ワンダー 君は太陽のレビュー・感想・評価
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With a little help from....
勿論オギーを主役として物語は幕を開けますが、子どもたち一人一人を主役としたオムニバス的紙芝居に、途中、転じます。彼らが何を抱えていて、何を想いどう向き合って行くのかを描くこの展開は意外でしたが、とても良かった。
オムニバス的物語の登場人物の抱える悩みや問題の質は異なりますし、程度の差もありますが、結果的には全員が成長して行きます。そこには彼ら一人一人に手を差し伸べてくれる、折れた心に添え木をしてくれる、何者かが登場する、ってとこがミソで、それこそがこの映画の主題だと思います。オギーがこの映画の全てじゃない。
ちょっとした助けがあれば子どもたちは成長できるし、生き方を変えることができる。大切なのは心を閉ざさないこと。心を閉ざしさえしなければ、誰かが手を差し伸べてくれるからね、っていう映画。
青少年諸君向けかな、やっぱり。教育映画に推奨しますわ。いずれにしても、ココロに清らかさの欠片も残ってないおっさんさえも、幸せな気分にしてくれる素敵な映画でした。
普通だった
みんな、みんな。
とりあえず、みんな純粋だし、いろんな人の視点から描かれるオギーもそうだけど、、、
人間生きてればみんな何かしら事情があって、それぞれ生きてるんだなって思った。
そして、犬がちょくちょくカットで出るけどとても良い仕事をしてる。
友人とはなんなのか。
とにかく純粋な映画。
いじめっ子がごめんなさいって
この学校にいたいって言ってるシーンは何かジーンときた。
人の価値は何で決まるのか、
何を見なければならないのか、
そんなことを考えさせられる映画だった
きちんと相手を見て、知ろうとしないときっとその人にとって望まない結果になるだなと思った。
87/100
邦画にこの手の作品がないのが寂しい。
原作は児童文学で、映画版と物語の進行に多少の入れ替えがある。
また、主人公オギーの姉ヴィアの彼氏は原作では白人だが、映画版では黒人に変更されているし、作品自体にポリコレ的な要素がまったくないとは思わないが、友情や家族との関係を通してオギーの成長を描く素晴らしい作品に変わりがない。
こういう作品を創り出せる作者を心の底から尊敬してしまう。
映画館では中年の筆者が年甲斐もなくおいおい泣いてしまった。
そして原作を読んでもまた泣いてしまった。
去年から邦画の原作を読むことが多くなった。
もちろん本作の原作は児童文学で邦画の原作は成人向けの小説なので、一概に比較するのは難しいだろうが、日本の小説は人間不信を前提とした作品が多く、読後に爽やかな感情を抱くことはない。
新聞でもTVでも平和が大切だとか人類皆兄弟的な論調を見かけるが、肝心の映画や小説でまったく反対の作品が多いのにはなにか異論はないのだろうか?
『万引き家族』を見て明日学校に行ったら友達に優しくしようと思う小学生はまずいないと思う。
しかし本作を観れば友情の大切さに気付かされるはずだ。
そして現在の日本でこの手の作品が生まれないことにも一抹の寂しさを感じてしまう。そんなに日本は蹴飛ばしたくなるようなひねくれた社会になってしまったのだろうか?
もし日本でこういった作品が生まれていたとしても話題になることもなく、映画化もされていないとしたら事態はもっと深刻である。
本作は文科省の特別選定作品となっているが、小中学生以下の児童が多く観ることに期待したい。
現在子育てに奮闘中のお父さんお母さんにも、孫のいるおじいちゃんおばあちゃんにも、かつて小学生だったすべての大人たちにも、観て欲しい作品である。
映画館の上映は終わっているので、これからは配信サービスか、DVDやBlu-rayの購入かレンタルになるので、自宅で鑑賞することになる。
人目をはばからずに泣けるから安心である!
心洗われる作品
スクリーム
オギー
特殊メイク良く出来てたなぁ
ルームの
男の子だったんですね
自分に置き換えたら
想像でも
初っ端からコケてますね
子どもは特に酷だから...
