37セカンズのレビュー・感想・評価
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居場所を求めて
稀に見る、キラキラした傑作。(コロナ後の再映で出逢え、本当によかったと思う。)こんな素晴らしい作品に、敢えて文章を添えなくても…と思ったけれど、やっぱり書き留めておきたい。書かずにいられない。
なんと言っても、設定がうまい。主人公・ユマは、元同級生である漫画家のゴーストライターとして、それなりには認められ、活躍の場を得ている。とはいえ、漫画がどんなにヒットしても、その成功は所詮友人のもの。母親との生活は息苦しく、もどかしさや悔しさがつのるばかり。行き詰まりを感じた彼女は、自分の身の置きどころを模索し、もがく。
仕事もおしゃれも性愛も、車椅子のユマは既存の枠におさまれない。(ワンピースを着て外出したがる彼女を、母親が制止するやりとりが印象的だった。)与えられた居場所に甘んじるのをやめようと、危なっかしくも大胆に迷走する彼女は、弱々しいようで力強く、目が離せなかった。
壁にぶつかるたび、彼女が手にして見入る親子のイラスト。窮地から救われた彼女が、車窓から眺める都会の夜景。そこに彼女の居場所はなく、異次元に紛れ込んだようだと彼女はつぶやく。実写にイラストやアニメが絡む描写が、漫画を志す彼女だからこそ、説得力が増し、躍動する。彼女の目に映る「よのなか」が、切ないほどに生き生きと伝わってきた。
後半、物語の舞台は都会から海辺の町、そして緑濃い南国へ。ああ、この場所こそ彼女の再出発に相応しい、と合点した。(パスポートとか、タガログ語のやりとりとか、細々した帳尻合わせは脇に置いたままでいい、とあっさり思えてしまった!)異国での思いがけない出会いから、これまで「与えられるばかり」だった彼女が、「与える」側になる。そして、これまでも彼女が周囲に様々なものを与えてきたこと、そしてこれからも…ということを、一瞬にして描き切る。その豊かな語り口に圧倒され、息を呑んだ。
自分は何者なのか、どこで、何をすればいいのか。そんなもやもやは、誰しも抱くことだ。自分でもやっていけそうな場所を選択肢から選び取るだけでは、本当の居場所にはならない。他人のやり方をなぞるのではなく、自分の内側に目と耳を向けて、自分なりの居場所を作っていく。簡単なことではないし、辛くて苦い思いもついて回る。けれども、そんな一歩一歩すべてが、かけがえなく素晴らしい。文字にすると無粋で当たり前すぎることを、本作は、瑞々しく語ってくれる。これぞ映画の力、だと思った。
旅から戻った彼女は、もううつむかない。異次元の中でも戸惑わず、まっすぐ前を向いている。キラキラした彼女の笑顔が、最高の幕切れだった。
アウトサイダーが偏見も因習も忖度もぶっ飛ばし、隠されがちな存在を可視化する
革命は辺境より来たる。むかし歴史で習った言葉を思い出した。
本作は多くのアウトサイダーたち(マイノリティーと言い換えてもいい)が関わって生まれ、世に送り出された。若くして単身渡米し人生模索ののち、30歳で映画監督を志したHIKARI。脳性麻痺を抱えながら社会福祉士として働き、演技未経験ながら、ヌードや性的な場面もあるユマ役をオーディションで勝ち取った佳山明。脚本には佳山自身の人生や家族の要素に加え、障害者の性に関する支援をする介護士、野良猫のように何にも縛られず介護支援を行う「のらヘルパー」らとの出会いも反映されたという。常識や前例や同調圧力にとわられずに生きる彼女ら、彼らだからこそ、障害を持つ女性が勇気を出して人生の冒険に踏み出すストーリーを、普遍の成長物語に昇華できたのだろう。
始まってものの5分で心を鷲掴みにされる。4Kの映像は美麗で、時に残酷だ。日本社会では不可視の存在とされがちな障害者の、性的な要素を含む生活と内面に光を当てた功績は大きい。この傑作が偏見や差別を減らす力になると強く信じる。
誰にだって己がアイデンティティと対峙する時がある
自立のためにはアイデンティティが必要だ。
庇護され続けた主人公はそのアイデンティティが浸食され気味で、
求める入り口として身体(性)から入ってゆく。
やがてその向こう側、身体に左右されないルーツであり心の中心を探す旅へ。
前半、ハラハラの冒険譚であり、後半は切ないロードムービー仕立て。
主人公は障害者だがイニシエイションよろしくこれらは健常者にも同様に立ち塞がる。
同様に、と感じられるところが尊かった。
まさにハンディキャップというように、障害はきっと生きるさいのルール、
