ピータールー マンチェスターの悲劇のレビュー・感想・評価
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まさかマイク・リーがこれほど巨大なスケールに挑むとは
巨匠マイク・リーはいつも、人と人との交流や摩擦の中でほとばしる一瞬のリアルな空気を逃さない。そんな彼が時代劇を撮るようになったこと自体びっくりなのだが、さらにこの映画のクライマックスとなるピーターズ広場での虐殺シーンはあまりにスケールが大きく、かつ壮絶さと無慈悲さと無念さが相まって、全く言葉が出なくなってしまうほどだ。 事件に至るまでの道筋を、リーは独特なペース配分の人間ドラマとして丹念に描いていく。それは一見すると朴訥で、地味にさえ思えるかもしれないが、しかしシーンを重ねるうちに登場人物の素の表情が窺い知れて、少しずつ愛着がわいていく。そうやって点描されてきた人々が、いつしか運命のピーターズ広場にて一堂に会し、それぞれの立場で虐殺を目の当たりにする。あの朴訥とした表情が悲鳴と苦しみに変わる恐怖。本作を目撃した我々が痛感する無念な気持ちこそ、民主主義の根幹をなすものであることは明らかだ。
勉強にはなるけど楽しめるとは言えない
この映画で描かれるのは、今から200年以上も前のイギリスで実際に起こった虐殺事件である。 衣装や暮らしぶりは確かに時代を感じさせるものだが、マンチェスターの人々の暮らしに流れる「政治との距離感」は現代とあまり変わらないように感じた。 ただ、それ以上にイギリスの歴史に疎い状態だと背景の説明が足りないように感じる。 映画の中でも少しは触れられているが、どうしてここまで選挙に対する熱量が高まっていたのか一応解説じみたことを書いておく。 ナポレオン戦争が終戦したことで退役軍人の帰還により失業率が高まったこと、記録的な冷夏で穀物自給率が下がったこと、この2つの要因で国民の暮らしがかなり苦しかったことがベースにある。 さらにイギリスの選挙区は16世紀から変わっておらず、人口の増減が反映されないままだった為、人口が少ない農村地域では有権者の買収による不正選挙が横行していた。 つまり、金持ちが金で権力を買い、さらに自分たちに有利な制度を作ったり維持しようとしたりする世の中だったのだ。 苦しい状況と腐敗した政治への不満から、改革への期待が高まり、改革を訴える弁士の演説を応援する大集会が開かれることになる。それがこの映画で描かれているマンチェスターでの集会だ。 内容については現代とも通じるし、よく分かるのだが映画として面白かったか?と聞かれるとかなり微妙な仕上がりだと思う。 「面白く作ろう!」とか「盛り上げよう!」という気持ちを持って作られていないので、映画的な感動と興奮を期待すると「なんじゃこりゃ」と思う。 真面目に描き過ぎて記録映像を見せられているみたいに感じてしまうのだ。普通選挙を求めて活動している人がいたり、女性の政治参加を求めて活動している人がいたり、当時の社会を余らず描いているものの、そこは虐殺事件の本筋ではない部分なのでむしろストーリーを重くしてしまっている。 すごく勉強になる、という意味では世界史の授業中に観るなら良いかもしれない。
実際の事件の映画
自分の無知を改めて実感。このピータールー事件、初めて知りました。 選挙権を求めての決起集会、武器を持たない民衆に向けて、王や貴族院は騎兵隊を鎮圧に向かわせ力で押さえつける。無抵抗な民衆を奇兵隊員が斬りつけ、馬で踏みつけ、なぐりつける。同じ英国民なのに。こんな酷い出来事があったなんて。でも英国民の多くもこの事実をしらない人が多かったということは驚き。まぁ日本も南京大虐殺など、授業でも触れないし、自国の汚点には触れないようにするのは何処の国でもあることなんだなぁ〜。
富める者はより富んで・・・現在も変わらず。
