この世界の(さらにいくつもの)片隅にのレビュー・感想・評価
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この世界の片隅に
戦争が行われていた時代を過ごした女性の生涯を描いた作品です。
この作品のいいと思う所は、キャラクターの緩さにあるかなと思いました。
戦争というととても重たく苦しいものというイメージが強いからです。
この主人公のどこか抜けたような緩さが観ていて心が和む感じがしました。
広島の方言もまた良いなと思いました。
強い言葉でもそこに温かみがあるような。
主人公がおっとなる人の昔の思い人に遭遇して、心の葛藤がある部分もこの時代だからとかではなく、向き合うべき所に向き合う強さがあるのかなぁ。
そこからお互いがもっと関係を深めていくきっかけとなった。
後半にかけて、物語が段々とシリアスな雰囲気に変わっていきました。
どんな時代でも世界の片隅では、日々が続いてそれが誰にでもある。
この世界の片隅に色んな人温かみがあったり、悲しみがあったり、全てが分かるわけでないけど、
そんな時代の中で生きる人の力強さを感じる作品でした。
なるほどねぇ、この世界の片隅にも、裏があったのだ。
さらにいくつものでない版を1度だけ観て、3年後なので、記憶違いがあったらゴメンナサイなんだが、
間違いなくリンである。
前作(ややこしいのでこう表記させていただく)において、どこか匂わしていた、
いくつかの謎の残り香は、この女のものだった訳だ。
彼女の存在のおかげで、実にいろいろな意味が裏返り、そして、納得いくものになる。
周作にとっては、すずとの縁談も、そもそも、出逢いの籠の中の思い出も、
納屋での一夜の件も、あまりに完璧すぎた、良き夫としての行動も
すべて裏があったのだ、と言うことになる。
つまり周作は、リンとの別れの条件として、存在するはずのない、初恋の相手を引っ張り出してきたのだ。
住所もわからぬ、実存するかもわからぬ、初端から、見つかるはずのない女性を条件とし、
見つからない事が前提の、すずさんだったのだ。
ところが、運命の悪戯か、すずさんは見つかってしまう。その時の周作は、どんな顔をしただろう、
まさか、見つかりましたハイ、リンの事は諦めます、すずさん愛してますとはならない。
成長し、着物を被って誤魔化していたとはいえ、相手がすずだと、わからなかったくらいだもの。
その内側には果たして、どんな気持ちが渦巻いていたのか。
そしてその気持ちから、どうやって変化していったのか。
しかしこれで、前作で感じた違和感は、すべてほどけた。
まさかあの、夢で見たような思い出話だけで、ずっとすずに恋心を抱き続き、いきなり縁談というのは
どれほどの一途な純愛男子なのか、イヤイヤしかしそれでは納屋の一夜をセッティングする理由とは矛盾する。
それともその愛は、妻の思い人と今生の別れを優先させてやるほど、聖人的な自己犠牲も厭わない鋼の愛情なのか? なんなのだ。
…なるほどなあ、裏があったのだ。
自分自身にウシロメタイ気持ちがあったからこその、贖罪でもあった訳だ。
まぁ、、良いさ。
結果的に、桜の木の下で、あの挨拶ができた2人だもの。
そこまでのどこかで、周作のなかで区切りがつき、本当の夫婦になれたんだろう。
これだという切っ掛けになるエピソードは、たぶん、ない。
なんでもない日常生活の積み重ね。
その重みが、その意味が、この映画の本質だもの。
夫婦生活の積み重ねで、いつしか、ふたりは本当に夫婦になったんだと思う。
紆余曲折があったからこそ、遠回りをしたぶん、ふたりは出逢ったのだし、
すずさんは生き延びたのだし、
辿り着いた愛情は、より深くなったのだろう。
人生なんて、結果論的に、なるようになるし、なにが幸いするかなんて、誰にもわからない。
監督がインタビューで「すずさんにそこまで日本を背負わさなくても良い」と語ったように
戦時中の、そして戦後も続く、日常の積み重ね。
淡々と積み重ねられる、人々の生活を描くだけで、この映画の主題も、
戦争というものの本質も、人の強さも、弱さも、
苦しさも、楽しさも、とてもやり切れない悲しさも、
すずがただ1度だけ見せた怒りも。
わざわざ日本を背負わさなくても。
それでも、すずは生きていかねばならないのだし。
それは誰もが同じなのだし。
すずが言わなくても、他の誰もが、言葉は違えど、同じ思いであったのだろうし。
そして、戦争の罪深さは変わらないのだし。
「戦争映画」から「すずさん映画」へ
