万引き家族のレビュー・感想・評価
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「虐待家族」「幸福家族」そして「万引き家族」
過去の是枝作品に共通するモチーフの全面展開を見た思いだ。『ワンダフルライフ』では、死者が生者に見えてくる。『DISTANCE』では、エリートがヘタレに見えてくる。『空気人形』では、人形が人間に見えてくる。そして『誰も知らない』では、子どもが大人に見えてくる。
是枝作品では、ないものがあるかのように、嘘が真実に、虚構が現実に見えてくる。今作では、犯罪で家族の共通前提を意識的に支える「変形家族」が、私たちの「理想的な家族像」を大きく揺さぶる。「家族もどき」が「真の家族」に見えてくるのだ。
その比較として持ち出されるのが、虐待を受ける少女、ゆりの家族と、家を出た亜紀の家族だ。ゆりが行方不明になっても届出をしない「虐待家族」と、亜紀がいないことをひた隠す、一見ちゃんとして見える「幸福家族」。しかし実のところ、この「虐待家族」と「幸福家族」は同質だ。エゴや世間体や見栄のために、子どもをないがしろにする家族なのだ。「万引き家族」も「虐待家族」も、児童虐待(child abuse:子どもの濫用)をしていることに変わりはない。だが、「虐待家族」が親のエゴのために子どもをコントロールしようとするのに対して、「万引き家族」はまさに家族を営むために、子どもを含めた成員がみな互いの濫用を許している。しかしそれも長続きはしない。「正しい社会」が許さない。
ラストはバラバラになった「万引き家族」が、もう失ってしまったかけがえのないものを、万華鏡でも覗くかのように見るシーンの連鎖で終わる。信代は刑務所の面会室で祥太を見る。祥太はバスの窓から治を見る。亜紀はかつて家族が生活していたボロ家の縁側の戸を開けて室内を見る。初枝はその家の床下の土の中から、家族みんなを見るはずだ。そしてゆりはベランダから外を見る。自分を「真の家族」に迎え入れてくれた人々を思い出しながら。
コロナ時代に貧困問題を考える手がかりに
ケン・ローチ監督と同様、是枝裕和監督は貧困の問題をたびたび扱ってきた。共通するのは、低所得ないし無所得の庶民の視点から制度の不備や社会の非情を明らかにしつつ、家族やコミュニティの非力だが確かな思いやりと絆に希望をつなぐ点だ。
この「万引き家族」に、元々内包されていたが今のコロナの時代に観るとより鮮明になる要素があるとすれば、彼らを貧困状態に追い込む制度も社会も問題だらけだが、そうした状況を温存させているのは民主主義社会を構成する有権者の私たち一人一人という不都合な真実だ。コロナ対策で失態を続ける現政権だが、過半数の支持を与えてきたのは有権者であり、緊急事態宣言と活動自粛で経済を止めてコロナの死者より多くの自殺者を生み出すのもまた“社会の空気”なのだ。
万引き家族たちは可哀想だが健気に助け合って感動!ではなく、こんな社会を保つのも変えるのも自分なのだ、という視点を持ちたい。
曖昧な境界線に立たされる人々
家族とは何か、という問いはあまりにも多くなされているものだが、是枝監督の描く家族は常にその存在に揺らぎがある。家族であるかどうかギリギリの線を常についてくるというか。それによって家族とは何かという輪郭を浮かび上がらせる。家族であることが自明ではない共同体が、家族としてもし機能するなら、それにはどんなことが必要なのか。
『誰も知らない』の母親は子ども達を見捨てたが、なおも彼らは家族であるのか。『そして父になる』は育てた子どもが実は血のつながらない他人だった、それは家族であるのか。あるいは『ディスタンス』で浅野忠信が演じた元新興宗教団体の信者は、教祖はお父さんみたいな人だったと言う。家族と単なる共同体の違いはなんだろうか。
