寝ても覚めてものレビュー・感想・評価
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移動する映画
一番好きな映画、と訊かれたら、「ラブソング」と答える(ことにしている)。ピーター・チャン監督、マギー・チャン×レオン・ライ主演。公開当時、何の気なしに観たものの、心が激しくかき乱されながらも満たされた、あの衝撃と幸福感は今も忘れられない。濱口竜介監督の「寝ても覚めても」を観終えたとき、ふっと心に浮かんだのは「ラブソング」だった。
「ラブソング」は、とにかく移動する映画だ。(中国)大陸から香港、さらにアメリカ、アルゼンチン…と恋人たちは流れ、流され、すれ違いを重ねる。2人乗りの自転車で街を駆け抜け、かけがえのない面影を追って疾走する。
本作の2人(もしくは、3人)も、とにかくヨコ移動が多い。大阪から東京へ、東京から東北への行き来、そして再び大阪へ。その移動の全てを、彼らは道路を使って目的地へ向かう。飛行機や新幹線を使ってもおかしくない距離でさえ、あえて時間と手間を掛け、道をひたすら辿る。時には、無謀なほどの長い距離を黙々と歩く。景色が目前で移り行くぶん、心に浮かび移ろう思いも様々で、時に大きく揺らいだのではないか。そんな彼らの心情に、あれこれと思いを巡らした。
また、道は幾重にも広がり、分かれ、交差するぶん、「選び取る」「外れる」意味合いがより強いように思う。同じ道を、着実に進み往復する良平、ふっと外れて海に行き着く麦、まっしぐらに向かう朝子…と、時間を経て重なっていく中で、物語の初段では少し違和感のあったヨコ移動が、最後はここに行き着くのか、としみじみ合点した。
ヨコだけではない。タテの関係も随所に現れる。家の2階から、オフィスビルの上層階から、彼らは地上を見下ろし、大切な存在を視界に収めようとする。一方、思いがけない出会い(再会)は、見上げるところから始まる。見上げる、というのは、反射的で無防備な動きだ。そのくせ、重量に逆らうかのように、見下ろすよりも見上げる方が(望んでいなくても)思いは届く。見下ろすときの思いは、一途すぎて重たいのかもしれない。
中盤と最後に、2人は並んで目前の「下界」を見下ろす。ありふれた眺めが、2度目は全く違って見える。2人にも、映画の観客である私にも。そこに、スッと被さってくる音楽。…久々にすごいもの観ちゃったな、と熱がさめない幸せに、しばし浸った。思い出すほどに、今もじわじわと。今すぐ、は気力がないけれど、またいつか、今度は誰かと一緒に観てみたい。そして、互いのずれを味わい、感じ取りたいと思う。
この原作を見事に映像化した濱口監督の新たな一面と素晴らしい才能
カンヌ映画祭の常連となり、今や日本を代表する監督・濱口竜介監督がメジャー・デビューを果たした作品。かつての恋人・麦に生き写しの男性・亮平を愛してしまった朝子。幸せに暮らし始めた彼女の前に、失踪したはずの麦が突然現れる。運命の恋をスリリングに描く恋愛ドラマ。
柴崎友香の原作は「麦」と「亮平」に似ているという要素はあるものの、年齢や身長などに相違点があり、瓜二つと思っているのは朝子だけかも知れない、という思いが読者に付きまとう。その分「麦」に一途にのめり込む朝子に、男女逆転はしているものの、まるで牡丹灯籠のような死出の旅路を感じさせるような不安を感じる。
一方、映画版は東出昌大が二役を演じることで、瓜二つという部分に重きが置かれてはいるものの、大きな交通事故を起こしても怪我一つ負わない、縁がなくなった友人が難病に罹ってしまうなど、麦が持つ超常的な能力の一端を原作以上に感じられる演出となっている。
