ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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悪くはないが少し誇張された伝記
映画鑑賞前には予習なしで見て鑑賞後にWikipediaでジュディについて調べた。子役時代に受けた圧力、ダイエット推奨で渡されたクスリは覚醒剤(ウィキより)だったり、過重労働だったり確かに事実だったけど、主要ストーリーが彼女の人生最後のロンドン公演に重点が置かれすぎてるところに少し不満がある。
まあでも全体的にはスターの道を進む上で受けたんですかプレッシャーや子供たちへの思いとかがよく描写されていて良かった。
ジュディのように、死して尚、愛され続ける人でありたい。
鳥肌が…止まらない!
レネージェルヴィガーさんの歌声が、私の体をゾワゾワさせてくれました(//∇//)
彼女と言えば、私は『シカゴ』のイメージが強かったのですが、この映画で新たな彼女のイメージが湧き上がった感じ!
やっぱり、どん底の人生を歩む、女性を演じるのが上手い人です。
底辺から、のし上がろうとがむしゃらに生きる、女性の強さと、脆さを演じられるのは彼女しかいない!
オズの魔法使いの時の彼女は、大人の言うことを聞いて必死に生きる女の子。
歌がうまいという理由で、主役を得た彼女でしたが、そのレッスンは過酷な日々…。
食べる時間も娯楽も何もなく、ひたすら演技とダンスの練習漬けに、心身ともに疲れてしまうのでした。
あまりの疲労に眠れなくなってしまい、睡眠薬を服用するようになった彼女は、大人になってもその習慣を変えられず、芸能界で多忙や日々。
いつしかうつ病になり、食べ物も満足に食べなくなり、酒浸りの生活を送るようになる…そんな大人のジュディの姿がとても哀れでした。
人気も下火になって借金ばかり抱えるようになった彼女でしたが、ロンドンでのステージが、彼女の心に昔の歌声を呼び戻してくれます。
前半では言い訳ばかりして全然歌ってくれないので、もしかして彼女もう声が出ないのか?
と不安にさらされますが、歌声を聞いた途端、そんな疑惑の想いは一瞬にして吹っ飛んでいきました。
ジュディを完璧に演じた、レネージェルヴィガーさんの歌声は、瓜二つと言えるほどに、そっくり!
そのエネルギッシュな歌声は、聞く人の心を鷲掴みにしてくれます。
やはり、天才というのは生まれ持っての天性があるのだと感じた瞬間でした。
そして最後に、ずっと待っていた「虹の彼方に」が、ラストでいよいよ歌われます!
ずっとお預けをさせられていた気分の私としては、「待ってました」と言いたくなる瞬間でした。
✨✨最高の歌声✨✨
あの歌声は、一生忘れられないかもせれません。オズの魔法使いをもう一度観たくなる素敵なラストでした。
最後の最後に、最高のご褒美をもらったかのような気持ち。
精神不安定な彼女が一体どんな気持ちでこの歌を歌っていたのか?
考えるととても複雑な気持ちになるけれど、彼女の歌声がたくさんの人々の心に響いたことだけは確か。
沢山愛するよりも、沢山の人にどれだけ愛されたかの方が大事だと語っていたジュディさん。
最後のステージを観たら、彼女がたくさんの人に愛される、素晴らしい人だったことが見えてきました。
47歳という短命な人生に、どんなドラマがあったのか?
色々と考えさせられる、感動的なラストでした。
素敵な映画をありがとうございました(^^)
鳥籠に閉じ込められた小さな青い鳥
GAGA 青山シアター様のオンライン試写会にて鑑賞させて頂きました。
レネーゼルウィガーの演技は 、まるで触れたら花びらが崩れ落ちてしまう薔薇のように繊細 。
しかし 、ジュディの歌い方やマイクを持つシルエット、黒い闇のように深い瞳など細部に渡り伝わってくる力強さに鳥肌が止まらない 。
クイーンの「ボヘミン・ラプソディ」のような歴史を辿る内容ではなく 、彼女の最期を目前にした日々を描く本作の内容は 、ネタバレなどを怖がらず事前に彼女の人生を知っておくべきだろう 。
ジュディが子役時代から痩せ薬として飲まされていたのは今では覚醒剤として扱われているほど 、強力なものだった 。
薬を飲み 、仕事をし 、眠れないがために睡眠薬を飲まされる 。
その負のループに掛かってしまったジュディ・ガーランドはまさに『ハリウッドに殺された』そう言える 。
映画のラストシーンが終わっても 、彼女への涙が止まることはなく どうしようもない喪失感に苛まれる 。
しかし 、フレディ・マーキュリーと同様にジュディ・ガーランド彼女のパフォーマンスを目の前にすることができる映画ならではの魔法を 、ぜひ劇場で体験してほしい 。
苦しみばかりが目に入ってしまうかもしれない 。
しかし 、精神的にも肉体的にも想像を絶するほどの状況に最高のパフォーマンスをし続けた彼女の偉大さを描いている 。
鳥籠に閉じ込められた小さな青い鳥は 、羽を自由に伸ばすことさえ禁じられ その美しくも儚い歌声を1人で奏で続けた 。
華やかで色鮮やかなショーの世界 、
1人で過ごすブルーの世界
彼女の本当の世界はどこなのだろう 。
彼女を忘れることなど 、この世界にはできない 。
ハリウッドの禊ぎ映画。今、語られるべき人物
主演女優賞も納得!
