ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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圧巻の「虹の彼方に」☆
子役時代から業界で生きてきたジュディは、エンタメという檻の中に閉じ込められた鳥のように見えた。そこでしか生きられない彼女にとってステージは天国であり地獄でもあり、「ここではないどこか」を思い描きながら歌う「虹の彼方に」の歌詞がこんなに切なく聴こえたことはない。。人は「希望」を頼りに1歩1歩前へ進み、その過程こそが素晴らしいと。。
ステージに立つジュディは孤独で、常に歌や愛情や才能を誰かに与え続けることでのみ自分が愛される価値があるように感じていたのかもだけど、歌えなかった彼女を救った「歌声」は、彼女が愛された証。
「ジュディ・ガーランド」という一人の往年俳優の生涯だけでなく、レネー・ゼルウィガーの人生をも垣間見れた気がした。
ジュディの事を事前に知る必要が
一ツ橋ホールにて試写会鑑賞。
映画作品としてレビューをするのであれば、事前にジュディ・ガーランドという人物を知った上で鑑賞する必要があるように感じた。
恥ずかしながらアラサーの自分にとっては彼女の事を殆ど知らずに拝見した為、この作品では既に壊れてしまった彼女が終始描かれているため中々彼女の行動、言動にある程度理解はできても、その先の共感が生まれない。
所々で子役時代の苦い思い出が回想シーンとして描かれる為、ある程度は想像で彼女の苦しみを理解はできるが、それでもやはり本当の苦しみというのは理解はできていないと思う。
そのためどうしてもこの作品では壊れた彼女の行動言動が主として描かれているため、最後まで共感することはできなかった。
例えばロンドン公演でのMG、ピアニスト、ミッキーや元夫。今作で登場するジュディの周囲の人物は皆悪い人に描かれてるようには思えなかった。(あくまで作品内ではだが)
しかしジュディは既に人間不信になっているのであろう。全てを否定的に捉え彼らの存在を否定してしまう。
この辺りが終始描かれているためやはり彼女の壊れる前の事を知らないと中々彼女の気持ちを十分に理解する事はできなかった。
それでも今作内でもジュディの幸せな姿を見る事はできた。
子供達と過ごしている時はもちろんのこと、同性愛カップルのファンの自宅に行った時、最後の虹の彼方をお客さんが歌った時。彼女にとって日常的な自然な愛を周囲から与えられた時とても幸せそうな顔をしていた。
芸能界という派手な世界には僕ら一般人には理解できないほど素晴らしい生活や経験が待っているのは確かだ。
ただそれが本当の幸せなのかは人によって違うのであろう。芸能界に限らず一度スポットライトを浴びてしまうとそこから中々抜け出す事ができないことはある。
抜け出す事を時に周りは逃げたと捉え否定されるかもしれない。
ただ彼女を見てると時には逃げることも大切なんだと思った。
たった一度の人生。周囲の評価や目ももちろん大切だが時には今の環境から逃げて自分を客観的に見ることも大切なのであろう。
しかし彼女の場合、歌う事を、自分の歌でお客さんを笑顔にする事が幸せだったから中々環境を変えられなかったのであろう。
ジュディ・ガーランドという人生のほんの一部を体験できてとても良かった。
レニーが素晴らしい。
「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007年)でマリオン・コティヤールがオスカー。実在の歌手の伝記としては最低ノミネートはゲットできるジャンル。ミュージカル「シカゴ」(2003年)で歌唱の実績もあるレニー・ゼルウィガーが、歌唱も含めジュディ・ガーランドの晩年を演じるという<美味しい役どころ>を見事にこなして、オスカー候補。力演なのは認めざるをえない。お笑いコンビのローレル&ハーディの晩年を描いた「僕たちのラストステージ」(2018年)も良作だったが、共通しているのは渡英。ハリウッドの大スターだったアーティストが落ちぶれると<英国興行=ドサ回り>するという印象が強いことだ。そういうものなのかな。
自伝を書けない悲しさだけ……
ルイス・バート・メイヤーとジュディ・ガーランドのやり取りから映画の幕が開く。
こんなことを口に出せば自分自身どうかと思うが、彼女ジュディ・ガーランドの事を亡くなってから多くの伝記作家が取材の対象にした人。当然のこととして、彼女の周りの親族や元夫や映画・音楽関係者はもちろんのこと事務所の方たちからも聞き取りはされたが、それを拒む人が多い場合、その作家たちは、どうするかというと対象の相手の負の部分だけを誇張し、面白おかしく書き立てる。
こんなこと今更と思えるが、昔、映画会社MGMのミュージカル映画の敏腕プロデューサーで数多くの音楽作品、例えば”雨で歌えば”などの製作で知られるアーサー・フリードという人。この人、映画「オズの魔法使い」で当初は、シャーリー・テンプルが演じる予定であったけれどもジュディ・ガーランドが抜擢された表向きの理由は、映画会社MGMとFOX社との契約のもつれとなっているが、実際はアーサー・フリードが、通称: 'adventuresome casting couch'でもって、当時11歳であったシャーリー・テンプルの前でおち〇ちんを露出したことが原因となっている。そのことは1988年に出版されたシャーリー・テンプルの自伝”Child Star”の中で記述されているので世間には公開されているが、彼の死後13年が経ってから出版されているのは何故か? つまり彼女は彼の死を待ってから発表している。
主演のレニー・ゼルウィガー。1968年当時の記録映画や”Tonight Show”などのトークショーなどから、お勉強されたかもしれないけれど誇張しすぎるているし、背中をのけぞる姿は、どうしてもいただけない。
ある人が、こんなことを言っていた記事が目に留まる。
”なぜ女性を安らかに眠らせるための品性を持っていなかったのか疑問に思う。”
.....と
BBCが作った映画なんて、ダイヤをきれいに思えない者からすれば”ただのゴミ”
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