公平な選挙を求めて集まった人々を軍が襲った「ピータールーの虐殺」を描く物語。 とても風変りで戸惑いを覚えた作品です。 BGMは一切なし。演説や裁判シーン、議論等は端折らずに全て見せる手法。良く言えば「リアル」。悪く言えば「冗長」。 正直に言えば、2時間30分を超える上映時間を考えると、「冗長」に感じられる映画で評価を大きく下げました。 ただ、産業革命後の社会。資産家と労働者階級に分断された世相。国王、貴族、資産家、保守派と、革新を求める人々との断絶を良く表現出来ているようにも感じました。 また、集会に軍が乱入するシーンは派手さはなくても迫力があって秀逸。逃げ惑う民衆・・・だけではなく、興奮から制御が効かなくなる軍人等もしっかりと活写します。 映画自体の私的評価は低めの2.5ですが、当時の社会を知る為に鑑賞して良かったと思える作品でした。
イギリス版天安門事件と見ればより現実味が湧くのかな
前半は、長い。そのころの人々の困窮度合いや集会に至った経緯を丁寧に描きたかったんだと思うが、 若干そこで睡魔に襲われてしまった。 しかし、集会部分とその時に起きた市民に対しての虐殺シーンはかなり見応えあり。 200年前にこの事件が起き、そこから普通選挙制度が確立するまで100年もかかるというのは、いかに民主主義を獲得することが大変だったかを改めて感じる。 それを考えると、色々な問題はあるにせよ、今、それぞれが平等に1票を持ち、選挙で自分たちのトップを選ぶことができるということは、長い間かけて、勝ち取った権利なんだと思う。 天安門事件から約30年、現在でも香港でのデモを武力で鎮圧したり、逮捕したりすることが止まらない。 でも、時間はかかるかもしれないが、諦めなければ、最後は自由を得られるんだろうか。 権力者は、いつの時代でも暴力で、平和的な訴えをしている市民を叩き潰す。
一度認めれば要求はエスカレートする
映画「ピータールー マンチェスターの悲劇」
(マイク・リー監督)から。
世界各国が「新型コロナ・ウィルス感染拡大防止対応」で
いろいろな策を打ち出している中で作品鑑賞したので、
19世紀初頭のナポレオン戦争後、
深刻化する貧困問題の改善を訴えて立ち上がった英国民と
今後想定される「コロナ不況」で溢れる失業者の叫びが重なった。
そんな英国民の感情を知ってか知らずか、国の役人(判事?)は、
対応策・解決策を出すのだが、こんな台詞が飛び出した。
「労働者は胃袋でものを考える」と切り出した後、
「工場主に週給を1シリング上げさせれば、彼らの空腹は癒され、
運動も終わる」と。
今、各国が国民の不平不満から起きる暴徒を回避するために、
「一律~円配給」策を採用した意図がわかった気がする。(汗)
ただ作品の中では、この策に反対する判事がいた。
「一度認めれば要求はエスカレートする」が理由だった。
まさしく、今回の「コロナ騒動」で同じことが言えそうだ。
「さざなみ(小波)はやがて流れとなり、波となる。
荒れ狂う大波となり、大地に打ち寄せる」
「コロナ波」は、どこまで大きな波となってくるのか、
こればかりは、誰もが想像できない気がする。
「『暴徒』は『恐怖』で抑える」ことがないように、
社会システムの「改革」が必要なのかもしれないな。
女の子たちもピクニック気分で集会に参加してるのが印象的
冒頭ではジョセフという青年がナポレオンとの戦争で生き残った姿を描いていた。進軍ラッパを吹き鳴らし、重傷を負い、倒れそうにながらも自宅へと帰路につく。ジョセフがボロボロになった赤い軍服を最後まで着ているのだ。そして、雄弁な改革派の論壇ヘンリー・ハントが演説を始めようとしていた。 大集会が始まるまではかなり退屈だったし、登場人物がやたらと多いし、全く覚えきれない前半から中盤。目立っているのがヘンリー・ハント(ロリー・キニア)とジョセフだけなので、ご覧になる方はこの二人だけでも覚えておいた方がよさそうだ。ジョセフという名の人物ももう一人いるからややこしい・・・ 集会にいたる原因も、疲弊しきった庶民の生活。食料不足、高い失業率、そしてマンチェスターを中心とするランカシャー地区選出の庶民院議員が2人しかいないという1819年の状況。