君の名前で僕を呼んでのレビュー・感想・評価
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DVDサントラ共に揃えたい。。。。
一夏、何かを待ちわびていて、つねに空洞を抱えている17歳特有の空気感がザラザラとした画質に含まれているようで、また雰囲気を立てていたように思える。後ろで流れるピアノの旋律が主人公の心情と重なり(時には扇情する役割があったのかもしれない)、途中からは終わらないで欲しいという想いもありつつ物凄く辛かった。
同性愛映画として捉えるべきなのか、むしろ同性愛だから美しいと感じるのかはそれぞれ主観だと思うが、壊れてしまいそうな美しい関係が成り立つのは同性同士だからかもしれない。
そりゃ好きになるわ要素が詰め込まれすぎて苦しかった、アーミー・ハマー。
ありがちな展開だけど、どこかでハッピーエンドを期待してしまっていて、ティモシー・シャラメの涙から始まるエンドロールは虚無そのものだった。こんなにも素敵なエンドロールがあるのだと衝撃を受けたがその前にひたすらに辛かった。
Visions of Gideon、素晴らしい。言語化の難しさをひしひしと感じる。どのタイミングでも今見てよかったと思える映画だと思う。
いつでもここに戻ってきてもいいのかもしれない。夏休みのありがちな思い出の1ページとしてこの映画をしまっておくにはあまりにも美し過ぎるのではないだろうか。
後にも先にも唯一無二の作品
初めはCMで見て、アーミー・ハマーがカッコいいから観てみようかな・・・位の気持ちでBunkamuraへ向かった記憶がある。ところが観終わって心を掴んだのはラストシーンでの、ティモシー・シャラメの美しさと涙だった。
この作品はフランスやイタリアの映画や美術館好きにはたまらない。まずオープニングの映像、これから始まる愛の高まりを感じさせるような音楽が、ジャン・コクトーの「美女と野獣」を思わせるようでワクワクしてしまう。
舞台は北イタリアの夏、瀟洒な邸宅。そこを夏の住居とするアカデミックな家族たち。
壁のタペストリーや季節の果物が重たげに実る庭に至るまで、全てが桃源郷のようで、アメリカから来て暫く滞在するアーミー・ハマーにとってもそれは別世界を経験する入り口となる。
初めは博識で回転の早い、いけすかない奴だったアーミーに、ティモシーの方はいつしか心惹かれてしまう。そして恋心が募ってついには深い関係になっていく。
途中、ピアノの音色に恋心をのせるシーンやガールフレンドとのやり取りも面白いけど(というか、原作では更に冷たい扱いをされる)何といってもガルダ湖から引き揚げられた彫像を見るためにシルミオーネへ行くところが最高に好きだ。ここは原作には無いシーンだけれど、素晴らしい(自分も聖地巡礼をすべく、ミラノから列車とタクシー乗り継いで行ったほど・・・)。
2人の関係を知ってか知らずか両親は応援していて、アーミーがアメリカに戻る前に小旅行にベルガモに行かせるのだけど、小さなバスで揺られる辺りにスフィアン・スティーブンスの歌が流れて、見るたびにここでもグッと来てしまう。
列車で見送るシーン。まるで新婚旅行のような旅の終わりは2人の永遠の別れへと繋がる・・・
永遠の別れ、なんて原作ではその後にも再会する事になるし、実際監督も続編を撮る気満々だったけど、アーミー・ハマーが私生活乱れまくりで計画は頓挫している様子。
ただ、続編は作らない方が良いと思う。
ラストでティモシーが暖炉の炎を見つめながら、楽しかったのか苦しかったのかわからないほど激しかった夏の思い出を想い起こし涙する・・・あのエンドロールだけでもう十分満点の作品。
続きは必要ないでしょう。
映像美
自然、音楽がとても心地よかった。
映画全体を通して1つのアートのように感じた。
ゲイを題材にしたこの映画、一番印象に残ったのは
主人公やオリバーではなく父親の方だった。
息子がゲイであることに対しての理解がお手本。
現代は特にLGBTに対する偏見を無くす動きが
強まってる中で、この映画は評価されるだろう。
確かに、思うところは色々あったし、少し見方も
