日日是好日のレビュー・感想・評価
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The Japan Movie
樹木希林が出て来ると最近は是枝作品としか観られないが、これは大森南朋の兄監督。「さよなら渓谷」は観たことありますが、あれは方方で誉められていたが結構微妙な作品。真木よう子のベッドシーン含めて。(←パイオツ見たいだけのゲス野郎)
さて今回主演は黒木華。「永い言い訳」での愛人役はサイコーでした。あんな愛人欲しい^_^(←賛同者募集中)
特に話が面白いわけではない。基本茶道の話である。黒木華と多部ちゃんが、初めて稽古に行ったシーンはほぼコントで笑ったが、それ以外笑えるシーンは無し。
黒木華も特別にかわいい訳でもない。多部ちゃんも同じく。しかも話が20年前からスタートしてるので若干ダサい。
20年以上前から茶道をずっとしてるだけ。観てるこちらは「何がオモロイの?」だし、華ちゃんも「何でやってんだろ?」てな感じだから、この作品をつまらないと思う方も居て当然。
でもそれが「日日是好日」である。
あーそゆこと、なんだか道徳の授業みたい。
シーンの切り替わりが二十四節気というのも、説教臭いが勉強になる。そーゆーとこも授業みたい。
個人的には、これこそ日本人にしか作れない映画であると、満足感あり。
但し全体的に静かな話なので、眠気に注意。
樹木希林の晩年作なので、彼女見たさに観ても良い。
彼女が居ることで益々Japan Movie足り得る。
偶に素の希林さんが観られると、一抹の寂しさは禁じ得ない。
もっと良くなると思いました
映画として内容が薄く期待外れでした。テレビっぽいというのでしょうか。作り込めば、もっと良くなると思いますし、巨匠が撮ったらどういう作品になったかにも興味があります。樹木希林という大女優が主演なだけに、もったいなかったです。
とても丁寧なつくり
樹木希林と黒木華、そして茶道と四季。ばっちりはまりすぎなくらいな設定とキャスティング。とても良い組合せだと思うけれど、一方で観る前から作品の雰囲気が予測できてしまう一面も。ストーリーの展開などで新鮮味が欲しかった。
これは映画に成り得るのか、と
心配して観ましたが、なんというか、他には無い感じです。日々是好日、というのを映像化すると、こう成る、そんな感じです。つまらないかなぁと内心心配していたのに、最後まで観れてしまった。どうしてでしょう?わからない。不思議。女性でいうところの「ナチュラルメイクが、一番、手間暇かかる」というのに似ているというか。きっと作るの相当に難しかったんじゃないでしょうか。
他人から見たらなんの変哲もない、悪くいえばつまらないともいえるそんな人間。でもきっとそういう人が多数派だと思うのです。「映えない」毎日。でもいーんですよ、それで。誰に自慢するわけでもない。でも誰だって、人生に一度や二度は死にたくなるような辛いこともあるし、もうマジ自分ダメかもと、思う。思いつつ、ちょっと最後の一滴のつもりで、エネルギー振り絞って日々のある瞬間を丁寧にあつかう。少しだけ心を遣って過ごす。自分のために。この世に居残るために。
自分だけしかわからない、少し広がっても「拡散」じゃなくて自分と相手だけにしかわからない、そういう豊かさというのが有りますね。
その人の自己満足でいいし、相手も誰も気付かなくてもわからなくてもいいんだけど、でもわかる人に袖擦り合うくらいのご縁で出逢えたら、それはやはり生きる幸せだ思います。一生に何回くらいあるんでしょうか。
そういうのを知っていた気もするけど、忘れてしまいそうになる。それのことを何て呼べばいいのかと思っていましたが、あ、これが日々是好日。この映画に、感謝。ありがとう。
淡々と、、、
樹木希林さま目当てで鑑賞。
ありきたりな厳しいお稽古物の感じではなく、ユーモアのある柔らかい、素敵な先生を魅せて頂きました。
黒木華は想定内、多部ちゃんはこれと言って
ひっかかりのない演技でした。
2人で海辺をアハハハハ!っとじゃれるシーンは
とても古い感じを受けました。
あえて、、、??なんでしょうか?笑
でも最後の教える側になってからまた始まり、、のセリフにはハッとさせられたなぁ。
茶道の奥深さに、少しだけ触れされて頂きました。