大工場が立ち並ぶ光景はいかにも産業革命後のイギリス!といった雰囲気なので、タイムスリップした感覚に陥ってしまいます。時代が時代だけに成年男子の選挙権を認めさせようという運動がメインだ。今の日本だったら一票の格差がかけ離れているとして、即憲法違反の判断がなされるのだろう。 何といっても行進をかねた集会参加の様子が素晴らしい。みんな楽しそう。ラッパ楽隊の楽器も当時を再現したのか、見たこともない形をしている。そして広場には6万人。背景には巨大煙突が立ち並ぶ工場群。そしてモブシーン。拡声器もない時代ではどんな演説を見せてくれるのかとわくわくしてしまうのですが、あ、案外しょぼい。でも、群衆の心が一つになるかのような、そんな瞬間があったのだ。そしてメインのハントの演説も数分で遮られ、自然発生的とも言えるくらいの義勇団の鎮圧行動。サーベルを振り回し、何人もの一般人が斬り付けられる。さらに政府直属の騎馬隊もそれに続く。 負傷者400~700人。18人が死亡するというイギリスの黒歴史が刻まれた。現在の香港のデモにおいてもそうだが、無血革命を試みても武器を持った軍隊・警察が押し寄せてくる。軍隊とは国民を守るために存在しているのではない!国体を維持し、戦争をするだけなのだ!こうした歴史が証明してくれるはずであり、現代に置き換えても同じことを繰り返しているのだとわかる。それを描いた映画も凄いが、予算の関係やエキストラの都合にも苦労が見られるし、退屈な場面はカットしないと観客も疲れるよ・・・ ちょっとわからなかったのがジョセフの生死。ナポレオンとの戦争で生き残ったのに、こんな虐殺事件であっという間に殺されたという皮肉も描きたかったのだろうから、“死”の方に15シリングだけベットします。
身内殺し
この映画は200年たって、この事件をそれなりに知ってる人、主に自国民に向けられているのではないかと思う。ヘンリー・ハントとかジョゼフ・ジョンソンとかの名前を聞いて、あの俳優さんがあの人演じるのか、と思えるような人に向けられていると。 英国というと、アイルランドとかスコットランドとか、今United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandといわれている国内でも紛争には題材には事欠かないが、これはマンチェスターというイングランドの北部で起きていて、より身内感が強い。 wikiを見ると、ピータールーの虐殺の犯人はマンチェスター・アンド・サルフォード義勇騎兵団とある。地元のボランティアパトロールというところか。彼らは警察ではない。正規な軍でもない。(映画の中ではそれも出てくる。) 自分たち地元のボランティアのパトロール部隊に自分たち一般市民が殺されるという事件。200年という年月が過ぎて、「で、どうよ」、と自国民に問いかけているんじゃないだろうか。 ただ、多分事件をあまり知らない層には「これは誰だろう?」となりいろんな人が出てきても「わー」とならないので多分あまり面白くない。
実話の重み
近年実話もの真っ盛りの映画界。本当にあったと言うことで、実話ものを選んで観に行くことが多くなった。この作品もそう。200年前にあった史実なんですね。 155分もある長尺作品で、中盤まではけっこうなダラダラ感はあるけど、それほど苦痛ではなかった。予想できる終盤に向けての下準備をしっかりと飲み込んで、見ていてちょっと苦しくなる終盤の描写を噛みしめた。 200年前のことで現在ではあり得ないようなこと、でもある国では是に近いこともいまだにあったりする。人間の功罪、知性、いろいろなことを考えさせられた作品だった。
この世界ついての、神への無言の抗議
ランスとの戦争はオランダ・ウォータールー(ワーテルロー)の戦いにより、英軍の勝利となった。
その戦いに従事したひとりの若いラッパ兵。
彼が故郷の英国マンチェスターに戻ってみると、世間はひどい大不況だった。