しばりがひとつふたつ、多いだけで、
ルールの問題で、
人として皆、同じなのだよなと思わずにはおれない1本だった。
ヘルパーのお兄さんがあまりにデキルヘルパーさんで、
神のようであった。
心に刺さる映画。自分自身のことを見直せる。
障害者の性や尊厳みたいなテーマは雑誌とかテレビでよく取り上げられるけど、それを映像として分かりやすく説明してくれる映画。
テーマが重いので、見ようか見まいか迷ったけど、なぜだか見た。
主役の方のヌードにもびっくりしたし、その後の展開も引き付けられた。結果として、最後まで観ることが出来た。
観た方はみんな感じたのではないかと思うけど、あの、最後の方のタイでのベットでのシーン。あの一言が、すべてを救ってくれたと感じる。結果、観て良かった、と。
何にも代えがたい成長の物語
<映画のことば>
「ただいま」
「おかえり」
常に心のどこかでは「運命の37秒間」についてのわだかまりを負っていたらしい彼女が、自身のその「わだかまり」を乗り越えて成長した物語ー。
そう評したら、ピントがボケているでしょうか。本作の評としては。
上掲の映画のことばは、凡庸なセリフですけれども。
精神的には大きく成長して帰宅したユマと、それを安心して受け入れる母親との会話として、本作の中では、取り上げるに足りる十分な重さが含まれていたと思います。評論子は。
そして、(もちろん女性である)彼女の成長には、いろいろな立場の同性が関わっていたことが、大きな要素であったことは、疑いがありません。アダルト系のマンガ週刊誌の編集長をしている藤本さん、夜の大人の世界を自由に生きている舞さん、そして(反面教師としてなのですが)ユマのお母さんと、親友(?)とは言いつつ、ユマをゴーストライターとしていわば搾取していたアヤカ。
後記のとおり、胸に痛い一本でもあるのですが、それぞれの立場の女性の、それぞれの関わりが、ユマを育んでいくプロセスに、じんわりと心が温まる一本でもありました。
後記した「追記」の点も踏まえると、秀作評して誤りのない一本と思います。評論子は。
(追記)
作品の中には直接的な描写は何もないので、飽くまでも評論子の推測なのですけれども。
お母さんには、ずっと自責の念があったのだと思いまし。ユマを産んだ本人として。
その自責の念が、ユマをして「超過保護」と言わしめるほどまでお母さんは自分自身を追い込んでしてしまっていましたし、お父さんが由香を連れて家を出たのも、彼女のその自責ぶりの重苦しさに耐えかねたからではないでしょうか。
ユマのほか由香まで、そんな重苦しい環境下で成長させることが憚られたから。
お父さんとしては、本当はユマも連れて出たかったはずですが、お母さんが(その自責の念から)ユマを放さなかったー。
そして、今度は、ユマを連れ出すことができなかったお父さんの自責の念が、自身の寿命を縮めてしまう結果となってしまったとまで憶測したら、それは評論子の勝手な推測でしょうか。
たまたま37秒間の不幸な事象がユマの身の上に起きてしまっただけで、誰が悪いわけでもないのに…、
この胸の痛さは、どうしたら良いものでしょうか。
(追々記)
車イスを駆って、自在に動き回り、その点には不自由のないようでしたけれども。
ちょっとしたことで、やっぱり介添者が必要であることには、改めて思いが至りました。
自分の足で歩くことができることの幸いも、改めて噛みしめます。
(追々々記)
イ・チャンドン監督の『オアシス』が、かなり強烈な一本だった評論子でしたけれども。
本作は、「脳ミソを破壊するくらいの威力で、一括りにはできない個人を描く」という、映画comレビュアー・グレシャムの法則さんの評に衝き動かされて観ることにしたものでした。
本作がその評に寸分も違(たが)わない秀作であったことは、前記のとおりです。
鋭い評を通じて評論子の食指を動かして、良作に巡り合わせて下さったグレシャムの法則さんに、厚く感謝いたします。
末筆ながら、ハンドルネーム記して、お礼に代えたいと思います。
優しい人は助けてくれる
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23歳女性の主人公は障害で手足が不自由で、過保護な母に介護してもらってた。
でも漫画を描く才能があり、アイドルみたいな漫画家のアシスタントについてた。
とは言っても実質ゴーストライターみたいなもので、利用されてる感じだった。
ある日、落ちてたエロ雑誌の編集部に、自分の漫画を掲載できないか問い合わせる。
女性編集長は会ってくれたが、作品から性体験の無さを見抜かれ、却下される。
