サスペリア : 映画評論・批評
2019年1月22日更新
2019年1月25日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
オリジナルを大きく越境したそれは、新たな“魔”の寓話を奏でる
「に、2時間32分とな——!?」 商業ホラーの適性を欠く途方もない上映時間に、リメイクの是非を飛び越えて驚きが先走る今回の「サスペリア」。だが実際に観てみれば、オリジナルを1時間近くも超過して当然の内容だと納得せざるをえない。
「ドイツの舞踏アカデミーを訪れたヒロインが、そこに巣食う魔女と恐ろしい遭遇をする」という主筋は、鬼匠ダリオ・アルジェントが手がけた1977年のオリジナル版と同じ骨格だ。だが「君の名前で僕を呼んで」(17)のルカ・グァダニーノ監督は、魔女の存在に極左過激派組織、あるいはホロコーストなど暴力の遺産を抱えたドイツ近代史のサブテキストを肉付けすることで、映画に不穏な迫真性と衒学的なコクを出している。そして、こうした要素のトルネード式な流動を勢いとし、映画は77年度版の「その先」へと踏み込みんでいるのだ。
加えてバレエ学校を舞台にしながら、舞踏のパフォーマンスにまで手を回さなかった77年版を挑発するかのように、前衛ダンスを恐怖を創出するための導管として機能させ、設定の整合とモダンアートのごとき視覚的な格調高さを本作にもたらしている。なので鑑賞前は奇異に感じた「LOVEマシーン」時代のモー娘。のフォーメーションみたいなキービジュアルも腑に落ちる。
またネタバレに相当するので言明は避けるが、クライマックスでは77年版だけにとどまらず「インフェルノ」(80)や「サスペリア・テルザ 最後の魔女」(07)といったダリオの【魔女三部作】(ひいては基盤となったド・クインシーの著書)からも創造の接ぎ木を拝借し、その出典の幅広さも本作の長尺化に拍車をかけている。かと思えば先代ヒロインのジェシカ・ハーパーよろしく、エロティックに浮き出たダコタ・ジョンソンの乳首も「そんなとこ踏襲するのか」と妙な感心を誘わずにおれない。
もとい、こうして今回の「サスペリア」は「サスペリア」であることを越境し、ルカのオリジナリティとの接合によって“魔”の役割は変質。人間の業や罪といった成分と共振して独自のヒューマンなハーモニーを奏でるのだ。その荘厳な音色を耳にすると、77年版と本作の異同に一喜一憂するのが、なんだか小さすぎて恥ずかしいことのように思えてくる。なにが乳首だよ。
「ジャーロ映画の古典もインテリがイジるとこうなるんだ、へぇ」と斜に構えるには、その創意はあまりにも挑発的で刺激に満ちている。心してかかるがいい。
(尾﨑一男)