ブレス しあわせの呼吸のレビュー・感想・評価
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技術の発展は人を自由にする
本作は身体の障害に負けずに前向きに生きる男の物語なのだが、それだけではなく多層なテーマを抱えている。
一つには科学技術の発展はなんのためにあるのか、ということだ。主人公がポリオに感染した当時、患者は寝たきりにならざるを得なかったが、呼吸器つき車椅子をみずから開発し、ポリオ患者を外に出歩けるようにした。視力の低い人間はメガネなしでは生活できない。メガネという技術のおかげで低視力の人間は健常者と同様の生活ができる。技術の発展の重要さがここにある。
もう一つの重大なテーマは尊厳死だ。希望を持って前向きに生きた男の人生の幕引きは、前向きな死であることは一考に値する。今後、尊厳死は社会て大きな議論の的になるだろう。主人公の人生はそんな時代を先取りしている。
本作はプロデューサーの父の実話を基にしている。自らの父の人生を惜しみなくさらけ出し議論を呼ぶ作品に仕上げたことは大変勇気のあることだと思う。
イノベーターでユーモラスなイギリス万歳!
ポリオ患者は生涯を病院のベッドで過ごさなければならない、という医学上の常識を、本人の意思を尊重し、車椅子と呼吸器を友として"普通"の日常を全うさせる。そんな常識は自分で切り拓くというイノベーション的な発想、何でも笑いに転化しようとする人生哲学は、イギリス人の特技だと痛感させる。実録ものとして全部を鵜呑みにすることはできないにせよ、生きる上でユーモアがいかに大事かが、描写の端々から伝わってくる。オールイングランドで固めた布陣からはアンチハリウッド的な対抗意識も。そんなバックグラウンドはさておき、鑑賞後の爽快感は貴重だと思った。
多分『金持ちだから出来る道楽』って言うだろう。 って、皆様思ってい...
多分『金持ちだから出来る道楽』って言うだろう。
って、皆様思っているだろうね。
とんでもない。
こう言った事があるから、安楽死なんてふざけるなと言う。
金が許す限り、楽しまなきゃ。
そのうえで
一般の人の賃金が向上しても、援助を受ける者は関係ない事も理解でもらいたいね。
心地よい裏切り
あらすじを読んだとき、重たそうなストーリーかな、もしくは感動を強要するような映画かな、観るのどうしようかなと迷いました、が・・・杞憂でした。どちらでもなく、家族の愛や人の温かさを心地よく伝えてくれる作品でした。 普段は気取ることもなく粗野で倹約家。だけど困っている人を見ると惜しみなく手を差し伸べる根っからのお人好し。私のイギリス人像です。そんなイギリス人の真のやさしさがこの映画にも感じられたように思えます。時折映し出されるのどかな田園風景にも心洗われました。そして、生きることに対する尊さにも気づかせてくれた、私にとってはそんな映画でした。
闘病!病にも勝てると思わなかった人生の大きな賭け
が、夫婦の愛と共に描かれていました。 運命的な出会いをしたロビンとダイアナ。 ダイアナに新しい生命が宿るも、ロビンは ポリオ、小児麻痺の病気になり呼吸器を使わなければ生きていけない、声も出せない 寝たきりの生活になり絶望の淵にいる感覚を味わうことになります。 しかし、妻であるダイアナはロビンが生きる 可能性があることをあきらめなかった! ロビンの入院したままでいるか、自宅に帰って 在宅介護するか、大きな人生の選択をした場面、呼吸器が外れると死を意味するなか 家族と生きることを選んだ勇気、 0ではない可能性に賭けた、同じ病気を持つ患者に生きていくことの幸せや新しく切り拓く人生を教えてくれたストーリーでした。 実話の人間ドラマでしたが、息子のジョナサンが製作に関わったことも子孫繁栄する 明るさや両親に対する深い尊敬をイメージする作品でした。
