で)
原作読了済み。簡単に。
〝 音楽の神に愛された少年 〟
〝 音楽の神に愛されたい野心を持つ青年〟
〝 音楽を誰よりも愛している努力の人 〟
そして。〝 音楽の神から逃げて来たが。再び音楽の神の前に跪く決意するに至る、消えた天才少女 〟
原作はコンテスタントの4人。
亜夜に寄り添う奏。
同級生の明石に期待(寄り添う?)するテレビディレクターの雅美。
塵を発掘する評論家三枝子の、主に7人の目線からコンクール予選から本選までの間に、心の中に有る恐れや葛藤の戦いを描く傑作長編。
原作と映像化には数多くの変更点が有り。おそらく書ききれ無いのですが。流石に尺の関係から、この長編をそのまま描く訳には行かず。亜夜に寄り添う存在の奏はカット。パリの予選会で発掘される塵は一次予選会からの参戦。
その塵を発掘した三枝子は、審査委員長のオリガとの2人のキャラクターを兼任。(これは無理が無い変更点)
そして何よりも。(単行本では)前後半約10000頁近い長編の、残り約100頁の本選部分だけで、映画本編の半分近くを占める。
それにより。各コンテスタントが演奏する曲や、作曲家に対する個人個人の解釈は薄まり。原作から感じるクラシック音楽に対する濃密さは、映画化に於いては薄まってしまっている感覚は拭えない。
特に、♬春と修羅♬に対するコンテスタント各人の解釈は。原作に於いても、かなりの熱量で書かれており。その解釈と演奏には、各人の音楽に対する取り組み方や姿勢を示していたのだが…。
反面で。原作では殆ど描かれなかった本選が、ほぼ映画オリジナルとして演出されている。
鹿賀丈史演じる指揮者は、原作だと殆ど空気でしかなく。逆に、光石研演じる♬春と修羅♬の作曲家が、歯に絹着せぬ物言いの男なのだが。この2人の人格を入れ替える事で、亜夜の中での心の揺れ動きを最大限に表現する事に成功していた。
そんな亜夜だが。映画では最後の最後まで、過去のトラウマを引き摺ったままでコンクールに参加していた。
映画だと、過去の栄光の名前だけが一人歩きしている《消えた天才少女》なのだが。原作では、一次予選から【モノが違う】レベルを発揮し。天才としての存在感を漂わせる。
それは、〝 音楽の神に愛された、天才少年との出会いから。
一次予選の前に、ふとしたきっかけから。塵とゆう《ギフト》を受け取り。塵とのドビュッシー〜ベートーベンの連弾で、〝音楽の神〟との交信を果たした事から。亜夜の心の中からの迷いが吹っ切れる。
この辺りの描かれた方は、映画本編の方が違和感が無く観ていられる気がする。
またその方が、観客側から観ても「どうなってしまうのだろう?」…と言った、ハラハラ感がしっかりと描かれていると思う。
ただ原作をよんでいた事で、1番残念に感じた箇所が1つ…。
コンテスタントの中で、誰よりも〝音楽を愛する努力の人 〟の明石。
原作を読んでいて、実は1箇所だけ思わず泣いてしまったところが有った。
それが、明石と亜夜が会話する場面。
原作で、明石と亜夜が会話する場面は(間違えでなければ)1回だけ。
原作の後半部分で、元々《消えた天才少女》のフアンだった明石は、亜夜に感謝の言葉を述べる。
「ありがとう」 そしてもう一言…。
「お帰りなさい!」…と。
決して才能に恵まれている訳では無く、単に音楽を愛しているだけ。
それでも少しづつではあるが、努力に努力を重ねる事で。一歩一歩ではあるものの、音楽の高みに登って行こう…と、努力する事を厭わない明石。
そんな明石に、天才と呼ばれてはいるが。本質的には、(他人の演奏を聴くのが好きで。少しでも自分の演奏に取り入れられるならば参考にしたい》努力を惜しまない亜夜の、明石へ言う一言。
「私、あなたの演奏が好きです!」
その一言こそは。原作者からの、世の中の多くの人に対しての応援する一言の様に感じ。読んでいて感激した箇所でした。
それだけに。映画本編での、亜夜と明石が何回も会話している場面は、ちょっとだけ残念な気持ちが強かったのが本音。
他にも、塵の【絶対音感】を表す。調律師とのやり取りに、オーケストラの楽員が塵の凄さに慄く場面等。多くの読ませるエピソードが削られていたのは少し残念でした。冒頭とラストに映る、豪雨の中を疾走する馬の画も。原作を読んでいないと意味不明なところでしようね。
原作を読んだ限りに於いてでは、ホフマンから贈られた《ギフト》である塵の奏でる音の世界が起爆剤となり。亜夜・マサル・明石らの才能が、コンクール期間中に。それぞれの持ち得る資質をお互いに吸収し、一気に成長させるきっかけとなる。
但し、映像化に於ける主役は。明らかに松岡茉優演じる亜夜の《消えた天才少女》の帰還と覚醒に趣きを置いている。
何故、彼女は消えてしまったのか?彼女の復活はなるのか?