経済的困窮という理由で一緒に暮らす本作の家族は、ふとしたきっかけでバラバラにされてしまう。彼らは家族だったのか、ただの共同体だったのか。問いに答えはなく、監督は見つめるのに。安易に答えを出せないことが監督の誠実さの現れだ。
みごとな演技、みごとな映像。
多くの人が口をそろえて言う通り、安藤サクラはすげえなあ。ほかのキャストもツワモノ揃いでみごとだと思う。ただ、どこかに作品が、セリフのひとつひとつが、演者に頼りすぎているような違和感も覚えた。世の中から見向きもされない人たちに光を当てている意図はわかるのだが、さすがに名演技に、映画的なロケーションと撮影に、役者そのものの魅力に負い過ぎてはいないだろうか。例えば風俗に通い詰める聾唖の男性が池松壮亮だと分かったあのシーンで、自分は引いてしまった。あそこにナイーブ風な男前が現れてしまった時点で、見栄えのいいファンタジーになってしまっていないか。それが映画だもの、と言われてしまえばそれまでだが、社会的に阻害されている者を描くには作品自体がカッコよすぎないか。好みの問題でしかないかも知れないが、どこかしっくりしないものを抱えて劇場を出ました。
是枝風味(再)
平日朝イチ上映の客席は中高年ばかり。
先輩に対して申し訳ないけど、今回も上映中に携帯を見る、メールの着信が鳴る、おしゃべりする、食べ物を音を立てて食べるというのは、決まって中高年のお客なのだ。
もちろんごくごく一部の人なんだけど、本当に腹立たしかった。
まあ、いいでしょう。
物語は比較的淡々と進む。
大袈裟な演出は皆無。
それでも深くメッセージを我々の胸に刻みつけて、驚くほどサラッと終わっていく。
世の中で皆が普通に持っていると思われているものさえ、悪事に手を染めなければ手に入れられない人々がいる。
弱い者同士、身を寄せ合わなければ生きていけない人々がいる。
そうして手に入れたものも、決して永遠ではない。
全てはかりそめである事を皆感じている。
それでもそこには確実に「居場所」があった。
建物に阻まれて見えない花火を全員で見上げる姿のなんと幸せそうなことか。
正しく生きるってどういう事だろう。
家族ってなんだろう。
あの不協和音の様な音楽もあいまって、目の前に展開されているものが正しいのかどうかさえ、分からなくなってしまう。
安藤サクラの圧倒的な演技。
若手人気女優でありながら、松岡茉優の思い切った役どころも素晴らしい。
子供達の演技もすごい。
一部、批判的なツイートとかしてる奴らがいるが、おそらく映画を見てないか、まったく物語を読み取る力のない人なんだろうなと納得した。
※旧アカウントより転載
疑似家族
安藤サクラがみたくて。
パラサイトみたいな鬱々とした感じを想像してたので、話も思ったよりよかったな。
演技がとってもいい。安藤サクラも、リリーさんも、樹木希林さんも、子どもたちも。
話としても、祥太くんの成長が感じられたり、良いところがありました。
金がなくて万引きする、年金の不正受給、はわからなくもない。
こどもをひろってきて戸籍もぐちゃぐちゃのままっていうのは流石に…
というか、治も信代も、学校にもいけず支援もうけられない、まったく行政サービスがない状況に置くことの残酷さが分からないほど馬鹿な人達には見えないのよね。虐待を受けていたりんちゃんのケアをする一方で、幼子が増えて戸惑っている祥太のケアもする。修は、血のつながらない若い娘である亜紀が家にいるのに性的な目で見たりしない。そういう良識がありながら、しかもこどもを持ちたい、親になりたいと思ってたなら尚更、こんなことするだろうか?
スイミーを、日本でやったらこうなった。
是枝監督の作品を全部見ているわけではない。
『誰も知らない』『そして父になる』くらいだ。だから、あくまでこれら3作品を見て思うことだが。
是枝監督は、高給取りのスーツ系が嫌いなんだろうか?