監督は「麦は宇宙人で地球に感情を学びに来て、学んでいる途中という裏設定」を原作者から聞き作品を理解したと言っており、異種・異形の者と恋に落ちた女性の運命を、無理なくリアルに映像化している。
以前からの濱口ファンであれば、「親密さ」の舞台劇や「ハッピーアワー」の朗読シーンのような映画内の物語、そして落語「黄金餅」の道中付のような、街を魅力的に捉えた長尺のシーンといった、監督ならではの要素が薄いことに肩透かし感を抱くかも知れないが、この不思議なテイストの原作から、1本の映像作品を見事に生み出した監督の、新たな才能の一面が見られたことの方に大きな喜びを感じるだろう。
どんなジャンルにも属さない、まさに濱口作品と表現するしか術のない逸品
運命はメビウスの輪のようだ。この、どんなジャンルにも属さないリズムとテンポを持った作品を享受していると、心底そう思い知らされた。全ては水辺で起こる。出会いも別れも抱擁も、後の様々な出来事も。自分が愛しているはずの人を目の前にしても、それが本当に愛している人なのか、愛の言葉を語り合いながらもまた別の人のことを思っているのではないか、との疑念が湧き出して止まらなくなる。それもドミノ倒しのように綺麗に、ゆっくりと倒れていくのだ。
しかし、この映画は愛の脆さを描くのと同時に、この世の全ての関係性が、互いに与え与えられながら、美しい弧を描くことに気づかせてくれる。それは男女の愛のみならず、親子であったり、友人であったり、このおよそ10年の間に日本人の誰もが何度も自問し続けてきた想いであったりもするのだろう。気づきがある。道のりがある。関係性がある。ようやくたどり着いたその境地がふっと腑に落ちた。
虚構を通じて現実を描くこと。
すごく卑近でどうしようもなくあけすけに恋愛を描いていると思うのだが、全体を通じてなにか別次元の世界を覗いているような虚構感があり、映画とは徹頭徹尾作り物で、作り物を通じて「感情」や「人間」を映し出すものなのだなと、あまりにも当たり前なことに改めて向き合った気がする。
小うるさい関西人である自分にとって、キャストが全然関西出身じゃないという事実に驚くほど関西弁でのやり取りが自然に響いていていた。結局、自分たちが方言に感じる違和感はイントネーションや発音ではなく(それも本作は素晴らしいと思うが)コミュニケーションが成立しているどうかなのだという確信も得られた。
つまり言葉のやり取りはとても自然なのに、映画の持っているリズムや表現がいちいち非現実的で、とても不安な気持ちにさせられる。しかし気がつけばその表現に魅入られている。ヘンな映画だと思うが、ヘンじゃない映画なんて面白いだろうかとそんな極論まで言い出しそうになる。
綺麗事でない恋愛劇
恋愛映画というと、「甘くせつない」みたいなイメージも邦画の場合つきまとうが、この恋愛映画は刺激物だらけだ。
主人公、朝子の行動に驚く人もいるだろう。亮平を置いてかつての恋人の麦の方に行ってしまうシーン、一瞥も亮平に目もくれず、まるで機械動作のように当たり前に麦を取る朝子。余計な感情的芝居を大胆に排しているからこそ、異様さが際立つ。あの瞬間、朝子は条件反射のように麦に吸い寄せられる。
本作の原作は朝子の一人称で語られるが、映画は亮平の視点にも入り込む。その分原作よりも朝子の行動の残酷さが増しているようにも感じられるが、亮平が感じる不安感も映画では重要な要素になる。3.11の日に結ばれた二人は、傍目には中の良いカップルなのに、不安定さが拭えない。震災後の日常に妙な不安を感じた経験はないだろうか。震災前と同じ日常を送っていても何かが違うと感じる妙な感覚。
濱口監督は見事な商業映画デビューを飾った。これからの活躍も楽しみ。
オリジナリティーのある恋愛物