或る意味それに特化した事で、映画的な分かりやすさには繋がっている気はする。原作通りに描くとなると…。
「音楽を世界へ連れ出す」
とゆう主題は確かにちょっと分かりづらい。
…と、原作及び映像化に於いて。お互いに良い
箇所。今一つ(悪い…って訳では無く)と感じる箇所とが相殺している感じでしようか。
ちなみに。原作のラストは、亜夜の演奏が始まる直前に終わる。
コンクールの順位は、映画同様に最後に結果のみが…。
2019年10月10日 TOHOシネマズ上野/スクリーン7
雨音で家電ツアーにでかける賢者 by宮沢賢治(違います)
天才の書く詩や奏でる音楽は天才にしかわからないというのか!ただドビュッシーの月の光とベートーベンの月光の曲の間に入れた「It's Only a Paper Moon」に痺れてしまいましたよ。クラシックはわからないのですが、やっぱり映画音楽とかポップスを使ってくれるとありがたい。
蜜蜂はいったいどこに出てるんだ?と疑問を持ちながら観てたのですが、登場はほんの一瞬じゃないですか(あれはハエじゃないよね?)。まぁ、塵くんの父親が養蜂業やってたというのだから、蜜蜂に関してはもっと奥が深いのかもしれません。栄伝は雨音、マサルはエリート、高島は土臭さと努力家、そして塵くんはまさしく謎の少年でした。そんな個性的な4人が紡ぎ奏でる壮大な頂上決戦。しかし、そこにはギトギトしたライバル心なんてものは感じられず、互いをリスペクトし合う姿に心地よさを感じてしまいます。
お笑いの方も出演されてましたが、良かったのはブルゾンよりも片桐はいり。全くセリフもないのに、ぽつんと座っているだけで、シンメトリーな背景とマッチしていたし、ストーリー全体からも絶妙なアクセントになっていたと感じました。
久しぶりに見た気がする、森喜朗と同じ高校出身の鹿賀丈史。嫌味な指揮者でしたが、かつては合唱団にも所属していたし、ミュージカルにも出演しているので、音楽的には素養がある俳優です。いや、石川県の誇りです・・・
全体的にはダイナミクスを感じられない平坦なストーリーなのですが、松岡茉優の最後の演奏には鳥肌が立つくらい圧倒されました。ちょっとやばいくらいに陶酔しきってピアノを弾く姿は美しくエロく、おっさんの心を鷲掴みにしてしまいます!やばかった・・・
松坂桃李の「正しいサリエリ」が心に響く〜
原作未読なので映画のみの感想です。
クラシックには疎いので、今更ですが
当たり前だけど音楽がすごい!
クラシックを聴きなれない人にも
とても聴きやすい
リズミカルでダナミックな選曲になってるので
コンテストシーンの盛り上がりが素直に感動できます。
相変わらず松岡茉優が良くて〜〜
こう言う内面重視の映画で
しっかり表現できる女優さんは凄いな〜〜
セリフは少ないけど、ちょっとした表情や話し方で
彼女の精神状態が十分伝わって来て観ている方も緊張の連続!!
