生きてるだけで、愛。のレビュー・感想・評価
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趣里の演技力
朝ドラの「ブギウギ」で趣里が好きになり、この作品を観ました。
もう、趣里の演技力に脱帽してしまいました。
鬱病がどんなに辛いのか、どんな気持ちで前へ進んでいるのか、そういったことを考えさせられたし、伝わってくるものがありました。
菅田将暉のように、カメレオン俳優なんじゃないかとも思うようになった。
裸が出てきたのにはびっくりしましたが。
そしてお店の人たち…
あんな優しく迎え入れて、いろんな場面で寛大さも感じるのに。
聞こえてくるあの陰口…
見てる側もなかなかにショックでした。あれがリアルなそれでもあるんかな。
4人で一緒にご飯食べてて、良い感じになっててほっこりしてきてたら、ウォシュレットの話であんな空気に…
演技力や雰囲気作りが本当に凄いとも感じた。
書ききれないけど、見応えのある映画でした。
何の時間だったの
色々兼ね合いがあるんだろうけど、まずポスターが菅田将暉とシュリだけで良かった。ポスターに出てる人たちがもっと深く関わってくるのかと思ってたけど、全然だったし。
鬱だから仕方ないけどほぼ家だけだし。
あんなに衝動的に走る理由もないし、母親の影を追ってるとはいえ、全裸になる必要性も感じなかった。
仲さんの役ももっとコメディっぽくすれば面白みがあったけど、病的にも狂気的にもコメディ的にも中途半端。菅田将暉と仲さんの過去の描写が少しでもあれば、また違ったとは思う。
菅田将暉だし、最後の最後でどんでん返しがあるのかなと期待して観てたけど、特に何も無く。そりゃこんなカップルこうなるだろうなって感じ。
生きづらい中でも懸命に生きている
双極性障害の方と一緒に寝食を共にした事はないから、菅田君が演じる彼の、覚悟を持った上での本当の大変さは体験しないと分からないと思う。でも実際経験したことがないけど、その彼女と彼の感情、葛藤がひしひしと伝わってきて、胸に迫ってきた。本当にこの映画観れて良かった。
自分がもし彼と同じ立場だったら、彼女の予期せず変動する気分の浮き沈みに同じように支え続けてあげられるだろうか。相手が感情剥き出しで、自分にも同じリンクに立って感情吐き出してほしいと願う人に、それでもそっと優しく支えてあげられるだろうか。疲れている時でも出来るだろうか。
世武裕子さんの音楽とエンディング曲「1/5000」も良かった。撮影の写し方、色もとても素晴らしくて良かった。
菅田君が投げたパソコンが窓ガラスを割って落ちて破壊するシーン、趣里さんが走る真っ青なブルーのスカートの綺麗な様、全てを投げ出したくて一枚一枚服を脱いで走るシーン、最後涙流しながら抱き合い踊るシーン。全てがそれぞれの心情を表していて、言葉で繕わなくても伝わってきた。
良かったです。
生き苦しい愛の話
最初は寧子が嫌いでした。自分勝手で周りを振り回して自分には甘えてて、でもそんな自分の事を誰よりも嫌ってるのは寧子自身なんだと思うと胸が苦しく辛くなりました。
途中のカフェバイトのシーンとかバイト先の人はめちゃくちゃ良い人で優しいんだけど鬱などに対する偏見や壁がなんとなく伝わってきて辛い、当人達は悪気はないってのが分かってるからより辛く矛先のわからない憤りや悲しみが自分の中に渦巻くのを感じました。
最後の寧子が全裸になるシーンも良かったです。正直、津奈木って上部だけでしか寧子と付き合ってないのかとおもったんですが最後の「今回は長かったね」にめちゃくちゃ感動した。ずっと見守って、理解して、支えてたんだなぁって。
寧子の「私が生きてて疲れるのと同じくらいエネルギー使って疲れて欲しい」ってのもそれが愛するって事なんだなぁって納得する部分があったりして想像以上に心に響きました。
重く苦しい物語かも知れないけど「生きる」事に正面から向き合ったいい作品だと思います。
理解できてしまった
メンヘラな寧子の、自分に自分で嫌気がさす感じ、わかってしまった。
『良いよねあんたはあたしと別れられて。でもあたしはあたしとは別れられない』でハッとさせられた。
