ビューティフル・ボーイのレビュー・感想・評価
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人間やめますか…
ドラッグの恐ろしさがこれでもかと伝わってくる実話。ちょっとした弾みから、手を出してしまったことで、それは取り返すことができない大きな歪みとなっていく。彼の周りには大きな愛で包む家族がいるのに、何度もやめてはまた手を出してしまうことを繰り返す。孤独を感じると手を出してしまう。悲しすぎる。よく分かるのは、本人の意志だけでは到底治療することはできない。愛しては何度も裏切られ、肉体的にも精神的にも家族が崩壊していく。遂には諦めてしまうが、やはり最終的には人間を取り戻させるのは家族の愛でしかない。かなりリアリティがあり、重たい作品ではあるが、スティーブ・カレル、ティモシー・シャラメの自然の演技が良かった。
実家の息苦しさを思い出す映画
帰省中に、無理やり笑顔作って
自分を取り繕うのってほんと疲れるよな・・・
親を心配させないため。
雰囲気を壊さないため。
明るく楽しく。ネガティブな感情を殺して、、、
そんな実家の息苦しさを思い出す映画。
一つ言えるのは
このお父ちゃんは頑張りすぎちゃったのかな。
離婚再婚の負い目からか。
なんか不自然。
子どものことを愛している気持ちも、
よい親子関係を築くために努力してるのも
十分に伝わってくるのだけど、
そうじゃないんだよ、と言いたい...
過干渉なのに大事なところを外す親よりかは
適当だけど大事なところで頼りになる親でありたい。
良き理解者だとか仲良し親子ぶるよりかは、
子どもが反抗できる余地とか、仏頂面してても許される環境を残しておいてあげたい。
完璧な親であろうとすればするほど
子どもは窮屈な思いをする気がするから、
不完全な親でありたい。
つらかった
息子がヤク中映画今年2本目。『ベン・イズ・バック』が母親目線だったのに対して、こちらはお父さんが主人公。お父さんがロック系か何かのライターで、継母がヤク中の幻覚みたいな巨大な絵を描いているアーティストで、その環境でドラッグに関心を抱くなというのに無理がある。せめて大麻かお酒にしてくれればいいのにシャブやヘロインにはまってしまったので大変だ。変に頭とセンスがいいのが悪い方に作用するし、日本と違って刑務所に入れてもらえないから全然やめられない。シャブは気持ちいいのは最初だけで、あとは地獄しかないときちんと教えてあげなければならない。
「私はもう何年も喪に服していた」
先日観た『ベン イズ バック』の辛口バージョンといった内容である。まるでギリシャ神話から抜け出たような絵に描いた美少年のティモシー・シャラメのビジュアル一発で持ってゆく、彼の或る意味プロモーション作品といっても良い位の作りである。確かに日本に於いてはこれ位の役回りをジャニーズ系のアイドルが出来る訳もなく、そういう意味では役者としての覚悟みたいなモノは強く感じさせられた。俳優という立場では柳楽優弥や菅田将暉ではもうこれ位はできるポジションだろうから、これからの邦画界を背負う注目株がここまで演じられれば嬉しいけどね。
今作品の特徴の一つであり、これがキモなのだろうが、とにかく“しつこい”程、何度も何度も麻薬中毒からの脱却失敗を繰り返す構成なのである。発覚して施設に入り、治ったかなと思いきや又元の木阿弥というシークエンスを幾度となくウンザリするほど繰り返す展開である。勿論映画なので実際の時系列ではないから、本来ならばもっとその繰り返しが4~5年のスパンだから物語中の登場人物達の想いみたいなものはもっと深いと推察するが、しかし鑑賞している身分とすると、まるで二、三日置きに起きている出来事のように勘違いしてしまうので益々共感性が薄れていってしまい、どんどん気持が離れてしまうのだ。多分それが今作品の風味であり、意図なのであろう。ヤサグレ感と従順感をまるでカメレオンのように演じ分ける様は時間がされているだけにより顕著に大袈裟に誇張されているのも狙いなのだと感じる。