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ピアノやピアニストの動きにも詳しく無いけど
主要の四人の演奏中の頭や体の動きが
素人目にはとても自然に見えました。
もちろん実際の音や指先のアップは
それなりの実力者がやってるんでしょうが
ピアノの指使いに合わせて体が動く様は
しっかりとピアノ練習をしないとできないですよね〜
ライムスター宇多丸の「アフターシックスジャンクション」の
映画評論の中で、ちゃんと専門家が観ても
演奏のシーンの評価は高い!との事なので、
プロが観ても納得なら素人でも自信もって感動を語れますね〜
そして松坂桃李が良い!!まるで、正しいサリエリ!
「アマデウス」のサリエリは
モーツアルトの才能を誰よりも解っていて
心の底では賛美しているのに
その社会的成功は嫉妬のあまり握りつぶしてしまう。
「蜜蜂と遠雷」の松坂桃李は
天才達の才能を解りすぎるが故に
天才たちの行く末を人一倍案じてしまう。
その潔い美しさが観ていて心地よい〜
音楽は勝ち負けじゃない!
そして新人の鈴鹿央士!
その役柄と本人が完全にシンクロしていて
フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!(笑)
斉藤由貴も良かった!
彼女なりの屈折を抱えながら、
やはり圧倒的な才能の出現を
求めずにはいられない審査員を
クールに演じてました。
@お勧めの鑑賞方法は?
オーケストラとの演奏シーンの迫力は映画館の音響で観ないと損だわ!!
執着と呪縛と好きの解放
コンクールとは不公平で残酷なものである。
どれだけ打ち込んで練習しようとも、審査員に評価されなければ意味がない。
どれだけ情熱を込め気持ちを昂らせて演奏しても、クールな正確さや緻密さがないと点数は上がらない。
かといって完璧なだけでも物足りない。
審査員の好みや何を評価するかも人によってバラバラだし、絶対的な数値で結果は出ないので本当に難しい。
と、学生の頃に団体でコンクールに出場していた身なので、痛いほどの実感がある。
本番直前のステージ裏の風景に見覚えがありすぎて、まるであの頃に戻ったかのようにドキドキした。
ピアノのような個人戦なら見られる点も格段に多いだろうし、プレッシャーも格段に大きいだろう。
母の死をきっかけに舞台から遠ざかっていた亜夜、米国で技術を磨き「完璧」を背負うマサル、妻子持ちで仕事と両立している明石、ピアノを愛しピアノに愛されている塵。
予選を重ねるごとにだんだん混ざり合い変化していく4人の様子と、彼らがたどり着く至高の演奏を描いた作品。
ストーリーやキャラ設定自体はわりとベタなものの、繊細で説得力のある演出と演技がスッと入ってきて、とても面白く観られた。
ほとんどピアノの前で進む物語。
明石以外のプライベートの生活にはほとんど触れず、ただひたすらに彼ら彼女らとピアノとの距離を徹底的に詰めた描き方が印象的。
ピアノに対面する人間というものが濃縮して伝わってくるし、明石が目指した「生活者の音楽」というものが際立って感じられる。
課題、練習、苦悩、本番、の順で繰り返されるたびに成長して何かを掴み取っていく姿に、一つ一つ涙してしまった。
最後の圧巻の演奏には号泣。
それぞれがたどり着いた答えの形があまりにもかっこよくて、惚れ惚れとしてしまった。
私からしたら全員超絶レベルの演奏。
しかし四人とも音の聴こえ方がちゃんと違っていて、各人の目指すものや感情がビンビン響いてくることに感動した。
ほとんど執着や呪縛とも思える「ピアノを弾きたい」「ピアノが好き」の気持ちが、これでもかというほど身体に伝わってくる。
あーちゃんとまーくんの再会の時が好き。
亜夜のちょっと子供っぽい話し方が好き。
月夜の連番で目を合わせる表情と、月光の当たり方が好き。
互いを認め合い影響し合い、仲の良い四人の関係性が好き。
子供に微笑みかける劇場入り口のスタッフのお兄さんが大好き。
飢餓感すら覚える潔い締め方も本当に好き。
ダラダラしない美しさ。
シンプルな結果発表からまた色々と読み解ける。
深読みと希望を重ねて余白を楽しめる最高のラストシーンだった。
ショートボブの髪の毛がちょっとした動きでサラサラと揺れうねる様子がとても好きで、そんなちょっとしたフェチ的なものを満たせる映画でもあった。
亜夜の綺麗なボブヘアーがピアノを弾く時に乱れに乱れる様子、もう本当に堪らない。存分に堪能させていただきました。
ロングや段付きのショートヘアよりも切り揃えられたボブヘアって、少しの振動や動きであちこちに揺れるんだよね。ハァーー好きだなーーー!
