スターリンの葬送狂騒曲のレビュー・感想・評価
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ソ連の独裁者スターリンのことは知っていても、その死後に起きた権力争...
ソ連の独裁者スターリンのことは知っていても、その死後に起きた権力争いのことは詳しくないので、映画を観てから調べてみた。決して史実通りではないが、大方こんな感じであったことは確かなようだ。
製作側も決して史実の完全再現を目指していないことは、役者たちの見た目を現実の人物に寄せようとしていないことからも明らかだと思う。史実をもとにした風刺的なブラックコメディという点では、ジョージ・オーウェルがロシア革命以降のソ連の姿を動物が主人公の童話として戯画化した『動物農場』の試みにも似ている。
とはいえ現実の政局や権力争いはバカげたコントでは収まらないし、スティーヴ・ブシェーミみたいに分かりやすく小悪党なルックスでもない。しかし一歩引いてみればバカげていることは変わらないので、政治に嫌気がさした時にこの映画のロクでもないキャラたちを当てはめてみると、少し冷静な視点を取り戻せるような気がする。
笑いの後に襲い来る、ヒヤリとした恐怖
本作をめぐり生じるのは二つの感情だ。一つは目の前で起こるドタバタ劇に対するバカバカしさ。そしてもう一つはそれが史実に基づいているという恐怖だ。この両極端の感情が二枚貝のように共存することで、本作の怪物性は鮮烈に解き放たれていく。
ブシェミの妙演にふっと笑みがこぼれ、彼は決して非情になりきれるはずはないと心のどこかで線を引いてしまう自分がいる。しかし彼もまた歴史上の有名人であり、そんなコミカルな表情だけで乗り切れる問題でもない。歴史は小説よりも奇なりと言われるが、スターリン死後の権力闘争はまさにその言葉が相応しいどころか、言葉の意味さえも飛び越えるナンセンスな混沌がそこには存在する。
イアヌッチ監督は過去にも政治コメディで絶賛されてきた人。皮肉なのは、世界における現実の政治ショーが、今や破竹の勢いで本作のナンセンスぶりを凌駕しつつあること。コメディならば早くこの夢、覚めてほしいものだ。
笑える、けど笑ってイイのか?
この映画はブラック・ユーモアに溢れている。あまりにブラック過ぎて、コーエン兄弟の映画を観ているのかと思った。ブシェミも出てるし。
序盤のラジオ・コンサートと深夜の夕食会が交錯するシーンが全てを物語っていると言って良いだろう。
腹相撲(?)に興じるフルシチョフとベリヤ。スターリンの電話一本に翻弄される国民たち。
一方は多分シベリア送り、もう一方はコンサートの再録。両方を描くことでコミカルさが強調されているのがいい。
「スターリン・ノック」が横行する深夜のモスクワは、笑っちゃうくらいどんどん人が死ぬ。笑っちゃう、のだが笑ってはいけないような気持ちになる。何たってこれが歴史の事実なのだから。
孤独で、猜疑心に満ちたスターリンの死はだいたい史実通りだ。晩年のスターリンは暗殺を恐れ、どの部屋で眠るのかさえ直前に決めるほどの念のいれようだったらしい。
スターリンの大粛清を一番恐れていたのはスターリン自身だったのかもしれない。
彼の死後、覇権を賭けたサバイバル椅子取りゲームが始まるのだが、これまたルール無用の壮絶なバトルロイヤルだ。
昨日通用した処世術は、今日の生き残りに何の役にも立たない。さっきは権力の中枢にいても、すぐに滑り落ちる。滑稽にすら思えてついつい笑ってしまうけど、本当に不謹慎。
とにかく皆自分のことしか眼中になく、潔いまでの日和見を繰り出すのだから仕方ない。
この映画を観るのに、大して知識は要らない。スターリンが独裁者であること、気に入らなければ「人民の敵」として粛清されてしまうこと、そしてそれが確かに歴史上存在したことさえ解っていれば充分だ。
ボスへのおべっかなんて、平和ボケした日本にだってある。違いは死ぬか死なないか。それだけ。
歴史の教科書によく出てきた風刺漫画、あるじゃない?あれの映画版だと思うとちょうどいい。
思いっきり誇張して、純粋な事実とは言えないかもしれないが、これを笑って観られる現代は幸せだ。
ベリヤとフルシチョフの立場がだんだんと入れ替わっていく辺り、最高に興味深い。あまり有能すぎるのも考えものなのかもしれない。
狙われないためには凡庸な方が良い、とはなんて皮肉!