ただ漫画のセンスは認めてくれて、セックスを経験したらまた連絡しろとのこと。
で過保護な母からの子供扱いに辟易してたこともあり、密かに夜の町へ。
ポン引きと話をして男を買ってみるが、ベッドで漏らしてしまい、失敗。
失意の中、そのラブホテルで障碍者の男と40歳くらいの売春婦と出会う。
この売春婦が面倒見のいい人で、仲良くなって一緒に買い物したり飲んだりする。
エロ漫画を描くために大人のおもちゃの店に付き合ってもらったりもする。
しかしそれが過保護な母にバレ、携帯を奪われ、しかも家に軟禁される。
それが嫌で脱出し、売春婦の紹介で知り合った介護士の家に居候する。
売春婦は女だてらに本当に男気のある人で、金の面倒まで見てくれた。
主人公は一念発起、子供の頃に両親が離婚して顔も知らなかった父に会いに行く。
しかしそこにいたのはその弟で、父は死んでた。しかしそこで双子の姉の存在を知る。
姉はタイで教師をしてた。介護士とそこへ行き、会うことが出来た。
妹がいるのは知ってた、でも障碍者と聞いてて怖くて連絡しなかったとのこと。
そういう本音で交流することができ、ついに自宅へ戻る。
過保護な母も反省したのだろう、子供扱いせず温かく迎え入れる。
そして姉が母に会いたがってたと聞き、号泣する。
この一連の経験は女性編集長の一言がきっかけだったので、後日礼を言いに行く。
主人公はエロでない普通の漫画はまだ描いてたが、それを別雑誌に紹介してくれた。
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障害を持ったことで異性経験はしにくいし、母も過保護になりがち。
そんな息の詰まる生活から自立を求めて頑張る女性の話。
そして正直に頑張る人間を助けてくれるのは、いつも心優しい人達。
この作品での売春婦、介護士、編集長といった面々である。
頑張らない人間はいつも自分のことで精一杯やけどね。
彼らの助けを得て、自分自身と向き合うことができた主人公。
またそれを間近で見た母も自身と向き合い、子離れするきっかけをつかむ。
タイトルの37秒というのは、生まれて来る時に主人公が呼吸できなかった時間。
そのせいで障害が残ってしまった。そして姉と立場が逆だった可能性もある。
それでも私で良かった、というラストの台詞が印象深い。
『私で良かった』ボブ・ディランの『BORN IN TIME』
懸命に生きようする女性の話。
やはり、こう言った話は、賢明な女性の監督の偉業だと思う。
『私で良かった』この台詞の意味する所が大事な所だと思う。
つまり、
相手を思いやって『私で良かった』
と、
相手にそう思われるのが嫌だから『私で良かった』
さて、どちらだろうか?僕は彼女の取った行動を総括すれば、相手への思いやりではないと思う。そんな自己犠牲的な献身者ではないと見た。言葉が悪いが『自己中心的』で『自立している』と思う。
つまり、もっと適切な台詞があるとすれば、『貴女じゃなくて本当に良かった』だと思う。ハグをするが、主人公は泣いていない。同様にどんな場面でも彼女は泣かなかった。僕はそれで良いと思う。
だから、この映画は感動する。
この映画のテーマだと思う。この映画の演出家はそこが分かっている。
また、母親、編集者、アイドルまがいの偽漫画家、そして、自分と、もう一人の自分も、全員、性格をデフォルメしている。しかし、デフォルメで生じる矛盾を抑える努力が、この演出家には見受けられる。例えば編集長が『アダルトな漫画を書くなら、アダルトな経験をしなけりゃ』とのたまうが、それは男ならばこそ。言うに及ばず、そんな経験しない女性の方が『妄想がわく』ものである。つまり、エロとはギャップ。大多数の男はそれを知っている。この演出家はそこへ観客の目を誘っている。勿論、意識的に。
商業的に考えれば、出演者に人件費を使わずに、ロケ地を選んだ打算が素晴らしい。そう言った所にお金を投資してもらいたいものだ。固定概念をバリバリに身にまとった国民的俳優じゃなくとも、演技のうまい俳優やアイドルは沢山存在する。だから、国民的に名の通った俳優を主役に据えている様な作品は、興行だけを目標としていると見るべきだ。勿論、演出も演出家の指示がなくとも、俳優は自分のモノを持っている。そして、国民的名の通った俳優は、自らその殻を破ろうとする事は稀である。
兎も角、この映画は大傑作だと思う。次回作に期待する。しばらくぶりで良い日本映画を見た。
ボブ・ディランの
『BORN IN TIME』を聞いていて涙が流れるのは、この作品を見たからか?
