「【19世紀のオーストラリアの歴史的位置づけを背景に、残念ながら現代にも脈々と続いてしまっている、当時の数々のレイシズムを苛烈に描き出す作品。】」ナイチンゲール NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【19世紀のオーストラリアの歴史的位置づけを背景に、残念ながら現代にも脈々と続いてしまっている、当時の数々のレイシズムを苛烈に描き出す作品。】
ファーストシークエンスが観ていて、とても辛い。
と共に、当時オーストラリアを植民地且つ、流刑地として活用していた傲岸不遜な”グレート・ブリテン”の人々の姿が描かれる。
彼らに過酷な仕打ちを受け続けたアボリジニの人々の想像を絶する姿や、白人ながら、当時から差別的待遇を受ける事の多かったアイルランドの位置付けも垣間見える。
救いは、
・夫と子どもを無残にも殺されたクレアと彼女と徐々に距離を縮めていくアボリジニの案内人ビリーを一晩家に泊め、食事を出す白人老夫婦の夫がビリーに掛ける言葉とそれに驚き、涙するビリーの姿や、(当時、彼のような方は稀有であったろう。)
・クレアが勇気を振り絞り、彼女への蛮行及び愛する夫と幼子を殺めた唾棄すべき”グレート・ブリテン”の若き将校が、自分の戦功を上官にアピールする酒場で、彼の蛮行を滔々と述べ、渾身の気合で震える声で歌い上げる
”私はナイチンゲールではない・・”
と謳い上げるシーンである。
・更に言えば
”クレアではなく、ビリー”がアボリジニの闘う正装で、”本懐”を遂げ、アボリジニの儀式に則り息絶える、夕日が沈む海岸の美しい風景である。
(この後半シーンが無ければ、私は今作のレビューを上げなかった。冒頭のシーンでは鑑賞作品選択を誤ったと内心、自分を痛罵していたのである・・・。)
それにしても、ジェニファー・ケント監督の、これホラーではないか?と一瞬思ってしまう程の苛烈な映像の数々には本当に驚いた。
(作品テイストは随分違うが、同じく女性監督であるリン・ラムジーをほんの少しだけ想起してしまった・・。)
<観ていて辛いシーンが多いが、様々な事を現代社会に問いかける意義ある作品である、と鑑賞後に私は思った。>