今作品に於いての薬物依存の明確なきっかけは示されていない。実際の現場でも多分そうであろう。遠因は沢山示される。そもそもが退廃的且つ狂気に憧れる思想。思考能力が高度ならばそういうダークファンタジーに憧れを抱くのも無理はない。裕福な家庭、理解力のある父親、しかし親は離婚し別の女性と再婚という複雑な環境。しかしその総ては明確にトリガーを示していない。導き出される想像は、“成功体験”成長期特有の心の穴を埋めるものがたまたま薬物であり、体質が偶然にも親和性を持ち得ていた不幸。そして薬物が脳の意志決定に多大な影響を及ぼし始め、依存度を高めてしまう。理性を司る部位を弱らせ、立派な中毒患者が出来上がる。そしてその麻薬の“A代表”が覚醒剤と言う訳だ。日本では“ヒロポン”という名前で知れ渡っている“メタンフェタミン”は世界中に“aka”を冠しながら蝕み進んでいる。劇中でも示されているとおり、蔓延の原因は近しい人からの誘惑。元々“類友”なのだからあっという間に感染だ。そのどうしようもない負の連鎖を執拗に今作品は描いている。もう誰が悪くて誰が間違っているかは分らなくなり、結局は今作品にはカタルシスは一切描かれない。あくまでも現時点では留まっているという“過程”でしかなく、死期が一寸だけ先送りしたとも取れるラストだ。幸か不幸か体質が麻薬に殺される手前で“生きる”方に棒が倒れる偶然性。そして諦めた筈の父親はしかし又息子を救う、どうにも未来を感じられない事実。物語の名を借りたノンフィクションがそこには垣間見える、現実を真っ正面に直視した激辛の作品であった。この悪魔を創り出した人間こそ“サタン”そのものであることを考えざるを得ない暗澹が支配してしまう“感傷”であった。
簡単に手に入る薬物
終始淡々と物語は進んでいく。
2番目の奥さんが、家に勝手に入って逃げていく若い2人を車で追いかけるシーンはちょっとグッときた。
幼い異母兄弟もかわいそうだった。
みんなが苦しんで不幸になるのだな、と。
全くハッピーエンドではないが、とりあえず命があることが現状維持ということで、ハッピーなのかな。
薬物のこと知らない。けど、軽い?ドラッグはいい(良くはないんだろうけど)けど、依存症になるくらいのものダメっていう線引きがよくわからない。
タバコを吸うみたいに経験するのが割と普通という国だから、依存者が多いのも当然でしょう。
その辺はなんとかしないの?トランプさん。
人を支えるって途方もない。
字幕翻訳・松浦美奈
バイスを見てから間髪いれずに本作ビューティフルボーイを見た。
スティーブカレルとPLAN Bの2連続となったわけです、図らずも。
ドラッグ異存に苦しむ息子と、その息子とどうかかわればよいかに苦しむ父親のお話。
ニックがドラッグにはまったきっかけは非常に些細な事のようだった。
将来を嘱望される有能な少年が、引っかかった罠は、だれにでもありうることのように思えた。
父デヴィッドもマリファナもコカインもやったけどそんなにはまらなかったみたいなことを言っていたと思う。
つまりアメリカではちょっととんがってる頃には一通りドラッグをしていてるってのも珍しくないってことよね。
そういう一種の通過儀礼的な悪ふざけ?が、シャレにならなくなってしまったニックなのかな。
そういう認識で見進めました。
とにかくお父さん大変ね、ほんとごくろうさまやで…とずっと思ってました。
お父さんの再婚相手の人もいい感じの方で、彼女の立場にいて自分の産んだ子供への影響を心配してニックを遠ざけることを良しとしなかった点は、すばらしいです。そんなことなかなかできないもの。
一度や二度、というレベルではないのよね。
