モリのいる場所のレビュー・感想・評価
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静かな、いい映画
無一物
本作はまるで本当の守一のドキュメンタリーを観ているような世界観で素晴らしかった!
我が国を代表する画家、熊谷守一画伯の晩年の或る一日の物語をコミカルに描いた秀作。
先の昭和天皇陛下も美術館で熊谷守一の作品を観賞し、文化勲章を受章すると来客が増えるので生活が乱される事が迷惑であるとの理由で、文化勲章の受章を辞退してしまう程の、根っからの天才芸術家。しかし、30年以上も自宅から出た事すら無いと言う、世間の一般のしがらみを全く気にする事無く、自由に画を描く為にだけ生きた仙人画家の晩年の風景物語。だが私にはとても心地良かった。守一独特の世界感へと誘ってくれる本作はこれと言った事件も無い、年老いた画家の只庭を観察するだけで日が暮れると言う日常なのだが、本当にそれはそれは心地良い。
熊谷は明治の初期の生まれで、今から40年以上も前に亡くなっているので、この映画の時代は今から半世紀近くも前の物語だろう。
守一の広い庭には多くの木々が生い茂り、森のように青々と木々が生息し、虫や野鳥の生態を30年以上に渡り観察し続ける事で、独自の世界感を持ち、作品を描き続ける孤高の天才の生き様には心を洗われるような素晴らしさが有る。
勿論半世紀も前の事なので、今とは比較にならない程のんびりとしていた時代の筈だ。高度経済成長期になっているので、戦前を生きた守一達から見れば、気せわしい世の中で、暮らし難い時代になっていたと感じていたのだろう。
守一を取材しに来たフォトグラファーの若い助手は、最初は変人としか感じなかった守一の行動を観察するうちに、その素晴らしさに魅了されて続けて取材をしていく様になるのだった。その様子が何だか私にも分かるような気がした。
それにしても、山崎努と樹木希林が2人並んで座っているだけで、2人とも本当に数十年を共に生きて来た夫婦の様にみえてしまうから、芝居の達人とは本当に不思議なものだ。
ところで、樹木希林の出演する映画やTVドラマには食事をするシーンが凄く多く出てくるが、本作でも、カレーうどんや、すき焼きを囲みながら人々が集うシーンがある。彼女自身も料理上手な方だったらしいけれど、どの作品でもこの食を囲むシーンにそれぞれの家庭の独特生活感が浮き彫りにされ、一つとして同じ様な食べ方をしていないのも、希林さんの演技力の見せ処ではないだろうか?惜しい役者を亡くして残念な限りだ。
それから守一に、子供が書いた画を見せる親を見て、その画を下手な絵だと褒める守一の言葉がまた素晴らしかった。確かに芸術は巧い下手ではなくて、作品を創作する情熱を持ち続けると言う事の方が大切な事なのだろう。下手な方が伸びしろが有って良いとは、素晴らしい含蓄が有る言葉だ。
何も特別な事件も無い平凡な守一と妻の生活を軸に描かれる日常がこれ程豊かで有るとは思いもしなかった。ドラマと言うよりは、本当の守一のドキュメンタリー映画を観ているような安らぎがここにはあった。
幸せのある場所
熊谷守一。
日本画の大先生。
いつもながら恥ずかしい事に、名前を聞くのは初めて。
画の事はよく分からないが、数々の名作を残し、その功績を称えた美術館もある。
氏がひと度一筆取れば、それだけで大変な価値や名誉であり、遥々遠方からの訪問者も後を絶たない。
“画壇の仙人”とも呼ばれ、色んな意味でその名の通り。
偉人ではあるが、かなりの変人。
遠方から訪ねてきた人の為に看板に文字を書くが、全然違う文字を書いてしまう。朦朧してんのかい!
金や名声に無関心。
世の中の事にも無頓着。
服に食べ物を落としても、一人で拭けないくらい何も出来ない。
固いものを食べる時は必ず潰し、相手に汁がかかろうがお構いナシ。
髪はボサボサ、髭はボウボウ。
本当にその名の通り仙人のような世捨て人。
さらに驚きなのは、日々の生活ぶり。
毎日必ず出掛ける。
「行ってきます」と出掛けたその先は…
何と、自宅の庭!
氏は、晩年の約30年間、自宅の庭から一歩も外へ出なかった事で有名らしい。
変人で、今で言う引きこもり…?
