哭声 コクソンのレビュー・感想・評価
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結論までぶちまける
コクソン=哭声=谷城
ダジャレです。
シークレットサンシャインの密陽を思い出した。
そーゆーの好きなんですかね、韓国人て。
そんなダジャレ言ってる場合じゃない、薄ら暗い場面の連続の作品で、いつかこの暗い場面が明るくスッキリするのか?、とは行く訳もなく、
話の展開は、各事件現場や謎の日本人の家みたいにいろんなものをぶちまけて、唐突に終わる。
いつも韓国映画には、期待しない事を期待してる、スカッとした結論にはならないだろうと思って観てたけど、ベクトルが色んな方向に向き過ぎで訳が分からなくなる。
冒頭でキリスト教的な何かを暗示させたり、謎の日本人國村隼はすごく淡々としてるだけなのかと思いきや、後半急に人間っぽさ露わにし出すし、で祈祷合戦の時は数珠持ってたから仏教的な人なのかとか、
でもゾンビ発生させたのは彼だし、
時折鬼のような形相になるし、
途中から登場するカリスマ祈祷師、まさかのファンジョンミンでしたが、彼の祈祷のベースは何に起因してるかよく分からず、
ちょっとしか出てこない白い女、ラストのカラスの件とかからすると西洋的な、キリスト教的なニュアンスを醸し出しているが、如何せん絡みが少なすぎて意外性に乏しい。
観客に問いかけてる雰囲気の結末だが、問いかけてるのかすらよく分からない。
これから観る方には、セリフとか話の筋よりも、視覚的効果が多い内容なので、出来るだけ大きい画面で観て欲しい。
真実が一つじゃない
この映画には真実は存在しないかもしれない。
前半はコミカルな演出で惹きつけつつ、徐々にホラー感が増して行く過程が面白い。
ラストは本当に分からなくなってくる。
見る人それぞれがそれぞれ信じたいことが、真実になるのではないか。明確にこれ、という解答があるのかもしれないが、見た後はそういう印象。
皆が嘘をついているかもしれないし、全く嘘をついていないかもしれない。
個人的には全員嘘はついていないけど、互いに互いを誤解している、というくらいか。
國村隼が悪魔に見えるのは悪魔だと思うからかもね。
映画的には國村隼はイエスキリストとしても描かれてる。ただ、人によっては悪魔にも見えるということか?
最後に手の甲に十字架にかけられたような穴が開いていたし。
どこかの考察で、人はどれだけ人を信じられるか、ということを描いた、と書いていましたが、これが一番しっくりきました。
よい意味で今までの韓国映画と違う
結局何だったのか!!
娘が変調をきたすまで1時間かかりますが、内容の割にとても長く、散々引っ張っておいてスッキリしない結末でした。長時間なのに謎を残し過ぎで、やはりダラダラした前半が不要だと思います。日本人が憎いという政治的プロパガンダを逆手に取ったような、取っていないような良く分からない映画でした。
「疑え。惑わされるな。」
2016年の公開当初からこの作品が面白いと言う噂をちょくちょく聞いていたもののタイミングが悪く、公開時は見逃してしまっていたのと、韓国映画のハードな描写の物は精神的にも疲れるので、ようやく今になって見てみた。
最初は主人公のジョング目線で物語を見ていたものの最後には俯瞰的に見ている自分がいた。
それは、"男"をはじめ、作品そのものが主人公と言うよりもスクリーンの向こう側の我々を威圧している様な、そんな印象を受けたからかも知れない。
証拠や事実を追うはずの警察官である主人公が印象に惑わされ、神を信じ神に遣えるはずの神父(見習いだけど)が男が悪魔に見えてしまう、"惑わされることで本来の職業とは真逆のアクションをしてしまう"姿が記号化された階級の上位である人間の平静を崩してしまう。
田舎社会と言う閉鎖的な空間、言葉に惑わされたり狂気に取りつかれたりする描写に既視感を覚えて、記憶の糸を手繰り寄せてみたら「ひぐらしのなく頃に」を思い出した。
「ひぐらしのなく頃に」でも似たような疑いの連鎖が事件を引き起こすって言う作品だったけれど、この作品は「ひぐらしのなく頃に」よりも今のSNS社会に対するメッセージにも感じられた。
祈祷師は"釣り"や"餌"と言う表現を使って表していたけど、男や祈祷師(煽動する人間)が釣り上げようとしていたのは、"ジョング"や"村の人々"でもなく、"スクリーンを見ている我々"なんじゃなかろうか。
キャッチコピーは「疑え。惑わされるな。」だったそうだけどその意味する所は作品のストーリーに対してではなく、見終えた後の自分の印象や感想を疑え。と思えた。
と感想を書いた後に考察しているサイトを巡ってみたら、旧約聖書に準えたキリストの話って言う考察があってそっちの方がしっくり来たのでこの感想も惑わされていたっての証明されちゃったな…。
視聴者だって「自分の見たいようにしか物事を捉えられない」
