僕はイエス様が嫌いのレビュー・感想・評価
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リスキーでセンシティブなテーマ
観る人によってはリスキーでセンシティブなテーマだと思う。し、私もハラハラと、フワフワと、少年の心の機微に同調した。あの瞬間、私の心も潰れてしまうようにショッキングだった。斎藤工が「惚れ惚れする程チャーミングな作品」とコメントしていてまさしくその通りだった。
いつも笑顔
ある意味、残酷でタブーなテーマを強烈なメッセージではなく、子どもの視点で切り込んでいく。「お祈り意味ありませんでしたね」誰もが薄々は感じていることだが、それを描くことはなかなか難しい…それを収める構図もカメラワークも秀逸。
見えた!
98本目。
あっ、見えちゃいけないモノが見えた。
と思ったら、そうそう、そうだった。
予算とか、突っ込み所、色々あるけど面白かった。
子役とかね、染まってないのがいい。
まあでも神様って人間にとっちゃ都合のいいモノだからね。
まったくもって素朴な、神様ってなんだろう?
はじめて生で聴いたパイプオルガンの音を思い出した。
スッキリした空気や神様ってなんだろう。わからないなりにも、キリスト教を空気で感じたあの日。
まっさらな少年の心にも同じ様に響いたであろう、まったくもって素朴な神様ってなんだろう。
静寂な雰囲気から想像できない、ユニークな雰囲気を漂わせながら、その無垢な疑問を表現する。子供ワールド感満載でとても良い感じだった。
突然現れた理解を超える悲しみ。
真っ白い雪の様な少年の心だからこそ、計り知れないくらいに深く刻まれただろう。
神の沈黙を明かる過ぎず軽過ぎず
神の沈黙、不在、迷える子羊たちとの関係は、
明確な答えが出ない永遠のテーマ。
教会であるいは懺悔室で、嘆く映画は数知れず・・・
シェイクスピア、ドストエフスキー、ニーチェ、ベルイマン、
そしてスコセッシ『沈黙』。
いずれも暗くて重い。
暗い重いを、
明るい軽いに、
最大限にズラす→
「聖☆おにいさん」
「ブルースブラザーズ」
そこそこズラす→
「天国から来たチャンピオン」
ジム・キャリーのタイトル忘れました。
「オー!ゴッド」
本作は明るくて軽い・・までズラしてないが、暗くないし、重くない。
世知辛い世の中になっているからこそ、
炎上するような内容を、
上手く炎上させない技術、
多くの人を傷付けしまうような内容でも、
誰も傷付けないユーモア、
常にそんなアイデア、武器を身体中のあちこちにぶら下げている人にとって、ターゲットは常に明確で、使用する武器、その影響、責任も想定してるはず。
と仮定して考えるならば。
ちょっとだけズラした、チャド・マレーン。
立派なコロンブスの卵でしょう。
「この窓からなんにも見えねーな」は竜二。
穴の先に見えていたものは?
