ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書のレビュー・感想・評価
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報道の自由を守る熱き闘い
予想外にシンプルな作品だった。メリル・ストリープ、トム・ハンクス共演のスピルバーグ監督作品だったので、もっとエンターテイメント性の強い作品だと思っていたが、本作は、報道の自由を守るために闘った人々にフォーカスしている。静かな冒頭から怒涛のクライマックスまで、常に熱気を帯びながら、一気に魅せてくれる本格的な社会派サスペンスである。
舞台は1971年アメリカ。夫の死で図らずも新聞社ワシントン・ポストの社主になってしまったキャサリン(メリル・ストリープ)は、周りのスタッフに支えながら慣れない仕事を熟していた。しかし、ベトナム戦争に関わる機密文書をニューヨーク・タイムスがスクープ報道したことで、状況は一変し、ワシントン・ポストも追従し、政府と対峙しながらも隠された真実を報道すべきか否かで社内は真二つに割れてしまう。葛藤、苦悩しながらも、キャサリンが出した決断とは・・・・。
実話に基づいた物語であり、報道の自由を守るための闘いがメインストーリーとなると、気高く崇高なイメージが鼻に付きそうだが、スクープ合戦、新聞社経営、など現実感のある要素を巧みに織り交ぜて、リアルで泥臭い作品に仕上げている。
メリル・ストリープは、従来演じてきた力強い女性像ではなく、当時の女性の地位を象徴するような家庭的で優しい女性像を好演している。そんな彼女が、物語が進むにしたがって、逞しくなっていく姿は、当時から現在に至るまでの女性の地位向上の歴史そのものである。
トム・ハンクスも従来演じてきた物分かりの良い男性像とは異なり、形振り構わず信念を持って突き進んでいく、報道の自由への迸る想いに溢れる辣腕編集主幹を熱演している。
本作のメッセージは明確である。作品全体を通して、自由は他力本願ではなく、自らの手でしっかりと掴み取るものであること、リスクを覚悟して強い想いで挑んでいかなければ、自由は手に入らないことを強調している。報道の使命は、隠された真実を暴き、伝えることである。真実は時代を照らす光であり、光が無ければ、時代を見通すことはできない。時代を正しく捉えることはできない。真実を知るために報道の持つ意味は大きい。
本作は、1970年代の事件を描いているが、事件の内容は普遍的なものであり、現代に通じるものがある。いや真実が見え難くなっている現代の方が本作のメッセージは重要である。本作は現代への警鐘になっている。スピルバーグ監督の意図はそこにあるのだろう。
本作は、無茶苦茶、面白い作品ではないが、普遍性のある歴史の一コマを丁寧に描くことで、現代について考えさせられる貴重な作品である。
マスコミよ、こんなときこそ頑張れ!
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
以前の投稿の削除や取り消しもできないので、
これからは「星のナターシャnova」として
以前の投稿をポチポチ転記しますのでよろしくお願いいたします。
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文句なしの良作です!
公開当時も劇場で観てそれなりに感動したのですが
作品の良し悪しに関わらず、
どうしても眠気に負ける時間帯に観たせいで
うまくレビューが書けなかったので
今回ネット配信でしっかり観られて
本当に良かったし、改めて感動しました。
コロナ報道で、良くも悪くも
報道機関の重要性や
信憑性が問われる今だから
一般ピープルも「正しい報道」がいかに大事か、
また報道関係者も、襟を正して観てほしいしですね
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
前半は亡くなった夫から新聞社を引き継いだ
メリル・ストリープ演じるケイ(キャサリン)が
男ばかりの経営者や銀行家の社会で、
右往左往する様子が映し出されるのですが
後半、ペンタゴンペーパーを入手し
これを報道するか止めるかの判断をするときに
「これを報道すれば、誰も戦場に行かなくていいのね!
公共の福祉に寄与するのが新聞の役目だから〜」
そこのところをトム・ハンクスが演じる新聞編集長に
確認する社主のケイ(キャサリン)。
そういうのって、
権力の維持や
政権への忖度だけを考える男どもにはできない。
女性で経営の素人だから出来た決断だと思う。
そして中盤のトム・ハンクスの言葉
「報道の自由守るのは報道を続けることだけ」
最後の方で女性の記者が電話で聴いた裁判所の判事の言葉を
皆に伝えるシーン。
「報道機関が仕えるべきは、統治者でなくて国民です。」
自宅でネット配信で見ている気楽さで
この言葉には思わず拍手してしまった!!
