僕はイエス様が嫌いのレビュー・感想・評価
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ユラ君は、いると思う? いないと思う?
イエス様は友だち
リスキーでセンシティブなテーマ
いつも笑顔
見えた!
まったくもって素朴な、神様ってなんだろう?
神の沈黙を明かる過ぎず軽過ぎず
神の沈黙、不在、迷える子羊たちとの関係は、
明確な答えが出ない永遠のテーマ。
教会であるいは懺悔室で、嘆く映画は数知れず・・・
シェイクスピア、ドストエフスキー、ニーチェ、ベルイマン、
そしてスコセッシ『沈黙』。
いずれも暗くて重い。
暗い重いを、
明るい軽いに、
最大限にズラす→
「聖☆おにいさん」
「ブルースブラザーズ」
そこそこズラす→
「天国から来たチャンピオン」
ジム・キャリーのタイトル忘れました。
「オー!ゴッド」
本作は明るくて軽い・・までズラしてないが、暗くないし、重くない。
世知辛い世の中になっているからこそ、
炎上するような内容を、
上手く炎上させない技術、
多くの人を傷付けしまうような内容でも、
誰も傷付けないユーモア、
常にそんなアイデア、武器を身体中のあちこちにぶら下げている人にとって、ターゲットは常に明確で、使用する武器、その影響、責任も想定してるはず。
と仮定して考えるならば。
ちょっとだけズラした、チャド・マレーン。
立派なコロンブスの卵でしょう。
「この窓からなんにも見えねーな」は竜二。
穴の先に見えていたものは?
チャド・マレーンのフィギュアをカバンにぶら下げたい。
静かなる鬱屈
やっぱり「みずみずしい」という表現になるのだろうが、どうもその言葉はありきたりすぎて、どこかパーツが足りない感じがする。
映画としての画づくりは、恐ろしく安定していて、観る人にやさしい。画の中身は家庭のビデオとして撮ったような印象もあり、親近感が湧く。画面サイズが昔のテレビの縦横比くらいで、最近の横長の情報過多な画面より、静かで落ち着いて観れるように感じた。そういえば、ケイシー・アフレック主演の”a ghost story”も同じような画面だったが、視点の動きを少なくした静かな映画は、画面サイズを横長にしないほうが、うるさくなくて見やすいかもしれない。
ストーリーは、とても優しく描いた「沈黙」のようだ。自然に神様の存在を感じられる主人公のユラは、何度も裏切るキチジローとは全く違うが、何故か重なるところが感じられる。宗教色は抜きに出来ないが、監督から「子供の頃こういうことがあってね」と、語られているようで、違和感はまったく感じなかった。
子供を中心に物語が進む中、とても綺麗に掃除されているが、どこか埃っぽさを感じる部屋のような、独特の感覚が沸き起こる。
「面白い小品」として、心に留めておきたい作品だ。
荒んだ大人には心に堪える
これを観てもイエス様を嫌いにはなれなかった。それは私が信じていないからだろう。嫌いになるのは信じているからだ。
東京から雪深い田舎のカトリック系小学校(しかも小さい)への転校という半ば三重苦のような体験をする主人公が、「イエス様」(これがまた大変戯画的で...)を見るようになり、願いを叶えられて、それを信じるようになっていく。
前半の牧歌的感と絶望というか、「嫌い」になる後半が色を基本的に変えずにやっているところは凄いなと思った。あそこで物語の様相を完全分断もできるのに。
物語は...私は信心もないし子どもの無垢も信じていないので、結構心に堪える映画でした。正直、主人公に見えていたものは幻想であり、願いは偶然であり、そして願いはいつも叶うのではないし、どうしようもできない事がある。そこで神さま(まあイエス様は神様じゃないけど...)に怒っても仕方ないでしょう...という穿った見方をしてしまう。私は信じる、が向いていないな...。
私が子どもだったとして、嫌いになるだろうか。もう想像もできない。そういう意味では若い人に強く刺さる気がした。
冒頭からラストに繋がるシーン、カット割り、総じて画の撮り方は素晴らしかった。自然に見えて不自然な。イエス様の動きも、最後に姿を見せるところ含め、その展開が最高だと思う。
前半と後半をつなぐ神社とサッカー、人生ゲームのゴール、主人公の願いごと、の意味を考え続けている。あの部分は敢えて放置したんだろうけど、若干の中途半端さというか、もやもやは感じた。
後は、大人をもうちょっと複雑に描けたら奥行きは出たかな、という気がする。まあそれも敢えてだろうけど...良くも悪くもステレオタイプ...まあでも子ども主人公の映画の大人って必然、そんなものかとも思うけれど。
淡々と。嫌いではない映画
淡々とした映画。自分は、嫌いではないです。
主張するのではなく、事実を描いていく。音楽も賛美歌のみを用いており、音楽で感情表現を補完しようという思いがないのも好ましい。とにかく、観た人が、自分で感じてね、という姿勢に徹していると感じた。
では自分はどう感じたか? 自分は、宗教は、苦しい人の心を救うものだと思っている。苦しくない、普通に生活できている際には、不要だと思っている。
だから、ユラの、宗教との出会い方は、ちょうど逆になっちゃったんだなあと感じた。友達ができたこと、お金がもらえたことは、神様のおかげではなく偶然。一方、終盤のやるせない気持ち、どうしようもない悲しみや怒り、それらを自分一人では乗り越えられない瞬間が来たら、その時こそ、宗教が、神様がユラの役に立つときが来るのだと思う。
かつ、少年の心は柔らかく深いので、いくら悲しみや怒りが深くても、宗教に頼るところまで行くことはないのだと思う。そういう意味で、少年たちに、真の意味での宗教は不要だと思う。
静かな落ち着いた絵、こどもたちの自然な演技。見事。監督・脚本だけでなく、撮影・編集まで一人でやったからこその完成度だと思う。今後もこのスタイルで、時間をかけて一作ずつ撮っていくのか、チームで作ることを学んでそれなりの頻度で作品を見せてくれるのか、いずれの方向に行くにせよ、次回作が楽しみだ。
ところで、オープニングとエンディングを構成する “障子の穴” って、何だったのだろう… これについて「こういうことじゃないか」って気づきを得たら、また追記します。ここがわからないって、監督の狙いに対して、おそらく何か大きく欠落してると思うので。
2021/3/26 追記
以下、引用ですが、監督本人が語る内容がありました。
----- ここから引用
劇中には穴の開いた障子が登場。その意味について奥山は「僕のおじいちゃんが障子に穴を開けていたと、亡くなったあとにおばあちゃんから聞いて。こじつけではあるかもしれないんですけど、亡くなる前にこれから自分が行くところをのぞいていたのかなって。今いる場所から外の世界や現世ではないところを見ようとすること。それが宗教すべてに通じることのような気がして、メタファーとして映画に取り込めないかなと考えました」と実体験を交えて説明する。「映画には余白が大事。観たときに『こういうことを意味してるのかな』と考える余地があることで『私の映画だ』『私が考えていることを言ってくれている』と思っていただける。実際僕はそういったことを考えながら映画を観ています」と映画作りにおける心構えも明かした。
----- ここまで引用
手紙と祈りと
演出は最高だったけれど映像が物足りない
小さな奇跡と、大きな悲しみ
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