戦争の痛みもあってか、かのラッパ兵はひと言も口を利かず、顔をゆがめたままだった・・・
というところから始まる物語で、当時の大不況真っ只中のマンチェスターには、普通選挙権を勝ち取り、地元民から議員を送り出し、いまよりも少しいい暮らしをしたいという民衆の願いが溢れていた。
そんな様子を、マイク・リー監督は民衆たちの集会での演説を通じて描いていきます。
そう、ほとんど演説ばかりの映画。
なので、こんなの映画じゃないんじゃない、なんていう観客もいるかもしれない。
しかし、当時の様子を描くのに監督が用いたこの手法は悪くない。
たぶん正しい。
話すことで、様々な人の心に訴えて、それを静かな行動に移す。
互いに理解し、問題点を共有し、よりよき社会(というか、自分たちの生活だ)を得るために、どのようにするべきか・・・
なので、会合の席、家族間で交わされる会話に、観客は耳目をそばだてる。
普段の会話は、かなり訛りが強く聞き取りづらいけれど、演説になると、訛りはあったとしても聞き取れる。
なるほど。
そのような民衆たち(力を持たない人々)に対して、権力側がどうだったのか。
スパイを送り、些細な罪で流罪にしている。
これでも、まだ憲法に基づく民主主義国家(投票権は一部のものにしかなかった)というわけだ。
で、会話会話の映画が終盤、一気に動きだす。
各地から集まった何千という人々。
正装し、女性も子供も連れての穏やかな行進と集会。
弁士ヘンリー・ハント(ロリー・キニア)が演説を始めた瞬間、地元の治安判事たちは騒乱罪を適用し、彼を逮捕させるとともに、穏やかな民衆たちに武装した軍隊の出動を命じる。
その後は修羅場だ。
まさに、修羅。
人間が通った跡ではないもの(そう、死体やなんやかやだ)が残る。
冒頭から登場していた若いラッパ兵は、一言も発せず(そう、映画全編を通じてひと言も発していない)、切り殺されてしまう。
オランダのウォータールー(ワーテルロー)で生き残った兵士が、ピータールーで斃れるわけである。
祖国のために戦った若き兵士は、なにも言わずに、祖国の権力により切り殺されてしまう。
ラストシーンは彼の埋葬シーン。
神父が彼のために「アーメン」と祈り、家族にも祈るように促すが、誰ひとり祈りの言葉は発しない。
この国には、神などいないと無言で抗議している。
それが200年前の英国だが、さて、それから世界は変わっただろうか・・・
そんな思いでつくったマイク・リー監督の力作でした。
人が権利を勝ち取る礎になったふんわり重厚風味
大河ドラマもだけど歴史物はネタバレが前提。 ただの資料に、どう肉付けするかが史実を元にした物語の面白さだと思うのね。 だから今作も「マンチェスターの事件?ほほう」と観る前に調べたので、このポスターの場面に行くまでの物語なんだろうな……と予想して鑑賞。 ダルい……。 一言で「ダルい」しか感想が出ない。 何者でも無い市井の方々が泡唾飛ばして権利を主張するのはいいよ。 それを良く思わない王族様やお貴族議員様方々が人を人とも思わず、見下して貶すのもいいよ。 いいけど誰目線で観るにも全部が掘り下げが浅く、登場人物に移入する前に場面が変わって入り込めない。 この寸止めがずーっと続いて、途中から「全員ちょっと落ち着け」とゲンナリしてきた。 そして、クライマックス。 議員は酒飲みながら「あーだ、こーだ」と薄ら派閥闘争。 本当にうすーくね。 ここでも怒りが湧く前に画面が変わってずっこける。 そして悲惨なシーンとはいえ、やーっと盛り上がりのシーン。 あのー……兵隊さんは隊長の言葉聞いてた? 「蹴散らせ」って言ってるのに逃げられないように追い込んでどうする? 監督の映画の作り方を読んだら『あらかじめ決まった台本を用意せず、現場で俳優達と即興セリフを作る独自のスタイルで知られる』とあったけど、それは『行き当たりばったり』と言うのでは? 私がこういう人間ドラマ系苦手なのもあるけど、これは、それ以前に問題ある気がしてならない映画でした。
余談として、もう一つの背景とジャガイモ
