未来よ こんにちはのレビュー・感想・評価
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ルソーは社会契約論で人権宣言に影響を与えた。革命の生みの親
『もし、神々が市民なら、民主政を執るだろう。これほど、完全な政体は人間には適しない。』人間には民主政は無理かもしれない。
『歴史は確定した真理。ホロトーストも論争する余地はない。』
つまり、殺人も長い歴史の中で確定した真理。今更、殺人で論争する余地はない。しかし、『プラン75』なる映画を鑑賞して、その良し悪しを議論する必要性があると主張する者もいる。異様だと思わないか?この主人公の母も『プラン75』なのか?
女性は40歳過ぎたら、生ゴミと言う台詞が出て来るが、男は親元を離れた時から、生ゴミみたいなもの。僕自身の実体験で感じる。
哲学は政治と融合すべきだと思う。また、資本主義と言う波に流されない様にすべきだと思う。そして、真理を見極める哲学位は、個人的に身に付けなければと考える。何故なら、今起きている出来事が真理の逆ばかりのような気がするからだ。
さて、同調圧力なんかもってのほか、難しく哲学を論ずるのではなく、簡単な思考で良いから、自分で考える事が大事だと思う。未だに危機的な社会は停滞している。真理を自分の力で見極めていく。そうしないと、
『こんにちは』と言える未来が来ないかもしれない。
フランスのローカル線はディーゼルエンジンの気動車だ。原発で電気があり余っているのにどうして?
追伸 こんなバカ男早く分かれて、自立すべき、情けはいらない。もっとも、男と女の立場は逆だろうが。こんなバカ男に騙されないように。同じ事を何度も繰り返す。哲学者でも清掃員でもその日暮らしの老人でも、バカ男は一生懲りない。
ずっと続くと思っていた安定した人生が自尊心を傷つけられる形で崩れ始...
ずっと続くと思っていた安定した人生が自尊心を傷つけられる形で崩れ始め、孤独に苛まれる中年女性をイザベル・ユペールが演じている。
邦題からもわかるように映画のテーマは孤独からの再起といったところだが、あからさまな変化を描かないところがフランス映画らしい。
ナタリーの安定した人生は情熱を捨て去ることの代償だったかもしれないが、それに気づいたところで情熱など簡単に取り戻せるものでもない。
それでも孤独を受け止め、新たな生活になじんでいくさまに不思議な穏やかさがある。
おデブの黒猫パンドラが印象的だ。
アルプスのふもとで一夜の冒険に出てナタリーを心配させるが、朝方無事に帰ってきた彼女はナタリーにネズミのお土産まで持ち帰る。本能が目覚めたのだ。
「箱を開けることで様々な不幸が放出されるが、底には希望が残る」というパンドラの箱の物語がベースにあることは明らかで、パンドラはナタリー自身のメタファーに使われているのだろう。
終盤、孤独を癒してくれていたパンドラをナタリーが手放すことを最初は不思議にも思ったが、パンドラ=ナタリーと考えればそれも必然。本能に目覚め自然の中自由に生きるパンドラが、自身を解き放つナタリーと重なる。
穏やかなラストと音楽が胸に小さな感動を引き起こし心地よく見終えたのだが、監督が30代の女性と知って少し引っかかるものを感じてしまった。
50代後半を年寄り扱いしすぎじゃないでしょうか。ま、ただのひがみだけども。。
監督がそれなりのお歳になったら、きっとナタリーにもう一花咲かせたくなるんじゃないか、そんな風に思ってしまった。
幸福を手に入れる前こそ、幸福なのです
映画「未来よ こんにちは」(ミア・ハンセン=ラブ監督)から。
主人公は、パリの高校で哲学を教えている女性、ナタリー。
「子どもたちは独立、夫が離れ、母が死んで・・
やっと自由を取り戻した」と自分の置かれた現状を分析し、
「初めての完全なる自由、すばらしいわ」と呟く。
しかし、生き方があまりに哲学的で、観ていて息苦しいのは、
「凛として生きる」を実践してきたからだろうか。
その生き方に、教え子が反論するシーンがある。
「思想と行動を一致させねば・・」と。
「先生とは違う。価値を変えるほどの行動はせず、
生き方を変えるほどの思想も持たない、(先生とは・・)」
「具体的に?」と、まだ気付かない先生に、彼は言い返す。
「デモや請願をすれば政治参加した気になって、
良心を痛めず暮らせる。
人生は欲望があれば、幸福でなくても期待で生きられます」と。
そして最後に「幸福を手に入れる前こそ、幸福なのです」
なんだか哲学的だなぁ、と思いながらも、若き女性監督は
「未来を信じて生きる女性の姿」を描きたかったんだよなぁ。
温かいぬくもりを抱きながら
母の期待のままに学位を取り哲学の教師となった女性。
歳を重ねるうちに夫はいつの間にか心が離れていた事実を突然に突きつけられ、介護をして来た母もこの世を去り… まるで人生の整理整頓が一度期にきてしまったかのような状況に主人公は戸惑いながら、時にはむせび泣きながら、しかし淡々と行きて行く。
