「アリータの身体表現は革命的だとさえ思います。」アリータ バトル・エンジェル 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
アリータの身体表現は革命的だとさえ思います。
『人間よりも人間らしいということについて』
(2回目の鑑賞で考察したことを追記します)
アリータが一番人間らしい、という意味は、サイボーグだがその割には人間らしい、ということではなく、生身の人間と比べても『より人間らしい』ということだと思うが、具体的にはどういうことだろうか。
例えば、イド博士のような善意と正義感に溢れた人のことは、日常会話の中で『いい人』とか『尊敬できる人』のような言い方をすることはあるが、人間らしいよね、あの人は、とは言わない。
アリータの人柄(サイボーグ柄?)は主に下記三点。
・感情表現が素直(初々しい点を除いても)
・言動はそれがストレートに発揮されるので常に率直
・やると決めた事はやり遂げるまでやる一途さ
レビューでも多くの人が、人間より人間らしい、と好意的に書いている。ということは、アリータのように『感情表現が素直で物言いがいつも率直で、周りの人のことは気にせず、こうと思ったことをやり遂げようとする』〝人間らしい〟人が自分の身近にはいないから、そのような人を望ましい人、自分のそばにもいて欲しい人、として感じている、というニュアンスが含まれることになる。
ところが、我々が他人から「もっと大人になれよ」と言われる時、アリータとは反対の振る舞いを求められてはいないだろうか。感情的・直情的に振る舞うな、自分を抑えろ、周囲の人や状況をよく見てから判断しろ、というニュアンスで言われてはいないだろうか。
つまり、今の世の中の常識において大人になるということは、アリータのように振舞ってはいけないということなのだ。
老若男女を問わず、帰属する集団(友人、会社、ママ友、同窓会等あらゆる人間関係の中で)において、自分の感情に素直で率直な言動をすることよりも、空気を読んだり、忖度することを優先的に選択することが日常化しているなかで、誰もが本当は、これって違うんじゃないか、と潜在意識として感じているから、アリータが、人間つまり自分たちより人間らしい、と感じるのだと2回目の鑑賞後、思い至りました。
(2019.2.24 追記)
エンドロールになった時、2時間強ただただ彼女の声と表情を聞き逃すまい、見逃すまい、としていることに気がつきました。
冷静に振り返ると、細かいところではそれなりに???なところも無くはないのですが、全編を通じてアリータという人格の『確固たる意思』が本当に肌感覚で伝わってきて、物語の出来などよりも、彼女が何を感じ、どう決断し、どう行動するのか、ということばかり追っかけていました。
バトルシーンも単なるアクションではなく、超一流のスポーツ選手のスーパープレー、例えばマイケル・ジョーダンがディフェンスを軽々とかわしてダンクシュートをきめた時、イチロー選手がレーザービームで三塁を狙うランナーをアウトにした時などのような陶酔感さえありました。
競技スポーツだけでなく、ダンスや武道などを極めた人から強烈な意思を感じることがありますが(そこに至るまでの鍛錬を継続してきた人の意思は、時には言葉よりも身体表現やパフォーマンスからの方が感じられる、ということはどなたにも心当たりがあると思います)、この映画のアリータからも間違いなく、それが発せられています。
CGなどの最新鋭の技術の結晶が、生半可な実写よりも、人間の身体表現(表情筋の微妙な動き、特にはにかんだ笑顔はとてつもなく魅力的でした‼️)の可能性をむしろ際立たせているというこの現実をどう受け止めるべきか、驚きと興奮と歓喜と戸惑いをもって立ちすくんでいます。
琥珀さんへ
琥珀さんが言われているのは、多分ルシファーですね!元大天使で堕天使≒サタンと解釈されている超人気キャラです。ゾロアスター教の「アフラ・マズダとアーリマンは双子」と言う話になぞり、ミカエルとルシファーを双子とするフィクションがあります。アリータ=ルシファーでノヴァ=ミカエル、と言う構図の続編とか痺れそうです!
bloodtrailさん
コメントありがとうございます。
本来のキリスト教的な意味合いでの天使のことは浅学でよくわかりませんが、昔読んだ何かの記憶のせいか、「降臨」の後は、元々は天(神)からの使いだったのに、地上の苦しみが実は天からもたらされたものであることを知り、天(神=ノヴァ)に反逆する、というイメージも私の中ではあって、続編は作られなければならないことにもなってます^_^
カミツレさん、琥珀さんへ
守護天使や、大天使ミカエル。Angel のタイトルからイメージしたのは、そっちの方でした。天の大群を率いてルシファーと戦ったミカエルは、イメージドンピシャなんですが、ミカエルだけは男なんですよね…
天使は本来から、守護霊的な属性を持つ存在です。後ろの百太郎的な!
どうもこんばんは。カミツレです。
琥珀さんが「追記」で書かれている内容がとても面白かったので、コメントさせていただきました。
原作コミックのガリィ(=アリータ)は、「錆びた天使」や「殺戮の天使」のように、しばしば「天使」に喩えられているのですが、「天使」というイメージには、「理想的な姿であり、“降臨”してほしいと多くの人が願っているが、現世にはなかなか実在し得ない」というようなニュアンスが含まれているのではないかなと思いました。
琥珀さんへ
イングロリアス〜は見てないんです。罰当たりですよね、笑
クリストフ・ヴァルツは、チューリップ・フィーバーでも、「意外にも実は良い人」を演じていましたが、この路線がはまってると思いました。
コメントありがとうございます。
実は、イド博士のクリストフ・ヴァルツさんにもビックリしています。
イングロリアス・バスターズの史上最悪級の冷酷非道なナチ将校だった人、がこんなにも慈愛と正義感に溢れた役をハマり役としか思えない雰囲気で演じていたので。
予告編で見ていた時は「これ、眼球と脳、干渉してるでしょ、キモ」だったアリータの顔も、3シーン見たら「可愛い‼︎」になりました。ホントに首ったけで、リピートしそうです。笑