時代
すずとリンの対比が見事
全ての物事には、面があって裏がある…。 ただのディレクターズ・カット版ではない、全く新しいもう一つの「片隅」がここに…。
2016年公開のアニメ映画『この世界の片隅に』に、40分にも及ぶ新規映像を追加して制作されたディレクターズ・カット版。
○キャスト
北条すず…のん。
新たなキャストとして、遊郭で働く病気の女性、テルちゃんを演じるのは『言の葉の庭』『君の名は。』の花澤香菜。
本作のランタイムは168分。これはおそらく、日本アニメーション映画史上最長の作品だと思われる。
片渕須直監督曰く、元々の絵コンテはこの長尺版のものだったらしい。しかし、予算の都合上30分ほどカットしなければならず、なくなくコンテを削って作り上げたのが2016年版。
つまり、2016年版ではなく、この長尺版こそが『この世界の片隅に』という映画の本来の姿なのである。
本作を鑑賞してみて驚かされた!😲
だって、40分の追加映像によって、全く違う映画に生まれ変わっていたんだもん。
16年版はすずさんとその家族に焦点が当てられており、過酷な時代を懸命に生き抜く彼らの姿が描かれていた。
しかし、この19年版では、遊女として働くリンさんのエピソードをふんだんに増量。
彼女のエピソードが追加されたことにより、すずと周作、そして北条家の背後に横たわる暗い影が浮き彫りになってくる。
2016年版がレコードのA面だとするならば、本作はまさにB面。16年版が太陽ならば、本作はまさに月。
人気の”生命”の強さが打ち出されたA面に対し、このB面では人間の”情念”の強さが打ち出されている。
過酷な運命が描かれているものの、どこまでもカラッと明るい作風だった16年版とは打って変わって、本作にはドロッとした冷たい暗さが物語の根底に流れているように思う。
物語の結末が変わった訳ではない。
しかし、この新規エピソードは映画全体の印象をガラッと変化させてしまった。
なんの陰りも見えない幸せそうな家族にも、外からは決して見えない秘密が存在している。現実は綺麗事だけでは済まされない物事に満ち溢れているということを、我々は嫌というほど知っている。
その嫌な部分をあえて取り除いている16年版の方が、確実に観やすい映画ではある。
しかし、このやるせない秘密と、それを胸に秘めたまま前へ前へと進んでゆくすずと周作の姿を描いたこの長尺版の方が、鑑賞後の胸にズシンと残ることだろう。
『この世界の片隅に』が、日本映画史に残る傑作なのは間違いないし、その素晴らしさはこの長尺版でも全く損なわれていない。
ただ…。
やはり、3時間弱というのは長すぎる…。
テレビシリーズでやるとか、前後編に分けるとか、なんかそういう対応策はなかったんじゃろうか?
たしかに、16年版よりも本作の方が物語の骨子はしっかりしている。すずさんの心情も、本作の方がより強く観客に伝わったことだろう。
ただ、丁寧に作りすぎているせいで、16年版にあった勢いが削がれてしまっているように感じた。
このリンさんのエピソードは、原作に描かれているもの。
重要なエピソードなので、映画の中に組み込みたいと思った片渕須直監督の気持ちもわかるが、やはり漫画と映画は違う。
漫画ほどゆったりと進むわけにはいかない映画という表現媒体においては、原作のエピソードを取捨選択するという行為が必須。
16年版はこの取捨選択が非常に大胆に、かつこれ以上ない程的確に行われていた。
それに対して本作はちょっと欲張りすぎてしまっている。
リンさんのエピソードは原作漫画に任せておいて、映画は16年版を完成稿としてしまってもよかったのではないだろうか?
16年版も本作も、両方とも同じレベルの感動を与えてくれた。
だったら、40分も尺が短い16年版の方がより優れた映画であると言えるような気がするし、おそらく後年まで語り継がれるのは16年版の方な気がする。
映画には、丁寧さよりも勢いの方が大切だと私は思うのだが、世間一般ではどうなんだろう…?🤔
リンさんというピースで、よりこうのふみよ先生の作品感は増す
鑑賞当時にレビューする習慣がなかったので後付けですが。
さらにいくつもの、は前作で泣く泣くカットされたすずさんとリンさんのエピソードを多く含み、作品の印象もあるいはすずさん周作さんの印象もかなり違います。いずれにしても心に後から後から染み込んでくる凄い作品です。
こちらだけ観たひと、原作とこちらだけ読んだ観た、という方の感想も気になります。
画竜点睛を欠く おむすびコロリン!
