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トム・フォード
庶民のオレには、メガネかパルファムぐらいしか、縁がないわけだが、映画ファンにとってはダニエル007やリアーナ、ジャスティン・ティンバーレイクやコリン・ファースが晴れやかな舞台で身にまとう、といったところでなじみはある。
そのデビュー作「シングルマン」はとても面白かった。意外と素直なつくりなのだな、と思った記憶がある。一生懸命撮った感のある、ほほえましさとキラッと光るアイテム。そしてなにより、彼自身にある心の中のイメージをそのまま映像化することが出来る才能がとても分かる作品だった。
そんな彼の最新作。
「ノクターナル・アニマルズ」
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ここでは主人公の元夫の書いた本のタイトルでもあるわけなのだが、「夜行性動物」という意味からすると、「『夜』に生きる動物、獣」というより、素直に本のタイトルなわけだから、「本を読むことで眠れない、本の虫」ととっていいのではないか。
つまり、アダムスはかつて、元夫から「ノクターナル・アニマル」と呼ばれたわけだが、彼にしてみれば、彼の本は、アダムスを「眠らせないほど夢中になる」ことは分かっていたはずなのである。中身はある夫婦とその娘に訪れた悲劇の話なのだから。
ただし、ただしだ。
この劇中劇がもうつまんないの。元夫の自信作であるこの本が他人からは全然面白くない。非当事者からは、「この程度」のストーリーと登場人物で、どこにそんなに夢中になるのかがさっぱりわからない。
映画の構成として、やろうとしていることは、オープニングからして、明確に初めからデビッド・リンチの世界だ。だがそれを構築する劇中劇がこれほど退屈で、既視感のあるお話だと、オハナシにならない。
リンチなら、もっと劇中劇の登場人物であるシャノンも、ジョンソンも、ギレンホールも、イカレて撮れる(というか、きっと意味不明に撮る)
衣装についても、今回はなんら響くものはない。「シングルマン」は、当時の時代のファッションに、彼独自のスーツスタイルをなじませることで、独特の雰囲気がでていたのに、今回はあまりにストレートで退屈だ。
また、本作も彼の「パーソナル」な部分を投影した作品にはなっているのだが、前作は、ゲイである彼の分身である主人公の、明らかに他者でも分かる苦悩。
一方、本作は、ファッションデザイナーとして成功してきたが、一方での彼の「捨ててきた過去」の分身である、本作の主人公の現在の苦悩。ここでの主人公の苦悩については、心理的には分からなくはないし、どんな人間だって、自業自得とはいえ、過去を後悔することは大いにある。
結末についても、結末の解釈にいろいろ議論があるようだが、早々にフォードが自身でバラしているように、復讐ではなく、諦観。結局アダムスはギレンホールを捨て、忌み嫌っていた母親のような生き方を継承しただけだ。
だが、やっぱりものすごく社会的に成功していて、多少現在の夫婦生活が冷めてても、20年前に捨てたダンナからの面白くない本に揺さぶられることはまあ、ないな。
一方、そもそもの話、そんな20年前に別れた女に本を贈るギレンホールの神経もさっぱりわからないけどな。
そんなに面白くない話なのだから、どうせなら、この二人の「とっても繊細な」部分をもう少し掘り下げたり、その心情をフォードの最大の武器である、心理の映像表現で見せてくれればずいぶん違ったのだが。
そう、オープニングのアレは、そのまま、見たまんまの通り、主人公の人生そのもの。これこそが、フォードの心理の映像表現。