またか、またか!と周囲の努力が無になってゆき、協力しようとする気持ちがどんどん薄くなっていく。ま、普通の付き合いだと一度、二度当たりでフェードアウトしていくと思う。親兄弟でもそのように見放されることもある。
見放すほうを私は責められないと思ってしまうけれども。
見放さない、何度裏切られても見守る。
出来る事は本当にそれだけ、何度が5回でも10回でも、もっとでも。
その途方もなさに、私のようなものはやる前から諦めてしまうのですが、
恐らくそこを耐えて寄り添える人のうちにあるものが、愛と呼ばれるものなんだろうと思います。ここでいう愛は、持ち得る人を限定させてしまうものですが。
重いというか、大きいというか、強いというか、稀なる愛を注げる父なんだなあと思って、もうデヴィッドに手を合わせたくなりました。
私が持ち得る愛があるとすれば、もっと軽くて、小さくて、弱いものなんでしょうね。
それが悪いとも思いませんが。
ニックにたいしては、周囲の期待に応えすぎたのが、無自覚にしんどかったのかなとは思いましたがね。実話でありニックにあたる人が更生しているっぽいのが、救いではあります。
ニックを悪くゆって、遠ざける事は問題の解決には全くならないので、そうしたくないですが、そういう感情がないといえばうそになります。
そんなよくいる感じに薄情な自分を自覚しつつ、お父さん頑張れ!と思い続ける厳しい鑑賞時間でした。
映像なんかはとてもよかったです。みずみずしさのあふれる子供時代のシーンとか大好きです。
妹ちゃんのお小遣いを盗んだっぽい場面では、ニックを刺したくなりました。
この父親バカなの?
これって、実話なんですね。
ドラッグに興味もないから、息子の行動は、理解できないし、共感できない。
ドラッグ依存症になったきっかけって、結局、寂しかったからなのかな。ラストあたりで、息子が、父親への電話で、施設に入りたくない、お父さんたちと一緒にいたいっていうセリフと、その後の行動をみて、そう思った。言われてみると、この父親って、施設に入れて、他人に更生させることしかしてないもんね。プロに任せたいって気持ちは分かるけど、あの場面で、助けを求めた息子へ、一緒に暮らせないって言ったとき、私は、息を飲んだよね。息子は彼だけじゃない、小さな弟たちへの影響とか考えると、暮らせないって思うのも分かるけど…。でも、息子は、小さな弟たちだけじゃないでしょう?と言いたくなった。自殺するんだろうなぁ…って思ったけど、思い出ある場所で死なせてあげたいとも思っちゃった。あの父親、愛情を持ってないとは言わないけど、その愛し方、表現の仕方、間違ってるよと言いたい。
親なんかなんもできない
ドラックにはまる彼に、親が思うできる限りのことを一生懸命やるけど、息子が求めているものとはズレがあって、価値観のズレっていうのか、もうどうにもならなくて。
プチ反抗期の我が子に対峙する日常と重ねてしまって、泣けて泣けて。
少し心配性なパパは自分と重なる。
「お前を信じてるけど、証拠が欲しいんだ。」
「それって矛盾してない?」
ほんと矛盾してる。
わたしもこどもになにか「してあげられる」と思ってんの?おおきなお世話だよね と再確認させられた。
問題に対応しながらパパのあたまに浮かぶのは、舌ったらずでピュアな幼少期の息子の姿。
年の離れた弟の純真無垢との対比もキツイ。
わたしはずっと泣いていた。
音楽もよかった〜
90年代オルタナ
ためになります。
薬物依存の恐ろしさや本質、もどかしさが
程よく散りばめられ、まとまりを感じました。
家族とは言え、脳科学的な理解もいるし、
家族だからこそ、離れなければならない対応
も必要である等、色々と教えてくれました。
予後が悪いとは聞くけども、主人公はその後
うまく回復したんだろうか?と余計な心配
ばかりでした。背景には、もっと予後が
悪い人が亡くなっているわけであり、そこを
想像させる演出もあったように思います。
社会はどうすれば良いのであろうか?