メリル・ストリープとトム・ハンクスの掛け合いのシーン。
流石にベテラン二人!
ほとんどアドリブに見えてしまう位の
ナチュラルさが見事!
裁判所から出てくるメリル・ストリープを多数の
女性たちが見送る。
それは兄弟や親、夫や恋人など大切な人が
戦場にいるのであろう女性たちであり
メリル・ストリープが案じるケイ(キャサリン)への感謝と
メリル・ストリープと言う女優へのリスペクトも相まって
感動的なシーンになってます。
最後の方で新聞の印刷機が動いて大量の新聞が
印刷されていくシーンがある。
これはスピルバーグから新聞社や報道関係者への
エールであり、
プレッシャーだと思います。
裁判所で本来ならライバルであるタイム紙の代表者も
一緒に報道の自由の裁判に出席して
「争っている場合では無い!こんな時に」
報道各社よ!よく聴いてとけ!!
@お勧めの鑑賞方法は?
時間のある今だからネットやビデオでじっくり観て!
日本の政治スキャンダルが小さすぎての心配が…
この作品のように、カタカナ名の人物が
多数登場する映画の鑑賞は、
私にとっては大変な苦難を伴う時間だ。
ご多分に漏れず、誰が誰やら解らないままに
話が進んでいってしまい、後半になって
ようやく全貌が掴めてくる始末。
題名からして、国家機密情報の取得を
巡る作品かと考えていたが、
入手した情報を掲載するかしないかとの
社主と編集主幹を中心とする
一新聞社内の葛藤の物語で、徐々に
鑑賞への高揚と感動がもたらされた。
多分にマスコミ関係に席を置かれる方々には
勇気づけられる作品ではないだろうか。
「報道が仕えるべきは国民だ。統治者では
ない」との判事の意見書の言葉が全てで、
発行部数ランキング的に見て、
日本だったらは毎日と産経がタッグを組んで
政府と対峙しているようなもの
かも知れない。だから、
政府広報組織化している大手新聞社が
幅を利かせる日本のマスコミの皆さんには
皮肉も込めて申し上げるが、
昨今の政権がひた隠しにする諸問題の真実
には力を合わせて是非迫って欲しいと
心から期待したいところだ。
ただ、政治の側で心配なのは日本の場合は、
この映画で描かれるような米国における
国家機密というスケール感では無く、
モリカケ・桜・公文書破棄・1.5億円も全て、
国会議員による彼らの取り巻き連中への
逆忖度だったり、その隠蔽だったりと、
余りにも動機が個人的でスケールが小さく、
本来はこういった政治スキャンダルは
小さい方がいいはずなのに、質の点において
妙に日本の政治の方を心配させられる作品
でもあった。
選択三部作
「報道」とは
報道とは
そう、報道とは私たちに真実をありのまま色付けせずに伝えてほしい
隠さず、あおらず、感情を乗せず
私ね、ワイドショーって苦手なんですよ
それからニュース番組もね、ただたんにニュースの時間がいいな
短い時間に余計な言葉をはぶきあった事を淡々と語るニュースの時間がね
そこには伝える側の主観が無いから
だってワイドショー見ちゃうとその人の意見に流されちゃうんですよ
たいして自分を持ってないし反発するほど頭が回らないからね
ありのままを言われればそれに対して考えるのは自分だけ
何故なんだろ? どうして何だろう? それか、まっいっか〜とかね
報道する側の方々も大変でしょうね
でもいい加減そろそろ分かってるはずですよね?
あなた達は真実を曲げて伝えてる事に
報道
実話
芸達者が出演するものの、ストーリーが絶望的につまらない。
最初にニューヨークタイムズが特ダネとして掲載した記事を大統領が差し止めたので、次にワシントンポストが社運を賭けて、二番煎じのネタを掲載しましたよ、というお話です。
もちろん大部分は事実なのだろうと思いますが、われわれ日本人にとっては、それが何、としか言えません。
この映画の最大の欠陥は何か。
実際に、ペンタゴンの極秘書類を数千枚もコピーし、外部に持ち出すことを決意した人間がいたわけです。
当時のコピー機は時間も掛かるし手間も掛かる。セキュリティだって厳しい。
にもかかわらず、莫大な労力を費やし、リスクを冒してまで、そのことをやってのけた人がいたわけです。
なぜ?
どういう人?
どういう気持ちで?