ほぼ、良いのだが、原作にはあって、アニメにはないカットがいくつかある。ネタバレになるので言えないが、アニメを見た方は原作を読んでもらいたい。
また、この作品のテーマは、この原作者の他の作品を読んで見るべきだ。涙だけで済ませてはいけない。
我々は原作からカットされていた一人なのだから。
旦那が無駄に(笑)いい男、よく見ると展開が少女漫画(笑)
素晴らしい作品であることに疑いの余地はない。コロナ禍の今見ると、緊急事態が音もなく日常になっていくことの恐ろしさがリアルに伝わってくるし。
ただ誰も言っていないようなので書くけど旦那(周作さん)が無駄に(笑)いい男なんだ…子供の頃たまたま出会って見初めて、成長して凛々しい軍人になり「結婚してくれ」とやって来る…完全に女の幻想の世界やな(笑)結局この男がよかったから嫁ぎ先に残る決意をしたんじゃないんかい、昔はもっと最低な男いっぱいいたやろ、とか意地の悪いツッコミを入れたくなってしまう。結婚後も乱暴だった小学校時代の同級生が嫁ぎ先にやってきて「昔からお前が好きだった」「そんな、私はもうあの人を愛しているから何を今さら!」という超メロドラマ展開…このヒロイン、これも少女漫画によく出てくる「ドジで一生懸命な女の子」だしね…こんなんで「昔の女性は家庭に縛られて悲惨でした」とか言われてもなー。
極めつけは遊郭の女性、白木リンとの関係。夫・周作は結婚とともに遊郭通いをきっぱりやめ、妻一筋になったという(というより、遊郭のリンに入れあげるのを止めるため、親類縁者が持ち出した結婚だった)。えー、ほんとかよ、男って甲斐性があれば二人三人ぐらい同時に愛せる生き物なんでっせ?しかもそれが咎められなかった時代、結婚した後もこっそり通ってたんじゃないのかなぁ?花見ですれ違っても「お久しぶり」って挨拶するだけって、逆に怪しくないか?
せっかく夫婦の夜の営みのシーンまで描くぐらいなら(笑)、夫の体から遊郭の香りがしてくるとか、そこまで際どく描けばよかったのに。嫉妬に燃えていたら原爆が落ちてリンは死んでしまいました、とかいう展開の方がよほど怖い。
だが例の小学校の同級生が向かう先は生きては戻れない海戦で、夫が逞しい肩で庇ってくれる先では砲弾で何人もの人が亡くなっている。これでは胸キュンどころでない…実家の親も原爆で死んでしまうし…
結論として、旦那がちょいと女性にとって都合のいい設定だったもので、戦争の悲惨さを見る作品としては甘すぎ、胸キュン作品として見るには不謹慎すぎる、どっちつかずなモヤモヤ感が残る…ちなみに…旦那役の声優は細谷佳正、やたら色っぽい。やはりこの「いい男」、完全に無駄である…
すずさんの(より一層克明になった)心情
Netflixで鑑賞。
原作マンガは未読。
遊郭で働くりんさんとのエピソードなどが追加されたことによって、すずさんの内面がさらに掘り下げられている。
すずさんの人間性がオリジナル版より深みを増し、女としての葛藤や夫への複雑な想いなどの心の襞が克明になった。
特に印象的だったのは、休暇で陸に上がった水原さんとすずさんが過ごした、大人な雰囲気満点な一夜の場面である。
オリジナル版とは異なる意味合いのシーンになっていて、男女の機微が濃厚に漂う展開への大きな変貌に驚かされた。
※修正(2025/08/05)
泣いてばかりじゃ塩分が勿体ない
コロナ騒動の今だから観るべき映画
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので
これからは「星のナターシャnova」
以前の投稿をポチポチ転記しますのでよろしくお願いいたします。
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前回、とても大きな話題となった本作。
前回はあっさりとしか描かれなかった
遊郭の
「リンさん」との絆が
もっと深く描かれていることで
より深く主人公「すずさん」の心の動きが
感じられる作品になっています。
戦前の地方都市のボ〜っとした女の子が
戦前らしく、周囲に言われるままに
知らない家に嫁に行き、何だかんだ気を使ったり
逆に気が付かなかったりしながら
夫や夫の家族や世間と触れ合う事で大人になって行く。
その年月の中に、
個人の力ではどうしようもない、
戦争の日々が音も立てずに忍び寄り
「こんな時だから仕方がない〜」と
流されてしまうことの恐ろしさ危うさが
前作よりもさらに強く伝わって来ました。
もう一度見たい方はもちろんですが
前回ブームに乗り遅れた方、気になってた方は
ぜひご覧下さいな〜
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
この文章を書いているのは2020年3月10日。
もっと早くレビューを書いておくべきでしたが
新型コロナウイルスによる様々な規制や中止
!
まるで、この映画の中の
国から庶民への
締め付けの始まりの様な空気感!
「こんな時だから仕方がない〜」
で、済ませては行けない!
国のすることをちゃんと見ていなければ〜
改めてそれを強く感じさせる作品でした!
@お勧めの鑑賞方法は?
この映画は損得や理屈じゃない!
国がどうやって庶民の自由を奪ってゆくのかの教科書として
庶民全員がどんな方法でもいから観ておくべき作品です。
冗長になってしまったのが残念。
前作(と言って良いのかはともかく)は良かった。
エピソードが足された事で説明不足が解消されたのは良かったが、冗長になってテンポが削がれた。映画という商品(←あえてこう言います)としては残念になってしまった。
漫画作品と映像作品では求められるものが違うのです。
全198件中、21~40件目を表示