この映画も貢献して欲しいと願います。
ガチでリアルなドラッグ映画
面白い音楽のチョイス、どうしてこの曲を入れたのか気になる.
演技はみんな素晴らしい。
Transition が音声だけが前にシーンに重なって流れてくるし、次にどんなことが起きるのかを予想しやすいので、そこまで長く感じさせない作りになってる。
日常的な描写だとしても。
ドラッグを通して日常的に繰り返される一般的に言われる悪いことを描いている映画です。
前に進むこと、何かを止めることは助けがあっても難しい時がある。
ジャンクフードを食べすぎてしまう人だって同じだと思う。それを自分の中で正当化さえしてしまう。
一度も体験したことがない人はそれを行うことの嫌悪感とそれに対する飛躍した固定観念で逃げているだけだとも言える。
でも、その嫌悪感を打ち砕く悲しい現実がそこにあった時、本当に自分は踏みとどまることができるのだろうか。
動画でもまとめてみました
https://youtu.be/GhK1CXrZNDQ
終わりのない物語
終わりのないループをひたすら全員が諦めずに歩いてく物語。
1曲1曲は素晴らしく美しい音楽ばかりなのに、添えられるシーンのせいで不穏しか感じなかった。父の歌うビューティフル・ボーイなんて地獄の子守唄かと思ったよ…。
彼らの歩みが長く止まり、より長い休息を取ることができますようにとただ心から祈るのみ。本当にそれだけ。それが全て。
そういえば、元薬物依存のミュージシャンが薬物依存について寄稿していたのを読んだことがあるけれど、骨折に処方された痛み止め、歯の治療で処方された痛み止め、そんなものでも知らずに摂取してしまえばすぐに再発してしまうんだそうだ。
そして街に出て5000円くらい出せば、またあの快楽を手にできると。戻るのは簡単で断ち続けるのは地獄の苦しみだと。
痛み止めなんかに関しては、お医者さんも気をつけて処方してくれるとありがたいと言ったようなことも書いていたなあ。
一度手を出してしまえば、もう自分でコントロールすることなんて難しいんだ、ということをしつこいくらいリアルに知ることが出来るだけでもいい映画だと思った。
これでいいのだろうか
映画としては面白い。音楽、フラッシュバック的演出、そして主人公の美しさ。それらが相まって物語から目が離せない。が、これでいいのかという思いが残る。
極めて依存性の高い薬物を、短期間断っただけで、これだけ回復するのだろうか?
過剰摂取で心肺停止に陥った彼女を、携帯片手に心肺甦生できるのだろうか?
致死量を越えて薬物を摂取して、命をとりとめる事がありえるのだろうか?
最終的に8年間シラフでいるという事実は実話に基づくものだろうが、エンドロール後半の主人公の詩の朗読を含め、描かれ方がきれい過ぎる。
この映画を観て、薬物に憧れを抱く若者がいてもおかしくない仕上がりに、どうしても評価をためらってしまう。
二人の母親の間で、心の暗い穴を埋めるために薬物に手を出し、依存症に苦しむ裏表を演じた主人公の演技は繊細で素晴らしい。
これは現代における奇跡の夢物語である。
だから映画になるのかもしれないが、薬物の依存性は年齢が若いほど強く残り、人生を破滅させる。
薬物が人と家族、社会を崩壊させる恐ろしさは、こんなものではないということを心に刻み付け、若者が興味本意で手を出すことだけは絶対にやめてほしいと祈るばかりだ。
エピローグで綴られた「米国の50歳以下の成人男性の死因の第一位は、薬物の過剰摂取である」ということが事実ならば、内戦よりも由々しき事態だろう。そこにフォーカスして社会に問題提起するドキュメンタリー寄りの作品の登場を願いたい。
テイストがちぐはぐなのが惜しい
薬物依存に関してほぼ知識の全くないまま鑑賞。
日本ではあまりこのような作品を見たことがなく、アメリカでの認識や社会の中でのサポート体制の違いにびっくり。
ただエンドロールを見るまで、こう言った社会的な情報発信や啓蒙みたいなメッセージ性を軸に据えたかったのかな?とは感じられなくて、