これら3作品では、彼らは、家族を自分の思うとおりになる存在として扱う父/子とうまく付き合えない父と、それに従うしかない母/子に虐待してしまう母(塾漬け虐待母・身体暴力母・行方不明のまま放置する母)として描かれる。
野々宮父しかり。北条父しかり。柴田父の場合は、柴田母の方がパワーを持っていそうだが、亜紀が行方不明でも探さない。たんに、柴田母の尻に敷かれているだけではないであろう。柴田父なりに、自分の思うとおりにならない亜紀を、どこか放置したいのではないか。
警察も冷たい。役目がら仕方がないけれど。自分たちの正義を押し付けるだけ。
ゆりは、偽柴田一家を家族として描いているのに、そこはスルー。ゆりについていた身体傷は不問なのだろうか。
祥太の、元の家族は捜索願を出さなかったのだろうか。
それに対して、
お金をなさそうで、ちゃらんぽらんで、世間からは見下されそうな人々が、子どもを子どもとして扱い、気持ちを汲み慈しむ。賢父母ではないが、慈父母を体現する。
まるで、彼らの方が人間らしい気持ちを持っていると言わんばかりに。
是枝監督は、
社会で”勝ち組”となるためには、人間性を殺さなければなれないと言いたいのであろうか。
経済的成功よりも大切なものがあるよと。
もし、偽柴田家が、スーツ組として働きつつ、あの家族構成で暮らしていたら、映画はどんな感想になるのだろう。
実際に、被虐待児を養子・特別養子として受け入れて育てていらっしゃる方もいる。
もし、炎天下、車に放置されていた子どもを見つけたら、雪降りだしそうな夜にベランダに放置されていた子どもを見つけたら、私たちはどうするのだろう。
店に届け出て車の持ち主を呼び出してもらう、警察に伝えて家に入るようにしたうえで、児相に連絡をお願いする。それで、責任を果たした気になるのかな?なるのだろう。
(関係者ではないけれど、児相や子ども家庭支援センターの名誉のために書いておくが、足立児相と葛飾児相なら、ゆりのように”発見”された子どもはそのまま帰さない。帰したとしても、学校・こども園他と情報共有して経過観察する。件数が多くて、職員がそれに見合うだけいなくて、”小まめに密着”と言うわけにはいかなくて、一般ピープルには歯がゆいけれど。何もやっていないようにすら見えるけれど。この映画の舞台の荒川児相は関係したことないけれど、近隣だし、似たように動いているのではないかな)
「犯罪でつながっていた」のは、映画以外のソースで知った偽治と偽信代の関係。
他は、社会の中で居場所を探して寄り集まった人々。勿論、子どもの祥太とゆりは連れてこられているが、ここに残るのを決めたのは祥太とゆり。「選ばれちゃったのかなぁ」と偽信代が嬉しそうに言う。
まるで、初枝をスイミーにして、その周りに集まって大きな魚ならぬ家族を形作って、社会を泳ぎ渡っていたように見える。
スイミーは、大きな魚から身を護るために寄り集まって暮らすことにした。
この家族は、この構成員は何から身を護るために寄り集まっていたのだろうか。
そして、その生活を続けていくために必要だったのが万引き。
偽治は、日雇いに行きたがらなくって、一家の長ならもっと働けよと思うが、生活保護は受けていない。働けると見なされて受けられない?執行猶予付きではまともなところでは働けない。
偽信代は、クリーニング店で働いている。クビになるけど。
初枝は、一人暮らしと偽って、年金もらっているけれど、同居者がいるともらえる額が減るのであろうか。現時点では暮らしていけるほどの年金はもらえていない。生活保護は、持ち家がネックになっていて受給対象者にはなれないのだろうか。柴田家にはお金をせびりに行っているけれど、恐喝しているわけではない。不倫女は元夫の年金もらえていいわねぇ、私がもらうはずだったのにくらいの愚痴は言っていそうだが。
亜紀は風俗で働いている。初枝にとって孫扱いだから、生活費の負担はしないことになっているのだろうか。
でも、それでも生活費が足りない。その分を盗むのであって、盗みを働くために集まっているわけではない。
偽治は働きたくなくて万引きしている可能性はある。
偽信代は元々手癖が悪い可能性もあるし、同僚もやっていたから、職場環境に慣れちゃったのかもしれない。
初枝はパチンコ屋でのことは万引き。
祥太はそういうものだと教えられていた。ゲーム感覚もあったのかな。「悪いことじゃない」と教わってきたのに、「妹にやらせてはいけないこと」と教えられる。周りの子と違う自分。学校に行かない自分。もっといろいろと学びたいのに。周りを気にすることなく、駄菓子を買う子ども達。万引きしなければいけない自分。
ゆりは、おにいちゃんと同じことをやって、皆と同じになりたいだけ。
犯罪を行うことで、家族を維持するしかないけど、経済的に余裕があったら、万引きはしなかったろう。
反対に、万引きで家計を助けているこの家族が実は全部血縁者であったら、また感想が変わるのだろうか。
その日暮らしだから、毎日は基本楽しい。というか、ない現状を踏まえたうえで楽しむ工夫をしている(音だけで楽しむ花火)。
多くは望まない。から必要最低限だけを”得る”(メリットで我慢とか)。
そういう彼らの日常を見せたうえで、物語は大きく舵を切る。
潮時ではあったのであろう。
初枝を隠したって、初枝を訪ねてくる民生委員はごまかせない。
祥太に関しては、慈母だけでは社会でやっていく力はつけられない。だからの、偽信代の言動?実は賢母でもあった。辛いけれど、祥太のために手放した?