変わるかもしれない。
しかし残念だったのは単調で退屈。
2時間越えする必要があったかな?という内容。
1時間半ほどであればもっとまとまってメッセージ性の
ある映画にできたと思う。
結局真に伝えたい意図は分からないまま
エンディングを迎えてしまった。
そして最後のオリバー結婚報告は2年後冬なのか
その年の冬なのかでまた評価が変わる。
2年後ならば新たなスタートと捉えられるが、
その年なら遊びだったと解釈される。
2年前から関係があったなら、都合よく2年後と
捉えることにした。
エンドロールの暖炉でのエリオの涙は美しかった。
美しい
主演のティモシーシャラメが美しすぎます。映像、音楽、人物すべてが綺麗ですごい。一夏の恋って切ないな、エリオの両親が理解ある人でよかったけど、やっぱり差別っていうのはあるんだろうな。エンドロールが良すぎて大号泣
胸毛とアプリコット(特に意味はない)
北イタリアの避暑地、エリオと大学教授の父親が招いたオリヴァーのひと夏の恋。
THE OSHARE映画
風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
綺麗な映像、北イタリアの豊かな自然、美しい音楽、コントラストの効いた衣装、古代彫刻のような美男美女たち、そしてとにかくこの映画の世界観全部が芸術的。
前半は正直それだけって感じ。
後半に観たいシーンが凝縮されていたから、前半そんなにいるかなとも思った。
でも、この世界観だけで観続けられる。
良くも悪くも同性愛がテーマには思えなくて、普通のラブロマンスといった感じでした。
で、結局ラストのお父さんとエンディングのティモシー・シャラメが全部持っていっちゃうんだよなぁ…
前半でラブロマンス風味で苦手意識が湧いたけど、後半はまあまあ。
ヘレニズム文化やWWⅠ、ユダヤ人など歴史要素が絡んでくるのも興味深かった。
とにかく生々しくて切ない映画でした。
この映画に関してはまとめるのが難しいので、
以下は気になった点
(本編内容とは関係なし。長くなるのでスルーしてください)。
↓
・虫がめっちゃ飛んどる。
→生き物(特に虫)好きの自分からしたら羨ましいくらい。
それだけ自然豊かな場所で撮ったんでしょう。
ティモシー・シャラメの肩にもハエが!
・アプリコットの語源論争
→なんだかんだ個人的に1番気になったシーン。
文字の伝達の歴史とかもっと知りたい。
・セッ◯スやオ◯ニーも全く下品じゃない。
→むしろ芸術的なエロスを感じた。
アプリコットでしたら果汁でベッドがベトベト…ダジャレじゃないですよ。
・とにかくティモシー・シャラメの美しさが神秘的すぎる。
→ありゃ、男の自分でも惚れるわ。
カッコいいよりも美人、美男子って感じ。
・3カ国語の使い分け
→北イタリアともあってフランス語とイタリア語、さらには英語まで。
役者さんは元々喋れるのか、練習したのか。
でも、あの切り替えであんな流暢に喋れるのはやはり凄いですね。
あと、イタリア人とアメリカ人の温度差の違いも面白かった笑
・映画映えするイタリアの風景
→ロケーションだけは絶対外さないイタリア映画。
街並みも自然もどこを取っても絵になる。
いつか絶対行きたい!
豊かさ
わたしは同性愛を差別はしていない(はずです)が、基本的に、男どうしが乳繰り合う映画が、好きではありません。これ、公人が言っちゃうと紛糾するんですが、どうなんでしょうか、この世に、そんな人は少なくない、と思っています。
世が世なので、ゲイ映画が、踏み絵というか、鬼門の意味合いになっている──気がしています。わたしも、君の名前で~に酷評で突撃しようとは思いません。ことわっておきますけど、これはいい映画です。
でも、彼らが本気で編むときみたいな、上っ面だけのゲイ映画には、遠慮なく酷評で突撃します。ちなみにわたしは国を揺るがしまくった某議員の発言「LGBTは生産性がない」に対して「そのとおりだがや」と思った罪深いにんげんです。
とはいえ、シンプルなギモンがあります。同性どうしでは子供はつくれない──これって、なに/どこが差別なのですか?