ヨーロッパの民主化運動や革命の背景として主に語られるのは、絶対王政や政府の腐敗、度重なる戦禍による経済の疲弊や農地の荒廃だ。 そして、民衆の間に不満が蓄積し、蜂起に繋がったと。 ただ、同時に注目して欲しいのは、地球の寒冷化だ。 1600年代半ばから80年から90年近く続いた太陽活動の低下(マウンダー極小期)、1780年代のアイスランドの火山の大噴火に伴う降灰、そして、このピータールー事件の数年前に起こったインドネシアの火山の大噴火の降灰による寒冷化だ。 この間、ヨーロッパでは食料の確保が最大の命題で、あちこちで小競り合い、そして、戦争、他国の占領、場合によっては大虐殺や魔女狩りまで行われたが、この状況でも贅沢を止められず、民衆の蜂起に繋がったのフランス革命だ。 そして、その後フランスではナポレオンが台頭し、ナポレオン戦争の後に続くのが、この映画に描かれた事件だ。 映画では前半に、ジャガイモの皮を剥く様、ポテトパイの話題、馬車にジャガイモ投げつけられる場面が散りばめられている。ジャガイモは大航海時代に南米からもたらされたのだが、食料として広がり定着したのは、1600年代半ばから続く寒冷化したこの時代だ。 ジャガイモは寒冷地や痩せた土地でも育つというのが理由だが、もともとは、食料としては醜すぎるとしてヨーロッパでは敬遠されていたらしい。 しかし、ジャガイモはヨーロッパの人々の命を繋いだ。そして、寒冷化がなければ、フライドポテトも、マッシュポテトも口にすることはなかったのかもしれないのだ(言い過ぎか)。 この長い映画は史実に忠実で、時代考証もかなり精緻のようだ。個人的には、ロンドンの発音と、イギリス北部の訛りの対比ができて面白かったのはあるが、この事件自体、実は、その後の変革に直接的な影響は少なかったとされ、それを示唆するかのよう尻切れトンボっぽいエンディングに、分かっちゃいても、報われない感が残ってしまった(面白くないわけではありませんよ)。
非暴力という尊い思想、あるいはラッパ吹きの生涯
あっという間の155分。 映像は、絵画的な陰影に富み、美しい。 (同じく政治劇、群像劇であるスピルバーグの「リンカーン」を思い出した。) さて、ご覧になった方はお判りのとおり、この映画には主人公と呼べるような中心的な人物は不在であり、また英雄的で華々しい行動が描かれるわけでもない。 しかしながら、この映画の主旨を考えるなら、マイク・リーが、複数の人物を同時進行的に描いていることにも納得がいく。 物語で描かれるのは、今に続く議会制民主主義という政治形態の胚胎期に、男子普通選挙の施行を求めて集会を開こうとする人々の姿である。 弁論に秀でた者、いささか舌足らずではあるが善意によって聴衆の心をつかむ者、雄弁に耳を傾ける者、そして、そこで語られる理想を冷笑する者。 市井の人々が足並みを揃えるのは容易ではないが、不況によって生活が困窮するにしたがって、人々の心は一つにまとまっていく。 しかし同時に、社会運動の指導者たちに、実力行使もやむを得ないと考える者も増えてくる。 映画のクライマックスで描かれる、マンチェスター、セント・ピーターズ・フィールド広場での集会の主賓は「絶対に非暴力でなければならない」と主張する雄弁家ヘンリー・ハントである。 「非暴力」がモットーであるが故に、人々は正装し、子どもを連れ、胸を張って広場へ集う。 しかしながら、この「非暴力」は、街の有力者たちの「暴力」によって踏みにじられてしまう。 つまり、「非暴力」は「暴力」に屈し、「理想」は「現実」に潰えてしまうのだ。 映画が語るのは、そこまでである。 では、この映画は「敗北」が主題なのだろうか? そうではないだろう。 例えばガンジー、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラといった「非暴力」を主張した指導者たちのルーツとして、この映画で語られる「非暴力」という思想があるのではないだろうか? また、「非暴力」という主題を考えるなら、この映画で、複数の人物を同時進行的に描くことを選択したマイク・リーの意図もより理解できるように思われる。 