と、祥太だけは、これからの道が広がっているようには見えるけれど、
結局は誰も幸せになれる気がしない結末。
こんな生き方で良いのかと投げかけられているような。
人の繋がり、家族の意味、社会での居場所の意味を投げかけた作品。カンヌは好きそう。
でも、鑑賞後感はあまりよくない。監督の狙いどころなんだろうと思うのだが。
ただ、どなたもおっしゃっているが、役者はすごい。
警察官の高良氏、池脇さんがものすごく勿体ない気がしたが、
ああ、安藤さん、フランキーさんに相対できるのは、このお二方しかいないよなと思う。とくに、あれがアドリブだと知った後からは。アドリブにアドリブで返す必要が生じたら半端な役者では太刀打ちできない。
緒形氏ももったいないが、樹木希林さんに相対できるのはこの方しか。
森口さんは『八日目の蝉』での役とかぶる。
そんな役者たちの中で、子役の城君、みゆちゃんがいい味出している。これからが楽しみ。
(ノベライズ未読)
(2025.9.30訂正)
【なんともいえない余韻!】偽物の家族が描く、社会と家族と人間の関係性
万引き家族は、あの是枝監督の作品であり、家族の概念を一から考えるきっかけをもらえ、正しさとは何か?を考えさせられる作品でした。
物語は、血縁関係のない人々が一つ屋根の下で暮らす擬似家族の姿を描いています。彼らは万引きや詐欺といった犯罪行為を通じて生計を立てていますが、その中にも温もりや絆が感じられます。
この映画の魅力の一つは、観客に解釈を委ねる余白の多さです。
日常的な風景、出来事の中に、万引きという非日常の内容を加えていることによって、リアルな情景を想像しながらも、作中の人たちの気持ちになって物事を考えさせられます。
40代の私にとって、人生経験を通じて得た価値観や感情と照らし合わせながら鑑賞することで、より深い共感や理解を得ることができました。
また、映画全体に漂う静けさや淡々とした描写が、日常の中に潜む非日常を浮かび上がらせています。
社会の片隅で生きる人々の存在を、私たちがどのように見ているのかを問いかけているようにも感じられます。
この作品は、家族とは何か、社会とは何か、人間とは何かを
静かに、そして、力強く問いかける作品です。
40代という年齢でこの映画を観ることで、これまでの人生やこれからの生き方について深く考えさせられました。より考えを深めるために、このあと、講演やインタビューなどの記事をネットで見て、監督の思いをこの後調べてみようと思います。
ぜひ皆さんもご覧になってみてはいかがでしょうか?
これでカンヌ?