わずか60年前の物語
ポリオの名前は知っていたがあまり性質や感染後の症状は知らなかった。
障害福祉に携わる者として重度障害者の過去の境遇や時代背景等、参考になる部分は多くあり。
ドイツの患者の扱い方には衝撃を受けると共にドイツらしいな。とも感じた。
何よりも胸をうったのは妻のダイアナのひたむきで恐れを知らない姿勢だろう。
劇中では多くは語られなかったが、喀痰吸引や排泄、入浴、着脱衣に至ってもたとえ身内であっても想像を、越えると感じる。
病院から抜け出る時にその覚悟があったのかは定かでは無いが、当時の電力供給もままならない状況で呼吸器の電源の管理だけでもとんでもない神経を、使ったであろう。
その中でも事あるごとに愛を伝え、キスをし「あなたは私の命」と言ってのける心の強さにはただただ感服する。
上手く伝えられないが、美しい命の輝きを垣間見た様な感じ。また夕暮れのシーンがいくつもあったが、よりその美しさをオーバーラップさせてくれる。
最後の尊厳死と言う視点でも、やはり必要なのだと言う議論をせざるを得ないと考えさせる。
秀逸なタイトルと、たとえハンディキャップを抱えても、生きると決意した人間の強さ、またその強さは美しい妻と、この作品のプロデューサーである息子ジョナサンが与えたものである事も感動をより大きくしている。
QOLの真髄
福祉用具の仕事をしているが、つい最近もALSの方が旅立たれた。ご本人だけでなく、ご主人の覚悟があったから2人の為に手伝おうと思った。 本作のご主人と奥様同様に素晴らしい方々だった。あのお二人の生きる覚悟を見せられたらて周りはサポートしない訳にはいかない‼︎ きっと、本作の家族や友人方も同じ気持ちだっただろう。時代は関係なく、お二人を思い出させてくれる作品に出会えて感謝‼︎
タイトルなし
ポリオに感染し首から下が麻痺 余命数ヶ月と宣告された28歳のロビン 人工呼吸器と共に生きた男と家族の実話 . 重い障害を持つ人が病院の外で暮らすなど考えられなかった時代 約60年前の重度障害者をとりまく現実 病院でのショッキングな映像も 「世界で実際に使われた技術や装置をもとに描いた。医師としてはただ最善を尽くし、病を抱える人たちが生きられるようすばらしいサービスをしているつもりで、人間として満足できるかどうかには思い至っていないだけだったりする。」 . ロビンと家族はリスクを理解し 生きるために外へ出た ユーモアをもって前向きに 彼の人格・元からの人柄 そして妻の愛・度量があり 多くの友人たちの力も借り共に生きた そして 周りの人々へ自ら伝えることにより 多くの重度障害者や家族に希望を与えた 人生を 生きることを考える 素敵な映画でした . You gave me a wonderful life . . 「ロードオブザリング」でゴラムを演じた アンディ・サーキスの監督デビュー作 製作はロビンの息子である ジョナサン・カヴェンディッシュ 主演はアンドリュー・ガーフィールド クレア・フォイ「#蜘蛛の巣を払う女」 ディーン=チャールズ・チャップマン「#1917」 ヒュー・ボネヴィルやトム・ホランダーと 英国俳優が脇を固めている . 映画の中で英国文化にも触れられます😉
さすがイギリス!