映画の冒頭と最後の場面を思い出してほしい。 そこで何が描かれていたのか? それは戦場で途方に暮れてラッパを吹く青年の姿であり、その人物の埋葬である。 ひどく口べたであるがゆえに、ほとんど何も語らない人物。 仕事を探すが、何も見つけることができない人物。 しかし、その人物は歴史の証人であり、ヘンリー・ハントの演説に期待して、広場にいた6万人の一人である。 つまり、理想を胸のなかで暖めていた人物でもあったわけである。 (無抵抗であるがゆえに、あっけなく暴力の犠牲となってしまう人物でもあるのだが) この失業者であるラッパ吹きを作品の冒頭と結末に描いているところに、監督であるマイク・リーの歴史の見方が現れているといえるだろう。 彼は、歴史の証人であり、また参加者でもある。 歴史とは、歴史に名を刻む者によってのみ作られるものではなく、同時に名もなき者たちによっても作られる。 それは、もちろん、議会制民主主義という政治形態の下に生きる、この映画の鑑賞者であるわれわれについても言えることだ。 ピータールーの事件について、なにも知らなかっただけに、良い映画であった。 また19世紀初頭の英国の様子も丁寧に描かれており、個人的にはとても勉強になった。 それにしても、政治にかかわろうとする者のなんと雄弁なことか。 飽きることなく、楽しめた。
不勉強だったので…
かろうじて、マンチェスターで虐殺があったらしい、程度の知識しか持っておらず、大変勉強になりました。
権力者や資本家と労働者の対立構図が分かりやすく描かれていますが、人物像がかなりステレオタイプです。
登場人物が多く、視点がコロコロ変わるため、誰が何を考えているのかわかりづらいことも難点でした。
(個人識別が多少不完全でも、ストーリー上はあまり困らないのですが)
広場での混乱が収まった時点で終わるので、事件がこの後どのように扱われたのかなど、気になる部分が残りました。
また、公式には広場での死者は3名、負傷者は15名となっていますが、明らかにそれ以上の被害が出ています。
(後日に亡くなった人がいたり、資料によって数が異なったりするようです)
単に、英国での民主主義の始まりというだけでなく、その後のジャーナリズムのあり方にも影響を与えていますし、当時の産業を支えた力織機やグーテンベルク印刷機なども登場します。
150分と長めの作品ですが、見どころも多いと思います。不思議と、そう長くは感じませんでした。
(これを言うたら怒られそうですが、家でWikipediaを引きながら観たかったです)
歴史は繰り返す?
感動したりスカッとしたり笑えたりする場面は一切無く、支配者階級(金持ち)の労働者達(貧乏人)を見下した発言ばかりの会議と労働者間の意見の相違による言い合いの様子がひたすら繰り返されるので、確かにエンタメとしてはつまらない映画と言わざるを得ず、2時間超の大作だがヒットはしないだろう。とはいえ、似たような事件・状況は現在も世界中で起こり続けていて、"昔の話" と片付けられないのが辛いところ。いつの世も権力者達は庶民から金を巻き上げ自分達の私腹を肥やすことしか頭に無く、従わない庶民は力で押さえつけるればいいと当たり前のように考えていると思うと暗澹とした気持ちになる。
ジワる面白さ、ってこういう事だと思う
開始30分くらいで気付いた脚本の良さ。
特に一人ひとりの台詞が良い。長めの台詞が多いわりに、話すと生き生きしてくる人間性がなんというか「ジワる」。ジワる面白さ、ってこういう事なんじゃなかろうか。そう感激しながら2時間超えの映画の旅は、結構あっという間でした。
ほんの少しネタバレを言えば、無血革命に触れて称賛していた台詞が、私的には特に好印象でした。
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