なぜこんなに唐突に何度も父親の回想場面が挟み込まれるんだ?と思ってしまった。
もちろん、ずっと成長を見守ってきた息子が変わり果ててしまうのはとても辛いと思うし、昔の姿と重ねて見てしまうのは当たり前だとは思う。
それでも、父が救いきれず突き放して葛藤するまでの過程と、その過去の回想がうまく混ざり合ってないというか、どこか説得力が感じられなかった。理由はよくわからなかったので申し訳ないのだけど。
義母が車で追いかけていくシーンで、途中で追いきれず車を止めて泣いてしまうところが、実は一番感情を揺さぶられた静かな名シーンだったように思う。
少年と父親のヒリヒリ・ピリピリ感
2000年代の米国。
フリーランスのライター、デヴィッド(スティーヴ・カレル)が脳科学者にインタビューしている。
公式なものではなくプライベートなもの。
18歳の息子ニック(ティモシー・シャラメ)が薬物依存で、父親として出来ることは何かないか、と藁にもすがる思いであった・・・
というところからはじまる物語で、その後、映画はその1年前、デヴィッドがニックの薬物依存を発見するところから描かれていきます。
文才もあり、優等生であった息子が・・・どうして・・・と父親も思うわけですが、その原因は直截的には描かれません。
現在の描写のなかに、少しずつ、過去の映像が挟み込まれます。
ニックに弟が生まれるシーン、父親の再婚の結婚式、父親とのサーフィン、離れて暮らす母親のもとへひとり飛行機で旅立つ空港での父親との別れのシーンなどなど。
こういったあたりに、薬物に手を出した契機がありそうです。
映画は、過度にならないよう配慮しつつも、薬物から逃れられない依存症の姿を描いていきますが、最終的には8年間、クリーンな状態を続けている・・・と字幕で説明されます。
薬物依存症患者への救済・支援を訴える映画といえば映画ですが、スティーヴ・カレルとティモシー・シャラメが、やはり上手いです。
本人と父親とのヒリヒリ・ピリピリ感が伝わってきます。
以下、本編とは直接関係はないのですが、薬物依存の恐怖では『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000年)が、十代の若者の薬物依存では『クリスチーネ・F』(1981年)が記憶に残っています。
メッセージは何だろう
スティーブ・カレルが良い。
ドラッグにハマるティモシー・シャラメも素晴らしいとは思ったけど、他の作品ではどこかトボけた役の多いスティーブ・カレルが、息子を必死に支えようとする父親役が、こんなにハマるとは。甲高い声で無理難題ふっかけたり、場を白けさせたりというイメージだが、本作では全身全霊で、仲の良い息子をドラッグの地獄から救おうとする優しい父を見事に演じた。
軽い気持ちから始めた葉っぱのうちは、息子から告げられても父親としても大目に見ていた。だが、息子はクスリのせいで、やがて自制が効かなくなり、信頼していた父へも嘘をついて、より深みに落ちていく。手を尽くして、クスリを辞めさせようとするが、常に裏切られる。それでも、激情に駆られることなく、いつも穏やかに話をしようとする愛情深い父親は、アメリカの親父とは少し違ったタフガイ像だ。
特に、元妻からなんとかしたいので「助けて」という電話で、もう出来ることはないと苦しく語る姿、息子から「助けて」とかかってきた電話に「私では助けられないんだ」と、突き放さなければならない姿は、辛すぎる。
これは、実話だということだが、この映画で語りたかったことは何だろう。ドラッグの怖さの啓蒙としては、一定の役割を果たしているとは思う。家族で抱えていても無理な事柄なんだという事を知らしめることなのか。
ドキュメンタリーなら良いが、映画として伝えるメッセージが弱いのか、日本慣れした私の感覚が鈍いのか、せっかく良い舞台と役者が揃ったので、もうひとつパンチを効かせて欲しかった。
