「「ドアをキッチリ閉めるな」」アイリッシュマン いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「ドアをキッチリ閉めるな」
約3時間30分という長丁場で、自分の膀胱がどれだけ耐えられるだろうかと躊躇したが、意を決して鑑賞した。しかし、思いの外我慢できたのは今作品の作りが大いに影響されたのであろう。それ程集中力を切らさず観れたのは我ながら驚きである。
巨匠マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロそしてアル・パチーノという映画界のレジェンド達が久々に重厚な内容を仕上げたのだが、マフィア映画とはいえ、抗争でのドンパチは余り無く、所謂暗殺ものの側面が多い。そしてこの辺りが馴染みがないのだが、1975年の元全米トラック運転組合委員長失踪事件に絡めたストーリーということ、そしてあのケネディ暗殺事件をも組み込んだ作りである。原作未読だが、実録モノとしての建付けで、コンビニで売っている『ナックルズ』的要素も匂う。
一人の男の特異な運命を丁寧にそして執拗に描く作りは最近の映画では行なわれにくく、ネットフリックス作品だからこそ可能な内容なのだろうと頷ける。
鑑賞していると色々と疑問が湧いてくる内容でもある。それは今作品のディテールに対してというより、そもそも作中のエクスキューズが一般的に説明し得ているのであろうかということ。例えば、大戦中の捕虜殺害の任務をこなす内に倫理観が麻痺してしまうことは、理由としては納得するのだが、大戦中は世界中で人類は殺人を行なった筈で経験者は皆そういう病理に侵されてしまっていたのだろうか? そこがこの主人公の根源になっているのではないだろうかとしみじみ感慨に耽ってしまうのだ。その麻痺故、最後迄娘とは打ち解けぬ儘であるし、逆にカリスマ性を帯びたホッファに対する娘の信用度の高さの比較とを効果的に折込ながら、しかし結局この二人の違いは何なのだろうかと思考が巡ってしまうのである。陰と陽と一言で言ってしまえば簡単だが、人間としてはどちらもまともではなく度が行き過ぎなのは誰の目が見ても明らかだ。だからこそ恨まれたり逆に信頼されたり、周りの影響力の圧が高い。こういうタイプは今ではワイドショーの格好の餌食にされるのだろうが、実際こういう人達の周りにいれば遠心力の強力さに恐れ戦く以外無い。自分も経験があるだけにそれが痛い程理解出来る。今作品は殺人という法の外側の話なのだが、そこまでではないがしかし人としての限度を超えた感覚の持主は実際に存在し、そんな“台風の目”は日夜周りを脅かしながら続いていく。そして、今作の意義である、そういう人種も又等しく年老いて朽ち果てるという“盛者必衰”をもきちんと描いているところが興味深く、集中力を切らせない作りなのであろう。表題にもあるとおり、扉を閉めないのは、分かり合えない娘に対する赦しの乞いであろうか、それとも心から信頼を分かち合った男を殺した贖罪なのか、神への縋りなのか、全ての関係者がこの世から消え、独りぼっちになった主人公の人生の終末を冷徹な視点で表現せしめた巨匠の凄腕に敬服である。