未来を乗り換えた男 : 映画評論・批評
2018年12月18日更新
2019年1月12日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
21世紀の最重要テーマを、男と女の苦渋に満ちたロマネスクとして浮き彫りにする
「東ベルリンから来た女」では東西冷戦下の東ドイツで、国家に監視されている女性医師の果敢な抵抗を、「あの日のように抱きしめて」ではホロコーストを生き延びたユダヤ女性の受難を描いたクリスティアン・ペッツォルトの新作は、やはり歴史に翻弄された人々の悲劇に意想外な視点で斬り込んだ野心作である。
「未来を乗り換えた男」がユニークなのは、舞台となるファシズムによって占領されたマルセイユを、そのまま架空の現代に置き換え、祖国を追われた難民という21世紀の現在が抱える最重要なテーマに重ね合わせている点である。
主人公のドイツ人青年ゲオルクは、パリのホテルで自殺した作家ヴァイデルに成りすまし、船でメキシコに亡命しようとマルセイユにやってくる。そこで謎めいた女マリーに出会う。実は彼女はヴァイデルの妻で自分が捨てた夫を探して街をさまよっているのだ。マリーには医師の恋人もいるが、マリーに惹かれたゲオルクは一緒にメキシコへ脱出を図ろうとする。
原題の「トランジット」とは「通過ビザ」の意だが、「亡命途中の一時滞在」といったニュアンスのほうがリアリティが感じられよう。映画は、ペッツォルトには珍しくゲオルクという男の視点で描かれる。だが、時おり挿入されるナレーションは決してゲオルクの内的独白ではなく、最後に至るまで、その語り手の主は誰なのかはわからない。
この特異な語りの手法は、ゲオルクという男のアイデンティティの揺らぎそのものを見る者に絶えず意識させずにはおかない。マリーがゲオルクに「あなた、誰?」と問いかけるのはそのためだ。さらにマリー自身が、街中で夫の幻影を追い求めるかのように、見境なく男に声をかけるシーンは異様に映る。さらにマリーの「捨てられた者と捨てた者、どちらが先に忘れる?」「忘れられた、私の夫に」という科白がひときわ印象に残る。自ら夫を絶縁しておきながら、いっぽうで復縁を迫る手紙を書くという行為の支離滅裂さにもこの女性の抱える癒しがたい愛と苦悩が垣間見えるようだ。
この映画の登場人物は、すべて、たとえば国家といった確固たる共同体に所属意識を持つことができない亡命者である。というよりも、むしろ、絶えず不法滞在によって拘束される恐怖に苛まれる難民にほかならない。このような困難きわまりないテーマを、声高な政治的メッセージではなく、男と女の苦渋に満ちたロマネスクとして浮き彫りにしていることこそが、ペッツォルトという映画作家の最大の魅力なのである。
(高崎俊夫)