良い映画でした。
久しぶりに映画館で観たい!と思い、会社を休んで見に行きました。
大変に心を揺さぶられる映画でした。
ニック役のティモシー・シャラメの儚い美しさとドラッグ中毒者の演技にも惹かれました。
当たり前の感想ですが、本当にドラッグは怖いですね。
事前の宣伝では、父子の愛と再生の感動の物語、のような表現が目立ちましたが、その表現はこの映画とは少し合わないような気がします。
もちろん父デヴィットの深い愛情には随所で胸にこみ上がるものがありました。幼いニックとの幸せな日々がフラッシュバックしますが、これには思わず涙が出ました、、、
だからこそ、そんな深い愛を前提として、父子が更生と再発を繰り返し、もがき、傷つく姿は感動の再生の物語という表現では、軽い印象を覚えます。
じゃあどういう言い方ならいいのか、と言われると困ってしますのですが・・・
終盤、デヴィットにもういいよ、よくやったから自分の人生を生きなさいよ、と思っていましたが、ラスト、ニックの隣にデヴィットの姿があったこと、そして、モノローグでニックが8年シラフでいることが語られて救われた思いでがしました。我ながら勝手なものです。
いい映画でした。
ふつうに隣り合わせの依存症(アディクション)
人は快楽を求める生き物である。
しかし何ごともやり過ぎは厳禁で、度を超えると"依存症(アディクション)"と呼ばれるようになる。なにも周囲や社会に迷惑をかけるものだけではない。趣味や食事、仕事にも依存はある。仕事はワーカホリックとなる。
本作は、薬物依存症から抜け出せない大学生ニックを救うため、悪戦苦闘する父親を主人公にした親子のドラマである。
父親目線なので、それなりの世代以上ならば、自我を持った青年を指導する難しさは容易に想像できる。またこの父親は再婚しており、離れて暮らす息子のために、自らの新しい家族を犠牲にしながらも、愛情を注ぎつづける。
タイトルにもなっている劇中歌「Beautiful Boy」はジョン・レノンの1980年発表曲。当時5歳だった息子ショーン・レノンのことを歌った、愛情溢れるバラードだ。
タバコや酒を止めようと思っても、なかなか思うようにいかない。大抵、本人はいつでも止められると信じているが、事実、止めていないのだから、これを依存症という。
冗談半分だが、かなり真理を突いている(と思う)。
なので"薬物"に置き換えても同じである。本人は、"自分は大丈夫"とか、"シラフのときの自分はちゃんとしている"といった程度の認識である。そして酒・タバコ以上の常習性から抜け出せなくなっていく。
ニックの場合も、ひと筋縄ではいかない。入院治療の成功からの再発、より強い薬物への依存。2年止めることができ、公の場で"薬物セミナー"の講演に立ってからの再々発も描く。嫌になるほど止められない・・・これが現実だ。
アカデミー賞脚色賞を受賞した「君の名前で僕を呼んで」(2018)のティモシー・シャラメがニックを演じ、その堕落のさまが凄まじい。
さて話は逸れるが、「アリー / スター誕生」(2018)など、ハリウッド映画にはふつうにアルコール依存や薬物依存の主人公がに出てくる。年に何本も観る。日本のメジャー映画ではめったに見られない。
米国のほうが依存症患者の人口比率が多いというわけではない。米国のほうが社会のサポート態勢、リハビリ施設の数が充実している。日本に比べて一般的な疾病としての認識が進んでいるからだ。
薬物依存症は単なる病気なのだが、日本では病人ではなく、ことさら罪人に仕立てられる。同程度の刑罰の他の犯罪と比較しても、社会的制裁が半端ない。
ハリウッド俳優(アイアンマンのロバート・ダウニー・Jrとか)やミュージシャン(挙げればキリがない)、スポーツ選手(タイガー・ウッズとか)の薬物摂取は、一般のニュースであり、治せばいいので特別ではない。それが日米の認識の違いだ。
よーく考えてみると、薬物摂取で、出演作品の停止や損害賠償なんてナンセンスである(契約書にあれば別だが)。