勿論、ただそうではない。
庭は、草木が生い茂り、多くの小動物や昆虫が住み付いている。
そんな自然に触れ、小動物や昆虫の観察をするのが日課。
池に行こうとして辿り着けなかったり(極度の方向音痴…?)、蟻は真ん中の足から歩き出すというどーでもいい事を発見したりと、やはりの変人だが、それらを見つめる表情や眼差しは、真剣で穏やかで純真。
創作の源でもあり、自分の全て。
住宅街の中の自然の園とでも言うべき庭は風景も音も美しく、小さいが生命に満ち溢れている。
そんな大先生と、妻。連れ添いはもう50年以上!
老後を二人で仲良く…って感じではなく、我が道を行く夫を、妻が世話してる感じ。
奥さん、大変そう…。
でも、二人共、面と向かって言葉や態度には出さないが、相手の事を心底思いやっている。
妻は、この庭が夫の全てである事を誰よりも理解している。
夫は、これ以上外へ足を踏み出せば、またそれだけ妻に苦労をかけさせる。
何も語らずとも…。
夫婦の歩み、50年。
山﨑努と樹木希林。
共に長いキャリアを誇る大ベテランだが、意外にも共演はこれが初めて!
それだけでも一見の価値あり!
山﨑努は存在感と威厳たっぷりというより、お茶目でユーモラスで愛嬌あって、何処か可愛いらしい。
そして、未だに亡くなった事が信じられない樹木希林。今年遺した3本の作品の一つである本作は、これぞ樹木希林!と言うべき十八番の役柄。
最初で最後の共演。惜しくもあるが、巡り巡って初共演した唯一無二の作品に相応しい。
夫婦の家には、毎日のように誰かしら訪ねてくる。
ご近所さん、依頼者、先生を写真に撮るカメラマン、見ず知らずの人まで。
加瀬亮、光石研、青木祟高、吹越満、きたろう、三上博史ら実力派/個性派集う。
一見人付き合いも苦手そうな先生だが、風変わりでほっこりと、人と人の交流を描いている。
描かれるのは半生ではなく、晩年のとある1日。
なので、劇的な出来事は何も起こらない。唯一、自宅前のマンション建設問題だけ。
ゆったりと時が流れていく。
それだけでも人物像と営みを感じられるのは見事。
沖田修一監督らしいユルさや惚けた笑いも。
本当に何も起こらず、淡々と、最後も呆気ないくらい静かに終わる。
人によっては退屈な作風かもしれないが、この雰囲気、嫌いじゃない。
温かく、心地よく、しみじみと。
不器用で下手でもいい生き方、人々との交流、阿吽の夫婦関係…。
その営みに、幸あり。
好きとか嫌いとか
もっと淡々とした記録映画的なものかと思ってました
冒頭。まかさにあの有名な「この絵は…」のエピソードの再現に、思わずうめき声ともつかぬ声を挙げ、お隣の席の方もつられたのか忍び笑いをされてました。それからみみずく、庭の木々に埋もれるようにしている姿、表札、来客の絶えない居間、池、マンション、カメラマン…沢山のエピソードがありました。途中文化勲章を断ったシーンでは場内こらえきれずに笑いもおき、その後のシーンは…あの演出の意味をちょっと考えさせられたり、意外と仕掛けのある映画でした。モリとカメラマンがお互いを撮りあってるシーン、モリが撮った写真を見たかったですね。映画の撮影協力をされてる柳ケ瀬画廊さんが映画館から歩いて2分なのも、映画を観る立地としてベストでした。来週監督が来られるそうなので、また行きたいと思います。
同じ岐阜人として
映画「モリのいる場所」を、またまた名古屋で見逃したので、岐阜の懐かしの映画館での公開初日に行ってきました。
結果的にこないだの「おだやかな革命」もだけど、岐阜人としてどちらも岐阜の劇場で観れたことは感慨深い。
モリとは、言わずと知れた熊谷守一さんのこと。
尊敬してやまない大好きな画家の、画集や展覧会などで見聞きする作家のエピソードなどで勝手にイメージはしていたものの、長い生涯の中のほんの一瞬である晩年の日常をさらりと描くことで、それまでどんな人生であったかも超越した、あるがままの守一像を映し出した秀作である。
監督がだれであれ 、被写体がいいからいい作品に仕上がったというのも違う。
沖田修一監督だからこそのモリのいる場所へ、観るものを誘ってくれたように思う。