2024年 ある国の国境にて
2024年7月25日17時15分
脳性麻痺の若い女性の性と自分探しの旅。
出産時に37秒呼吸が止まったことから
脳性麻痺となった女性の自分探しの旅路の物語。
主人公のユマを実際に脳性麻痺で障がいのある佳山明が演じて
います。
一歩踏み出すこと、動き出すことで、
世界が変わる瞬間。
それをHIKARI監督は、映画に刻みつけました。
貴田ユマ23歳・脳性麻痺の女性です。
親友のSAYAKAは漫画家。
SAYAKAのゴーストライターとして安い賃金で働いている。
そんな日陰の暮らしから抜け出そうと、
アダルトコミック誌に作品を持ち込みます。
編集長の藤本(板谷由夏)はあけすけでサバサバした女性で、
「男性体験はあるの?性描写にリアリティがないのね!」
と指摘されたユマは、
性サービスをしてくれる男性を紹介してもらって、
安いラブホで初体験を試みるものの・・・・
(でも風俗の男性って意外と思いやり・・・あるのね・・・)
大人のオモチャを買いに行ったり・・・
前半のユマちゃんの性(セックス)を経験するための七転八倒。
哀しくて可笑しくて、もしかしてこの映画、
障害者のセックスを売り物にする怪しい映画なのかと、
ちょっぴり不安になりました。
ユマを演じた佳山明(かやま・めい)さん。
障害を持つ女性100名の中からオーディションで、
選ばれた社会福祉士の資格を持つ女性です。
生まれつきの脳性麻痺の女性で、彼女の声のか細さと純真さに、
審査員全員が心をわしづかみにされたそうです。
HIKARI監督も明(めい)ちゃんと出会い、
ユマを交通事故で脊椎損傷から、
脳性麻痺で障害が残った設定に書き換えた程です。
全裸のシーンやエッチなシーン。
観てる私は辛くて切なくて胸が張り裂けそうでした。
佳山明ちゃんがこの映画の人身御供(ひとみごくう)にされたら?
(もしも、彼女の人生に傷を残すことがあったら、私は許せません)
でもこの映画の後半への布石として、明ちゃんのヌードシーンは、
本当に必要だったのだろうか?
撮影現場でおだてられたり、半ば断りきれなかったのでは?
と、胸が痛みます。
どんなに勇気と覚悟を持って演じたのでしょう。
溢れた涙と共に「頑張ったね!!」
と言いたいです。
(愛らしい声でゆっくり舌足らず話す彼女は、
本当に可愛いらしい女性です)
ユマにとって漫画作家は、健常者と対等に闘えるフィールド。
(足も手も自由に動かせないけど、漫画は、想像力の翼は無限だから・・・)
前半は母親の束縛と過保護を中心に描かれます。
ユマを利用する漫画家でYouTuberのSAYAKA。
キラキラしたメイドカフェ風メイクのアイドル並みのルックスを持つ女の子。
(親友なのにユマを利用してる。安い賃金で働かせて搾取している)
過保護のあまりにユマを縛り付ける母親恭子(神野美鈴)
…………………母親の取り越し苦労や心配のし過ぎ、痛いほど分かります…………
ラブホで障害者のクマ(熊崎慶彦)を常連に持つ
障害者のサービスを行うデルヘリ嬢の舞(渡辺真紀子)と知り合うユマ。
舞はキップのいい女性で、ユマを新しい世界・自由へと誘ってくれます。
そしてチカラになってくれるホームヘルパーの俊哉(大東駿介)
…………舞と俊哉はごく当たり前のさりげなさでユマをサポートします………
そしてユマが母親と遂に衝突して家出。
後半はガラリと作風が変わって、タイ国へ渡る急展開をします。
ここからが最高に素晴らしいです。
なぜタイへ行くのか?