男の人は、何も考えてない時って本当にあるらしい。
常に何かしら頭の中をくるくる回転させている女とは違う。
お似合いという言葉が疑問な主人公2人だなと思って観ていたのだが、ラスト、パートナーと分かり合えるのはほんの一瞬だったとしてもいいのだ、と思えた。
分かりたい、分かってほしい。
女優に疎く、趣里さんは知らなかったが、この人でなければここまで引き込まれなかった素晴らしい作品だと思う。
躁鬱と過眠症という、社会生活で理解されにくい病気と戦い、時には打ちのめされながらギリギリで生きる寧子の姿は見ているだけで胸が締め付けられる。
序盤から、目線の動きや話すペースだけで所謂「ヤバい女性」感がリアルに醸し出されており、そこからは寧子の生活に見入ってしまった。
自分を抑えられず夜のアパートでは恋人に当たり散らし、昼間のカフェバーでは借りてきた猫のように縮こまる。バイトを始めては寝坊して白い目を向けられるし、せっかく手料理をしようとしても挽肉は売り切れだし卵は割ってしまう。
一つ一つのうまくいかなさに疲れてしまう様子はとんでもなくリアルで私的には「分かる」のラッシュだった。
特に、優しいバイト先の人達との圧倒的な断絶を感じるウォシュレットのくだりはものすごく共感。
ここでやっていきたい、この人たちと仲良くやりたいと思って素の自分を出したら「おかしい」と笑われ心が折れてしまう。悪意のない本当に些細なことだけど、生きづらさを感じる人にとっては絶望的なんだよね。。
泣いたり怒ったりオドオドしたり走ったりする寧子を抱きしめたくなった。
大人しくて頼りなく、無関心にも見える菅田将暉さんも良い温度感だった。冷めてるようでいて、仕事のことも恋人のことも誠実に考えているのを疲れというフィルター越しにしっかり感じた。
そうそう、仲里依紗さんも趣里さんとはまた違うメンヘラだけど、コミカルな雰囲気が辛い作風を和ませていて良かったなあ。
停電した時に差し込む赤い光や、揺れる青いスカート、最後に裸で踊るシーンの光量など照明がロマンチックで、世武裕子さんの音楽も静かに包み込むようで素晴らしかった。前進したような後退したような、優しいけど切ないエンディングの余韻が気持ちよかった。
分かりたい、分からない。ずっとなんて無理だけど、一瞬だけでも分かり合いたい。
生きてるだけで疲れるけど、生きてるだけで愛おしい。
素敵な作品に出会えて幸せです。
生きてるだけで疲れてしまう女の話
初っ端からヤバそうな毛剃りシーン
趣里はかなりヤバそ気
しかも面倒くさい。
菅田君の髪型もヤバい
暗い
おわってるヤスコ
何故この子と同棲することになったのか明らかにされず。
なのに仲里依紗登場。同棲じゃなく転がり込んだだけやったのか。
仲里依紗も目え見開いて怖い。
趣里はなんちゃってやった!
謎の喫茶店
起きれた!
鬱なのは菅田君のほうでは。
テンションの差、同棲あるある
布団に潜り込む見せ方から起きるまでの間、そこからの屋上。イイ
仲里依紗の開け方あざとい悪賢い
サボってたのか。
菅田君キレた
なんとかなる、ずっとだめな奴なんかいない。
酒飲ませたらダメ
ウォシュレット怖い問題
共感は生まないよねー
同棲カップル共倒れの危機
「生きてるだけで本当疲れる」
走る!何故か脱ぐ
軽くなりたいのか
菅田君は追いかけてたのね
乳だしてる全裸
ここで全裸じゃなきゃ駄目な話
嫌なこと言う前置き
私と同じだけ私に疲れて欲しいってのは依存ではなく、我儘だと思う。
遂に明かされる同棲3年の秘密
きっかけは、何かきれいなものを見ていたかったから。
ほんとはもっとちゃんとお前のこと分かりたかったよ。
そのほんの一瞬で私は生きている。
また全裸で踊り出したよバイ朝陽。
お母さんの血ってコトなの?
共感の嵐
私うつ病じゃないのに、寧子に共感しかない部分が多々あって、レビューを見てると寧子の事をあまり好まない人もいるみたいですけど、その理由が理解できないほど、終始共感してしまっていました…。心当たりがあまりに多かったもので…。
自分では気づいていなかったけれど、その時の自分の状態は、彼女と同じ躁うつ病のそれと同じだったのかも!?