カタチに心が入っていく。
鑑賞後は心の奥のほうに、手にしっかりと感じられるような何かが残った作品。
茶道って正直 自分には縁遠いものなんだけど、
思えば500年ちかくもこの国で息づいてきたわけで、そこには古くからずっと
日本人の奥の方に根付いた感性ってのがあるのかもしれないなと。
「一期一会」という言葉が作中で出てくるけど、
人とか含む物事にはいろんな側面があるよねってことでもあると思う。
つまり世界の全てなんてどうやったって知ることはできないし、
自分の身の回りで起きることにすら、100%全部うまくやるってのは無理。
というか、完璧であることって実は無価値なんじゃないかとすら思えてきた。
映画ではほとんど茶室のことしか描いていないのに、
その奥に控える壮大な宇宙というか、哲学というか。
大きいとか小さいとか、近いとか遠いとか、けっきょく何事も
まずは自分をしっかり主体として捉えなきゃ理解はできないわけで、
だから自分の真ん中に何を置くかっていうのは大事だぞ、と。
これから人生のステージが変わったとき、この作品の感想がどうなるか。
自分とこの作品の関係性みたいなもので、
自分を客観的にみつめるマイルストーンになってくれそう。
R.I.P.
お茶って変ですね。
「日日是好日」禅の世界では厳密にいうと単に毎日いい日だ、という意味ではなくなんだかんだのものさしを無くして、幸せな日もどんな困難や悲しみの日も好い日にするのだ!好し!という前向きな気持ちをさし、どんな日々も過ぎたことにこだわらず、明日に期待せず、目の前になにがあろうと今日という日を精一杯生きるのだ。などという意味、らしい。
おかしくて大笑いしちゃったり背筋が伸びたり不思議な魅力のある映画でした。
なんだかよく分からなかったものも身に染み込んだり何かを感じたりを繰り返すうちに素晴らしい、美しい、好きだと思えるようになるものなのかな。ノリコが小さな変化を感じはじめる描写、好きだったなあ。
昔観た訳のわからなかった映画を何年も後に観ると素晴らしい映画に感じる感覚、、分かる、、
飛行機も電車も携帯もなかった時代からあるお茶だからこそ一生に一度限りだと思って細かいところまでこだわりもてなし、もてなされる文化が残り続けてるのだろうか。一度別れたらまた会えるのか分からない時代、後悔しないために、日日是好日。
気軽に声をかけて誰かに会ったりすることができる今の時代だからこそ忘れてはいけない感覚。
着物に携わるお仕事をしていますが着物の世界もなんだこりゃと思っちゃう決まりがあったりします。きっとなににおいても説明しようとすれば1から100まで事細かに理由を言えるのかもしれないけれど、よく分からなくてもそれが是であると言える決まり事がたくさんあるんだろうな。
武田先生の着物、帯、着姿、季節を重ね、歳を重ね変化する様、素敵でした。
茶の道を学ぶノリコを通していろんなものを学んだ気がする。
なんにせよ、
お茶って変ですね。
五感すべてで四季を感じること。四季だけじゃない、わかることもわから...
五感すべてで四季を感じること。四季だけじゃない、わかることもわからないこともすべて感じること。
お茶ってただのお作法じゃない、そういう感受性を養うためのものでもあるんだ。
静かな空間でちょっと苦いお茶をいただく。そんなイメージだったけど、あの狭い空間にも毎回違う変化があり、「美味しい」と呟いてもいい気楽さがあり、風や雨、外の音を楽しむ自由さもある。
お茶、ちょっと習ってみたいな。そして私も些細でも色々なことを感じてみたいな、と思った。
黒木華×樹木希林=最高
一秒一秒がしみじみと美しかった。
人生いろんなことがあるけど、どんなときでもそっと寄り添ってくれる人、コト、場所があるのはいいなあ。
主人公にとって、最初はなんか変だなって感じで意味がわからなかったお茶の世界。でも続けるうちに意味がわかってきて、五感が研ぎ澄まされてくる。その描写にしびれました。
水の音も、季節や温度やいろいろな条件によって変わる。着物も和菓子も掛け軸も、日によって、相手によってかわるのが楽しい。
忙しなく、家事をしながら観てしまったけど、今度はお茶を飲みながらゆっくり味わいたい。
庭の季節ごとの風景と茶道の所作が素晴らしい!