聴く者の心を揺さぶる圧巻のステージ。
魂の歌に涙が止まりませんでした。
なぜこんなにも歌姫には不幸が似合うのか。
マリア・カラスにしても、エディット・ピアフにしても、美空ひばりにしても。
何千人もの愛を一身に受けながら、一つの愛が得られないなんて、まるで悪魔と取引したとしか思えない。
愛する喜び、失う悲しみ。
皮肉にも、彼女の人生そのものが魂の叫びとなって、更に彼女の歌を研ぎ澄ましていき、聴く者を熱狂させる。
昔から実在のアーティストの生涯を描く映画には秀作が多いですが、最近の『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』も素晴らしかった。
それぞれ語られるテーマは違いますが、みんな愛を渇望し、孤独感に苛まれている。
彼らを苦しめるショウビズ界の落とし穴はあまりにも似ていて、もはや愛をくれる理解者が現れるとフラグにしか思えない程ですww
でも、その中で『ジュディ』と他の2作との違いは、子供の頃に悪魔に出会ってしまったところ。
国道の十字路ではなく、児童虐待がはびこる黄色のレンガ道で。
アカデミー賞前夜祭イベントに参加したのですが、有村昆さん、伊藤さとりさん、藤井ペイジさんから貴重なお話が聞けて感動しました。
ジュディ・ガーランドは、ハリウッドが見つけ、ハリウッドが育て、ハリウッドが殺した才能。
公式サイトにも書かれてあるように、ドラッグやハラスメントにまみれた古いハリウッドの犠牲者に他ならない。
『スタア誕生』の演技にオスカーを渡さなかったハリウッドが、彼女の魂を蘇らせたレネー・ゼルウィガーにオスカーを渡す事で天国のジュディの才能を認めて名誉を挽回し、自らも罪を認めて新しいハリウッドに生まれ変わる誓いを立てた。
LGBTパレードのレインボーフラッグもジュディに関連していたと知り、まさに今の時代に語られるべき人物、観るべき映画だと感じました。
そんな期待値MAXで鑑賞したにも関わらず、期待を超える感動でした!!
ジュディが乗り移ったかのようなレネーの演技には説得力があり、普通の幸せを求めつつも現実世界には居場所が無く、ステージ上でしか生きられない女優の性が圧巻でした。
何もかも無くし、身も心もボロボロになっても、体がステップを覚えていることが哀れでなりません。
スポットライトを浴びている時にだけ観客から注がれる愛。
そのひとときだけでもジュディは愛で満たされていたと思いたい。
ジュディの経験、そこから世界に届く希望の歌。
作品、音楽共に良かったです
ANA機内で日本での上映開始に先立ち観ました。ジュディガーランドについてほとんど知識がありませんでしたが、彼女の魅力が伝わってくる作品でした。主演はもちろん、それ以外の脇役陣の演技も素晴らしいですし、バックバンドをバックに歌う音楽のレベルも素晴らしか良かったです。最近のアーティスト実話者の中では秀逸な出来だと思います。
平凡な幸せ
圧巻の「虹の彼方に」☆
子役時代から業界で生きてきたジュディは、エンタメという檻の中に閉じ込められた鳥のように見えた。そこでしか生きられない彼女にとってステージは天国であり地獄でもあり、「ここではないどこか」を思い描きながら歌う「虹の彼方に」の歌詞がこんなに切なく聴こえたことはない。。人は「希望」を頼りに1歩1歩前へ進み、その過程こそが素晴らしいと。。
ステージに立つジュディは孤独で、常に歌や愛情や才能を誰かに与え続けることでのみ自分が愛される価値があるように感じていたのかもだけど、歌えなかった彼女を救った「歌声」は、彼女が愛された証。
「ジュディ・ガーランド」という一人の往年俳優の生涯だけでなく、レネー・ゼルウィガーの人生をも垣間見れた気がした。
ジュディの事を事前に知る必要が
一ツ橋ホールにて試写会鑑賞。
映画作品としてレビューをするのであれば、事前にジュディ・ガーランドという人物を知った上で鑑賞する必要があるように感じた。
恥ずかしながらアラサーの自分にとっては彼女の事を殆ど知らずに拝見した為、この作品では既に壊れてしまった彼女が終始描かれているため中々彼女の行動、言動にある程度理解はできても、その先の共感が生まれない。
所々で子役時代の苦い思い出が回想シーンとして描かれる為、ある程度は想像で彼女の苦しみを理解はできるが、それでもやはり本当の苦しみというのは理解はできていないと思う。
そのためどうしてもこの作品では壊れた彼女の行動言動が主として描かれているため、最後まで共感することはできなかった。
