旅のおわり世界のはじまり : インタビュー
前田敦子の結婚を予言していた!? 黒沢清監督「旅のおわり世界のはじまり」での不思議なシンクロ
黒沢清監督が前田敦子を主演に据え、オリジナル脚本で全編ウズベキスタンロケを敢行した最新作「旅のおわり世界のはじまり」が公開する。日本とは何もかもが違う異国の地で、頑なに心を閉ざしていたヒロインが、様々な出来事や出会いにより覚醒し、変化していく姿をシンプルに美しく捉えた物語だ。主人公たった一人を追いかけるという、これまでの作品にはなかった視点で「初心に戻ったような気持ちで撮り続けた」という黒沢監督と、今作撮影直後に結婚、出産という私生活の転機を迎えた前田が、ウズベキスタンでの日々を振り返った。(取材・文/編集部、写真/松蔭浩之)
主人公はバラエティ番組のレポーターを務める葉子。クルーの前では、無謀な体当たり取材でも笑顔を絶やさずプロに徹するが、OKが出た途端に素の表情に戻る。スタッフとも、現地の人々とも自ら交流しようとはせず、心を開くのは東京にいる恋人とスマホでやり取りする瞬間だけだったが……映画のカメラはテレビ番組のフレームから出た後の葉子を追いかけ、ある種の覗き見的な視点も交えながら、異国の地で葉子に起こる出来事や変化を追っていく。
黒沢監督は「自分で何かを狙ってこの企画をスタートさせたわけではなく、いくつかの偶然が重なって、ウズベキスタンで撮ることになりました。主人公たった一人を追いかけていく物語は、以前からやってみたいと思っていたことです。見知らぬ土地はどこも新鮮で、何を撮っても面白く、初心に戻ったような気持ちで撮り続けていました。どんなことも楽しかったというのが素直な気持ちです」と振り返る。
「しかし、出来上がりに関してはあまり予想できませんでした。すごい絶景だと思っても、それがどう映るのか。東京だとある程度想像がつくのですが、この広い湖は、一体どう映っているんだろう……などそういった想像がつかない現場でした」と告白するが、異国の絶景だけでなく、廃墟的風景、光や風や音の扱い方など黒沢作品のファンにはたまらない“らしさ”も溢れている。そして、「ただ、前田さんを撮っている限り、何が起こっても大丈夫だという自信はありました。途中からどんどん、僕自身が楽になっていったんです」と、主演が前田であったからこそ成立した作品だということを強調する。
少女のような面影を残すヒロインに何が起こるのか? 見る者を引き込む導入部から圧巻のラストシーンまで、ウズベキスタンが誇る景勝地をはじめ、日本とは異なる人々の生活の場、薄暗い路地裏など、力強い背景の画に負けない存在感を焼き付けた前田。「来るまで何もわからなかったウズベキスタンで、黒沢さんでないと映らないものが映っていると思いました。本当に旅をしているように撮影をして、それがそのまま映し出されていて、いろんな思いが詰まっている作品です」と目を細めながら現地での思い出を語る。
黒沢監督の作品での主演は2014年公開の「Seventh Code」以来。女優としての前田がスクリーンで発揮する存在感をいち早く見抜いていた黒沢監督は、その稀有な才能を手放しで絶賛する。「これだけいろんなシチュエーションで演技をしてもらったのは今回初めてだったのですが、本当に彼女はあきれるほど上手い。どういうきっかけで女優を目指したのか僕はわかりませんが、本当に女優になってくれてよかった。女優に全然興味がないといわれたら、日本の映画界の大損失だった。あらゆるシーンで、この人はほんとに上手いな……という感覚をたっぷり味わいました」
劇中では前田が名曲「愛の讃歌」を、終戦後旧ソ連の日本人抑留者が建設を手掛けたナボイ劇場と、標高2443メートルの山の頂上で歌い上げる。ウズベキスタンでの撮影が決まった際に、ナボイ劇場を作品に登場させてほしいというオーダーを受けたことから、葉子が歌手を目指しているという設定を着想した。「ふと主人公が幻想のように、劇場で歌うという設定を考えました。どの歌にしようかと考えて、いろいろな条件がありましたが、僕が好きだった『愛の讃歌』が使える、となったときにナボイ劇場だけではなく、もっと全然ちがう場所でも歌って欲しかったのです。その時点で、葉子役は前田さんでと思っていました。プロの歌手ですから、(歌唱シーンは)お手のものだろうと思っていましたが、プロだからこそ大変だったんでしょうね」
誰もが知る名曲にアカペラで挑んだ前田。演技のみならず、歌唱の準備にも時間をかけたそう。「歌に関しては久しぶりに全力を尽くした感じがしました。アカペラって、どんなに上手い方でも構えると思います。とてもいい経験でしたが、もう同じことはできないと思います……(笑)」と正直に吐露する。
今作はひとりの女性の成長を描くと共に、“愛”もテーマにした映画だ。主人公の年齢、そして恋人の名前が、後に結婚する夫の名前と同じだったなど、自身の私生活とリンクする設定や描写が多かったと前田は明かす。「監督が私の未来を書いてくれているんじゃないか……脚本にそんな言葉がたくさんあって、撮影中は不思議な気持ちでした。『帰ったら、結婚したい相手がいるんです!』なんて、あれ?? って(笑)。この脚本に、私の人生がはまっていった感じ。不思議なシンクロです。こんな風にお芝居するのもどうかとは思うのですが、葉子の気持ちに置き換えやすかったです。私自身もリアルにそういった気持ちを抱いていた時期だったので」
そんな前田のコメントを受けた黒沢監督は、「本当に、全く知らなかったんです。撮影が終わって日本に帰ってからワイドショーを見て、ええっ! と、びっくり仰天でした。当時はそんな(前田の私生活)ことを気にする余裕もなく、図らずもそういった設定を書いていたのです」と驚きを隠せない様子で説明する。
この取材日が、出産後初の仕事となった前田。「この映画を撮影している時は、自分の人生がこんなに大きく変わるとは思っていませんでした。本当にこれを機に一気に変わって、私自身が一番驚いています。自分にとって大事な時期を黒沢さんに撮ってもらったなと思います」と充実した笑顔を見せる。ひとりの女性の人生の過渡期をも切り取った今作、ラストカットを見届ける私たち観客の誰もが、女優・前田敦子の記念碑のような1作になったと感じることだろう。