映画なら、そこを描かねば。
ナッシング!
その部分、そのドラマ、その人間像が、ほぼ無視されているのですよ。
もちろん、持ち出すシーンやコピーを取るシーンも部分的に出てくるけど、まったく説得力を欠いています。
この映画は、提供を受けた極秘文書(しかも二番煎じ)を掲載するかどうかという、社主や主幹の苦悩を描いているだけです。
だからこそ、思うのです。
「だから何なんだよ」と。
勇気とは
トム・ハンクスとメリル・ストリープとなれば面白くないわけがない!
ってめっちゃハードルあげても全然大丈夫でした!
とくに、メリル・ストリープ演じるワシントンポストの経営者ケイにとても心揺さぶられました。
この作品を観賞する前に、
女社長か!メリル・ストリープにぴったりや!
さぞかし、【プラダを着た悪魔】バリの!
女だてらに、ワシントンポストを経営するめっちゃくちゃ男勝りの女の人なんだろうな!
とワクワクしながら見てたら、全然そんなことなくて。
父から受け継いだワシントンポスト。
本当は旦那さんが受け継いで経営してたのに、旦那さんが亡くなり、自分が経営することに。
45歳の主婦がいきなり大会社を経営するなんて、自分だったら耐えられない。
身一つで男社会に震えながら挑むケイに本当に勇気をもらいました。
冒頭の株式公開を銀行、投資家にプレゼンに行くシーン。ケイは勇気を出して自分の口でプレゼンすることが出来ず、きっと自分自身にがっかりしたのでしょう。
だからこそ、ラストのあの決断につながったのだと思います。
いつも右腕のフリッツに意見を求めていた、ケイ。
でも、本当に自分自身で決断すべき時。
あの、目に涙を浮かべ、震えながら決断するシーンは何回も巻き戻して見てしまいました。
そして、トムハンクスはやっぱり最高。
彼が画面に映し出されるだけで、作品がすごく光輝きます。
トムハンクスのまとう、優しくて、幸福で、楽しい雰囲気が大好きで、どの作品でも目が離せなくなってしまいます。
今回の役どころも、海賊ベンとはよく言ったもので、なにかデカくて、面白いことやったるでー!
オーラ全開!!!
クスッと笑わせるウィットにとんだセリフや、真剣で最高に楽しそうに、人生をかけて仕事に挑む姿に、こちらまでワクワクしてきます。
ブリッジオブスパイでも、感じたけど
トムハンクスとスピルバーグの映画は本当に楽しい。
見たあと、爽快な気分になれます。
新聞社の気概
色んな意見があるかと思いますが、こんな文書を残しておくから非常事態になるのです。今の日本を見ればわかるように、専門家委員会は議事録を残してないし、モリカケ問題にしても文書が見つからない。とにかく何も残さなければ大丈夫!万が一やばいことが書いてあれば燃やしてしまい、すべて印象操作したら解決します。などと、不謹慎ながら逆から考えてみた。
やはり自由の国というのは報道の自由も守られている。さすがに国家機密に関する書類はそのまま表に出すわけにはいかないのでしょうけど、国民が政府や大統領の嘘に踊らされて、死ななくてもいい人間までもが戦争に駆り出されてしまう。共産国の広がりを阻止するなどと言っておきながら、情報を封鎖してしまったら、それ以上のファシズムになる。要するに政権維持のために勝ち目のないベトナム戦争を泥沼化させてしまったことへの告発だったのに、新聞差し止めや最高裁に持ち込んで新聞社を潰そうとしたニクソン政権。権力による委縮は恐ろしいものがあります。
何となく満点評価にならないのは、1971年はニクソン大統領だったのに、トルーマン、アイゼンハウアー、ケネディ、ジョンソンと歴代大統領の隠蔽を暴いているためパンチ力に欠けていたことだろうか。ワシントンポスト社主のキャサリンの友人関係も結局は穏便に済ませる方に向いている気もする。元大統領とも友人なのだから。
もっともカッコいいのはダニエル・エルズバーグだったろうに、彼の存在も薄く影の情報源としか思われない。ニール・シーハンにしてもそうだ。マクナマラをまるで英雄のように扱うのもどうかと思うし・・・複雑な気分。ただ、日本で考えたら、印刷される前に“上から指示”とか“権力の介入”とかで記事は、悲しいかなすぐ差し替えられてそう。なんせ報道自由度ランキングの66位ですから・・・
政治と報道、影で何があったのか?