わたしが同性愛者だったら、親に孫の顔が見たいと言われ続けながら、まったくその気がない子のように、まったく反省せずに「それに関しちゃすいませんと思います、てへペロ」と答えます。
マジョリティやなんらかのイデオロギーから目をつけられたくないとか、フォロワー外されたくないとか、コミュニティからの離脱を畏れるとか、誰もがコンプライアンスに副い、築いた関係性が瓦解しないように、生きている──という話です。
もちろんわたしも、そうやって生きていますし、これは逆張り発言でもありませんし、これ以上掘り下げません。そもそも、わたしはそんな玉じゃありません。
ただし、ひとつだけ、もっともクリティカルなポイントに言及しておきますが、わたし/あなたが君の名前で~に与するのは、これがゲイ映画だからではありません。とんでもない。そのつがいが、アーミーハマーとティモシーシャラメだからですよ。
つまり「美しい人間どうしにLGBT問題は存在しない」という単純なハナシです。
雨後の筍のように増殖したマンガ/ラノベ/ドラマのBLものにしても、その大前提においてつくられているのをご存知でしょう。現実のゲイ世界ではおっさんがちょめちょめしているわけですが、あなたは、それを見たいですか?信条は、生理を超えることはできません。
ところでグァダニーノ監督に、びっくりしたのはサスペリアです。君の名前で~の印象から、美しい情景のなかに、みずみずしい人間関係を描く──というような叙情型の作家だと思っていたのです。
それが、あのとんでもないおぞましさ、奇矯で風雅で、どことなくヒッチコッキアンも感じたあの傑作を見て、ほんとに驚きました。ひるがえって、サスペリアを見たことで、君の名前で~の自評を見つめ直した──感があります。
個人的には、その見つめ直しの経緯があって、当初見たときより、いい映画に昇格しました。同時にリテラシーの足りなさを自省しました。
ですが、君の名前で~の公開当初の、嵐のような大絶賛を、わたしは一ミリも信じません。覚えてますか?2018年の日本公開でしたが、著名人やインフルエンサーがこぞってこの映画を絶賛・ツイートしていました。なぜか?そりゃ「踏み絵」だからですよ。君の名前で~を絶賛しておくと、公的株がぐんぐん上がるから──ですよ。
けっきょく君の名前で~は、企図せずして世のLGBTに与する必須アイテムにポジショニングされてしまった映画です。だから、ぶっとびの高得点になっているわけ。
しかし、とうぜん、それ抜きに、いい映画です。
パダニアの別荘地。きらきらの陽光、まぶしい新緑。戸外の食卓、肉厚ガラスの水差し。趣のある屋敷、絵はがきのような街並み。美しい男たち、美しい女たち。思いっきりサドルを高くした自転車。エメラルドグリーンの海。浮かび上がる女神の遺跡。光と水と木々とレンガと真っ白な身体。どこを切り取っても風光明媚。その陰影とコントラストと、いささかもギラつきのない穏やかな人々。ほんとに「豊か」な映画だと思います。
その豊潤な桃源みたいな処で展開するこの映画は、世の中に遍在するプロット「ひと夏の思い出」であって、「ひと夏の思い出」のなかの主人公が、誰でも葛藤するように、エリオもじぶんは男が好きなのか女が好きなのか──性向に初めて直面して戸惑っているだけ、です。つまりLGBTではなく、初恋と失恋の話です。
そして静かなるメンターは父親である教授でした。気づいていた彼はそれが病とみなされていた時代にもかかわらず、エリオを誹りません。かれの「ひと夏」を肯定し、冬がやってきます。「美しい人間どうしにLGBT問題は存在しない」とわたしは言いましたが、映画は知性があれば差別は存在しない──へ昇華している、と感じました。その辺りを解っていなくて高評価している文化人はみんな護身用アイテムにしてるだけです。公人だとLGBTに寄せとかないと怒られますから。
ただ、むろん庶民にとっちゃ、遺伝子やらコンプレックスやら、なんやかやで、ため息をつく映画でもあるわけで。
われわれとかれらの見た目の隔たりのほうが、よっぽど差別なわけで。
言葉に支配されない情景を捉える
フランス語、英語、イタリア語をなんなく操る。
それでも、大事なところは言葉にしない。
想いを書き殴ってみても陳腐にしかならず、
一生友達、と握手してハグしてもその重みはない。
大自然を背にして、ふとした仕草や視線で、
2人だけの世界を作り上げていく様が、
映像作家としてのプライドだと感じた。
ただし、最後の父の台詞は真意。(泣いた)
前段の描写がより対比される。
ホットな題材であるLGBTQだけど、
この作品は必ずしも同性でなくて良かった。
だからこそ、LGBTQへの造詣が深い、愛の形の表し方。
誰が言った言葉に傷付いた、とかネガティブなことも、
感動させるようなテクニックとしての言葉の力も、
言葉は1つの表現方法でしかない。
言葉に支配されていない情景や本質に立ち返って、
映像として捉え直す感覚に気付かされた。
10代の、ほんの一瞬しかない美しさ
ティモシー・シャラメの10代のほんの一瞬しかない美しさが詰まっている。それは数年経って演技が上達しても超えることはできないものだと思う。それを映像に切りとったという点は評価できる。
それ以外のところは正直退屈。
障害がなくてはならないとは言わないが、両親に理解がありすぎる。最後の数日の2人の旅行はロマンチックというより理解に苦しむ。
タイトルの君の名前で僕を呼んで。考えてみれば意味がわからない。
ひと夏のファンタジー
ラストシーンが!