今まで期待に応えようとしてきた、対象である母という軸を無くした時、自分自身とは?と考えさせられるものなのだろう。
しかし、常に哲学を持ちしこうしながら前を向く主人公に悲壮感はない。何かに依存したりすることもなく、非常に好感を持てた。
温もりを感じつつもあっさり整理整頓されてしまう意外な家族もいるけれど(笑
理性的な判断なのでしょうね。アレルギーだから。
ラスト、アンチェインド・メロディーが流れる中、その抱きしめる愛おしいもののずっしりとした重さ暖かさを感じ、少し涙が出た。
映画とは関係のないところで大変に残念なのが、予告やキャッチコピー。 主人公は孤高の女性だが、おひとりさまするシーンはあまりない。むしろ教え子たちや家族とよい距離で関わり続けている。 おひとりさまとはけして悪い言葉ではないが、 夫と別れ自立した前向きな姿勢の女性=おひとりさま はちょっと違うかと。 それと、「自分のために花を買う」とポスターにあるが⁇花はどれも人から贈られていたような…ヽ(´o`;
なんだかそこだけが気になったが、 イザベルユペールの美しさと、フランスの風景、整理された本棚にテーブルに花束のある家。
上質な時間を味わえる映画だ。 もう一度観たいな。
哲学の素養がいる
ユペールさま目当てで。
面白くみられたのですが、雰囲気もすきだったのですが、
哲学的素養がもう少しあれば、理解も深まったんではなかろうか、
という点が残念です。自分がね。
なので、映画の言いたいことはあまりわからなかったかもしれないという気持ちです。
全体としては、中高年になってあれよあれよとおひとり様になってしまったナタリーを憐れむような描き方ではなく、
それを潔く受け入れ、一人でちゃんと生き続けてゆく姿を
描いてくれたのがうれしかったです。
私がこれから向かっていく未来が、ナタリーのようになったらいいなと思いました。
あと、猫のパンドラがかわいかったです。
もう世界中で猫愛があふれてますな、最近は。
ナタリーママが癖の強い人でした。
高校の哲学教師、っていうのが、日本のいわゆる高校教師よりか、大学の教員レベルの知識がある感じに見えて、
日本とフランスの教育の違いを見ました。
日本の学校教育は躾と受験対策と部活に重きがあり、
フランスは高等教育を受けるための予科って感じなんですね、
きっと。
イザベル・ユペール可愛い
イザベル・ユペール可愛いよね。いつも思う。歩き方がちょっと変なんだけど、わざとかな。
作品は「ここだ」っていう場面で哲学書からの引用が朗読されたりすんの。訳解んないんだけど、なんかまあいいなあと思うよ。
「なんか決定的なことが起きたんだな」って場面は描写しないのね。でも前後で解って、監督うまいなと思ったよ。
フランス映画らしいフランス映画で訳解んないんだよね。でも意外に解った気もすんの。
イザベル・ユペールが出てて哲学的なことが語られてるから、それで満足したよ。
寂しいなあ
着ているものやインテリアはオリーブ少女のようにオシャレ。取り乱さない誇り高き態度も立派、だけど友達がいないのは寂しいなあとおもった。
子どもが父親を呼び出して「浮気してるでしょ」と迫るのはフランスっぽいなとおもった。
つまんないけど面白かった
孤独をテーマにしているような宣伝文句ですが、テーマは喪失とその回復だと感じました。その回復プロセスが淡々と日常生活を続けて行くといった、真をついたものであったので、なかなかビックリしました。
いろんな切り口のある映画ですが、個人的に注目したのは猫のパンドラとの関係。
ナタリーは猫アレルギーと言っておりながらすぐに猫との愛着関係を形成し、猫なしの人生はありえなくなる。夫と母を喪失した直後のナタリーは明らかに猫を心の支えにしていた。
そんなナタリーが1年後に猫を手放す。しかも晴れ晴れした表情で。ここがこの映画で一番凄いと感じたポイントです。しかもファビアンの部屋を気に入ったと思われるパンドラの意志を尊重して、である。
1年経ってそこまで必要としていなかった側面もあるだろうが、愛着あるペットを、ペットの気持ちを尊重するが故に手放せたのは、ひとえにナタリーが専門にしている哲学が影響していると思われる。ここで描かれる哲学とは小難しいものではなく、人権を尊重する思想のことだ。
それができた理由は、フランスだからなのか、ナタリーだからなのかはわからない。しかし、身近な存在に対して猫であろうが尊重する姿勢こそが、この作品に通底している軸だろう。ナタリーがキツい喪失体験後も淡々と生活を送る事ができたのも、他ならぬ自分を尊重してたからではなかろうか。
一方で、ナタリーは過剰なまでに理性で情動を抑えている人のように見えて、息苦しさを覚えたのも事実。頭でっかちで、無理して突っ張って生きているように思えた。つまり、どっかウソついて生きている。『未来』という原題も、なんだかね。ナタリーは過去を振り返らないから、大地に根ざさずにスタスタと未来に上滑っているだけに思えてしまう。無意識では過去を振り返ってウジウジしたいんじゃないの?