だから私、寧子が人の優しさに触れたシーンはもう寧子になり切っていたようで、『世の中に…こんなに優しい人達がいるなんて…』と思って私も泣いていました…。
他の寧子が泣いているシーンも一緒に泣いていました…。
なので、寧子と同じような経験をしたことがある人は泣けます。
共鳴
寧子はとても繊細で他の人よりたくさん頭の中で色々考えてるんだなって。
だから相手に対しても同じ感覚を求めてしまい自分と同じくらいいっぱい頭の中で考えて接してほしいんだなと感じた。そして津奈木もその感覚に近い人間で寧子ほど表にだしはしないけど、内に秘めた感情や考え方がとても寧子と似ていて最初の飲み会のときの、"そんな感覚"を隠さずに出し切る寧子に惹かれたんだなぁって。共依存と言ってしまえばそれまでなんだけど、僕は依存しているというより共鳴に近いと思った。二人だから分かり合える瞬間がある。だからその一瞬がとても心地良いんだろうなと。
“普通”ができない自分に疲れたことのある人は共感できるものがあると思う。人間皆、少しだけ分かり合って生きているのかもしれない。リアル。
寧子にイライラする人も多いと思う。寧子に共感できるような自分は嫌だと思うかもしれない。津奈木に同情、またはなぜ一緒にいるのかと疑問に思う人も多いと思う。でもラストのシーン、パソコンを窓から投げて仕事をクビになった津奈木に対して寧子が「津奈木、私みたいなことしてる」と笑ったシーンで、誰しもがまだ出会っていないか、見て見ぬ振りをしているだけで、心の奥底に寧子のような一面を持っているかもしれない。と私は思った。あの時死ぬ気で挑んだ受験に失敗していたら、大切なあの人が死んでいたら、就活に失敗していたら、どこにも自分の居場所を見つけられなかったら。自分の中の普通を保っているところがバグる可能性なんて、誰にでもあると思った。
寧子の、自分がダメなことは分かっているけれど、何とかして人のせいにしていないと生きていられない感覚、正直私は共感できる部分があった。鬱病の中、よし、頑張ろうと思った時に行動に移してみても、何だかうまくいかない、タイミングが悪い。自分に振り回されて疲れる。ここなら大丈夫かもしれないと思えたアルバイト先での「大丈夫だと思ったのにな」「バレちゃう」という台詞がすごく印象的で、その感覚にすごく共感した。自分は鬱病、周りは健常者、優しくしてくれる、会話して笑える、なんだか自分は普通ができている気がする、自分は大丈夫になる気がする。だけれど自分が本気で発言したことに対して理解を得られなかった瞬間、あ、やっぱり自分はダメだったんだ。みんなに違うことを見透かされてしまうと思うとどうしようもなく辛くなり、泣きたくなる。さっきまで近くに感じていた人が、一気に遠くに感じる。冷たく感じる。
津奈木は、いつからか自分の感情と向き合えなくなったのか、諦めたのか、そうしないと生きていけなかったのか、セリフにもあった通り自分の感情ではなく相手を納得させるための言葉を言うことで無意識に自分を保っている。しかしだからこそ、寧子と一緒にいられたし、寧子も無意識にそれに救われて今まで生きてくることができたのだろう。
現代人の生きることに対する苦悩が、2人の人間性にすごくよく現れていると感じた。私は元気付けられた。
寧子は自分?
前半は観ているのが辛かった。なぜ時間どおりに起きられないんだ?なぜあんな風に人に接するのか。意味がわからない、イライラ。自分とは真反対の寧子にイライラ。度々なる目覚ましの音が実に不快であった。
しかし最後の屋上のシーンを見て考えが変わった。寧子に持っている要素は、自分にもあるんじゃないかと思い始めた。自分が苦しんでいるだけ自分に苦しまされてほしい。好きだからわかってほしい。目の前の人が好きなのかもわからないけどわかってほしい。それって依存かもしれないけど、誰にだってあることなのではないかな、もしかしたら寧子は自分かもと思えてきた。
それにしても趣里の演技力、、圧巻であった。菅田将暉も登場時間は少ないけど、印象に残る演技。
考えさせられる映画でした。
鬱を経験した者として
数年前に鬱の症状が酷く、
会社に行けなくなった頃を思い出します。
当たり前ができない苦しさ、
朝起きれない、
それを家族や職場の人に指摘される。
そんなことわかってるのに言われる悔しさ憤り。
できるならやってるよ!っていう怒り。
鬱なんて気分の問題でしょ?