美しい景色と美しい音楽
美しい男
前半は物語の盛り上がりもなく進んでいくので
いつもなら退屈に感じるはずの私が
この美しさに引き込まれてしまいました。
エリオは17歳らしく感受性豊かで
女の子にも、あわよくば。と思う普通の男の子
そこに現れた完璧な年上男性オリバーからだんだんと目が離せなくなって特別な感情を抱くように、、、
オリバーって常に少し遠目、上半身アップくらいで映されていたのが、エリオと一晩過ごした後急にアップがくるんだよね。
そこに2人の心の距離とかも現れていたのかな。
記述すべきは親の理解ね。
17歳の息子が同性の年上に惹かれてるのに
静かに応援。
性別なんて全く問題ではなく
素晴らしい人間性、そして愛し合うことの尊さを語る。
これが40年も前が舞台だなんて。
そして1番惹かれたのは
ラストシーンの暖炉の前の長回し。
エリオの完璧な演技。
そして暖炉の火のパチパチいう音でフェードアウト。
エモい!エモすぎる!
同性愛とかで分けられたくはない
純粋なラブストーリー。
OP映像で確信した。
傑作だって。
心踊るようなピアノ曲と、古代の彫刻の写真のOP映像。その時点でもう、傑作だと確信。
すでに文才あるお姉様方が充分な賛辞を送っていると思うので、下手な文句を付け加えるような野暮な真似はいたしませんが、そうですね、、しかし、美しい映画ですね。イタリアの片田舎の悠久の時を感じさせるというか、つまり(テンポの早いアメリカ映画に慣れきってしまったのか)やや冗長に感じる側面もありますけども、全体にとにかく美しい。羨ましい。私も庭で朝ごはん食べたい(そこか(笑))。
主演二人も上手い。気持ちが通じ合うシーン(銅像広場のとこね)の、像を迂回してまた合流するあの演出のニクさよ。気に入りすぎてこの映画は母にも見せたのですが、あのシーンについて「映画史に残る」とのお褒めの言葉を頂戴いたしました(笑)
ラスト近く、父親の長台詞もいいし。終わり方もいいですね。急に画面を暗転させないで、ああやって映像を続けたままクレジット出す演出、好きです。それ以前に、駅で二人が一言も言葉を交わさないのもいいですね。
エリオにとって、忘れられない青春でしょう、これは。
エリオ、オリヴァー。しばらく忘れられなさそう。時代背景として諸々、制約はもちろんあるんだけど、とても幸せなBL映画です。こういうのがランキングに並ぶ時代になった。よきかなよきかな。
(結局、いっぱい付け加えたな(笑))
隣に寄り添ってくれる傑作
同性愛を扱っているということで、どこか観るのを避けていたが、定額サービスで初めて鑑賞。同性愛を扱っているが、感情を大事にすることの大切さを教えてくれる傑作。
主演の2人が魅力的でありその演技に引き込まれ、同性愛者でなくても登場人物に感情移入してしまった。また、攻撃的な人や嫌な人物が1人も出てこないことで、音楽とともに心が包み込まれるような感覚にさせてくれる。
どこか心が荒んでしまったときに癒しとなってくれる映画です。生きるのに疲れてしまったとき、どこか寂しい気持ちになってしまったときにおすすめです。
父は優しく導く
父親は言う。悲しみから早く脱する為に感情に蓋をするなと。そして肯定して寄り添う。彼と同じくらいお前は善良で賢いと。身体も心も一度しか手に入らない。
先に生きた人間の、優しい配慮と、後悔すら受け入れる繊細さがそこにあった。こんな人になりたいと心から思った。
痛みを葬るな。感じた喜びを忘れずに。
恋路に向き合う三人
ジョン・アダムズのHallelujah Junctionが好きで、動画配信サイトでよく彼の曲を聞いていたのですが、その関連動画として、「君の名前で僕を呼んで」の予告を拝見しました。3年前の夏のことでした。ラヴェルのUne barque sur l'océanに乗せて流れる予告動画を見たときから、ずっと拝見したかった映画でした。そして、今年9月になって初めて、観る機会を得ました。鑑賞して以来、いままで折に触れてこの映画のことを思い返すようになりました。しかし、何故こうもこの映画を思い返すのか、何がそれほど気になるのかが、自分でも分かりません。