例えばロンドン公演でのMG、ピアニスト、ミッキーや元夫。今作で登場するジュディの周囲の人物は皆悪い人に描かれてるようには思えなかった。(あくまで作品内ではだが)
しかしジュディは既に人間不信になっているのであろう。全てを否定的に捉え彼らの存在を否定してしまう。
この辺りが終始描かれているためやはり彼女の壊れる前の事を知らないと中々彼女の気持ちを十分に理解する事はできなかった。
それでも今作内でもジュディの幸せな姿を見る事はできた。
子供達と過ごしている時はもちろんのこと、同性愛カップルのファンの自宅に行った時、最後の虹の彼方をお客さんが歌った時。彼女にとって日常的な自然な愛を周囲から与えられた時とても幸せそうな顔をしていた。
芸能界という派手な世界には僕ら一般人には理解できないほど素晴らしい生活や経験が待っているのは確かだ。
ただそれが本当の幸せなのかは人によって違うのであろう。芸能界に限らず一度スポットライトを浴びてしまうとそこから中々抜け出す事ができないことはある。
抜け出す事を時に周りは逃げたと捉え否定されるかもしれない。
ただ彼女を見てると時には逃げることも大切なんだと思った。
たった一度の人生。周囲の評価や目ももちろん大切だが時には今の環境から逃げて自分を客観的に見ることも大切なのであろう。
しかし彼女の場合、歌う事を、自分の歌でお客さんを笑顔にする事が幸せだったから中々環境を変えられなかったのであろう。
ジュディ・ガーランドという人生のほんの一部を体験できてとても良かった。
レニーが素晴らしい。
「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007年)でマリオン・コティヤールがオスカー。実在の歌手の伝記としては最低ノミネートはゲットできるジャンル。ミュージカル「シカゴ」(2003年)で歌唱の実績もあるレニー・ゼルウィガーが、歌唱も含めジュディ・ガーランドの晩年を演じるという<美味しい役どころ>を見事にこなして、オスカー候補。力演なのは認めざるをえない。お笑いコンビのローレル&ハーディの晩年を描いた「僕たちのラストステージ」(2018年)も良作だったが、共通しているのは渡英。ハリウッドの大スターだったアーティストが落ちぶれると<英国興行=ドサ回り>するという印象が強いことだ。そういうものなのかな。
自伝を書けない悲しさだけ……
ルイス・バート・メイヤーとジュディ・ガーランドのやり取りから映画の幕が開く。
こんなことを口に出せば自分自身どうかと思うが、彼女ジュディ・ガーランドの事を亡くなってから多くの伝記作家が取材の対象にした人。当然のこととして、彼女の周りの親族や元夫や映画・音楽関係者はもちろんのこと事務所の方たちからも聞き取りはされたが、それを拒む人が多い場合、その作家たちは、どうするかというと対象の相手の負の部分だけを誇張し、面白おかしく書き立てる。
こんなこと今更と思えるが、昔、映画会社MGMのミュージカル映画の敏腕プロデューサーで数多くの音楽作品、例えば”雨で歌えば”などの製作で知られるアーサー・フリードという人。この人、映画「オズの魔法使い」で当初は、シャーリー・テンプルが演じる予定であったけれどもジュディ・ガーランドが抜擢された表向きの理由は、映画会社MGMとFOX社との契約のもつれとなっているが、実際はアーサー・フリードが、通称: 'adventuresome casting couch'でもって、当時11歳であったシャーリー・テンプルの前でおち〇ちんを露出したことが原因となっている。そのことは1988年に出版されたシャーリー・テンプルの自伝”Child Star”の中で記述されているので世間には公開されているが、彼の死後13年が経ってから出版されているのは何故か? つまり彼女は彼の死を待ってから発表している。
主演のレニー・ゼルウィガー。1968年当時の記録映画や”Tonight Show”などのトークショーなどから、お勉強されたかもしれないけれど誇張しすぎるているし、背中をのけぞる姿は、どうしてもいただけない。
ある人が、こんなことを言っていた記事が目に留まる。
”なぜ女性を安らかに眠らせるための品性を持っていなかったのか疑問に思う。”
.....と
BBCが作った映画なんて、ダイヤをきれいに思えない者からすれば”ただのゴミ”
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