僕はイエス様が嫌いのレビュー・感想・評価
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ふたつのインパクト
ありきたりの日常にさほど有名でもない俳優たちが織り成す前半はどこにでもある日常で淡々と過ぎ去る中で唯一の違和感は小さな町でのカソリック信仰とそれを体現した小さなキリストの出現である。しかしその異質な現実も子供たちの日常の中においてはさほど大きなことではなく、おとぎ話なのか夢なのか分らぬ狭間の少年の心象にすぎに日常を見せられているようで見ている方ははっきり言って退屈な物語信仰のように感じる。その緩やかな時間の流れがあるときのこれまた日常で起こりうる一瞬のインパクトで見る側は一気にこの映画に引き込まれる。主人公の大の親友、唯一の親友が一瞬の交通事故で命を失う。その受け入れがたい現実の中でも宗教的信仰でその事実を消化しようとする大人たちとその大人たちに押し付けられたことによる信仰の体現なのであろうか、その気まぐれに現れたり気まぐれに少年の願いをかなえたりする小さなイエスの出現を怒りに満ちて聖書の中に叩き戻す少年の現実への直視と言う第二のインパクトがこの映画を極めて濃厚で意味の深い作品へと昇華する。名作である。
タイトルから予想できてしまい、ハラハラして観る
予想どおりの展開。個人的には、宗教は願いを叶えるためじゃなく、心のささえが必要な人が頼るものかな。ミニキリストが出てきた意味は、主人公の願いは叶わず怒りをぶつける先だったのね。お祖父さんの障子の穴あけは想い出を観るためにあけていたのかな。と、最後に感じました。
小ちゃいイエス様⛪️
主人公の由良が転校した学校はキリスト教の学校で、お祈りをするうちにちっちゃいイエス様が見えるようになる。でも仲良くなった和馬が事故に遭い、どんなにお祈りしても結局助からない。「神様なんて居るもんか!」(と言ったわけではないが、心のなかではそう叫んでいたのでは?)と現れたイエス様をゲンコツで潰してしまう。願いを叶えてくれなかったキリスト教に対して由良の今後の信仰はどうなる?
と、そこまで深刻な話でもなさそうな映画。由良のおじいちゃんも生きてる時は日曜に礼拝に行ってたようだが、お仏壇の中にいるようだし。
子供達の会話や遊んでる様子、家族との会話とか凄く自然で、大げさなドラマ感がなくて良かった。
ひとつ気になったのが、転校初日教室での挨拶の時に黒板の上の時計が、変?長針と時計の枠のバランスおかしくない?そんなところが気になる私が変???
☆☆☆★★★ お祈りをすると姿を現していた神様。 友達のお見舞いに...
☆☆☆★★★
お祈りをすると姿を現していた神様。
友達のお見舞いに行った時にその神様は消える。
欲しかった友達。それだけに何故こんな事にの思い。
帰り道、一目散に走り出したその刹那! カメラも男の子と並走して走り出す。
それまでが徹底的な固定撮影だっただけに、この場面は衝撃的だった。
この気持はどこから生まれて来るものなのか?