そこに何が待っているのか?
ここでは触れません。
この後半の、チカラ強さと解放感がともかく最高!
視界が一気に開けるのです。
健常者と同じフィールドに立つ。
ユマがその権利を手にした爽快な、そしてちょっぴりユーモラスなラスト。
前半の怪しげな展開にくじけないで、どうか最後まで映画を見届けて下さい。
ともかく秀作。
大感動が待っています。
リアルなようでそうでないようでもある
最初の全裸シーンは違う撮り方でもよかったんじゃないかな。
渡辺真起子さん演じた舞さんが素敵だった。
いくら親切でもあの流れでタイまで行くかな、と思ってしまったのは心が汚れてるのかな。
よかったです。
障害を持って生きていくというのは、こういう側面もあるんだということに気づかされた。かわいそいうとか、いやそれ言っちゃだめでしょ、みたいなことじゃなくてね。いきなりタイに行くところは都合よすぎだとは思ったが、まあよかったです。
映画でしか見せられない良作!
なぜこのタイトルなのか。
終盤で明らかになる。
身障者が主人公。
しかし何もできないわけではない。
マンガの才能に秀でていてるが、身障者が故にゴーストライターの役割を受け入れている。
自分も健常者だったらと常日頃思う中、
普通に出来ると言われる事を存分にやってみたい。
恋愛もSEXもだ。
この主人公の彼女。
オーディションで採用された本当の身障者だそうだ。
しかし作中の演技はこれでいい!と頷ける雰囲気を出し、オーディションの審査員たちの眼力に畏れ入る。
決してテンポがあるわけでもなく、明るい話題があるわけでもないが、キャスティングもここぞいう人たちで固められ、実に背骨のしっかりした作品に仕上がっており見入ってしまった。
渡辺真起子さんのセリフは実に良かった。
沁みます!
楽しく観る映画じゃ無いけど、生きる勇気を貰えるかな‼️❓
元気じゃ無い時に観ると、どうだろうか、いや、生きるのが辛い時こそ観る方が良いかも。
なんだろう、啓発映画じゃなく、障害者がひたむきに生きる姿を側で眺めるドキュメンタリー的な、例。
真摯に作られてるから、なんか尊敬できる、そして苦しんでる自分を甘いと思う、明るく元気に生きねば、そう思う。
そして人に親切にしようと思う、余裕が無い生活だけど。
神田沙也加さんの死とか、コロナとか、ガソリン放火殺人とか、世の中で、余計にそう思う、関係ないかな。
パワハラで苦しんでるけど、明るく前向きに生きていこうと思う。
たまに、コミカルなところもあるので、それほど息を詰めて向き合うことも有りませんよ。
真面目に生きてる人は、是非。
車いすの人に目線を合わせるのではなく視野の違いを噛みしめる作品
実にしなやかで行き届いた空気のする映画。ユニバーサルな世界のコントラストが見事。卓越した才能が色とりどりに出てて心にジンワリと溶けていく。
噂に聞いていた通りの優しい映画だけど、そのアプローチがここまでトリッキーかつキュートだったとは。脳性まひによってできる事が限られている、そんな状況を見せてからのロードムービー。人の出会いってこんなに人生を彩ってくれるのかと改めて幸福を感じる。しかも、随所に出てくるキャストもまた堪らない。最近観た『プリテンダーズ』くらい数シーンたちが豪華で、凄いなと思ったらNHKも制作に携わっている。意外とアダルトな部分も軸足としているだけに、妥協ない作りをするんだという制作陣の気概を感じる。
さらに、HIKARI監督のセンスに驚かされる。障害を抱えている人の視点を描きながらも、健常者との距離感も優しく詰めていてホッコリする。自分を変えるための方法は誰だって平等にあるのかもしれない。また、音楽やロケーションによる世界の開かれ方、幾重に組まれた変化が美しい。悪役にならないバランスも絶妙で、犠牲も少ないことに感心する。
佳山明の人生もきっと演技に大きなプラスになっているんだろうと思うほど自然体で良かった。世界が唸るその才能が見えにくい視点を描いてくれたことによる恩恵をつくづく噛みしめる。
人生は悲喜劇
人生は、喜劇だ。たとえ悲劇であっても、振り返ってみると皆喜劇に思えてくる。そんなハッピーな気持ちにさせる作品だ。