【「大人」と「子ども」の恋】
博学多才で、誰とでもすぐに仲良くなってしまう気さくな青年オリヴァーと、同じく才能にあふれているが、どちらかといえば内向的で気難しい少年エリオの恋。自転車に乗ってエリオがオリヴァーを街へ案内するシーン、バレーに興じるシーン、これらでさりげなくエリオに触れるオリヴァーは、最初からエリオに惹かれていました。しかし、エリオはと言えば、オリヴァーがエリオに対して「いろいろと難しすぎる」と零したように、その内面はどうにもよく見えてきません (オリヴァーがさっきの演奏をしてくれと何度頼んでも、素直に応じない件もそうです)。音楽の才能があり、オリヴァーの気品と知性に溢れた人格に魅力を覚えたのも間違いではないでしょう (エリオがイタリア人夫婦の矢継早なおしゃべりに堪えられなかったのは、見せかけの知性に対するアレルギーのようなものだったのかもしれません)。おそらく、表面からでは伝わりづらいエリオの情景を、M.A.Y. IN THE BACKYARD、futile devices、Une barque sur l'océanなど、様々な曲が表現(説明)していたのだと思います。楽しい、悲しい、嬉しい、憎々しい、といったただ一つの単純な感情ではなく、本人ですら翻弄されるような移り気で複雑な感情は、音楽によってしか表現しようがなかったのかもしれません。
しかし、流れるように虚ろ気な気分に委せたままのせいか、エリオが「いつも不安気」に話をしているようにオリヴァーには見えていました。オリヴァーとエリオの大きな違いは、相手にどのように向き合うべきかを、オリヴァーはその都度見定めていた点です。オリヴァーは、キアラという少女に表面的にでもきちんと応じる紳士であり、エリオの告白に対して嬉しくもありつつ、自分の感情・都合だけに流されず、世間一般の常識を省みて、「話してはいけない」、「恥ずべきことは何もしていない」と言ってエリオを制する善良な青年でした。初めてエリオとキスを交わしたオリヴァーは、エリオと距離を置きます。それは単に、常識を省みた上で節度ある態度を取るべきだと判断したからではなく、マルシアと結ばれる方がエリオにとって幸せなはずだと慮ったからにほかなりませんでした (鼻血を出したエリオの許へマルシアを向かわせたオリヴァーの行為は、そういうことだと思います。あるいは、オリヴァー本人にも、何とも言い難い戸惑いがあったのやも知れません)。
エリオには、オリヴァーの行為が「裏切り」に見えていました。そんなエリオに対するオリヴァーの言葉は、「大人になれ。夜に会おう」です。エリオは、約束の夜の前に、マルシアとデートをして、しかもセックスまでしてしまいます。こうして見れば、エリオはやはり「子ども」です。相手の行為の意味を冷静になって察するということは「大人」であろうと、難しいものでしょう。しかし、オリヴァーのことは気にはなるが好きなのかどうかも漠然としたまま、不安な気分に駆り立てられ、自分にとってマルシアとは何なのかも分からないままに、セックスにまで及んでしまう。エリオは、経験が浅く思慮が足りないガキである、と言っていいかもしれません。
オリヴァーとのセックスの後、オリヴァーはエリオの素っ気ない態度に不安を覚え、「昨夜のことで僕を恨む?」と聞きます。街に出たあと、オリヴァーは「悔やんでほしくない、君を苦しませたかと思うと辛い、どちらも犠牲になるべきじゃない」と言いますが、エリオは「昨日のことを誰かに言うつもりはない」と言います。オリヴァーが手紙で「大人になれ」と書いたのは、世間体も気にしろ、ということではなく、世間の常識もそうだが、一番大切なことは相手のことを気遣う思慮だ、という意味だったのだと私は解釈しています。24歳と17歳の恋は、その年の差のとおり、「大人」と「子ども」の間の恋です。