一体どうすればいいのかが分からない。それだけに怒りしか湧いて来ない。
この時に被さるピアノの旋律も併せ、観ていて思わず感情移入してしまう凄い場面でした。
その後。献花の意味を知った男の子は、お祖父さんのヘソクリの千円札でお花を買う。
すると今度は、パイプオルガンが高らかに鳴り響く。
次のカットは、画面が斜めになり。教室の壁に掛かっている縄跳びが映る。
強く印象に残るカットだったのですが。そのカットに於ける、はっきりとした意味は今ひとつ分かりかねるモノでした。でもおそらくこのカットには、監督自らの何らかの意図したモノが組み込まれていたのでしょう。
デヴィド・リーンの『逢びき』や。キャロル・リードの『落ちた偶像』等の名作で、ここぞ!の場面で使われた。観客を不安感へと引きずり込む演出をつい思い出した。
ファーストシーンのお祖父さんと、ラストシーンでの男の子の行動の対象性。
車の車内から曇ったガラスを拭くと雪の光景。
思わず感じる、新しい土地に自分は馴染めるだろうか?…との不安感を。映画の後半で、「この先どうなって行くのだろう?」…と、考え込んでしまったのか?教室のガラス窓に息を吹きかけ、曇らせる男の子の姿を見つめる静謐な演出には、思わず見入ってしまう演出でした。
時折、「何だろう?」…と考え込んでしまうところもあり。どうやら、「分かる人にだけ分かれば良い」(此方の勝手な思い込み)と思われる演出もあるにはありましたが。それより何より、「今後が楽しみな監督さんが出て来たなあ〜」とゆう、嬉しさが強い作品でした。
2019年6月25日 TOHOシネマズ/シャンテシネ3
まずタイトルがいいなぁ
日本で宗教を取り扱うのも珍しく、しかも22歳という若さの監督が撮ったというのは少し驚きがある。
と思って調べてみたら、監督もミッション系の学校で育ったとあってなるほどと納得。
淡々とした長回しの中に、日本ならではの特殊な宗教との関わり合いや少年達の小さな心の動きが表現してあって見事だなと感じた。
見ていて塩田明彦監督の『どこまでもいこう』を思い出した。
冒頭、東京から引っ越してきたユラの目線でミッション系の学校の様子を描いてる。これがこのまま続くと少し退屈だなと思っていた所に小さなイエス様登場。そしてタイトル。なるほど、これはこういう映画なんだなと感じさせる構成、興味を持たせる画造りに感心。
4対3の画角でシンメトリーな画で均衡を保っていた世界が、友達の和馬が死んだ事で斜めに揺らぐ。イエス様という今まで信じていた存在に裏切られたことでそれが崩れる。
語りなどではなく、画でそれがきちんと表現出来ているのはすごい。
手紙を読んだ後のイエス様を押しつぶす場面や、ラストの神目線での2人の出会いの場面も、見ている人をすごく意識しているなぁと思った。
なんだか松本大洋の漫画みたいだなぁと感じた。
第2作目がどんな風になるか、非常に興味ある監督だ。
子供の瞳に映る美しくも不条理な世界
ほんのささやかなファンタジーが、現実の裏に優しく寄り添うようなフィクション作品が好きだ。
美しい雪国の気色、友達とのかけがえない時間、不思議な出来事、事件を経過して少し大人になっていく心。
【子供の目線になって】ではなく、本当に子供が見て感じた気色や想いを写したようで、良質な児童文学を読んでいる心持ちだった。
ミッションスクールが舞台の物語だが、宗教について、子供らしい無邪気さと、いい意味で日本人らしい曖昧さを持って描いているような気がして、肌に馴染む。
「神様ってホントにいるの?」と尋ねた少年が、願い事を叶えてくれる小さなイエス様に会って、祖母と並んで仏壇の祖父に線香をあげ、神社ではお賽銭を納め、手を合わせる。由来は柏手を2度打ち、和馬は指を組んでいる。賽銭箱の上には小さなイエス様がうろついている。「何をお願いしたの?」と笑い合い、食前の祈りでふざけて母親にたしなめられる。
向かい合う神の名は違えども、子供の柔らかで初々しい心の中では、祈りの対象に明確な区分けは無いように思える。
また、宗教と信仰というデリケートな主題でありながら、主張は極めて控えめに感じる。
感覚も、感情も、静かに圧倒的に押し寄せてくる。けれど、解りやすい正否や主義を強く押しつける事がない。
それ故、受け取り手は他人事のように眺めるのではなく、追体験するように自分の中で咀嚼出来る。
私には心地良い感覚だった。
他愛もないお願いを叶えてくれた小さなイエス様は、本当に叶えたい願いを、心から必死に祈った時には、姿を現さず、叶えてもくれなかった。
祭壇に響いた衝撃が、現実の不条理に「何故!」と問わずにいられない人々の、悲痛な叫びに重なる。
大人になって、現実はままならないのよ、と理解して生きようとしている私の中の、割り切れずにいる子供が、由来と一緒に拳を叩きつけた。
逃げ出した鶏、祖母の見つけたへそくり、見た振りをした流星群。
何でも叶えてくれる神様がいない事を少年は知った。
それでもいつか、遠い空から見守る何かの存在を、彼は感じるだろうか。
一面の雪景色、俯瞰で捉えられた子供達、ブランコ、もの思う由来の斜め横顔、いつも同じアングルで撮られた食事風景、色褪せたトーン。
映像も独特の雰囲気を醸して美しく、一枚一枚のポスターのようだ。
何処を切り取っても絵になる。
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