二回目の鑑賞でしたが、極めてレベルの高い作品でした。
エンドロールでこの作品を作ってくれた方々に感謝の感情が湧いてきました。
典子と美智子が武田先生宅を初めて訪問した際に茶室に掛かる日日是好日の額を見ながら、何と読むのか?と話した時に樹木希林の声でニチニチコレコウジツと読むのよ!とタイトルが出る時などは非常に考えた作りで、所作を教える武田先生が樹木希林と云う俳優の人格がゆえに出るユーモアが自然でした。毎週通う内に少しずつ茶道に惹かれていく典子。
世の中にはすぐわかることと、すぐにはわからないけど時間が経った時にわかることがあると作品中に言ってました。
失恋後の典子が立ち直り、武田先生の元に行く時に父親がお酒を飲もうかと言った言葉は普通に戻った典子を喜ぶ父の感情をよく表現してました。
父親が亡くなり悲しみの中にいる典子が茶室の中で聴く強い雨音で父に対しての後悔を洗い流すイメージが鎌倉の海に立つ父と思い切り大声で感謝の言葉を叫ぶ画像が素晴らしかった!
その後、達観した典子の表情と日日是好日の意味を理解する。
二回目でこの映画がより良い作品と感じました。
こんな文化のある日本人で生まれて良かったとも思いました。
黒木華、樹木希林、多部未華子、鶴見辰吾、他俳優さんの良い演技でこの作品ができたと思う!
お茶の話がメインかと思ったけど
メインではない。
主人公はお茶を習ってはいるんだけど、お茶自体はそこまでフューチャーはされていない。
お茶を通じて人と出会い、別れ、成長し、月日が流れる。
半世界を見たときと同じような気持ちになった。
普段の日常、なかなか思うようにいかない人生の主人公。
人との出会いの中で成長していく主人公。
ここがいい!って具体的に言えるわけではないんだけど、なんだかほっこりする映画。
樹木希林さんは本当にすごい。。かわいらしいしぐさも、お茶の先生としての厳しい姿も、そのもの。
黒木華ちゃんは和服が似合う和美人さん。
凛としてお茶目な希林さん・・
エッセイスト森下典子さんがご自身の想いを綴った「日日是好日―お茶が教えてくれた15のしあわせ」を映画化。ちなみに15のこととは
一 「自分は何も知らない」ということを知る
二 頭で考えようとしないこと
三 「今」に気持ちを集中すること
四 見て感じること
五 たくさんの「本物」を見ること
六 季節を味わうこと
七 五感で自然とつながること
八 今、ここにいること
九 自然に身を任せ、時を過ごすこと
十 このままでよい、ということ
十一 別れは必ずやってくること
十二 自分の内側に耳をすますこと
十三 雨の日は、雨を聴くこと
十四 成長を待つこと
十五 長い目で今を生きること
武田先生の元に通ってから四半世紀の間に学んだことだから1時間49分で伝えるのは難しい。
フェリーニの「道」ジェルソミーナの話が繰り返し出てくる、本作も最初は分からなくても繰り返し観て欲しいということだろうか。
人生で出会った本や映画もまた人との出会いのようにその人の心の糧となるのだろう。学ぶことは人それぞれ、普遍的に思える事柄もあるし矛盾もある、森下さん自身が一歩を踏み出すために自身に言い聞かせたようなことも含まれているように思う。
悪い作品ではないがあまりにも内省的であり映像表現としては流れを削ぐ表情のアップなどテレビ的で稚拙に思えてしまうのは残念だった。実は映画そのものより樹木希林さんを忍びたくて観たのだと思う、昔、テレビで見た時からおばあさん役だったが凛とした立派な老婦人になったものだ、それでも時々見せる茶目っ気は相変わらずだった、ご冥福をお祈りします。
お茶の深さと四季の移ろい
ふとしたことからお茶を習い始める女性の日記のような映画。お茶の世界のあるあるのエピソードで始まるが、それだけではない。お茶が日本の四季と共にあるということがよく分かる。