歴史は繰り返す、という。こんな歴史が繰り返されることの無いよう、というメッセージだけはちゃんと頭に入れておかないとね。
ロシア語でやってもらいたかった
ブラックコメディーとして見ることが出来るので、まぁ良いと許せる。
しかし、ロシア語でやってもらいたかった。英語で汚い言葉はロシア人とはどうしても思えない。
全体主義国家とは、一部の人達だけが特権を持って、自由に振る舞える国家では無く、一人の人だけが独裁して振る舞い、その周りに人が集まり、運命を共同するが、反面、その中で秘密裏に裏切りがある。そういった国家だと思う。
怖いのに笑ってしまう
ロシア人には拒否されたらしい、ブラックコメディ。
人を人とも思わない独裁者の支配下の国のドタバタ劇場。
怖い。でも笑える。笑ってる自分が怖い。
笑い事じゃないし。
独裁者がいなくなった後にはこういうことがあるのか。
今プーチンがいなくなったら…何が起こるんだろう。
冒頭のスターリンの恐怖政治。今のプーチン政権も基本同じ感じなんでし...
冒頭のスターリンの恐怖政治。今のプーチン政権も基本同じ感じなんでしょうね。リストに載れば粛正です。
そしてスターリンは死に、熾烈で姑息な後継争いです。おそらく今のプーチン政権が崩壊した後も同じかと。勝った者が次の独裁者に。中国や北朝鮮も同じでしょうが、ずっとそんな世界で育った者には民主主義など思い浮かぶものではないのです。
このブラックコメディ、今まさに見るべき、そしてロシア🇷🇺の人々に見てもらいたい作品。
もちろん、ロシア、ベラルーシなどでは上映禁止だそうです。
スターリンってロシアの人
知識それぐらいで鑑賞。
聞き慣れない名前や組織出てきて後で調べて、わかるって感じでした。
勉強にはなったけど、映画としては…。
コメディとはあったけども…。
オルガ・キュリレンコ出てたのに気付きませんでした。
イギリスが描いたソビエトの混乱期
モスクワではスターリンの粛清が行われていたが、スターリンが重体になった。スターリンの娘と息子が呼ばれモスクワが封鎖された。スターリンは一端意識が戻ったが死亡した。スティーブブシェミ扮するフルシチョフは、葬儀委員長に任ぜられた。そして幹部は割れた。なかなか理解するには難しかったが、やっぱりソビエトは恐ろしい国だったが、イギリス映画として良く作ったものだ。
あまりにイギリス的
粛清リストへのスターリンの対応から、フルシチョフら党委員の幹部らの動きまで、細部にこだわり笑いを大切にしている、ものの、あまりにシニカルで、舞台をモスクワにとっているだけで、随所に旧態依然とした体制への、批判とおぼしきものが感じ取られて、単純に笑うまではいかず、また英語がコ難しくて、難しい内容だった。
しかし、よく、ロシアがモスクワでの撮影に許可を出したなと感じるストレートなスターリン、それに続くフルシチョフらの書記長批判で、一見の価値あり。笑うところまでは行けませんが、、
スターリンが死んでにわかに側近たちの権力争いが始まる。その姿を滑稽...
