「現代の民話」寝ても覚めても kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
現代の民話
本作は、まるで民話のような手触りの作品でした。妖怪が出てきてリアリティラインは低めですが、内容は結構リアルで、モヤった終わり方も民話っぽいです。
物の怪に魅入られて自らも物の怪になった娘と、その物の怪娘を愛してしまった男の悲劇、といったところでしょうか。
今回は感想文というより、民話っぽくアレンジしたあらすじを記してみました。
【ガチの完全ネタバレです】
3人いる主人公のうち、麦は完全に異界の住人、物の怪です。人間ではない。恋の象徴的存在にも見えます。また、「魔がさす」「逢魔が時」の『魔』の象徴とも言えそうです。現実を狂わせ、陶酔させる強烈なパワーを持った存在。
そして恋の物の怪・麦に魅入られるのがぼんやり娘・朝子です。朝子は若く、まだこの世に自分を位置づけることができていない様子であります。フワフワと根付けずに生きる朝子は、簡単に異界のパワーに巻き込まれます。
物の怪と結ばれた朝子は異界の者となりますが、もともと人間だし、物の怪・麦も突如いなくなるので、半人半怪の状態で現世に舞い戻り、以前のようにこの世を彷徨います。
ここで、普通の人間・亮平が登場。亮平はたまたま麦に似ていたのが運のつきであり、半分物の怪の朝子に麦の代理として魅入られてしまいます。亮平も単身上京して慣れない仕事に苦戦している状態でしたので、運悪く物の怪にひっかかってしまいました。
とはいえ、朝子は人間との関係に違和感を覚えたのか、亮平との関係を終わらせようとします。しかし、ここで震災に遭遇。日常が非日常と化し、磁場が崩れたのか、亮平と朝子は人間と物の怪の壁を越えて結ばれてしまいました。このシーンは、実に不気味でした。ちょっと背中に冷たいものが走りましたね。
その後、6年くらい2人はともに過ごします。朝子ももともと人間なので、ボランティアで自分探しするなど、ここで人間に戻ろうとしている様子が窺えます。朝子はこの世に自分を位置づけることができれば、つまり「何者か」になれれば、この世に根ざすことができ、人間に戻れるのです。そして人間として亮平と結ばれることができるのです。大阪に行ったときに「こっちに戻ってきたら仕事しようかな」とのつぶやきは、あと一歩で人間に戻れそうなことを示しているように感じました。
しかし!ここで物の怪・麦が再登場。麦のパワーは凄まじく、一瞬で朝子を亮平のもとから連れ去ります。亮平は一生モノのトラウマを背負ってしまいました。
とはいえ、朝子も半分人間ですし、やはりこの世で築きあげた亮平との6年間の関係は大きく、「私は人間として生きる!」と宣言して(そんなセリフないけど)、麦と決別して亮平のもとへ向かう朝子。
亮平は当然朝子を許さないながらも、家に入れ、ともに川を眺めます。「汚い」と吐き捨てる亮平と、「きれい」と言う朝子でした…
まぁ本作は、朝子というアイデンティティーの定まらない人間にとっての恋と愛の物語だったと思います。
不安定が故に、恋に溺れて抜け出せず、愛を築いても土台がグラグラしていてすぐに壊れる。
亮平との相性もよくなかった。大人と子どものカップルで、最初から違和感がありました。本来ならば結ばれない2人だったと思います。麦と再会するまでの5〜6年で、彼女が何者にもなれなかった理由は、麦との断絶のトラウマが彼女の成長を阻んだのかもしれません。確かなものなどない、そんな諦めや虚しさが、彼女の根底にあったのかもしれません。トラウマを受けたものが今度はトラウマを与える側になるのは、大いなる皮肉に感じました。
朝子はこの大事故を経て、本当の意味で痛みを知れたのではないでしょうか。正直、取り返しはつかないでしょうが、これを機に夢から覚めて、何者かになっていってほしいと切に願います。
作中において朝子は成長できませんでしたが、成長を示唆する終わり方だったと思います。
亮平はただただ運が悪かったという印象。しかし、亮平は初めから違和感を覚えていたとのこと。この違和感って大事だな、と感じました。我々も生活において違和感に鋭敏になっておくことで、不要なトラブルを避けられるかもしれません。