◎よかった点◎ ・難病物?と思いきやそこはイギリス映画。ポジティブに軽快な面が多いのがいい。 ・ここ(病院)で機会に繋がれていき続けるか、ここを出て死ぬか。 身動きできない主人公を、妻をはじめいろんな人が協力して一歩を踏み出す。 リスクを恐れていては、何も先に進まない。 ・病院から抜け出した外で見た青空。とても綺麗 ・どんなアクシデントもジョークで乗り切る主人公の明るさ・強さ。 ・息子(子役)の成長から、夫婦がずっと過ごした月日がわかるのもいい。 ・できないこと、ないことは「工夫次第でなんとなかる」。なるほどね。 その熱意が世界をひろげ、変えていくんだな。 できないと思った時点で、できなくなっちゃうのだ。 △いまいちな点△ ・特になし。 ✍️マーカーワード✍️ 「ここ(主人公)に来るたびに、元気になれたんだ」(主人公の友人)。 その存在感の大きさが、みんなをつないでいた。そんな感じ。 思ったのと違った心地よい良作でした。
【ポリオによる障碍を前向きな気持ちで克服した実在の夫婦の姿に感銘を受けた作品。主人公を演じたアンドリュー・ガーフィールドが絶望の淵から生の喜びを再び見出す姿が印象的な作品である。】
ー 20世紀半ば、28歳でポリオに罹患したため首から下が麻痺し、人口呼吸器が無ければ2分と生きられないと宣告されながら、妻ダイアナ(クレア・フォイ)からの尽きる事のない無償の愛や献身的に世話をする親類(双子の兄弟:トム・ホランダー)、知人達の絆により64歳まで人生を豊かに過ごしたロビン(アンドリュー・ガーフィールド)の姿を明るいトーンで描いた人間性肯定感の強い感動作。ー ■プロデューサーはロビンの息子、ジョナサン・カヴェンディッシュ。正にこの親にしてこの子在りともいうべき感動作を世に出して来た方だ。 ◆感想 ・人口呼吸器がどんどん改良されていく過程 ・改良度が進む度ロビンの笑顔も増していき ・行動範囲も広がり、果てはスペインへ旅立ち素晴らしい経験をする場面 ・そして、ロビンと同様に首から下が麻痺した人々が改良された人工呼吸器を装着した車椅子で笑顔で列をなし進む姿・・ モーション・キャプチャーの第一人者、アンディ・サーキスが監督を務めた、質の高いイギリス映画である。 <2018年9月7日 劇場にて鑑賞>
プロヂューサーは自分の母親を世界に誇る
荒涼たる冬の丘の上、海から吹き付けてくる風が冷たい。丘の上に立つと眼下に広々とした丘陵地帯が広がる。丘の上を青年が綱を引く。重そうに引いているのは父親を乗せた大きな車椅子。それを押す妻。3人の姿が逆光のなかでシルエットになって画面に映る。このモノクロの印象深いシーンが、尊厳死を望む父がそれを妻と息子に伝えるシーンにつながる。この美しい3人の印象的なシルエットを映画の予告編で観たとき、絶対この映画を見逃してはいけないと思った。
監督のアンデイー サーキスは、モーションキャプチャーの役者として第一人者。
この映画は、プロデューサーのジョナサン カベンデイシュの両親の話で、実話だそうだ。映画の中でもジョナサンが子供として出てくる。映画の中でのエピソードは全部、実際にあったことだそうだ。
ストーリーは
1958年英国植民地下のケニア。
兵役を終えたロビンは、その仲間たちとナイロビで茶葉の貿易商として生活をスタートさせる。ナイロビの英国社会では社交は最重要、、クリケット、テニス、お茶の会などで、英国人同士の親密な関係を築いていた。ロビンは美しいダイアナに恋をして結婚する。しかし幸せな結婚生活が始まり、ダイアナが妊娠したばかりの時に、突然ロビンにポリオの病魔が襲い掛かる。ロビンが28歳、ダイアナが25歳のことだった。
ロビンは、ポリオで首から下はすべて四肢麻痺し、自発呼吸も発語も嚥下も出来なくなり、余命わずかと宣言される。人工呼吸器が止まったら2分で窒息死だ。傷心のダイアナは出産後、英国にロビンと赤ちゃんを連れて帰国する。