めちゃめちゃ面白かった!
ここ最近観た映画の中で一際素晴らしかった。
映画のストーリーの軸は「ベトナム戦争泥沼化の裏側を暴く新聞社の闘い」と「表現の自由の意義」。これらはスケールの大きな社会的な話題だが、それを主人公のキャサリン(メリル・ストリープ)とベン(トム・ハンクス)の個人的な想いと見事に交差させて観せてくれるため、実に感情移入しやすい。社会レベルの大きな話なのに個人的な出来事のように手に汗握る展開で物語っており、それがこの映画の観やすさにつながっている。
また現代人の人生を考えるとどうしても「仕事」の比重が大きい。
自分の人生や価値観をかけた仕事が一度でもできれば、現代では幸せ者と呼べるかもしれない。ただしそんな話を描くにしてもたった2時間の映像作品で世界中の観客を納得させるのは難しい。一体どうやればそんなことができるのか。それを文句なくやってのけている映画である。
観客の気持ちが置いてきぼりにならないために、この映画の序盤~中盤では70年代のアメリカの新聞社において何が重要で、何に情熱をかけるべきなのかが良く描かれている。例えば『機密文書持出しシーンの人生をかけた緊迫感』や『ワシントンポスト社の株式を公開することでのしかかる安定経営へのプレッシャー』、『新聞における特ダネの重要性(怒号が飛び交うデスクのシーン)』がしっかりと描かれている。これを観て相応の感情を喚起させられていれば自然に物語に引き込まれることが可能だろう。
こういった仕込みによって「圧」が高まり、キャサリンが「決断」をするシーンの重みへとつながっていく。
細部まで豊か、それがいい映画だと思う
そんなストーリーのど真ん中はここでは触れずに周辺的なシーンについて触れてみたい。この映画が面白いな、豊かだなと感じるのは例えばこういうシーンにあると思う。
ワシントンポスト側がついに極秘文書を入手し、みんなでベンの家で解読するシーンだ。そこでのベンの娘の描き方がとてもイイのである。このシーンはとんでもない情報の山に興奮する記者、機密情報漏洩を懸念しまくる顧問弁護士、会社が潰れちゃ元も子もないと迫る経営陣、突然の来客にてんてこ舞いのベンの奥さんと相当騒がしい。
これだけで十分面白いのだが、呼び出された記者たちがベンの家に集まるときに、玄関前でベンの娘がレモネードを売っている点に注目してみたい。70年代のアメリカでは子どもがレモネード屋をやって小遣いを稼ぐのは定番らしいが、父親たちのあわただしさと比べると何とも平和だ。娘はまだ小学生くらいで幼さ・無邪気さが残っている。1カット内で対比することで騒動をよく引き立てている。
彼女はどんどん集まるお客さんに対して、騒々しい雰囲気に負けずかわいらしくレモネードを売り続ける。実はこの要素はスクープを脱稿してベンの家がすっかり静かになった後でも尾を引く。娘が稼いだお小遣いをキッカケにベンと奥さんで「何気なく」会話が始まるのだ。この何気なさ故に印象に残らないかもしれないが、違和感のない(よって説得力のある)絶妙なきっかけになっていると思う。
二人は何気ない会話を続けながら、一緒に芸術家的な奥さんの作品作りの準備をする(ここの動作が息ぴったりで二人の過ごした年月を感じる)。会話の中で奥さんがキャサリンのことを話す。猛烈新聞マンのベンにも家族があり、その中で生活していてその中に仕事がある。そして自分だけの目線ではなく家族、特に妻の目も通してキャサリンを理解していき、決断のシーンに厚みが出る。そんなプロセスが実は丁寧に描かれている。
これは否が応でも観る者の中にある種のリアリティを生じさせるのではないだろうか。
この映画はそういう高品質なシーンの連続なのだろうと思う。もちろん主題の料理の仕方が抜群だが一方で細かいところが実に豊かで面白い。いい映画だ。こういう映画は白けることがないし飽きない。自然に引き込まれる。そして見事なカットの度に頭の片隅で感心する。
もっと映画を「観れる」ようになりたい
最近映像演出の本を興味本位で読んだ。そのおかげで「映画の映像ってこんなに雄弁だったのか!」と気づくことが多い。まだまだまったくの未熟だが今後ももっと映画が「観れる」ようになりたいと思う。セリフがなくても映像の特徴を観ていれば何が起きているのか、何が起こるのかよくわかる。またカットとしてどんな気持ちなのかもわかる。映像演出について知ることで「これまでと違う観方ができるかもしれない」と気づけたことが新鮮だ。
例えば機密文書を持ち出すシーンでは資料室から出た廊下の蛍光灯が切れかかっている。これは明らかに不安を語っている。キャサリンの家での晩餐会にて、ジョークで笑わないマクナマラ長官の横顔どアップ。明らかに笑えない事情がある。やっぱり問題を抱えていた、とか。セリフではなく映像で語る箇所は数えきれない。