【研究者の孤独、父親の存在】
ではなぜ、気難しい上に「子ども」であるエリオにオリヴァーはそこまで惚れてしまったのでしょう。オリヴァーは初めからエリオに惹かれていたようですが、バレーボールのときから距離を取るべきと決めていました。それにも拘らず恋に落ちたのは、おそらく哲学者ハイデガーに関する論文の内容をエリオに聞いてもらった時だと思います。「根底的な隠蔽は人間を構成する。それは自己のみならず他の存在者との関係でも同じである。彼ら(古代ギリシア人)は存在者の人間との関係のみで隠蔽を解釈しているのではない」。隠蔽(「覆蔵(Verbergung)」のこと?)という仕方で、人間は真理に関わっているということがオリヴァーの主張だったのでしょうか (あるいは「僕には秘密がある」という遠回しな告解だったのでしょうか)。一読しただけでは読者のエリオも、書いたオリヴァー自身ですらも分かりませんでした。しかし、エリオは「書いてたときは違った?」と聞きました。オリヴァーは将来有望の研究者ですが、研究とは世間からは理解されない世界をたった一人で歩むことですから、その営みはずっと孤独なものです。エリオの何気ない一言は、エリオ本人にはそんなつもりでなくても、オリヴァーには自身の孤独を理解してくれたかのように響いたのかもしれません。何気なくボディタッチまでしてしまうほどに惹かれてしまった相手は、自分のことを理解してくれるかもしれない。これは、恋に落ちてしまう理由にはならないでしょうか。
エリオの両親は、そんなオリヴァーとエリオの様子をよく見ていました。大雨の日、エリオの母はドイツ語で『エプタメロン』を朗読し、ある王女に仕える騎士が自身の恋心を王女に「話すべきか、死すべきか」で葛藤するところを語って聞かせます。「話すべきか、死すべきか」とはつまり、自分自身にごまかしを許さない、という厳しい姿勢です。恋路とは単に甘いだけでなく、苦しく厳しいものであるのだと、この映画の中で初めて仄めかされます。エリオの父(パールマン教授)は「私たちはいつだって話を聞く」と言い、常に深い愛情を以ってエリオに接します。ですがその愛は、実は大抵の親以上に厳しいものです。
オリヴァーと駅で別れたエリオは、父の許で彼の話を静かに聞きます。この映画のもっとも静謐なシーンです。
「大抵の親は息子に早く立ち直ってもらいたいと願う。でも、私は違う。人は早く立ち直ろうとして自分の心を削り取り、30歳までに枯渇させてしまう。新しい出会いの度、与えるものが減っていく。だが何も感じないこと、自分の思いを無視することはあまりに惜しい。・・・・・お前の人生はお前だけのものだ。だが忘れるな。この心と身体を手に入れることができるのは一度だけだ。やがて心が擦り減る、気づかぬうちに。肉体については見向きもされない時が来る。そして近づく者すらいない。今お前は、悲しく、辛いだろう。だが押し殺すな。せっかくの喜びも死んでしまう」
パールマン教授は軽薄な気安めも慰めもエリオには与えません。彼はエリオに、自分が今抱えている苦しみから目を背けず、ちゃんと向き合いなさい、と言うのです。(それは、エリオにできる唯一のことだからでしょうか。それは、エリオだけでなく、私たちにも言えることでしょうか?) パールマン教授は、苦しいのだったら早く忘れて普通でいるのが一番いい、とは決して言いません。気安めや慰めで苦しみをごまかしてはいけない、そんなことをすれば喜びも絶え、心がすり減っていく。自身もエリオと「同じ」であったと告白したパールマン教授の言葉は、とても意味深長なものです。
