「無責任に子供を産む罪を問う」存在のない子供たち REXさんの映画レビュー(感想・評価)
無責任に子供を産む罪を問う
ゼインは「誰も知らない」の柳楽優弥に似ている。しっかり者で面倒見が良くて、兄弟を愛している。
でもそれはゼインが両親から与えられるべきもの。それを渇望している暇も無く、かいがいしく妹らの面倒をみる彼の姿に胸が締め付けられた。
家にいたら罵られ、休む暇も無く働かされる。しかしいざ両親の元を逃げ出し、行きずりで知り合った心優しき移民の女性ラヒルの元に身を寄せたところで、無為の時間が彼を襲う。
知的好奇心を満たすものも無く、外界からの刺激を遮断され、ひたすらラヒルの赤ん坊のヨナスをあやす時間。
人はどうしたって何かを考えてしまう動物だから、何もできない時間というのはそれだけで辛い。本来なら好奇心いっぱいに目にする物すべてを吸収したい年頃のゼインにとっては、特に残酷だ。
そんなゼインが帰ってこれなくなったラヒルの代わりに、必死にヨナスを養おうとする姿は涙なくして見られない。
しかしこの映画は、ゼインの悲しみに寄り添うものではなく、子供を労働力としかみなさず宗教上などの問題で避妊せず、愛しもしないのに子供を産む大人たちを告発するものだ。
お金や扶養の問題ではない。愛されたい、ただそれだけが得られない子供のなんて多いことか。
本来なら、多くの人が「生まれてこなければよかった」から「生まれてきてよかった」と言える社会にしなけれはいけないのに。
出生届を出されていないため法的に存在しないゼイン。不法移民ゆえに法的に存在しないラヒル。違法だからといって、彼らは悪人だろうか。法律至上主義の人たちにとっては、法を守れない彼らはいなくてもいい(死んでもいい)存在なのだろうか。
法律が弱者を守れないのであれば、それを変えていくのも今を生きる者達の責任なのではないか。
ゼインは本物の難民。彼が幼いながらも「酷い国」「亡命したい」などと口にする場面には重みがあった。
彼の目に希望や笑顔が宿る日を、願わずにいられない。