「ヒトは自分の見たいようにしか物事を捉えられない」
こんなシンプルなテーマをしっかり作品に落とし込んだ素晴らしい作品。キリスト教的な知識の前提がないと観れないとの評判もあるが、決してそんなことはない。
何が痛快かというと、前述の「見たいようにしか捉えない」ということが登場人物達の行動原理だけではなく、他でもない視聴者の意識にも意図的に強く働かされている点だろう。そういう意味で非常にメタ的な作品であると言える。
確かに所見のラストシーンを見た瞬間は、空いた口がふさがらないだろう。だがいざ冷静に回想をしてみると、別段注意深く見てなくても、映画論やキリスト教の知識がなくても、違和感を覚えるシーンがいくつもあったことが思い出される。それは韓国人にとって馴染みが薄く「オムツ」とわざわざ言及するシーンがあったふんどしを祈祷師がつけていることや、祈祷師が「呪いの元を殺す為に“殺”の儀式をする」と言っていたにも関わらず儀式を連動して身体を痛めるのが主人公の娘だったことなどが代表的だろう。
しかし視聴者は「この祈祷師は作中でも希少なイケメンだし、なんか必死に頑張ってて善玉っぽい」という印象がある故に、そういう小さな違和感を無視するか、あるいは自分にとって良いように解釈して無いものにしてしまう。
果ては、國村隼が映画や漫画でよくいる「悪人と見せかけて実は善人だった」というスネイプ先生ポジションであることを“作品の盛り上がり的にそっちのほうがありそうだし、楽しいから”という理由で、つまり非常に映画作品をメタ的に捉えた上での直感で決めつけてしまう。
それゆえに、挙げ出せばいっぱいあったはずの國村隼と霊媒師の怪しいところに目を瞑り、ついにはラストシーンで衝撃を受ける。最高にひねくれていて性格が悪い、素晴らしい構成だった。
前半パートの日常を強く意識させる描写も面白い。きっと韓国の田舎町のリアルな空気なのだろう。とても素朴で美味しそうな食事シーンが意図的にたくさん盛り込まれていて、出てくる登場人物たちも決して美形とは言い難い素朴な連中ばかりだ。
彼らのささやかで幸せな日常が十二分に描かれているからこそ、それが崩壊していく絶望感もまた大きなものになっている。
ニュース映像などでみるに感情が昂ぶった時に大声で叫び立てるのは韓国人の習性なのだろうが、後半はもうギャーギャー叫びっぱなしで割とうるさかった。もうちょい静かに落ち込むするシーンがあっても良かったのではないか。
おそらく善なる精霊か何かであろう白い服の女は、主人公が家に帰るのを引き止めたが、それはせめて彼一人だけでも救うために呼び止めたのだろうか?
白い服の女は割と喋れるし動き回れるので、もうちょっと密にコミュニケーションとりながら積極的に行動すれば色々解決できたろうに。(と言い始めると映画自体が終わってしまうのだが)
レビュー
うまく創られていて感心する
最後について言及するレビューが多い事もあり期待してしまったためか、え?これで終わり?となってしまった。しかし、この作品のキモは衝撃のオチとか大どんでん返しではない。
映画を観る前に考察サイトなどは観ない事をオススメする。観終わったら自分なりの考察をしてみてから、色々な考察サイトを読んでみてほしい。色々な解釈の仕方があるのだけど、全てがストンと落ちる解釈があって、なるほどうまく創られた映画だと感心するはず。
國村隼さんがこんな仕事を!!!
これは難解
韓国版エクソシスト?
コクソンと言う村で変死事件が起こり始め、事件解決を図ろうとする巡査部長にどんどん災難が降りかかる。
最初はサスペンスかと思いきや徐々に怨霊ホラー映画へ。
最期の最期、真実は?って感じなんだけど、映像から観ると色々解釈が出来て、私的には「こちらの人は善、そちらの人は悪。???が原因だ!」と決め打ち出来ないまま終わる。(搔きまわす小悪魔的な奴はいますがね。)
上映時間は2時間半。面白いけど体力的に疲れた。
國村隼人が凄いとか、翻弄されるとか観た感想をネットで書かれている訳だが、私とすればまあまあ。
もう少し原因の中身・正体が判れば面白かったのに!
ゾンビみたいな奴は何だったのか!!
日本ホラー映画や真夏にある怖いお話のテレビ番組が好きな方々はよいかもね。
体力勝負でどうぞ。
宗教臭い。
めちゃくちゃ怖かった。いろいろ衝撃を受ける。こんな悪魔祓いシーン見...
めちゃくちゃ怖かった。いろいろ衝撃を受ける。こんな悪魔祓いシーン見たことない。ラストも謎だらけ。も一度観直したい気もするけど、たぶん観ないだろう。理解が深まるより余計わからなくなりそう。
國村隼すげぇ。他の役者さんも皆すごい演技。
イエスは悪を許容したのか
こわすぎる!
サスペンスかと思いきや
すごかっった!!がっつりホラーじゃねえか!ホラーっていうか何コレ?...
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