ホントに
友達が出来て良かった‼︎
チューバッカ登場
高まるっ(笑)
家族の愛の力
想像できない世界は実現できないから:綺麗事上等
はいはい天才子役による難病ものですな、わかってますよ。
と思っていたのです、見る前は。
でもおしゃれな感じするなあとも思って、ダメもとで見てみました。
ウォールフラワーの人が監督っていうのが決め手といえば決め手でした。
半信半疑でしたが、どうでしょう、予想していたお涙頂戴の難病ものではなく、
それどころかいたく気に入ってしまいました。
お姉ちゃん、親友、親友、お姉ちゃんの元友達、そして本人と
語り部が何度か変わります。
顔がどうしようもなく普通でない男の子であるオギーを巡って、
周りの人がどう思ったか、どう見方を変えたか、ということが
お話の骨子なのだと思います。
オギーの話であるんだけれども、オギーとの接し方が分からない
わたしたちの話でもあった、ということに胸を打たれました。
オギーの顔は変えられない。
変えられるのは、周りの人の見方だけ。
本当にそうなんですよね。
「ふつう」から離れすぎていてどう接していいかわからなくって、
ぎごちなかったり、そっけなくしたり、仲良くしなかったり、
あまつさえ嫌ったり、いじめてしまったり。
その言動の責任は、「ふつう」じゃない人ではなくて、
その人を「ふつう」でないと決めて遠ざける側にあるのだということです。
努力が必要なのは、「ふつう」の人の側なのです。
分かってはいたけれど、こうやって示してもらえると、
子どもにも(大人にも)ちゃんとわかる。
ありがたいことです。必要な示唆がもらえるということは。
はまりすぎて、原作買いましたよ。読みましたよ。
そしてスピンオフの小説さえも買いましたよ。
この映画の不満は、ミランダ(お姉ちゃんの元友達)が、
またヴィア(お姉ちゃん)と仲直りする部分の描写が甘いなってことだったのですが、これは原作通りなんですよ。
なのでこれ以上どうにもできないですね。
何ならミランダ部分は小説よりも映画のほうがよく描けている感じがしました。
あと、ジュリアンをあのままで終わらせて良いのかってことです。
もちろんあの学校に残ることになったならば、先生たち(お尻先生とか)は
きっとジュリアンへの教育をあきらめなかったと思うのですが、
モンペを両親にもつがゆえに、ただ決裂してしまったという結末が残念でした。
そのあたりが知りたくて原作を買ったわけです。
同じような疑問をお持ちの方は、スピンオフ作品『もうひとつのWONDER』の
第一章を読まれることをお勧めします。
正直なところ、私は映画よりも原作小説よりも、スピンオフでのジュリアンの
お話こそが、一番重要でないかと思いました。
あんまりそれを語ると、映画のレビューとは離れてしまうので、深入りしませんが、
好きになれない相手に対して、そう思ってしまう自分を見つめる、
何が自分をそうさせているのかをちゃんと知る。
これが多分一番大事なことなんだと思います。
ジュリアンはそれを自分で見つけたのです。
実際には、こんなにいい人ばかりに恵まれるということは少ないとか、
もっと大人になったら更につらいこともあるかもしれない、
所詮きれいごとでしかないじゃないか。
そう思われる向きがあるのは、分からなくもないです。
でも、こういう世界であるべきだっていう見本は見せてほしいじゃないですか。
大いなる建前をめざして、前進したいじゃないですか、すこしでも。
なので、イメージは持っていたほうがいいとおもうのです。
イメージできない世界を私たちは作ることが出来ないと思うからです。
よって、あえてきれいごとと言われることを承知で、こういう作品に仕上げたのだと思います。
原作にはない、チューバッカのたとえ面白かったです。
スターウォーズをちょっとでも知っていてよかったです。
ブラウン先生のいう、正しい方と親切な方のどちらかをするなら親切を選べって意味の格言ですが、わたしはちょっとわかりません。正しいことと親切は違うの?って思います。どう違うか説明してください、ブラウン先生!
あと、ミランダとジャックがすっげーーーーかわいくってかわいくってどうしようかと思いました。
ジャスティン(ヴィアの彼氏)とサマーもかわいかったです。
ジュリアロバーツママとオーウェンウィルソンパパもはまってました。
もちろん、オギーを演じたジェイコブには、心でスタオベしましたよ。
もうひとつ。ふつうかふつうでないかを離れて、わたしたち全てに言える示唆があったように思っています。
何かをがんばって、すっごく賞賛された経験は、未来で遭遇する辛い時期を支えてくれるってことです。
本当に辛い時期には、賞賛の経験を思い出せないかもしれないけど、ふとその記憶に触れた時、あなたを癒してくれます。ささやかですが、確実に、自分を誇らしく思えるでしょう。
これはほんとう。だと思います。
少なくともわたしは実体験として言えます。
子どもはいませんので、姪たちに見せたいわ、読ませたいわと思いましたが、
小3、小1ではちょっと難しいかなっていうのと、
こういうのを伯母がしゃしゃりでると両親(特に弟の配偶者)が嫌がるよねって
思って、いったん控えております。はい。
普通でいるって難しい
親切を選べ
みんな
とても良い作品でした。
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