ナタリーみたいに生きると、情動と情動のぶつかり合いのガチンコ勝負ができないんじゃないかな、なんて感じました。浮気した旦那も、ナタリーに対して人間としての手応えの無さを感じていたのでは、とか勘繰ったりして。
ナタリーを通じて描かれているであろう哲学について。人権尊重の姿勢は確かに素晴らしい。一方で、理性の優位を高らかに謳うバランスの悪さも浮き彫りにされているな、と感じました。
ファビアンのコミューン主義も鼻についたし、登場人物たちにはまったくと言って良いほど共鳴できません。なので、映画を観ていた時は正直クソつまんねぇと思ってました。
しかし、実際の所は些細な場面からあれこれ考察することができる大変豊かで魅力ある映画だったと言えます。何度も反芻して楽しめるため、リアルタイムで観ていた時よりも観た後の方が面白かった。
観た時はつまんなくても、結果的に面白いと言える映画もあるんだな、映画は奥の深い文化だな、としみじみ思った次第であります。
生活の中に哲学がある女性の、新しい人生の幕開け
日本の宣伝ではやたらと「おひとり様」という言葉を使ってキャッチ―にしているつもりの様子だったけれど、実際に映画を見てそんな陳腐な言葉を用いるのは恥ずかしいと気づかないのだろうか?映画は、確かに母親を亡くし、夫と別れ、子どもが自立し、仕事も離れ・・・と、自分の人生に付きまとっていたある種の「しがらみ」がほろほろと剝がれていく過程を、哲学と照らし合わせて物語にしている。そこがこの映画のポイントだし魅力だと思う。
高校で哲学を教えている主人公が、自分の身に起こっていることや、自分の日常を顧みる時に、そこに常に「哲学」があるのが興味深い。恐らく彼女は日々の暮らしの中に常に哲学が寄り添っていて、何かを考えたり決断したりする時にも常に哲学が助言をしているのだろうことが分かるような。だからと言って小難しいことを語っているわけではなく、映画と哲学が当たり前のように溶け合って物語になっているような感じがとても好きだった。フランス人の多くは彼女のように生活の中に当たり前に哲学があるのだろうか。だとしたらとても素敵だろうし、迷いや不安も怖くないだろうなぁと思う。
先ほど「しがらみ」という言葉を使い、それは悪いことのように思えるかもしれないけれども、私たちはその「しがらみ」に身を預けることで安堵できているような部分もある。家族というしがらみ、肩書というしがらみ。しかしそういうものが自分から離れていき、少しずつ身一つになり始めていく最初の時期を、イザベル・ユペールが上手く演じていた。ほとんどユペールありきの役柄という感じがしないでもないほど、ユペールによく合っていて、知的で少し孤独で、凛としていて人に依存していない感じ。ユペールだからこそ成り立った映画かもしれないとも思う。
ひとりになる、ということの概念の感じ方がそもそも日本とフランスで違うのか、身軽になった主人公が次に取る行動があまり実感としてピンとこないものが多く、主人公に共感したり感情移入したりっていうよりも、ひたすら傍観しているような感覚でしかなかったのは、私がまだ本当の意味で孤独ではないからだろうか。
大人!
仕事にも、家庭にも、充実した生活を送っていると思っていた女性が、ある日突然、夫から離婚を切り出され、母は亡くなってしまい、気が付けば“おひとり様”になっていた。そんな女性が、新しい人生に向かって進んでいくさまを描いた作品。
日本との違いに驚いたのが、ナタリーは高校教師ではあるんですが、高校の哲学の教師であると言う事。フランス特有なのかもしれませんが、欧米人が、大人で、且つ、自分で物事を考えるのは、高校時代から哲学とかをきちんと学んでいるからなんだと思わされました。小学校の道徳の教科書で、“パン屋はダメで、和菓子屋にする”とか言う低レベルな話をしているようじゃ、かなわないですね。
もう一つ驚かされたのが、ナタリーが離婚する理由は、夫が浮気をしたからと言う事なんですが、泥沼になる事もなく、且つ、浮気を告白されても大人の対応をしている事。もちろん、心の奥底でどう思っているのかわかりませんが、日本の陳腐な脚本ならば、泥沼になったり、女性が泣き叫んだりするところなのかもしれませんが、そうじゃない!やっぱり、大人。それと、オランド大統領が不倫しても、それほどの大問題にもならなかったというお国柄も感じました。この問題、逆に不倫を暴かれた側が、キレているくらいだもんなぁ。
いやぁ、大人の映画です。主人公が、哲学の教師であると言う事も影響したのかもしれませんが、たとえ相手が不倫した夫であっても、あるいは、意見の異なる教え子であっても、それが故に気まずくなると言う事もそれ程無く、ちゃんと一人の人間として対応する。フランスの個人主義の影響もあるのかな。
PG12の映画ですが、どのあたりが?と言う気がします。セクシャルなシーンも無いですしね。あまりにも、個人主義過ぎて、子供には難しいと言う事?『フランスを見た』と言う気になりました。
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