静かなトーンだけど面白い。
現代の日本の話でたしかに何処かで起こっている事だと感じさせるリアリティ。時代や国やジャンルが違えば万引きや誘拐の見え方もだいぶ違って見えてくるんじゃないか…アラジンだって万引きするしね。あ、万引きはやったら捕まるしお店も困るし倫理的にも良くない犯罪だってのは理解してます。
良い人は悪い事はしないとか悪い人だから情がないなんてそれだけの話でもなかったなあと。
しょうがないんだが警官の態度は本当に辛辣だと思う。あれ言われたら何にも言えないわって…なるよ。完全に言いっぱなしの世間の声。
人生にケチが1つ付くと生きるのにこんなに大変な事になる。その日その日の事しか考える余裕がない生活。将来を視野に入れられない状態で倫理観を持つのは難しいと思う。悪行はその時払いで善行は保険みたいなものだもの。将来を考えられる状況にない人は保険をかけないもの。
貧乏人は悪人にならないようにじっと耐えてに大人しく小さく小さくなって社会から無視されながら生きろと無言で言ってくるような社会は辛い。どうやったって皆んな一緒の場所でやってくんだから枠から滑り落ちた先が必ず貧困につながるような世の中じゃいけないなぁと思う。
映画の中に馴染みきったキャスト陣、日常から地続きに見える生活を見つめる視線。あり方を考えるためのアンカーになるような映画だった。
登場人物のこれまでや人となりが自然と見えるからか、老人を利用していた偽物の家族という設定の中でそれぞれどうにもならない事を抱えたままでも酷い状況とあたたかい空間を同居させているところのバランスも良かった。
やってる事は応援できないけどなにか外にも救いがほしい。自分たちの関係性の中にしか救いがない。切実な話。
映画的な大きな展開はないが、大きなことは起きている。
家族を称するなら相応の責任を果たすべき
特殊な家族のあり方を通じて『家族』というテーマを描くのが今作なのだろう。たしかに一見すると貧乏でも温かみのある良い家族に思える。リリー・フランキーのゆるい感じもその温かさに寄与していた。
しかし幼児のじゅりを保護して通報しなかったり、子供を学校に行かせなかったり、祖母の葬式を行わなかったり、夜逃げしようとしたりと、結局は日陰者の集団。家族を称するのに、その人生に対する責任を持つことができない。そこが目先のことしか考えておらず無責任。家族の良い部分だけを真似ているようにしか思えない。責任を果たせないのならば家族を作らず、一人で生きるべきだ。そんな無責任な彼らには同情も共感も覚えなかった。
公式サイトには「真の"つながり"とは何かを問う」とあるが、以上の理由から、この家族のつながりなどとても真の"つながり"とは言えないと思う。
傍観者ならば面白く鑑賞できる。
「誰も知らない」の是枝裕和監督の作品ということで興味を持った。ネットフリックスで鑑賞した。
切り取られたムービーのようなカメラワークは、ドキュメンタリー映画らしさが全開で面白い。が、時折、酔うような感覚を覚える…
タイトルから物々しい印象を受け、犯罪を助長するような映画ではないかという先入観を持っていた。結局のところ、犯罪はよくないという気持ちは変わらないし、登場人物の大人たちがその犯罪を正当化することには賛同できない。
しかし、実の親なのか育ての親なのか、血の繋がりがあればいいのかという問いは、実際に血の繋がりのない家族がいる自分にとっては、非常に考えさせられる内容であった。家族とは何かを深く問いかけている。
「お母さんは必要なのよ」という女刑事の言葉が心に刺さった。そういうものなのかな。
少年役の子役の演技は素晴らしかった。今後も追っていきたい。リリー・フランキーは、良い味わいのおじさん役を演じていた。安藤サクラさんきれい。なんかこう、最初に出てきた時はあんまり印象なかったのに最後の方ではつられて、涙出そうになった。
あるとき、事件が起こり、そのまま結局、家族はバラバラになってしまうが、おばあちゃんが大好きだった亜紀のその後が気がかりだ。この先、人間不信に陥らないことを願わずにはいられない。
小説版があるようなので、そちらも読んでみたいと思っている。
予想以上に引き込まれ、楽しむことができた作品であった。
あくまでも傍観者として。
安藤サクラが光る
生まれた環境が人生を決める不公平な世の中を痛感
モラルとは何か 愛とは何か
全935件中、1~20件目を表示