スターリンが死んでにわかに側近たちの権力争いが始まる。その姿を滑稽なブラックユーモアに描いていくのかと思いきや。滑稽だけど笑えない。けど面白かった。歴史はこういう風に幾度となく塗り替えられてきたんだろうなー
権力に取り憑かれた者たちの愚かで醜い抗争を風刺したブラックコメディ
1953年の3月5日、ソ連の最高権力者ヨシフ・スターリンの死去に伴い起こった共産党内部の権力闘争を辛辣なブッラク・ユーモアで社会批評したコメディ映画。対立するのは、秘密警察を配下にする内務人民委員部の最高責任者ラヴレンチー・べリヤとモスクワ党委員会第一書記のニキータ・フルシチョフ。ベリヤはスターリンの恐怖政治を支え、多くの粛清を実行していた中心人物と見做されている。スターリンの補佐役ゲオルギー・マレンコフは書記長代理となり当初ベリヤと組むが、国家反逆罪でベリヤの失脚を狙うフルシチョフの圧力に屈して、最後は軍の最高司令官ゲオルギー・ジューコフのクーデターで決着する。少女への性的暴行、反ソビエト行為のスパイ容疑などの罪状で裁判は即決、同年の12月23日にベリヤが処刑されまでの約9か月の党内抗争が描かれる。そこにあるのは、権力の魔物に取り憑かれた人間の愚かさであり、欺瞞と策略の果ての醜い人間の姿が浮き彫りになる。その奔流を場面展開で畳み掛けた、澱みないドタバタ劇の面白さ。
独裁者スターリンは、中国の毛沢東と同じく自国の国民を大量殺戮した歴史に残る悪人だが、ドイツのヒトラーほど映画では扱われない。社会主義国に表現の自由がないことを思い知るが、何故か一般常識でも特に取り上げる事がない。その意味で、このフランス人の原作のイギリス映画の大胆にして勇気ある制作は一定の評価をしなければならない。興味深いのは、そんな独裁者を放置したソビエト連邦崩壊後のロシアが、政治経済停滞の国力低下からスターリンを再評価していて、この作品を上映禁止にしていることだ。確かに、スターリンの死に関してだけでも、暗殺、謀殺、偶発的毒殺、そして見殺し説と、脳卒中の病死以外にも様々な憶測がなされ、生き残りの証言も多岐渡り真実がどこにあるのか判らない。故にこれはその不確実な歴史に対する、あくまで一つの推測に過ぎない。ソ連の歴史自体の曖昧さに社会主義体制の闇がある。はっきりしているのは、そんなソ連時代に制作された優れた映画の伝統は、残念ながら今のロシアには残っていないようである。
戦時中のプロパガンダのような映画
ただのフィクションのコメディ映画だとすれは面白い。しかしこれは史実が基となっていると言う形をとっている。西側の国が東側に悪い印象を植え付けるために作った映画かのようでまるで第二次世界大戦時のプロパガンダ映画を見たような気分になった。
ブラックコメディと呼ぶしかないのだろう。この映画は・・・・
現実と妄想と幻想が変わりばんこに目に飛び込んできた。
独裁者とは滑稽で間抜け者なのだが、体制がシステム化されてしまえば事の良し悪しなど問題ではないのだ。問題なのは行為が美しいか美しくないかなのだ。
しかもその判断が独裁者の被害者意識の高低差で決まってしまう。国民の幸せに繋がるかどうかなど論外で、国家の存在なくして国民などあり得ないのだという妄想に支配された為政者の愚かな考えなのだろう。
チャップリンの描いたヒトラーではないもう一つの喜劇なのだ。
しかし、後味は悪くやるべきことは何か・・・・そんな事すら観たあと、想像するのにはくたびれすぎる映画だった。
タイトルなし
1953年旧ソ連
独裁者スターリンの死により巻き起こった
政権内部の争いを辛辣かつコミカルに描いた
ブラックコメディ
ロシアでは上映禁止となった作品
.
再現ではないが史実を元に描かれている
コミカルながらも
粛清という恐怖
次の権力の座を狙う側近達の攻防策略
よくわからない国の話だけにチョットコワイ
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米国女性副大統領の日常や英国政権内部など
米英両国の閣僚・官僚を描いたドラマや映画等
政治風刺作品を手がけ評価を受けている
アーマンド・イアヌッチ監督
『1930年代から40年代、50年代にかけて当時何百万もの人々が命を落とし姿を消したという事実を決してないがしろにしてはいけない。避けて通ったり、軽いジョークで簡単に片づけられる歴史ではない。このことを念頭に置き、細心の注意を払う必要があった』
これは、ロシア内では上映禁止になるわなというスターリンの取り巻きの滑稽さを上手く描いたブラックコメディ
スターリンの取り巻き(フルシチョフ・ベリヤ・マレンコフ・モロトフ・ミコヤン・ジェーコフ)達のスターリン死後の騙し合い、裏切り、殺し合う姿をブラックジョーク満載で描く。
そして、その光景を冷ややかに見つめるピアニスト、マリア(オルガ・キュルリレンコ)とスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)
スターリンの駄目息子ワシーリーの情けない姿も含めて、過剰なまでに旧ソ連の実際あった狂態を皮肉たっぷりに描き出した作品。
実在の人物たちをほぼ、英国俳優達が演じ、(とりわけ、ジェーコフを演じたジェイソン・アイザック(つい最近、ホテル・ムンバイでも元ロシア軍人を演じていた)などは、もはやロシア人にしか見えず)
更に鑑賞後、各人の人生や人柄を調べたら、大幅な脚色はあれどかなり忠実に描いていた事(特にベリエ:非道さに驚く)に驚愕した作品。
<2018年8月6日 劇場にて鑑賞>
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