この映画の先生は表千家流だか、映画の中では一度も表千家という言葉が出てこない。僕は表千家流のお茶を習っているが、そこがいいと思う。もちろん表千家という言葉が出ると他流派の人が観に来ないという営業上の理由もあるだろうけれど。エンドロールの最後に「応援 表千家」とだけ出るのがいい。推薦でもなく協力でもないところがいい。樹木希林の最後の作品がこの映画で良かった。同時期に撮影された万引き家族では悲しすぎる。映画としては万引き家族の方がいいのだろうが。
懐かしかった
表千家のお茶、10年くらいだけれどお稽古していたから懐かしかった。お庭、つくばい(漢字が出ない)、掛け軸、美しい主菓子、炭点前、冬の夜ばなしの茶会、大寄せの茶会。
私の先生はあんな感じであんな風には話さなかった。お稽古もあんな風ではなかった。もっと高度なことを沢山教えて下さった。素晴らしく哲学的で文学的だった。そして、すぐ何かわかった気になったりしたら、見透かされる厳しさがあった。私のお点前を「自意識過剰」と言った。ショックだったが本当のことだった。同じ世代の女の子達と過ごしたお稽古、お茶会のことは一生、忘れない。
そういうことを沢山思い出さしてくれた映画でした。それだけ。
またお茶を始めたくなりました!
樹木希林さん、こんな上品な先生役も出来るんだと、感心しました。味のある、とても良い作品でした。私も、学生時代に、お茶の教室に通いましたが、また始めたくなった作品です。
ついこの間映画館で上映していたと思ったらもうdvdに! 見損ねてい...
ついこの間映画館で上映していたと思ったらもうdvdに!
見損ねていた私には嬉しい限りですが。
お茶の世界を通して主人公典子の人生が坦々と描かれていく
学生生活 フリーター 失恋 父の死と
様々な出来事を描かれるのと同時に
お茶の世界も並行して映し出される
丁寧に丁寧にゆっくりとゆっくりと
静かなお茶の世界は現代の忙しくざわざわした今の日本に
失われたものが映し出されているような気がした
お茶の先生を演じる今はなき樹木希林が演じていて
私はお茶の世界は知りませんが、真のお茶の先生に見えた
とにかくお茶の作法は細かい決まりがあり
動作も美しく私には無理だと思ってしまったが
あの静かな作法はなんともいえない不思議な空間だった
悩みながらも決して腐らず前向きに生きて行く典子にも
共感できた。こうして生きていけたのはお茶とお茶の先生との
出会いもあったからかなとも思った
祖母の思い出
祖母がお茶の先生でした。
茶筅で シャカシャカ 涼しげな渓流のような音を茶室に満たし、一瞬の間。
無音・静寂のあとに「 コトリ・・」と茶筅の柄を碗の縁にそっと落とす、
これを二回やるのですよ。「ししおどし」の音ですねー
大阪の公営団地の一室。
ベランダの下にはせわしいバス通りがある筈なのですが、いつしか障子の外には苔むした庭と樋水のつくばいの姿がありありと立ち上がる。
不思議な魔法の一時でした。
あれはオリジナルなのか、何かの流儀なのか、僕は永く確かめる事もせずに祖母は亡くなりましたが。
先日お墓参りの折、やっと母と叔母たちに訊きました、あの「ししおどし」は何なのか。
皆そんなものは知らないと言い、裏千家では余計な音は立てる筈はないと。
おばあちゃん、
結構なお点前でした。
あなたはたった一人僕のためだけに あの時 あの一回だけ あのお茶をたてて下さったのですね。
思い出しました、心を病んでいた孫はあの夏祖母の家に預けられていたのです。
今もあの日の茶筅とお湯の音は僕の心を浄めてくれます。
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「形にね、心が入っていくの」樹木希林
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