樹木希林さんは演じることなく、「万引き家族」よりさらに自然体でそこにいてくれました。
山崎努さんの奥西死刑囚役だった「約束」もすごかったけど、モリ役はさすがすぎて言葉にならない。
近年、こうした自然に還るライフスタイルを題材にした映画がロングランとなるほど時代は変わったのはよいことだけど、あの「人生フルーツ」より、わたしにはこっちの生き方や暮らしの方が自然で好きだ。
どっちがいいかを比較してるわけではない。
自分もこうなりたいという気持ちにさせるのがフルーツなら、モリは自分もそうなっちゃいそうな非常に近い感覚が、魂なのか血なのか身体の奥から、迷ってないでなっちゃいな、今すぐやればいいじゃんと後押しするワクワク感。
今この時代に映画化してくれたことにも感謝だけど、この偉大な画家が本当に評価されるのはもっともっと先の50年後100年後なんじゃないかと思うほど、まだまだ知らない魅力に満ちた存在なのです。
映画についてもあれこれ書きたいことは山ほどあるけど、ネタバレ暴走しそうなんでやめときます。
そして、ここで観た理由がもう一つあります。
映画館シネックスを出てすぐのところにある、柳ヶ瀬画廊へ初めて訪れることができました。
ここは昔から熊谷守一の魅力を発信しつづけてきた老舗画廊。
展示されてる絵や書を見せてもらったり、オーナーさんたちとモリ話に花が咲きました。
同じ目線です
あり
ひねりは必要か?
いまの山崎努と樹木希林を「時間の冗長性」と共に40代監督が映し出す贅沢
モデルとなった人物の予備知識ほぼなし、演者と監督に惹かれて観賞。
基本的に長ったらしい映画は嫌いだが、沖田修一はむしろ「時間の冗長性」を映画の最大の贅沢と考えている節があって、それこそがこの監督のメッセージ性なのかとも思う。この作品では、外界とは時の流れが異なる画家の庭という極めて限られた空間が主題のため、まあ上手くハマっている。
山崎努の存在感は流石で、一瞬彼とわからぬほど。
家族映画における樹木希林の佇まいはやはり一流で、どの家族映画でもそこの家族の中に溶け込んで一員としてそこにいる。
この二人の会話はずっと聴いてられるなぁ。老夫婦の生活感とそれに根ざすおかしみが混じり合った会話。
この両名がこの先に演じられる作品も時間も無限ではないので、やはり連ドラよりは少しでもこうして多くの映画監督(特に若手から中堅になりかけの世代)と仕事をしてもらえるとありがたい。もちろんTVドラマ等でも気を吐いている人々がいるのは承知だけども、どうしても制限と拘束負担が大きいのでね。
何より、最近の中堅世代監督の中に、映画・人・役者の三者に対して誠実であろうとする姿勢が窺える監督が複数いるのは心強い。そうした監督が本作のように実力あるベテラン役者と仕事をできるというのは、邦画にとっていい状況のように思える。
とはいえ作品として難がない訳でなく、ちと映画としての「転」に拘りすぎたというか突飛な印象を受けるシーンがあって、やや蛇足のように思った。ただただずっとゆったりとした時間が進む映画でも構わないんだが。
もう上映映画館もほとんどないが、庭にいる身近な虫や小生物などの愛らしさを追った虫萌え映画でもあったので虫好きは映画館で観るべき。音響も丁寧。大掛かりな映画とはまた別の方向性で、手間暇かかった豊かな映画だった。
いやいや、それはないでしょ
いやいやそれはないでしょという感じのおちゃらけのオチがいくつかあり興ざめしました。実在した芸術家の淡々としたストーリーの中に変化をつけるつもりで創作したシーンだと考えますが、むしろ作品の価値が下がったと思います。
熊谷守一氏とその妻が自宅の庭を生活の拠り所とする魅力を、余すところなく徹底して表現できる日本を代表する俳優陣を揃えながら、それが失敗に終わったのは残念です。
それは、無駄なシーンの方が強烈なインパクトを残したからだと感じます。狭い空間であっても自然が織り成す世界には、かけがえのない美しさがある。だから30年もの間に自宅の敷地から出ることがなかった熊谷守一の生き様をもっとしっかり伝えるべきでしたね。
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