原作は未読だが、柴崎友香の小説の映画化だそうで、これはなかなかオリジナリティーのあるストーリーだと感じた。瓜二つのイケメン2人をヒロインが時間差で好きになる設定は今年1月公開の「風の色」に似ているが(余談だが「風の色」の藤井武美と本作の唐田えりかは顔も似ている)、こちらは女性の作家らしく、女性側の心の動きを極めて繊細に描写しつつ、先を読ませない。濱口竜介監督も見事に演出したものだ。決して難しい話ではないのだが、キャラクターたちの感情の変化がリアルに鮮明に伝わってきて、情報過多にさえ感じられる。2時間という実際の時間以上にずっしりと見ごたえがあり、ほどよい疲労感を覚えた。
脇も達者な俳優たちが固めているが、おおむねシリアスな展開の中で、伊藤沙莉のコメディエンヌぶりがほどよい息抜きをもたらしてくれる。
この濱口作品も「演劇」を入れ込んだ作品
なんだけど、「ドライブマイカー」的な風合がやはりある。
映画全体がメタとしての演劇論みたいなとこ。
棒読みギリギリのセリフとかはクールでカッコいい。
最後の海のシーンで「海」は画面に映らなかったように、“言いたいことは言わない”みたいなところで感情を盛り上げてくる。
大好きな作品だ。
作品としての質の高さを感じた
激しく揺さぶられた。
理性的に考えればとか、常識的にとか、言い出せばきりがない。
でも、登場人物たちの誰もが逃げてない。
もがきながら、まず自分の気持ちを確かめようとする。より正しくあるために。
当然ぶつかり合いもするが、その距離感、ぶつかり方、解決の仕方、受け入れ方、「おのれはどうだったのか」と問いかけられている気がして、そのすべてに揺さぶられた。
映像的にも、ファーストシーンの朝子と麦の馴れ初めから、キレッキレ。
どこを切り取っても、よくつくり込まれている。
思わずうわっと声が出てしまう場面もいくつもあって、唸らされた。
さりげないエピソードの挿入や、説明し過ぎないキチンと意味ある展開をしているところなど、作品としての質の高さを感じた。
ふたごの姉を好きになって
でも、ふられたので、顔が同じ妹と結婚した人を知っている。
麦も朝子も好きになれなかったけど、この映画は好きだった。
役とプライベートは別のことだとはわかっているつもりだったが、これまで好きだった東出さんと唐田さんが嫌いになりそう。
恐いもの観たさで失敗
東出昌大扮する鳥居麦は、唐田えりか扮する泉谷朝子と出会って付き合っていた。しかし麦は半年経って消えた。 朝子は、東出昌大扮する麦にそっくりな丸子亮平と出会って惹かれていった。
皆が思う様にこれがあの唐田えりかかと思いながら初めて観たんだが、どこか落ち着かず無機質な台詞の言いまわし、演技も頼りなげで目を見張るほどの存在ではなかったな。多分この共演から東出昌大は唐田えりかにはまっていったのかな。家庭を捨てさせるほどの女性には見えないよね。実話でもこんなんだったのかななんて思うと観るべきではなかったかもね。朝子と亮平が再会した時に亮平が言った「朝子!」と呼ぶ声がひっくり返って情けなかったな。観ているうちに朝子の酷さにも腹が立ってきたよ。恐いもの観たさで失敗したわ。
ついていけんかった…
スキャンダルとか関係なく(とは、いえ多少は穿った目で見てしまうとこはあるけど)主演の2人の演技が入ってこない。。。こういうものなのか。朝子がバクにそこまでのめり込んでいくところの描き方が足りない気がして、なんでそこまで朝子が引きずっていくのかが全く感情移入できず、ただ我儘なやつにしかみえなくちょっと残念だった。朝子の関西弁が清水あいりのそれにしか聞こえなくなってからは、もう違和感しかなく、作品の雰囲気は好きなんだけど、役者が私にはあまり合わなかったよう。登場人物の役柄とか、エピソードとかはとてもリアルで、ある意味リアルすぎて、なんか経験したことあるようなそんな恥ずかしさに似た感覚も覚えた。