映画は観る人任せだ。相当いろんな要素が詰まっている。良質な映画は「醤油」みたいな味わいだと思う。基本の五味はすべて含まれており、糖アルコールの変化でその風味をクラっと豊かに彩る。明確な塩辛さはあるが、風味レベルまでをどう感じるかは受けて次第だ。メインメッセージのしっかりした映画はこういう風味があるように思う。
一方で残念なのは・・・
一方残念なのは、あれだけ戦争を長引かせておいてベトナム人への謝罪の意識は露もないところ。この作品の中で「アメリカは今まで負け知らずで驕っていた」、「政治家は体面を気にして多くの若者を死地に追いやった」という認識がワシントンポストの英雄的行為の意義を掻き立てている。しかしそれだけ「悪いこと」という認識はあるのにベトナム側への謝罪の意は一切ない。これはブルーレイの特典映像(キャスト、スタッフインタビュー)でも一切触れられなかった。
まぁアメリカからしたら当時共産主義を攻撃するのは当然であったということなのだろうか。しかし自国の若者の命を体面のために失ったことを悔やむ一方で、ベトナムの若者の命については全く感想がない点が少し異様に映った。
今の日本人的感情からしたら「そうは言っても命は平等」という考え方が根付いているので、自国の喪失を悲しんだら自動的に「相手にとっても同じことだ」という発想が出てくるものだと思う。少なくとも私はそう感じたので異様に映った。
・・・ただこれは映像作品としての映画の外側の話だと思うので、この映画は変わらず最高だと思います。
最後にメリル・ストリープとトム・ハンクス凄すぎ。これだけ最高の映画で主役やってもすべてを引き連れてますなぁ。。。なんでアメリカってこんな俳優が生まれてくるんだか。
以上。めちゃめちゃ面白かったです。
好きなセリフ:「そんなことしたら建国の父たちが墓から這い出ちまうぞ!」
女社長の成長。
ベトナム戦争に関する詳細を政府の圧力に屈せずに記事にしようとした、ワシントン・ポストの話。
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後継者だった夫が自殺して急に社長になったメリル・ストリープが最初は男だらけの職場で相手にもされないけど、最終的な決断をビシッと決める所がなんともかっこよかった。
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裁判後もメディアの取材に答えて注目されることはないけど、女性達の熱い視線に見送られる姿がすごく印象的。
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最後、ウォーターゲート事件を匂わせて話が終わるんだけど私の知識ではなんでこれに繋がるかピンと来なかったからもっと勉強しようって思った。
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アメリカの近代の政治とか歴史(最近は韓国も)について結構映画で勉強できてるんだけど、日本にはこういう映画が少ない。映画から学べることって沢山あると思うんだよね。自分の国のことをもっと知りたい。
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やっぱりこういう映画が少ない日本はアメリカとか韓国よりひどいんだと思う。アメリカと違って日本では政治的なことをあまり話さない文化だとしても、それを文化の一言でまとめていい話じゃないと思う。
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やっぱり名優二人
動きは派手ではないけど、メリル・ストリープ、トム・ハンクスの二人がいると、よりリアルに伝わってくる。大統領何代にも渡る機密文書を入手し、新聞掲載をするのか、しないのか、国民の知る権利として、権力への牽制としての記者側の観点、法廷侮辱罪に訴えられ、会社を失う=社員も失業という経営者側の観点で描き、緊迫感があった。よくぞ、そんな中で女性オーナーのメリル・ストリープは実際決断したなと。そこに他の新聞も続いたことに感動した。また当時の活版印刷で新聞が作られる工程がわかって嬉しかった。元来、ジャーナリズムとはこういうものなのではないか、姿形だけ、自分たちが権威を振りかざしているような姿勢はジャーナリズムではない。また政治に興味関心もない国民はもっと情けないと感じてしまった。
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