チャド・マレーンのフィギュアをカバンにぶら下げたい。
静かなる鬱屈
やっぱり「みずみずしい」という表現になるのだろうが、どうもその言葉はありきたりすぎて、どこかパーツが足りない感じがする。
映画としての画づくりは、恐ろしく安定していて、観る人にやさしい。画の中身は家庭のビデオとして撮ったような印象もあり、親近感が湧く。画面サイズが昔のテレビの縦横比くらいで、最近の横長の情報過多な画面より、静かで落ち着いて観れるように感じた。そういえば、ケイシー・アフレック主演の”a ghost story”も同じような画面だったが、視点の動きを少なくした静かな映画は、画面サイズを横長にしないほうが、うるさくなくて見やすいかもしれない。
ストーリーは、とても優しく描いた「沈黙」のようだ。自然に神様の存在を感じられる主人公のユラは、何度も裏切るキチジローとは全く違うが、何故か重なるところが感じられる。宗教色は抜きに出来ないが、監督から「子供の頃こういうことがあってね」と、語られているようで、違和感はまったく感じなかった。
子供を中心に物語が進む中、とても綺麗に掃除されているが、どこか埃っぽさを感じる部屋のような、独特の感覚が沸き起こる。
「面白い小品」として、心に留めておきたい作品だ。
荒んだ大人には心に堪える
これを観てもイエス様を嫌いにはなれなかった。それは私が信じていないからだろう。嫌いになるのは信じているからだ。
東京から雪深い田舎のカトリック系小学校(しかも小さい)への転校という半ば三重苦のような体験をする主人公が、「イエス様」(これがまた大変戯画的で...)を見るようになり、願いを叶えられて、それを信じるようになっていく。
前半の牧歌的感と絶望というか、「嫌い」になる後半が色を基本的に変えずにやっているところは凄いなと思った。あそこで物語の様相を完全分断もできるのに。
物語は...私は信心もないし子どもの無垢も信じていないので、結構心に堪える映画でした。正直、主人公に見えていたものは幻想であり、願いは偶然であり、そして願いはいつも叶うのではないし、どうしようもできない事がある。そこで神さま(まあイエス様は神様じゃないけど...)に怒っても仕方ないでしょう...という穿った見方をしてしまう。私は信じる、が向いていないな...。
私が子どもだったとして、嫌いになるだろうか。もう想像もできない。そういう意味では若い人に強く刺さる気がした。
冒頭からラストに繋がるシーン、カット割り、総じて画の撮り方は素晴らしかった。自然に見えて不自然な。イエス様の動きも、最後に姿を見せるところ含め、その展開が最高だと思う。
前半と後半をつなぐ神社とサッカー、人生ゲームのゴール、主人公の願いごと、の意味を考え続けている。あの部分は敢えて放置したんだろうけど、若干の中途半端さというか、もやもやは感じた。
後は、大人をもうちょっと複雑に描けたら奥行きは出たかな、という気がする。まあそれも敢えてだろうけど...良くも悪くもステレオタイプ...まあでも子ども主人公の映画の大人って必然、そんなものかとも思うけれど。
淡々と。嫌いではない映画
淡々とした映画。自分は、嫌いではないです。
主張するのではなく、事実を描いていく。音楽も賛美歌のみを用いており、音楽で感情表現を補完しようという思いがないのも好ましい。とにかく、観た人が、自分で感じてね、という姿勢に徹していると感じた。
では自分はどう感じたか? 自分は、宗教は、苦しい人の心を救うものだと思っている。苦しくない、普通に生活できている際には、不要だと思っている。
だから、ユラの、宗教との出会い方は、ちょうど逆になっちゃったんだなあと感じた。友達ができたこと、お金がもらえたことは、神様のおかげではなく偶然。一方、終盤のやるせない気持ち、どうしようもない悲しみや怒り、それらを自分一人では乗り越えられない瞬間が来たら、その時こそ、宗教が、神様がユラの役に立つときが来るのだと思う。
かつ、少年の心は柔らかく深いので、いくら悲しみや怒りが深くても、宗教に頼るところまで行くことはないのだと思う。そういう意味で、少年たちに、真の意味での宗教は不要だと思う。
静かな落ち着いた絵、こどもたちの自然な演技。見事。監督・脚本だけでなく、撮影・編集まで一人でやったからこその完成度だと思う。今後もこのスタイルで、時間をかけて一作ずつ撮っていくのか、チームで作ることを学んでそれなりの頻度で作品を見せてくれるのか、いずれの方向に行くにせよ、次回作が楽しみだ。
ところで、オープニングとエンディングを構成する “障子の穴” って、何だったのだろう… これについて「こういうことじゃないか」って気づきを得たら、また追記します。ここがわからないって、監督の狙いに対して、おそらく何か大きく欠落してると思うので。
2021/3/26 追記