唐田えりかという女優は評価したい。(少なくとも途中までは)ストーリーも面白い。
久しぶりに恋愛映画を観た。唐田えりかと言う女優は初めて見たが、彼女の関西弁(大阪弁?)が実に心地良い。透明感のある良い女優だと思った。ラストシーンを含む後半20分の話の流れには違和感があるものの、中々見応えのあるドラマに仕上がっている。仲本工事が久しぶりに見られて嬉しかった。
ずっと無表情に見えた
ドライブ・マイ・カーが良かったので、同じ監督の作品を見たくなって。主人公2人の不倫問題を気にしないよう見たつもりだったけど…
タイトルとは違って、2人の感情が読み取れない無表情っぷり。せめて目の演技からでも何かあれば…なかった。本当にこの2人思い合ってたのか不思議。終盤に出てきた、病で動けなくなった渡辺大知が1番印象に残って良かった。殆ど瞬きしない中ほんの少し視線を変え、うっすら口元を変えただけなのに感情が伝わってきて力強さを感じた。
なんだこりゃ、という展開。 麦もさることながら、朝子の後半のぶっ飛...
なんだこりゃ、という展開。
麦もさることながら、朝子の後半のぶっ飛んだ行動には理解が追いつかなかった。
お互いにぶっ飛んだ者同士で魅かれ合ったということだろうか。
唐田えりかはよくこの役を引き受けたものだ。
前半部分で諦めかけた…
最後まで鑑賞できないんじゃないかなって思ったりしながらの序盤。
前半はなんか色々よくわからないことだらけだった。
後半に差し掛かり、急激にストーリーが動き出してからは良かった。
フランスとの合作と言われると、確かに空気感はそうだなぁ。
全編通して主人公が好かんと思った。最後の最後まで自己中なやつだ。
けど、しょうがないよね、本気で好きになっちゃったんだから。
止まらない恋ってあるから。
ポテンシャルと商業化の折衷…次第に生まれる愛のリアリティが快い
待望の初鑑賞は、古き良き映画館「高崎電気館」にて。濱口竜介監督が作る錯覚と果てなき世界。突拍子もないけど、アッとさせられるな…。
『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』に続き、濱口竜介監督作品を見るのは3作目。商業作品としてピシッと倣って作られている印象。120分のプラットフォームに落とし込みつつ、愛の彷徨う様を繊細に描いている。序盤から中盤にかけては突拍子もないように感じていたが、次第に引き込まれていき、流石だなと思った。
愛の不確かさと均衡を失うような感情。正しさよりも自分に正直にいたい姿に共感は出来ないものの、そのふしだらな彷徨いは凄く繊細で柔らかい。細かなギミックが色味を持ち、8年の変化を様々な形で映していく。その過程の中で、失踪や転勤、出会いと別れ、そして震災…。これらが挟まり、自身の価値観の変化が外的に起きたことも示唆している。少し物足りないが、やはり終盤はハッとさせられるので、二人の果てが達した答えを受け入れられたのだろう。
主演は東出昌大さんと唐田えりかさん。東出昌大さんを『BLUE/ブルー』で起用した吉田恵輔監督が「あんな高身長でナヨナヨした俳優は他にいない」と評していたのだが、それを思い出した。油断を感じさせるような演技が凄い上手いので、この2役も本当にハマっている。そんな状況の中、唐田えりかさんは本当に大変だったのだと思う。リアリティの高さ、自問自答が続く中で演技を探し出すことは容易でない。その不安定さが刺さった。
言葉や仕草、カメラに収める画角、いくつもの視野と多くの反応を掻い摘む上手さを改めて感じた。非常に有意義で興味深い時間だった。
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