プールサイドの光の乱反射、ガルダ湖の清らかな波打ち際、庭園の瑞々しい緑の場景、家の中を吹き抜けていく風.....イタリアの乾燥した空気の中に現れる強烈な光と影のヴィジョンのなかで、オリヴァーやエリオの肉体は、ギリシア・ローマの彫像のように美しく映えました。エリオにたかるハエや、汁気の多い桃に代表されるような豊穣な生命力にあふれたシーンもまた印象的です。しかし、それらもいずれ衰えていきます。肉体も季節も、心ですら、「気づかぬうちに」擦り減っていくのです。パールマン教授がエリオに示したことは、死すべきものの運命そのものです。それは、ただ単に、すべての事柄には終わりがある、というだけではないでしょう。「心と身体を手に入れるのは一度だけ」、「押し殺せば喜びも消える」、しかしどうしようとも心は「擦り減る」。死すべきものの運命には、悲哀が溢れています。(ですが、パールマン教授自身は、そんな死すべきものの悲哀があろうと、明るく朗らかで、深い愛情に満ちています。それが何故かは、これから自分なりに分かっていけたらいいなと、私は個人的には思っています。)
オリヴァーとエリオの電話でのやり取りの中、オリヴァーの印象的な言葉があります。お互いを自分の名前で呼び合い、そしてオリヴァーは「何一つ忘れない」と言います。忘れることで人は自分自身であり続けることができるものでしょう (変化することで同一であり続けるというヘラクレイトスの断片に関するオリヴァーの考察にあったように)。しかし、「何一つ忘れない」とは、死すべきものの運命に抗するかのような、「不死」の宣誓です。あるいはむしろ、この「不死(変化に揺るがされない自由?)」があるから、死んでいく時間や自分の心や肉体を受け入れていくことができる、という意味も、この映画の中には含まれているかもしれません (おそらく、考えすぎでしょうが)。何にせよ、オリヴァーもまた、パールマン教授の愛情を正しく受け取っていたのだと思います。
【エリオの涙、マルシアの存在】
ここまで映画の内容を自分なりにまとめて来て、どうしてこれほどこの映画のことが気にかかるのかが何となく見えてきました。ひとつは、エリオが最後に流した涙の意味です。エリオは何のため(何ゆえ)に泣いたのでしょう。オリヴァーの結婚と自身の失恋への涙? オリヴァーの誠実さに対して自分の過去の軽薄さが分かったから? あるいは、自身もまた何一つ忘れまい取りこぼすまいと、じっと堪えているから? 多分、複雑で難しい問題だと思います。
もうひとつは、マルシアという少女の存在です。結局この映画にとって、マルシアとはどういう存在だったのでしょう。「本を読む人って、謎めいてる。本当の自分を隠してる」と言うように、エリオの複雑さをマルシアもオリヴァー同様見抜いていました。「あなたは私を少し傷つける、それは嫌」、「私、エリオの彼女?」。エリオはそんなマルシアに対して、言葉で何かを明確にはしませんでした。
彼女との間での苦しみは、エリオにとって何の意味があり、傷ついたマルシアの苦しみは何のためにあったのでしょうか。オリヴァーとエリオとの間で、恋の苦しみがあったように、マルシアにも苦しみはありました。「私、怒ってない。エリオ、大好き。ずっと友達よね? 死ぬまで」。この言葉がどのような過程を経て紡ぎだされたのか、推し量るに余りあります。マルシアにとって、エリオとはどんな存在だったのでしょうか。そして、この映画(エリオの物語)全体の中で、マルシアとはどんな意味のある存在だったのでしょうか。
分からないことは諸々あります。ですが、モヤッとしたものを残せる分だけ、この映画は良い映画だったのだと思います。折に触れて、私はこの映画を思い返すことでしょう。
とにかく美しいBL映画
主演二人の並びが眼福至極。ロケ地もストーリーも映像も音楽もイイ。
BBAには刺激が強い場面もちょいちょいあったりするのだが、全くイヤらしく見えないw。彼らに限っては全然OKw。美しいギリシア彫刻二体だからかなw。
主演のシャラメ君の演技力が素晴らしく高い。特にエンディングのシャラメ君の泣き顔。とてつもなくこちらも切なくなって困った。
私のBL映画ランキングでは2020年現在、「アナザーカントリー」と同率一位の作品。
美しき儚い恋愛話
感動した
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