なんて、言われる冷たい世間。
リアルで共感し、泣きました。
津奈木は菅田将暉しかいない。
趣里さんがとにかく素晴らしく、ヒヤヒヤさせるけど愛らしく、美しかったです。
2人で走るシーンはだいすき。
恋人とは別れられるけど、
じぶんとは別れられない。
痛切なメッセージ。
ずっと大事にしたい映画です。
私そのもの
寧子、、ここに居ますよ。
客観的に自分を見ている状態でした。寧子に対する周りの人の言葉、グサグサ来ました。アラーム何個掛けても起きれない。家事も何もしなく部屋はぐちゃぐちゃで。コンビニで弁当買ってきてくれるのに相手に悪態つく。辛いんだって聞いて欲しいけど相手からすれば何も出来ない奴がほざいてる面倒などうしようもないこと。
客観的に自分を映像化したみたいで、混乱や破壊も不注意なところも。
二十代前半から去年までの結婚生活に酷似していてリアル過ぎました。
生きてるだけ愛って言葉はよく分からないし良い意味でも悪い意味でも心に深く残る映画でした。
彼氏に見て欲しいけど過去の自分を見られるのは怖いな
分かり合える一瞬
ひきこもりヒロインの寧子と津奈木は共鳴していたんだなと思う。それでも、3年一緒にいて、本当の意味で向き合えたのは最後の一瞬だったのか。こんな風に3年も一緒にいられる関係も、、、割とあるんだろうな。
きっと、向き合い方で、分かり合える度合いも変わるだろう。
鬱、過眠症、感情コントロール不能、、、観ている側としても辛かった。本人は本当に生きづらいんだろうなと感じた。その感情に真正面から向き合っている映画だった。
個人的には
仲里依紗に、『私より症状ひどくないですか』と突っ込んでいるシーンが好きです。
寧子に共感できるか否か
バイト先のカフェバーでのウォシュレットの件は衝撃を受けた。前半から既に自分と重なる部分が多く、寧子に感情移入しながら見入っていたから、余計に。
長いこと社会から離れて生きてきた分、あのカフェバーのスタッフは寧子にとって、救われる場所になるかもしれなかった。「家族のようなもんだから」って奥さんの台詞に、どれだけ希望を見出しただろうか。だがその直後にあのウォシュレットの一件。ああ、やっぱり自分とこの人たちは別の世界の人間なんだ。とわかってしまった。「私はやっていけますかね?」「私は、ここでやっていけますかね?」と何度も聞いた。安心したかったのに、自らの手で崩してしまった。そんな自分が嫌になる…痛いほどわかる。ダイイングメッセージのように残されたウォシュレットの噴き出すトイレが、寧子の心情を描いているように思った。
趣里さん演じる寧子に共感できる人は特に心に刺さる映画だと思うが、ウォシュレットの件でスタッフ側の人たちの方が共感できる人たちには、理解しがたい映画だろうなと思った。
素晴らしかった。
映像、音楽、撮り方、演技全てが息を飲むほど素晴らしかった。個人的な体験も加わって冒頭から最後まで泣きっぱなしだった。
編集の仕事に納得のいかない日々を送る津奈木と、精神的に不安定で無職の寧子との同棲生活を描いた話。走る寧子の青いスカート、クライマックスの寧子が裸で踊るシーンがとても美しくて印象的だった。
綺麗なものを、また見たいと思ったから。
泣きまくった
主人公と自分が重なりすぎて、感情移入しっぱなしでした。私もうまく生きられなくて、次こそ頑張ると決めて挑戦してもまた失敗して、泣きながら帰ったりして。この先うまく生きられるのか不安でしたが、この映画を見て苦しいのは自分だけじゃないと思えました。
人の生き様を美しいと感じる、その中で愛を感じる映画
悪くなかったし、いつかもう一度観たいと感じた。
レビューを見ていると躁鬱の病を抱える主人公に対する感想やその病気への表現に対する賛否が多いが、
この映画が伝えたいことは、この病が大変であるということを表現したいわけではなく
その中で描かれる主人公二人の関係性、また生き様の美しさを表現する映画なのだと思う。
この映画の一番の肝である屋上のシーンから最後に二人が抱き合うシーンまでは
決して説明的な表現ではなくタイトルの意図を伝えていたと思う。
個人的には、わかり合っている時間や愛し合う時間がどれだけあるのか長さも大切かもしれないが、たとえ一瞬だったとしてもその積み重ねを確認する事、向き合おうとすることが大切であるのだと、教えてくれた気がする。
ストーリーや他のキャラクターや登場人物の関係性が今ひとつ掴めず3にした。
大事
うつ病の女の人が電柱で項垂れてたのを
飲み会の帰りのつなきが送ってったのが
つなきと寧子の物語の始まり。
寧子はもうどこも働いてなくて、
朝も起きれなくて、
停電したり、何かしらあると
暴れたり泣き叫んだり、
本当にひどい状態。
つなきの元カノがすっごい酷くて、
「なんで生きてるの?
人が迷惑になることを考えたことある?」
なんて言って、、
最後はつなきと寧子は別れちゃうんだけど、
寧子が思いっきりつなきに思いを
ぶつけてるときにつなきが
優しい眼差しで寧子を見て聞いてる姿見て
涙が出たわ。
つなきは記者の仕事してて、
その記事になった人が自殺しちゃったんだよ。
つなきは漫画をかく仕事がしたかったんだけど
上司に怒鳴られて、
頭きちゃってパソコン投げちゃったんだよ。
この映画はジーンとくるね。
周りのみんなは
「大丈夫だよ〜」
「頑張りなよ〜」
「お前これじゃダメだよ」
とか、
そんな言葉かけられると鬱の人って
ダメになっていくんだよね。
勉強にもなったし、
蘇我しかこれやってなかったから
わざわざ蘇我まできたけど
見たかいがあった。
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