身を切るようなコンクールの緊張はもう勘弁かも…と思いつつ、あの頃の一生懸命さって今ではなかなか経験できないよな、と改めて思った。
あーあ、またティンパニ叩きたいしまたボンゴコンガ叩きたいしティンバレス叩きたいしサッシン叩きたいしまたバリサク吹きたいなーーー。
でもあれね、演奏聴いてる時にベラベラ私語する審査員って絶対嫌だね。
原作が読みたくなる作品
「原作を読んでからの映画」の順番だったら、
ここまでの高評価はしなかったかも。
しかし、「映画を見てからの原作を」なので、
細かいところが気にならず、
良かったです。
観るか?を悩んでいるなら、観てほしい作品でした。
原作と映画が違いすぐる
原作ファンは、期待しないほうがいい。まったくの別物と心得ましょう。
音楽ファンは、最後の30分まで我慢だ!!
映画ファンは、訳のわからない馬の疾走シーンと、最初の10数分間の手振れ映像を亡き者にしましょう。
小説読んでからの鑑賞
小説は上・下と結構ボリュームがあります。
でも、このくらいの時間でスピード感もあり、テンポも良く上手くまとめてましたね。あっという間の2時間でした。
マサル演じる俳優さんがかっこよすぎて、イメージ通り。
風間塵もイメージぴったりで、本当に良い映画だった。
この映画は松岡茉優ありきの映画ですね。彼女の役者魂に感動しました。ピアノを弾く姿がセクシーで、いやぁ彼女の演技力に脱帽です。見惚れてしまった。
海のシーンでの3人が美しかった。
トータル的にかなり良い映画。音楽に携わる全ての人々に観てほしいです。
天才の苦悩
天才の苦悩
楽しかったピアノが
いつしか苦しみにすり替わっていく瞬間
何が原因で彼女が一線から姿を消したのか
母親の死やオーケストラのプレッシャー、
周囲の目など、映像から想像することはできても
詳細に本人の言葉や思考で語られることがないので
もう少し深く知りたいところではある
ただピアノが好きでたまらない
世界を鳴らす人を探す
そんな少年に出会って、元天才少女が
自分のブランクとその間に閉ざされてしまった
心の傷を癒していく
天才ピアニストたちの世界はわからないけど
過去の栄光をなんらかの形で乗り越え、
自分自身の芯を強くしていく、
過去に捉われずに
今を鮮やかに生きていく決意をする。
そんな経験に少しでも覚えのある人なら、
天才でなくとも
共感できる部分があるのではないかと
思います。
原作を読んでいないと理解が飛んで、謎の部分が多くなるのではないだろ...
原作を読んでいないと理解が飛んで、謎の部分が多くなるのではないだろうか。しかし、原作を読んでいるとあまりにも内容が薄まっていてがっかりする。数回連続の連続ドラマでないと原作に近づけないのかもしれない。それでも、原作の「言葉で奏でる音楽」を、映像化するのは可能なのだろうか・・・
別世界‼️
引き込まれる作品であった事は間違いない。
ピアノの世界は分からないけど、登場人物がコンテストに込める思いは、他の職業に置き換えて感情移入できると思う。
華やかな職業がエンタメとしてはいいのかもしれないけど、
やはり、ピアノや音楽に精通してない人からすると置いてけぼりにされる感じは否めないかも。
作品のクオリティによっては業界人から叩かれる可能性も大いにある。
芸術をテーマにした映画やドラマは雰囲気作り以外にも登場人物のバックボーンを作り込む必要があるし、演奏シーンも役者は人物の複雑な感情を表情一つで表現する為に繊細な演技が求められるから、話題性だけでキャスティングすると作品の品質を下げるリスクもある。
蜜蜂と遠雷は、原作があるので登場人物のバックボーンはしっかり描かれていた。
キャスティングは知名度も演技力もある俳優を揃えていたので、そんなに違和感は感じなかった。
風間塵を演じた鈴鹿央士君は演技の型にはめれば不自然なんだけど、風間塵という人物に擬態してると考えればエグいほど自然体な演技だったから、逸材感は凄い感じた‼️
その他、気になった点
・鹿賀丈史が本物の指揮者にしか見えなかった‼️
・作品の緊張感は片桐はいりでは緩和出来ない…
・ブルゾンちえみのセリフ量が多い。
いい作品でした。
原作を読んで無いので、これを期に拝読しようと思います。
松岡茉優が震えていた
消えていたピアノの天才少女が7年ぶりに戻って来てコンクールに出場するところから物語は始まります。
3人の天才と1人の努力家の対比。
大好きな母の死から弾けなくなってしまった天才少女の苦悩。
あの時……亜夜がドタキャンした時にも担当していた
このコンクール会場支配人の田久保寛役として平田満の言葉のない彼女への思い。
この世界は音楽で溢れている、この世界の音はあなたが鳴らす。亡き母の笑顔に天才は蘇るのか?