傍目から見ると、障害者は、健常者に支えられていると思いがちだが、お互いに支え合って生きている。前半は障害者マユの混迷する姿を描いていく。しかし、後半になるとマユの自分探しにステージが移る。それは同時に、健常者の母親の自分探しでもある。
マユは顔も知らない父を訪ね、父の死、双子の姉の存在を知る。自分探しは、自分のルーツを知ることで、今の自分を見つけることができる。そして、彼女がその旅を終えて、自分の進むべき道が見えてきたとき、か細い声の自信なさげな以前の態度とはうって変わって、頼もしいばかりに脱皮する。彼女の力強さに感動しないではいられない。
前向きな気持ちになれます♪
気持ちが沈んでる時にオススメの映画です。
主人公のユマちゃんの甘ったるい優しい声、人物像に癒されます。
脳性麻痺の主人公を演じた佳山明さんも、マユちゃんを介護する母親役の神野三鈴さんも素晴らしく、冒頭から引き込まれ最後までアッという間でした。
ひょんな事からマユちゃんと知り合い、マユちゃんの挑戦を手助けする舞役の渡辺真起子さん、俊哉役の大東駿介さんの演技も良かった。
見終わった後に「自分も頑張ろう」と思えます。
元気をもらえる映画でした。
自立と保護の狭間のドラマ
才能はあるが、社会から隔離的に育てられた障碍のある主人公(職業:漫画家)が、自立に向けて、母の監督下から抜け出し、自分のアイデンティティや生き方を模索する。
非常によく書けている脚本だと思いました。
何の事前知識もなく見始め、タイトルの37秒が何を意味するのかがわかりませんでした。ラストに差し掛かり、主人公が抱えていたモヤモヤが解決する中で、37秒の意味が明らかになり、タイトルの意味をそこで考えさせられた構成は、なかなか憎い演出だなと感じました。
また、映画の冒頭でトイカメラ風に街を撮影した演出も謎に感じましたが、中盤で酔った主人公のセリフからその意味を推察することができ、伏線を感じながら鑑賞することができました。
ストーリーそのものは、親子関係が丁寧に描かれており、自立しようとする障碍のある娘と保護し続けようとする母、お互いの主張と態度の軋轢がじわじわと形成されていく様子が見ていて切なくなります。ただ、映画の雰囲気はポップで明るい様子を保ち、あまりシリアスになりすぎないのも好印象でした。
最後のひとこと
直近で観たミッドナイトスワンの後と同じようなカタルシス。ミッドナイトスワンは30代、40代の普通の女性の日常が、たかがトランスジェンダーであるだけで…という作品。
37セカンズは過干渉の母親と反抗期の娘の日常が、たかが障害者であるだけで…という作品。
最後の「私で良かった」という言葉は直前までそう言わないでほしいと思っていた。人間てもっと汚くて恥ずかしい感情を持った生き物で、これまでの人生の不条理をあの数日の出来事で受け入れられるようになってしまう人間なんていない、それを言ってしまったら『やっぱりフィクションなんだ』と思ってしまう!嫌だ!と思っていた。思っていたのだ。でも、その直後にあの「私で良かった」という言葉はあの状況だから言えた、言わされたんだ、と気付いた。俊哉さんのような人と一緒に旅をして初めて恋愛のような感情を、少なからず夢馬さんは抱いていたのではないか。そんな人との対話だからこそ、『少しの見栄やカッコつけ』みたいなものがあって、それがあのセリフを言わせた。夢馬さんは言わされた。
そして言わされて初めて自分でも本心から「私で良かった」と思えるようになったのではないか。言ったその時の本音は違ったけど、その後本当に、心からそう思えるようになって、感情が後から着いてきて人生が好転した。
ただの自己犠牲ではなく、単純ではない感情の細かな変化を描いたから名作なのだと思う。
自分自身が『見栄やカッコつけ』で言った自分の言葉に背中を押されたり勇気づけられたりした経験があるからそう感じるのかもしれない。読み違えてるかもしれないが私はそう感じた。
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