以下、引用ですが、監督本人が語る内容がありました。
----- ここから引用
劇中には穴の開いた障子が登場。その意味について奥山は「僕のおじいちゃんが障子に穴を開けていたと、亡くなったあとにおばあちゃんから聞いて。こじつけではあるかもしれないんですけど、亡くなる前にこれから自分が行くところをのぞいていたのかなって。今いる場所から外の世界や現世ではないところを見ようとすること。それが宗教すべてに通じることのような気がして、メタファーとして映画に取り込めないかなと考えました」と実体験を交えて説明する。「映画には余白が大事。観たときに『こういうことを意味してるのかな』と考える余地があることで『私の映画だ』『私が考えていることを言ってくれている』と思っていただける。実際僕はそういったことを考えながら映画を観ています」と映画作りにおける心構えも明かした。
----- ここまで引用
手紙と祈りと
祖父が亡くなり一人となった父方の祖母と同居する為に家族で東京から田舎町に引っ越してきた小学校5年生の男の子が、慣れないミッション系の学校で戸惑う話。
喋りこそしないけれどお祈りをすると小さな神様がみえる様になり、願いを聞いて貰えたりとコミカルな出来事もある中「祈り」を考える様になって行く。
宗教的な面からもそうでない心情的な面からも明確な答えを示す訳ではないけれど、まあそういうものだしねという感じだし、出来事の重さの割にはあっさりというか、淡々とした感じがしてもう一歩という感じ。
障子は爺さんのそれとは違う気が…。
演出は最高だったけれど映像が物足りない
少年時代の瑞々しさとかナチュラル感は半端なく表現されていて、それだけでもウルッとさせられたけれど、やはり、どうしても映像的な物足りなさを感じてしまう。映画であればこその映像的な感動をもっと求めてしまう。内容が悪くなかっただけに余計そう思ってしまった。
小さな奇跡と、大きな悲しみ
小さな奇跡を積み重ねても、イエス様にだって叶えることの出来ないことがある。
それは、時として、大きな悲しみとして、心が潰れそうにもなる。
そんな時は、イエス様に八つ当たりしたって構わないはずだ。
でも、いずれは、わかる時が来る。
そんな悲しみも、かけがえのない思い出となり、永遠に心に刻みつけられるのだ。
それも、奇跡だ。
宗教がテーマではなく
テーマは宗教ではなく友情です。ミッションスクールに通って毎日朝礼でお祈りしたのに、現実は厳しい?信じる者は救われる、か?という疑問が残ります。同じような経験があるので共感できました。雪国の映像が美しく子供達も良いけれど、ただチャーミングなだけではない心に沁みる映画でした。
映像から溢れ出るピュアさとみずみずしさ
サンセバスチャン映画祭 新人監督賞を受賞した作品。
奥山大史監督は22歳で、これがデビュー作
なるほど、とてもみずみずしい作品だった
小学生のユラは、おじいちゃんが亡くなって、一人になってしまったおばあちゃんと同居するために、お父さんの実家に引っ越してきた
ユラが転校した学校はクリスチャンの学校で、お祈りというものを、ユラはそこで始めて知る
友達が一人もいないユラだったが、やがて、ユラにしか見えない神様が現れ、神様はユラにクラスメートのカズキを紹介する
その物語は
「神様は本当にいるのか」
「お祈りは何のためにするのか」
という、大人でも答えづらい疑問について、小学生の目線で描いている作品
たしかに
悲しいことがあったとき
人は「祈りましょう」と言うけれど
祈っても、どうにもならないことはたくさんあるわけで
それを子供に説明しなければならないとなったら
ますます難しくなる
そんな時、大人たちは
「神に祈りなさい」と言ったとしても
それに従順に従うのではなくて
「僕はイエス様が嫌いです」
と言っても良いと思った
むしろ、それが子供ならではの素直さであって、そうやって彼らは成長していく
窓の外の景色を、障子に穴を開けて覗くように
ユラにとっては、ちょっと大人の世界を覗くような
そんな経験になったのではと思う
面白かったのは、その時、監督は映像を少し斜めにしたこと
それは子供の気持ちをよく表していて
これまで真っ直ぐに見ていた社会を
少し斜めから見るようになったということではないのか
映画を観る前に、出演者たちによる
舞台挨拶があって
登壇した佐伯日菜子さんは「監督は子供の感性をお持ちの方」だと話されていた
この映画を観ていて、その言葉が何度も頭の中で繰り返された
景色が斜めなのも、
障子に穴を開けて外を覗くのも
真っ白な雪の上に残る足跡も
ピュアだからこその映像
その感性で、今後、世界をどう観ていくのかが、とても楽しみな監督だと思った
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