世界は今日から君のもののレビュー・感想・評価
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脱・引きこもりをコミカルに描いた良作。
オタク要素があり変な介入がある為、好き嫌いが分かれる映画だと思いますが、私的には面白い映画でした。
門脇麦演じる脱・引きこもりコメディムービー。
絵が上手いというキッカケから色々な人と知り合い、触れ合い、自力していく姿をコミカルに描いている。
普通であればシリアスで真面目路線に行ってしまう所を終始コミカルである。コミカルに描ききった監督の力量は素晴らしい。
引きこもりから脱する為には、周りの協力が必要。だが周りも無理はしない。相手に無理に波長も合わせない。こんな時の流れに身を任せながら接する方法だって在るのよ。
そんな事を教えてくれた映画でした。
ホント最後のシーンはタイトル通りに「世界は今日から君のもの(ですよ)」と伝わって来て良かった。
話の内容は良かったが、テンポが悪く眠くなった
ドールヒロイン。
(12/16)500円(名画座)で鑑賞。
感情が抑えられ、イラストも誰かの真似で、自分らしさがなく、
(話を描く漫画ではなく、絵だけのイラストというのもポイント)
そのくせ、やたらファッショナブルな格好で、お人形のような主人公だ。
この主人公が行動していくことで、
周りに認められ自分の居場所、感情を獲得していくという話だが、
コメディとしてみるか、ビルドゥングスロマンとしてみるかで評価が分かれそう。
■コメディとしては、◎
門脇麦やマキタスポーツの演技や、世界の広がり方、
話のテンポがよく、時間を忘れて楽しめた。悪いひともいず、ハッピーエンドが好きな人は安心して見れると思う。
特に門脇麦の演技は、(話さない)会話の間や体だけの演技、小さな顔の表情で伝わる感情がとにかく絶妙で、
「次なにするんだろう?」と常に気にさせらて引き込まれた。
■ビルドゥングスロマンとしては、▲
主人公が現状に苦労しているのかどうかが
わかりづらかったかなと。打席に立つ勇気が持てないという苦労はあるけど、
打席に立ったらヒットは必ず打てるみたいな雰囲気があったので。
彼女と同じようなことで苦しんでいるひとにとって
「彼女は才能があったから、世界に飛び出せたけど、
結局才能のない私には、関係のないシンデレラストーリィだな」と
思わせるだけで救いになるのかと?
せめて、成長による視点の変化が、もう少し映像美という形で表現されていれば、
世界を獲得する魅力になったのではと思う。
親や世間の価値観
真美は幼少期から色々と自分自身の事や将来について考えて居たけど、性格がまだ弱かった為に親(特に母親)に決められ流されて生きてきてしまったから、いざ自由に描いてと言われた時に描けなくなってしまっていたんだと思う。
この親は自分の母親に似ていたと思ったし、そういう親は、まさしく引きこもりセミナーに子供を連れて行っていた親だと思った。
自分の子供は自分の知らない間でも、しっかりと成長しているのにちゃんと子供に向き合ってないから、それを見過ごしてしまうんだとおもう。
これから私に子供が出来ても子供の選択肢や可能性を狭ませることはしたくないから、もし失敗や上手くいかなくても、いつでも味方だと伝えたい。
彼女の最後の1歩も、清々しい最後でした。
たかが小さな最初の1歩でも、彼女のこれからの全てを変えてく最初の1歩。
映画だろうが、真美のこれからを応援したい。
あと、「引きこもり」をネガティブに捉える意味をおかしく感じる。
引きこもりなんて自分自身と向き合う時間。
第1、自分の子供に問題ある子や出来損ないというレッテルを貼ってしまうのは1番親がしては行けない行為だと思う。
こういう子供はそもそも親に問題があると感じた。
ラストシーンとタイトルがぴったり!
楽しませていただきました。
各シーンに工夫が施されていて、楽しめました。母親との最後のやり取りも良かったです。ただ、肉親(母親)や社会(仕事)との彼女の向き合い方を提示したのなら(ラストの、結局関係者の世話になるという結論は、ぬるい気がしますが)、恋愛に対する彼女の折り合いのつけ方もキチンと見せてほしかった。もちろん彼女が誰かに熱烈に恋をするシーンを描いてほしいということではなく、例えば、スケッチブックの一件で会社に乗り込み、矢部と元カノとのやり取りに嫉妬して銃を撃ったということなら、その後の主人公と矢部との切ないやり取りを見たかった。仕事同様、恋もそう簡単に思い通りには行かないことを身をもって知った彼女が、恋愛にどう向き合って行こうとするのかを描くことで、「ひきこもり女子」から一人の女性として少しだけ人生に歩を進めるというドラマにもっと広がりが出たのではないでしょうか。
一瞬も飽きることなく……
勇気を獲得する成長物語
門脇麦は、前作の「二重生活」を見て役に没入するその演じ方に感心した女優で、世間の価値観から一歩引いた役柄がとても向いている。本作の主人公はまさにそんな役柄の典型で、門脇麦のいいところが余すことなく引き出されている。
人間は社会生活を維持するために、嘘をつかねばならない。人が犬や子供を連れてくれば「可愛い」と言わねばならないし、上司の意見には賛意を示さねばならない。「馬鹿そうな犬ですね」とか「小汚い子供ですね」とか「無意味な意見です」などと言ってはいけないのだ。一般的にこれを本音と建前と呼ぶ。
権力を持つ人間は、建前をいう必要がない。権力が地位を保全しているから、建前を言って社会的立場を維持しなくてもいいのだ。建前を言わなければならないのは、いつの世も弱い立場の人間だ。つまり世の中の大多数は建前を言い続けることでかろうじて社会生活を維持しているのだ。