松岡茉優が震えていた。今までのあらゆる想いに。
松岡茉優のラストシーンが圧巻でしたね。
コンテストの順位に物言いを入れたかったりして。
でもあの結果でよかったんですよね。
一般人は「天才の苦悩」には共感できない
まず第一に、原作は「天才がいかにスゴイか」を筆を尽くして書ききった作品であり、そこがとにかく素晴らしかった(ここでいう「天才」には、個人的に努力し続ける才能を持つ高島明石も含めている)。
しかし今回の映画化にあたっては、2時間という枠に収めるうえで「天才の苦悩」という分かりやすいドラマにはめ込もうとし、そして失敗をしている。
「苦悩」を描くのが悪いわけではない。事実、同日に公開された「JOKER」は主人公の苦悩を延々と描いて素晴らしい作品になっている。「蜜蜂と遠雷」の劇場版のダメな点は、「苦悩」の本質を描くことから逃げ、敵役(ジェニファ・チャンと小野寺)を登場させることで彼らを一時的に葛藤させただけで終わっている点だ。
「天才の苦悩」に私たちのような一般人は共感できない。だから、天才を描く作品では、「天才のスゴさ」にフォーカスするべきなのだ。本作では4人の天才たち(繰り返すが、私自身は努力する才能を持つ明石は天才の一人であると思っている)の「天才」を描ききれていない。亜夜にいたってはラストシーンでのみ突如天才然とした演奏をしてみせるのだが、それまでの展開で彼女の天才性が描かれていないため、突然過ぎてまったく説得力がない。
ピアノコンクールの話なのにほかのコンテスタントの演奏シーンがほとんどない点、原作におけるキーパーソンであるナサニエル・シルヴァーバーグと嵯峨三枝子の関係性が描かれなかった点(三枝子がシルヴァーバーグの離婚に言及するセリフがあるが、あれは当の相手が三枝子だと分かるようなセリフではなかった)、「木の鍵盤」という安直なツールを出すことで風間塵の天才性が霞んでしまった点、小野寺とオーケストラにされたダメ出しを3人が克服するエピソードの描き方に不足がある点 (そもそも、あんな状況ならもう1回ずつリハをやるでしょう?) など、数々の要因により、原作のエッセンスすら感じられない映像作品になっていた。原作の絶大なファンとして残念でならない。
末筆ながら。本作にはほとんど登場していないが、本戦の協奏曲はもちろんとして、第一次予選、第二次予選、第三次予選(そう。原作で予選は第三次まであったし、映画の中でも冒頭で「3つの予選がある」と英語でアナウンスされるのに、映像では二次のあといきなり本戦でしたね…)で4人が弾く曲の全てを、実際に4人のプロピアニストが演奏して録音したアルバムが発売されている。映画を見て興味をもった方は、ぜひ聴いてみて欲しい。まあ、そこまで音楽に労力をかけておきながら、映画で4つの「春と修羅」と、3つの協奏曲のさわりしか聴けなかったのは非常に物足りなかった… (砂浜のシーンとかいらないから、もっと曲が聴きたかった…)。
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