ひるがえって本作も、薬物依存の姿を自然に描いている。そのよくある親子関係や家族問題に隣り合わせの現実が、依存症である。その上で、その症状の恐ろしさを知ればいい。
ちなみに本作は、ブラッド・ピット率いる製作会社"プランBエンターテインメント"が企画・製作している。近年の"プランB"は、社会問題をテーマにしたメッセージ性の高い作品を世に送り出す。
いずれもアカデミー賞作品賞を受賞した「ムーンライト」(2017)、「それでも夜は明ける」(2013)も"プランBエンターテインメント"作品である。現在公開中の「バイス」もそうだ。
ブラピは、俳優よりもプロデューサーとして多くの賞を獲得している。たまには俳優のブラピに会いたい。
(2019/4/14/TOHOシネマズシャンテ/ビスタ/字幕:松浦美奈)
予想以上だった
予告編では、よくある親子の感動ストーリーかと思ったけど、ありきたりの映画ではなかった。
道を踏み外した息子と、やめさせようとする父親という構図はよくあるものだが、見せ方がかわっていて、息子がどうやってドラックにはまっていったのかはそれほど描かれない。知らないうちに中毒になっていて、施設に入ってもいつのまにか再発している。時々帰ってくる息子は素直でおとうとたちとも仲良く遊んでいる。この、今は普通と変わらない、でも知らないうちにどんどんドラックに蝕まれていくところに真の恐怖があると思った。
今のところ今年いちばん揺さぶられた作品。
ルーティーンのような単調な構成がドラマ性を奪う
ギリシャ彫刻のように端正なティモシー・シャラメの出演映画で「ビューティフル・ボーイ」と言われれば、麗しい美少年の物語かと思ってしまいそうだけれど、このタイトルはジョン・レノンの「ビューティフル・ボーイ」が元。父が愛するわが子を歌った愛の歌だ。映画も「ドラッグ依存」というテーマを持ちつつも、より強く描かれたのはその題の通り父子の愛ないし父から息子への愛なのだなと感じた。
そのためか、いかにしてドラッグを絶ったかや、ドラッグといかに闘ったか、あるいは家族が彼とどう向き合ったかという点においては、実は非常に曖昧だと感じた。逆にそこを下手に詳細に描きすぎると「ドラッグ依存者更生プログラムビデオ」みたいなことにもなりかねないので、ある意味では安堵する一方、ドラッグ依存となった息子とその家族の葛藤や闘いが、この映画で十分描かれたか?というと不十分な感は否めず、では父と息子の愛の物語や家族の愛の物語としてはどうかと考えても、そこにはやっぱり物足りなさが残った。
エンディングの最後に、ドラッグに関するメッセージ性のある文章が表示され「ふむふむなるほど」と思った直後にふと気づいた。本来はそこに書かれたメッセージを作品に組み込み、この作品を観た人が自ずとそのメッセージに気づかされる、そんな映画にするべきだったのではないか。内容に物足りなさがあったため、最後のメッセージも取ってつけたように感じられてしまった。
映画の構成としても、依存→更生→再発→少年時代の回想・・・という繰り返しが崩れることなくループされるので、展開がどんどん単調になっていくのを感じた。結局最後の最後までその構成が宛らルーティーンの如く乱れることがなく、物語としては大変な出来事が数々起きているはずなのに、そこに映画的な起伏や躍動が感じにくい映画だったなというのが正直な感想だった。
演者はスティーヴ・カレルはじめ、だれもが本当に素晴らしくて役者でだいぶ内容がカヴァーされていたようにも思えたのだけれど、それにしても相変わらずティモシー・シャラメの持つあの妖しさというか色気は何なんでしょうね。演技の良さに加えて観ている人を惑わせるような存在感。ただ美しいだけじゃない悩ましさがあって映画の最中ずっと釘付けだった。彼に免じて☆0.5追加してます。
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