当然だが、本音と建前のギャップが大きいほどストレスも大きい。ときにストレスは殺意と化し、他人を殺したり傷つけたり、または自殺したりする結果をもたらす。あるいは無気力になって社会から逸脱する。引きこもりは、建前を言い続けなければならない同調圧力に対して、実存としての自己が折り合いをつけられないことから生じる。
好きなことをして生きていければこれほど楽なことはない。しかしどんなに好きなことでも仕事になると、楽ではなくなる。まして本音と建前の間で折り合いをつけられない人間にとっては、苦痛に等しい。建前を言わなくていい仕事は、ラインの一部と化すことだ。そういう仕事は近い将来、AIにとって代わられるだろう。
どう考えても将来のない主人公だが、過去の怨恨やストレスを克服しながら少しずつ進んでいく。そのあたりの微妙な成長ぶりが、門脇麦の達者な演技によって十分に伝わってくる。本音ばかりを言っていては社会生活はできないが、時には本音を言わなければならないときもある。そのための勇気を獲得することが主人公の成長である。
門脇麦の台詞は少ない。顔のアップの時間は十分にあるのだが、台詞が少ない。それは尾崎監督が引き算の脚本を書いたからだろう。観客からすれば、この場面ではおそらくこんな台詞やあんな台詞を言うだろうと予想しながら見ているが、ほとんど裏切られて、門脇麦は少しの台詞しか言わない。言う台詞は凝縮されていて、まるで俳句のようだ。脚本が引き算であるように映像も引き算で、無駄なシーンはひとつもない。とてもいい作品である。
かなり難しいテーマへの軽やかな挑戦
原作があるのかなと調べてみたら監督の書き下ろしのストーリーとのこと。確かに話の展開や演出等々がテレビドラマ的なので、そっち畑の人なのかなと思ったのだが、脚本家とのこと。少々強引な流れが双見えたのかも知れない。
それにしても、着実に実力を付けてきている女優門脇麦の発展がここでも光っていたと思う。実際、監督も門脇を気に入っていて今作品に起用ということなので、この女優のための映画なのだと思う。
テーマとしては、一切誰も触れていないが、『アスペルガー症候群』若しくは、『自閉症スペクトラム障害』の話なのだろう。実際、この手のテーマだと、微妙な線引きが現われてきて社会問題にまで発展しかねない事も起こり、とにかく外野が煩くなる。蓋を開けてみたら『サバゲー』を扱ったシーンに色々問題があったようだが、そんなことより主題のこのナーバスでデリケートな人間の存在ということをもっと着目すべきだと思うのだが。。。とはいえ、確かに周りにこういう人物がいるとまるで腫れ物に触るような態度で接してしまうことが普通なのだろう。だからこそこの人達の他の健常者との違いというものを丁寧に描いている、いや映画の都合上誇張している部分もあるが、その辺りも又、このテーマの奥深さを考えさせられるきっかけになるのかも知れない。
とにかく門脇麦の役に対する真摯な態度、そしてそのまま演じるのではなく、きちんと監督の意図なのか自身の味付けなのか、悲惨にならずにコケティッシュな可愛さを纏っているところに救われている。そう、まるで妖精のような仕草や動きなのだ。この症状は濃淡があるらしく、比較的軽いものとしてのレベルなのだろうし、そうでなければテーマがもっと重くなってしまうからそういう意味では丁度良いさじ加減を保っている作品だ。
幼少期での宝箱の色と大人になってからのスケッチブックの色を同じ黄色にしたり、ビー玉の繋がりをもってきたりと、小ネタもいろいろ散りばめられている細かさも好感が持てる。
最後のハッピーエンドの着地とかも分かるように、少しでもそういう人達と健常者との間に蟠りを排除したいという願いが今作品に込められている、とても優しい映画である。少しずつ、一歩ずつ、自分のペースで薦めていけるダイバーシティな世界を未来は実現してくれるのだろうか?相模原の事件から1年経ち、その悪意に満ちた『優生思想』に凝り固まっている連中をみていると絶望するのだが・・・
虚構か現実か?
ちょうどいい具合の日常からの乖離
引きこもり≠おたく
色々な要素を混同している。
引きこもり
ニート
オタク
コミュ障
自己実現できない人
これら全てをステレオタイプに一緒くたにしていると思った。
そして、この多重苦を背負った主人公が
たまたま出会った少女にビー玉渡された事がトリガーとなって好転するなんて、
そんな浅い障壁だったのかと。
引きこもりのイメージが
なんなら言語障害レベルにまでデフォルメされてて、
ちょっと極端だなと。
細かい事だが、
デッサンで模写してた主人公が
いきなり高級ペンタブ&フォトショ使いこなしてて
違和感があった。
サバゲーのリアリティしかり。
麦ちゃんの演技に救われた感がある。
母と少女+父親
少女の少しの反抗の言葉。
子供の頃、なんでも反対された。
習い事ピアノの反対された。
私立中学の受験反対された。
言葉にしたら、
母は、あなたが結局自信がなくて、やらなかったと、
言い返された。あなたの事、考えて、そうしたのよ。
自信を持つように、育てられなかった母と、
自信を持つように、生きられなかった娘。
卵と鶏。
もっと早く、この子を面白がる、あっけらかんとした友達と出会っていたら、
また違う展開があったかもしれない。
父親の、限りなく優しい言葉は、
結果、娘には、少しウザイと思われるだけなのは、
悲しいかな。
麦は、美人なのかどうかわからない。
だけど、かわいいのは確か。
引きこもりと、オタクは、似てるけど違うものだと思う。オタクは楽しいけど、引きこもりは辛い。
この麦は、辛そうではなかったよ。
そこが、映画としては良かった。
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