首から下は麻痺して動かすことも感じることも出来ない上、自分で呼吸さえできないロビンは繰り返し妻と子に自分を見捨てるように頼む。それができないなら、家に帰って家で死にたい。病院でロビンの看護を見ていて、ダイアナは、電動の人工呼吸器を据え付ければ自宅でロビンを看護することができると思いつく。古い屋敷を買い取り、友人たちの手で家を改装する。電動呼吸器で命をつないでいるロビンの移動中は、手動の呼吸器で直接空気を肺に送ることができる。病院で医師の反対を押し切って退院したロビンのために、友人たちは、ベッドに車をつけて車椅子を発明(!)、さらに車椅子ごと移動できる大型自動車も改造する。このときの友人でもあったテデイ ホール医師はオックスフォードの教授であり車椅子の発明者とされている。当時の人工呼吸器つきの車椅子は、医学常識を覆し、先進的な医療機器の開発に貢献した。ロビンとダイアナ一家は外国旅行にも出かけ、ドイツなど医療界に、四肢麻痺患者として啓蒙活動を行った。
長年人口呼吸器を取り憑けていたロビンの肺へのダメージは大きかった。肺水腫から肺血腫を起こし、気管切開から失血するようになるともう治療法がない。ロビンが64歳になった時のことだ。しかし、妻子が人口呼吸器をとめることは、関節殺人になるのでできない。よくロビンを理解している医師は、妻と息子にアリバイを作るために外出させ、その間にロビンの希望通り投薬して去る。家にもどってきた妻と息子にロビンは笑顔でサヨナラを言ったとき、静かに呼吸が止まる。というストーリー。
最後の尊厳死。当時は違法だが、今ではこのような状態での尊厳死は多くの国や自治体で認められてきている。その「自治体に2年以上居住し、半年の余命であると2人以上の医師によって診断され、痛みの症状が耐え難い場合」という、条件付きでビクトリア州などでは尊厳死が許されている。しかしいまだにニューサウスウェルス州のように、尊厳死が違法の自治体も多く、早急な法整備が望まれる。いまやっと、医療界では生きるためのクオリティが、ただ延命させることよりも大切だという認識が広がってきた。病院の医療器具に縛られて延命させるより、患者の意志と尊厳を優先する、という人が生きる為のあたりまえの権利を、無条件で支持したい。
ポリオは全世界で猛威を振るった。急性灰白髄炎。ポリオウィルスは感染すると血流にのって脊髄を中心とする中枢神経を冒す。昔からあって沢山の人が死んだ。1960年は、日本でポリオが大流行した年だった。全国で報告された数だけで、6500人の患者が出て、日本ではまだ生ワクチンがなかったためソ連とカナダから緊急輸入されたワクチンを1300万人の子供達に一斉に投与された。並んでワクチンを飲んだこの時のことをよく覚えている。
小学校で一緒だった友達も両足に麻痺があり曲がった足で松葉杖をついていた。思い返してみると、私が知っているポリオ患者はみんなお金持ちの子供だった。高額の治療費、リハビリなど支払えないような患者は、みな成長する前に淘汰されて、生き残れなかったということだろう。恐ろしい時代だった。
戦後20年経ってやっと国産のポリオワクチンが定期接種されるようになって、日本では1972年を最後にポリオ患者は出ていない。予防注射がいかに大切か。予防接種を甘く見てはいけない。今年は米国など先進国で麻疹が大流行した。ベイカン、自然食、予防接種を受けない自由な子育て、などなど、、馬鹿を言ってはいけない。愚かな親は愚かな子しか作れないが、予防接種をしないでいた子供が予防接種前の小さな子供を感染させて殺すことを考えたら、予防接種しないことは殺人罪でもある。要は予防接種には必ず0.3%くらいの重篤な副作用の出る子供がいることだ。どんな良薬でも副作用は避けられない。そういった子供の診断を慎重に行い、国の責任で副作用の出た子供の治療を徹底することだ。それを避けるから予防接種を避ける親が出てくる。予防接種の副作用を訴える親達を否定する官僚どもも、接種を拒否する親も、みんな狂犬病予防接種を受けていない野犬たちの檻で1週間一緒に暮らしてから、そのあとでまだ生きていたら予防接種について話し合いのテーブルに付いて頂きたい。
映画に出てくる「鉄の肺」が多くの命を救った。鉄でできた棺桶のような、サブマリーンのような容器から頭だけ出して、中で陰圧と陽圧を交互に送り、自発呼吸できない患者の肺に空気を送る。高価な治療機械だから誰でも中に入って延命できるわけではない。映画の中で1970年初めにドイツの医療機器の最も整っている病院で何十台もの「鉄の肺」から頭を出している患者が整然と並んでいるシーンが出てくる。今では医療博物館でしか見られない。
ロビンは気管切開をしながらも、気道を塞げば会話ができて、口から飲んだり食べたりすることも出来るようになった。しかし電動呼吸器をとりつけるために気道切開している患者には、定期的に痰を吸引しなければならない。怠ると気道が塞がってしまって呼吸できなくなる。吸引はやる側とやられる側とのタイミングだ難しく、下手な人がやると窒息して死に至る。痰を吸い取り、そのチューブを清潔にしておくことは肺炎や誤飲を予防する為にも必須だ。麻痺患者の嚥下は、横を通る気道の邪魔になるから柔らかい流動食に近い者しか食べられない。だから便も柔らかい。麻痺で便通をコントロールできないから日に2回くらいは出る便を取り、尿を取り、臀部を綺麗にするだけで重労働だろう。老人介護をしている人は、食事の介助だけでなく、便と尿と痰の吸引で、身体的過労だけでなく心理的、精神的なダメージを受ける。一人二人でできることではない。こういった介助を文句言わずにやってきたダイアナの努力には驚かされる。仮に、妻は夫に従い、一生尽くすことが常識だった時代であったにしても、ダイアナの常識を超えた愛情には頭が下がる。
ケニアという植民地で商売をして暴利を得ていた富裕層だったことや、ロビンをとりまく妻や友人たちがケニアで自由な暮らしに親しんでいたために、保守的なイギリスの慣習に縛られずに済んでいた、という背景はあるだろう。それを差し引いても感動するのは、妻ダイアナの自由な発想だ。病院で死ぬより自宅で死にたいというわがままな夫のために手動呼吸器を抱えて家に連れ帰る勇気、生かすも殺すも自分の責任、と割り切って家に連れ帰るだけでなく外に連れ出し、夫と同じ車椅子を他の入院患者のために量産させ、外国旅行にも連れて行き、遅れた医療界の教育にも貢献する。こんな夫婦を理解する医師や友人たちとの心の交流、すべて感動につながる。
英国人スタッフと役者ばかりで、英国で撮影された映画で、ひとつもハリウッド文化が混じっていない。英国人らしいユーモアに満ちた会話の数々。アンドリュー ガーフィールドの首から下を全く動かせない演技が素晴らしい。友達に「おまえどっか動けるの?」と聞かれて、眉を上下させ次々と顔を動かしてみせる彼のひょうきんさと、その表情の豊かさ。生まれたばかりのジョナサンが顔の横に置かれたときの、うれしくて悲しい顔。大出血に茫然とするジョナサンに、「大丈夫だから、大丈夫。」と言い聞かせる父親の顔。さすがシェイクスピア劇団出身の役者。
28歳で死ぬはずだった夫が、25歳の妻に、「俺のことは忘れろ、君はまだやり直せる」といった言葉の方が真実に近かったろう。社会常識を破り、医療常識を打ち破り、法に逆らって、夫との愛に生きた強い女性ダイアナは立派だ。現実にこのような母親がいることを、映画プロデューサーのジョナサンは世界にむかって言っておかずにはいられなかったのだろう。これが僕のお母さんなのだ、と世界に向かって誇ってみせずにはいられなかったのだろう。心から同意する。
力強い、美しい映画だ
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